彼の考え
王太子、グレイル視点。
彼の思考。
アルバート・ジルベルスタインが来た、という旨が伝えられ、グレイルは「来たのか」と呟いた。
何だ。時間を見計らって、あと少ししたら時間を作って自分から行ってやろうと思っていたのに。意外と早く終わったようだ。
仕方ない。
ゆったり寛いでいる振りをして出迎えてやろうか。
グレイルは抑えられない笑みをどうにかこうにかしようとしながらも、さっと全てを放り出して、隣の部屋に移って長椅子に深く腰かける。
そうしてから、入室の許可を与えるように命じ、出迎えてやった。
「アルバート、仕事はどうした。私から騎士団の執務室に行こうと思っていたのになぁ」
「──そんな言葉を、殿下に言われる日が来るとは思いませんでした」
ははは、とグレイルは笑った。
繕いきれていない感情が見える見える。これは上々だ。
さて、始めるか。
*
アウグラウンドからの一行を迎える前のことだ。
グレイルは、父であり王である人の部屋にいた。
「シルビアとの結婚の話を白紙に戻してくれませんか」
と、世間話のような軽いやり取りもそこそこに、切り出した。
「まだ公表していませんから、簡単ですよね」
「……理由を聞こう」
王たる父は、ここまで多少和やかだった顔をすぐさま引き締め、短く問いかけてきた。
そうくるだろうとは予想していたので、グレイルは話しはじめることにした。
「父上は、他の国々の征服を考えたことはありますか」
「何?」
「私はありません。むしろ、かつての『伝説』は避けるべきことだと思っています」
グレイルは、父に自分の考えを語った。『伝説』に対する自らの見解。そして、この先玉座をついたときにどうありたいのか。
「私は、シルビアを単なる『剣』としてを据え置くことを提案します。『女神』ではあるが、公には『女神』ではない。いざというときの、『剣』に」
「具体的な形は」
「二つ、考えています。より良いのは、この際アウグラウンドの者としてこの国の者と婚姻した上でこの国に所属する形です。複数の利点が生じます。もう一つは、新たな利点は生まれない形ですが、単に騎士団に所属し生きていってもらうことです」
二つ案を出したグレイルは、父に微笑みかける。
「ゆくゆくの王妃の地位につけるより、他国の目は集まらないでしょう。『危険な橋』は渡らずとも良いと思います。重要なのは、その存在がこの国にいることです」
それだけでいい。
「せっかく戦が終わったことでもあります。アウグラウンドにまた恩を売れますし、これからアウグラウンドとの関係を作り直していくにはちょうどいいと思いますよ」
異なる象徴となってくれる。
「大体、父上もヴィンス殿下のことが気に入っているのでは? だから、彼の妹を匿うと決めたのでしょう。その正体云々を聞く前にそう決めたと記憶しています。彼が王となるのであれば、出来る限り平和で友好的な関係を続けたいと思っておられるのではないでしょうか」
話したいことは一旦区切りがつき、グレイルは口を閉じて、父王の反応を窺った。
父は、口を固く引き結び、黙り込む。
話の内容を吟味しているのだろう。自らと同じであろう青い目が、グレイルを見続ける。
「結婚の相手は誰だと候補は考えているのか」
「アルバートです」
即答した。
あの従兄以外にはあり得ない。それはあらゆる条件からで、父から考えようと第一の候補にアルバートが上がってくるはずだ。
「シルビアがどちらの道を行こうと、いずれ騎士団を率いる立場に至るであろう我が従兄と並び、強き剣となってくれるでしょう」
父がどのような判断の過程にあるのか、表からは汲み取れないため、グレイルはもう一押しと、続ける。
「まさか、ジルベルスタイン家が裏切ると思っているわけではありませんよね」
「フローディアがいる」
「叔母上だけですか」
「ルーカスは最も信用する臣であり、友だ。この国がどうひっくり返ろうとも、最後まで私の側に立ち続けるのはジルベルスタイン家だろう」
「であれば。これまでもそうであったように、ジルベルスタイン家に」
そうとも。これまでシルビアを預かってきたのもジルベルスタイン家だ。
