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公爵家の養女は『兄』に恋をする。  作者: 久浪
第四章『各々の選択』
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落ち着かない鼓動





「涙、止まったな」


 アルバートに瞳を覗き込むように顔を近づけられ、シルビアは頬を赤くした。

 元々、アルバートが好きだと気がついてから、距離が近くなると緊張していたのだけれど、今はもっと緊張した。

 好きだと伝えられて、気がつかれてはいけない状態ではないのに、なぜだろう。

 泣いていたためではなく頬が染まった変化を目にし、アルバートが少し目を丸くしたから、気がつかれたと分かったシルビアはますます頬が熱くなったと感じて、隠すように俯いてしまう。

 しばらく、奇妙な静けさが満ちた。気まずいそれではないが、これまでに感じたことのない種類の静けさ。


「シルビア」


 しばらくして、呼びかけられた。

 呼ばれては、このまま俯いているわけにもいかず、そもそも俯き続けるのもいかがなものか。シルビアは心の中で深呼吸して、顔を上げた。

 けれど灰色の目と、目が合い、途端に頬が熱くなってしまう。


 ──「好きだ」

 ──「義理の妹という意味じゃなく、──一人の女として、愛している」

 不意に耳に明確に甦ってきたその言葉に、目の前の顔を直視出来ないような心地になる。

 いざ言われたときには、驚きの方が大きくて気がつかなかった。嬉しくて、信じられなくて、幸せで──それに顔が熱くなる感情が加わっている。


「……参ったな。こう見ると、くるものがある」


 アルバートが小声で何か呟き、その手を伸ばし……たが、頬に向かう途中で一瞬止まり、動いたと思うと、ぽんと頭に乗せられた。

 そのまま軽く、柔く、頭を撫でられる。ただ、撫でられる。

 馴染んだ感触に、シルビアの心が条件反射で次第に落ち着いていく。ゆっくりと、ゆっくりと。完全に落ち着きはしないけれど、アルバートの顔をまともに見られるくらいにはなる。


「あの、アルバートさん、お仕事は大丈夫ですか?」


 この時間は、まだ勤務時間に当たるはずだと、シルビアはこのタイミングで遅すぎにも気がついた。


「仕事? 今日は無しだ。明日やることにした」

「えっ」


 シルビアが驚きの声を上げると、アルバートが首を傾げる。


「そんなに驚くか」


 そんなにも何も、たぶん、アルバートが今日は仕事は無しだという発言をすると思っていなかったから。


「グレイルと話をして父上と母上に会ってここに来たんだが、覚悟して来たものの、お前が結婚ではない道があるならそっちがいいと譲らなければどうしようかと思って来てな。仕事は手がつかないだろうから、いっそ今日は止めにした」


 アルバートも今日話を聞いた様子だった。


「俺のことが好きではなくとも、どのみち騎士団に居続ける道を選んで欲しくはなかった。そのときはどうにかしなければならないと思いながらも、与えられて二つの選択肢だったからな」


 だが……と、シルビアを見る瞳が細められて、落ち着かなさが少し戻ってくる。

 シルビアがどのような種類であれ戦いに身を投じないようにと、それほど考えていてくれたことに、その思いをまた感じて。


「……お父様とお母様はお話をご存知、なのですよね」

「ああ。二人も今日初耳の状態で、俺がお前に対することを話したこともあってかなり驚いていたがな」

「私に対すること?」


 それは、無防備な問いだったのかもしれない。

 アルバートは頷きながらゆっくりと一度瞬き、開いた目が、またシルビアを映す。


「結婚の話について、どうするか。どう思っているか。──言ったこともなく、隠していたが、ずっとお前のことが好きだったこと」


 『ずっと』とは、いつからなのだろう。

 アルバートに妻にと言われて、受けたことに現実味がない。アルバートと結婚、なんてもっと。

 そして、根本である『その言葉』も、どこか受けた心の中でふわふわしている。こんなにも、心臓の鼓動は現実的で、生々しく感じるのに。


「……どうして」


 ぽつりと、シルビアから言葉が零れる。


「どうしてアルバートさんは……私のことが好き、なのですか」


 思ってもみなかった。だからこそ、信じ難い。

 好きになってもらえる理由が、シルビア自身では思い当たらなくて。そう考えると、まず人を好きになる世の中の一般的な理由も知らない。シルビアがアルバートに思っていることが、シルビアにも当てはまることはないだろう……。


 シルビアの問いかけに、アルバートはふっと笑みを溢した。


「最初は、ヴィンスに託されたからあいつの代わりにとばかり思っていたが……気がつけば、『守らなければならない』じゃなく、守りたくなった。お前はジルベルスタイン家に来て、どんどん変化していった。どこを見ているか分からない眼差しじゃなく、自分で前を見るようになった。強くなっていく。その姿に惹かれたんだろうな」