自分との結婚の話がなくなるのなら、これまで通りジルベルスタイン家に任せればいい。自然な流れだ。
「……本音はどこだ、グレイル」
「本音?」
完璧な流れだ、このまま進むぞ、と内心思っていたグレイルは、首を捻る。
「全く、誰に似たのやら」
「色以外の容姿は母上だと言われますが、中身は間違いなく父上ですよ」
やれやれという様子をしていた父は、グレイルのまっすぐに返した返事に、違うというように手を振った。別にそこに答えてもらいたかったわけではない、と。
「その案を出す、理由は何だ。『伝説』を行う意志がないのであっても、ただ娶り妃として置いておくという選択肢は残る。注目が集まっても、他国の人間は『その存在』だとは夢にも思わないだろう。普通にしていれば明らかになる可能性は限りなく低い。──なぜ、わざわざ異なる案を出すことにした。グレイル、お前が結婚の相手に何らこだわりはないことは知っているぞ」
まったく、王である父を甘く見すぎていたらしい。
確かに言うとおりだ。ただ隣に置いておけばいい。アウグラウンドとの関係を結ぶのであっても、何もシルビアを架け橋にしなくとも良い。アウグラウンドの者を娶るのなら、アウグラウンドの別の令嬢でいい。シルビアという存在は、代えが効かない。
だが、駄目なのだ。ただ隣に置くことなど出来ない。
混ざり合う理由がある。その内の一つの理由が口をついて出ようとして、一旦口に力を入れて閉じた。
そうしてから、グレイルは口元に笑みを浮かべ、改めて口を開く。
「好きにもならない私の元へ来るより、愛を与えてくれる者の元へ行った方がいいではないですか」
「どういうことだ?」
グレイルは、笑う。笑い声さえ出そうになった。
なぜ、誰も彼も気がつかないのか。
なぜ、自分だけが気がついたのか。幸運か、不幸なのか。いや、幸運か。気がつくことが出来て良かった。
「父上、私は、アルバートが実の兄であれば良かったと思うほど、兄と慕っています」
「アルバート?」
急に出てきた名前と話題に、父王は訝しげになりながらも、「そうだな、知っている」と頷いた。
「昔、お前はアルバートのような兄が欲しかったと言っていたな」
そんなこともあった。グレイルも、懐かしいな、と思い出した。
──「アルバートが兄であれば良かったのに」
──「それは、私の第一子としての責務から逃れたいという意味か、グレイル」
──「いたたたた」
目の前にいる父に頭を押し潰されそうになったという、痛い思い出も甦ってしまった。純粋に、アルバートが兄であったらなあ、と思った子ども心だったというのに。
「彼は、従兄でありながら『兄』であり、同じ道に行くわけではないのに、その背に追いつきたいと思ったこともありました」
一回りも歳は違わないのに、背中が大きく見えていた。その姿が格好よく見えて、憧れを抱いた。
昔からずっと剣で勝てたことがないからか、この従兄には一生敵わないのではないかという意識が生まれていた。ずっと、ずっと、敵わない存在だと。無意識に。
「ですが、いつまでも『弟』であるのは、そろそろ卒業しようかと思うところもありまして。そのきっかけの一つとして」
グレイルは不敵な満面の笑顔を、父にむけた。
「いつも遠慮ない物言いをしているようで、昔から決して私を傷つけることを言わず、不器用な思いやりしか感じない兄であり続けた従兄に──全く口にしない望みを叩きつけてやりたいんですよ」
直接的には言わなかったが、父は、先程の「愛を与えてくれる者の元へ行った方がいいではないですか」を正確に汲み取ったようだ。
「……そうだったのか?」
素の聞き返しだった。
大層驚いた様子で、見開かれていた青い目が落ち着くにつれ、父は視線を左右にうろうろさせ、身動ぎし、最後にため息をついた。
「……それならば、早く言えばいいものを。そんな話は欠片も聞いていないどころか、異論も聞いていなかった。お前と同じで、全く結婚にこだわりがないのだと思っていたぞ」
「どれほどの忠臣であっても──いえ、忠臣だからこそ、この件に関して異論を言えるはずがないでしょう」