 こういうことは、簡単に聞くものではない、と思った。

 好きだと言われるのと同じくらいの感情を、その言葉の節々から感じた。言葉と眼差しと、声が合わさって、全てがシルビアに一心に向けられる。

 聞いたのはシルビアのくせに、シルビアは何を言えばいいのか分からなくなってしまう。


「……いずれ、『兄』としてでも触れられなくなる日が来ると思っていた」


 シルビアが何も答えられないのも気にした様子はなく、アルバートはシルビアに注いだ視線をそのままに、手をおもむろに動かした。

 頭に触れていた手は、下に滑っていく。下ろされている髪をたどるように、下へ。指がそっと肌に触れ、シルビアが動かないと分かると、掌全体を頬に沿わせた。


「グレイルとの結婚の話があったとき、色々考えが混ざり合った。お前のこれからの在り方、幸福。その中には、俺自身のお前に対する感情も入っていた。叶わない感情だとは分かっていたが、とうとう決定的なときがくるか、ってな。……正直、こんな日が来るとは思わなかった」


 シルビアも誰にも想いを明かさなかった。

 アルバートも言わなかった。当然シルビアもアルバートが自分に対して抱いてくれている想いは夢にも思わず、知らなかった。

 それなのに、どうしてこうも、思っていたことが重なるのだろう。


「……あ」


 また、ぽろりと、目から涙が零れ落ちて、シルビアは慌てて手で拭った。

 さっきの涙が、やっと止まっていたのだ。流れ続ける前に止めなくては。

 しかし、涙を阻止しようとするシルビアの手は掴まれ、止められた。


「そう擦るな。止まらないなら、泣いておけばいい」

「あ、あの、これは悲しいのではないのです」

「? ああ」

「嬉しくて、信じ、られなくて」


 胸がいっぱいで、それが溢れてしまっているようなのだと、一生懸命シルビアが伝えると。

 アルバートは虚を突かれた様子になり、それから「なるほどな」と口許に笑みを戻した。

 シルビアの手を目元から外し、ついでに長い指が涙を一掬いしていく。

 アルバートが、シルビアの目を覗き込む。


「目の色」

「戻、っていますか」

「ああ、やっぱり気がついてなかったか。いや、戻さなくていい。他に誰もいないからな」


 違うのだと彼が言ったので、シルビアは首を傾げる。


「お前の目の色が綺麗だと思う。綺麗だと言われるのは苦手だろうが、それは事実だ」


 だからこれからもその目を隠していかなければならないのは残念だと、アルバートは言った。

 かつて、一つの部屋で、ベールを取られ覗き込まれる度に「うつくしい」と言われた。

 この色が目立つもので、そうあるものではないのだと今は知っている。ジルベルスタイン家で過ごすようになってから、多くの時間は目の色を変えて過ごしてきた。


「……アルバートさんに言われるのは、嬉しい、です」


 シルビアは素直に、感じたことをそのまま返した。

 何も感じないわけでも、嫌だとも思わなかった。「あいしている」が上書きされたようであったように、嬉しさを感じた。


「そうか。……別に誰彼構わず見られるより、俺が見られればそれでいいか」


 後半を独り言のように呟きながらも、その目は離されない。手が、目尻を撫でていったのを最後に離れると、涙も不思議と途切れた。

 シルビアの意識は、涙から逸れていた。


「どうしてお前のことが好きなのかと聞いたな」


 とても何気なく聞いてしまった。

 心構えしていなかった心が再び溢れるほどの思いが返ってきた。

 そして、それは、まだ終わらない。灰色の目はいつもの優しさを含みながらも、熱を持ってシルビアを真っ直ぐに見ていたから。


「きっかけ、過程を挙げるなら要素を挙げられるだろう。だが、今となっては俺は、お前の全てを愛おしく思う」


 本当に、今聞くべきではないことを聞いたかもしれない。

 今までも散々強く速く打っていた心臓が、壊れてしまうのではないかというほどの鼓動を刻んだ。

 シルビアが思わず胸元に両手を当て、顔を伏せ気味になると、アルバートが「どうした」と言う。


「いえ……その、心臓が、ちょっと、壊れてしまうのではないかというくらい打って」


 これ以上になると、どうなってしまうのか、こわいくらい。経験したこともないため、もはや戸惑ってきた。

 そんなシルビアに対し、一拍後、笑う気配がして前方の気配が近づいた。

 気配にも敏感になっているのか、胸元を押さえる手が強まりながら、思わず見上げると、アルバートが立っていて、


「あのな、シルビア」


 その身体全てで、シルビアを覆ってしまうように、アルバートが身を屈めた。

 シルビアの背に腕が回り、少し、引き寄せられる。


「お互い様だろうな」


 頭上で聞こえた声のあと、胸元に寄せられることになった耳が心臓の音を拾った。









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