グレイルは笑い「父上、信じるあまりずれていますよ」と告げる。
自分も以前に本人に間接的に聞いておいて何だが、言えるはずがない。言わないことは、アルバート・ジルベルスタインという男の忠誠の証でもある。
だからこそ、シルビアをジルベルスタイン家に置き続けられる。
「そういう意味でも、私が楔では軽いでしょうが、アルバートなら重い楔になってくれるでしょう」
昔、お祖母様がこんなことを仰っていた、と記憶から言葉を出す。
「伝説の女神のことです。『愛されていなかったから。愛していなかったから。天に帰ってしまったのではないかしら。どちらかがあれば、女神様は地上から消えなかったのではないかしら』と」
「それは、明確に書かれていない伝説のその後の想像だろう」
「ええ、そうです。ですが、伝説のその先の可能性はいくつかに限られてもいます。可能性は潰していった方が良いではありませんか。折角の存在がそんな理由でいなくなってしまうのはあまりにもったいない。……どのみち、私の元へ来るのは不幸でしかないと思いますよ」
シルビアの存在は、確かにこの国の大きな力となるだろう。
しかし、一方で、大いなる争いの種になる可能性も大いにあるのだ。他国の統一を考えていない以上、危険の方が大きいかもしれない。それなら、いっそ消してしまった方が平穏だと考える自分がいる。
それは、今、父王に言う必要はなさそうな流れなので、言わない。
話はつく。
「ジルベルスタイン家はシルビアの居場所としては問題ないはずです。これまでのように。シルビアがジルベルスタイン家と真に縁を結ぶか、単なる騎士団の一員としているのかは彼女次第ですが」
父は、もう追及してくる様子はなかった。
うんとも言っていないが、形勢は良い。こちらのものだ。
確信したグレイルは、にこりと微笑み、付け加える。
「個人的には、何事も失敗したことのない従兄がプロポーズを断られるところも見てみたい気がします」
それを大いにからかってやるのもすっきりする気がした。
*
「シルビアとの結婚の話について、だろう」
「他に何がある」
グレイルの座る向かいには、険しい顔をした従兄がいた。
想像とは違ったが、笑いそうになる。いや、笑みは抑えられてはいない。
「シルビアを今から他国の者だとするのは、今まで他国の亡命者を匿っていたとそのまま説明出来るから問題ない」
今城で面倒をみているのも、他国の賓客の面倒をみていたのだと説明できるし。
一応言うと、「そんなことは分かる。──違う。そもそも結婚の話だ」と、アルバートはすぐに話を戻してくる。これは端から見て分かるより、余裕がないのではないか?
「一つ言っておくが、悪ふざけではないぞ」
「そんなこと分かってる」
「そうか。ではここに来た理由は何だ? まさか嫌だと直談判しに来たか?」
「──」
「そうだとも。嬉しいに決まっているのだからな」
「グレイル」
すっとぼけすぎた。
アルバートから怒気が感じられ、グレイルは落ち着けと手振りで示した。
「真面目に話をしよう」
「ふざけていたと認めたな」
無駄な墓穴を掘ったようなので、相手が話を望んでいることをいいことに、流すことにした。
「今、シルビアの選択肢は二つある」
二本指を立て、簡潔に二つを挙げる。
「騎士団の剣となるか、お前と結婚しお前と共に私達に仕える証とするか。ただし、お前と結婚しない道は、シルビアに戦う理由はなくとも一生騎士団に従事し続けてもらうことになる。制限もつける」
「脅しみたいに言うな」
これは脅しだ。冗談でも何でもなく、グレイルはこれから脅す気満々だった。
「大体、お前との結婚の話はどうなった」
「あんなもの白紙だ。白紙どころか、なくした」
「そんなに簡単になくなるはずがない。シルビアは」
「王の隣にいればこそ、その価値を発揮する、か?」
「そこまでは言おうとしていない。だが、そうされる方針だっただろう。わざわざアウグラウンドの人間とする利点は、低いと判断されるはずだ」
なくなったことが、そんなに解せないらしい。父王と同じところに素早く気がつき、指摘してきた。
ため息をつきたくなる。
この従兄のある意味残念なところだな、と今、発見した気分だ。
父と違い、従兄はこのまま進めた方が良い要素がある。
そのまま進めさせればいいのに、なぜそういう視点のことを見てしまうのか。この際潔く理性でも捨てれば、ちょうどいい具合になるのではないだろうか。
さくさく話が進んで、自分も嬉しい。
「状況が変わった。そして私が前々から考えていたこともある」
結局、同じような話をすることになるらしい。まあ、構わない。このくらいの手間は受けよう。
「伝説の話は思い出せるな」
「ああ」
「伝説で、一度は一つになったこの世は、現在また各々の国に完全に別れている」
国々に残る『伝説』の結末の姿と、現在の国々の姿は異なる。
「女神を娶り、世界を掌握することを望んだ者の末路は分からない。支配者が殺されたのか、単に死んだのか。はたまた──『何か』があり、世界の仕組みが上手くいかなくなっていったのか。女神が天に迎えられ、地を離れたためだとも言われている」
しかし、女神と呼ばれた娘は、此度新たに生まれた。前の女神はどうした。他の神が永遠の命を有するように、天で永遠には生きられなかったのか。
まったく女神だとは……。
だが、シルビアという名を持つあの者の力を前にしてしまえば、信じざるを得ない。
そして、グレイルの本能はこう断定した。あれは、『人』ではない。
「『女神』をこの国には置いておきたいが、私の隣には必要ない。私には世界を掌握する欲求はない。お前もそのような欲求は抱かないだろう。お前は私達に仕える身だからな。だから、任せられる」
「だが、それでも憶測のみなら理由は足りない。伝説の再現を望まないなら、なおさら」
ただ隣に置いておくことができる。ジルベルスタイン家の娘なのだ。その家の者として選ぶだけでも、妃としては十分な理由なのだ。
「お前の幸福を望むのでは駄目なのか」
率直に言ってみると、従兄は瞠目した。
「好きならば好きだと言えばいい。許される状況になった。その選択肢がある。それならば、受け入れればいい。最良の結婚は、そのままお前の幸福に繋がるだろう?」
「──グレイル」
「私に娶れと言うのなら、そうしてもいいが、私はシルビアを殺してしまうかもしれないぞ」
グレイルの、調子を変えぬままの続きの言に、従兄はさっきの数倍驚いた顔をした。
出来れば言いたくはなかったが、言わなければ話が上手くいかないなら言うつもりだった。
脅す気いっぱいで、この場を受け入れたのだ。
グレイルは、穏やかなまでの調子の声で、また続ける。
「シルビアは、最大の武器になると同時に、最大の火種にもなり得る。私は、シルビアがこの国の災厄となると分かれば躊躇なく敵と判断し、殺す。お前はどうだ、殺せるか」
アルバートは、もちろん、うんとは言わなかった。
グレイルもそう予想していた。深く頷いた。
「それでいい。だから、お前がシルビアと結婚すればいい。あちらに感情があってもなくても、万が一のとき殺せると思っている相手より余程幸せになれるだろう」
我ながら、歪な思考を抱えている。
従兄が幸せになるに越したことはないと思いながら、その対象である女性は万が一のとき躊躇いなく殺せると思っている。
グレイルは、ただシルビアを側に置くことさえ出来ない。
彼女をこの国の災厄に成り得る存在だと見ている。消しておいた方が良いのではないかという考えを持っている。いつでも消してしまえる。そんな風に見ている。
危うい思考だ。
だが、人の幸福を願える思考があるなら、大丈夫だろう。
自分の結婚はどうでもいいと心の底から思っていて、ただ生理的に無理な相手であったり、邪魔をしてほしくないときにしない人間であればいいと思うくらいだ。
誰かを好きになれることに、誰であろう従兄がそうなったことが、羨ましい、と感じているのかもしれない。
「守りたいと願うなら、守れよ、アルバート。何者からも。──私からも」
灰色の目は、もう、いつも通りだった。鋭く、グレイルを見ている。
グレイルも、その目から視線を決して外さない。
「アルバート、『女神』を守るがいい」
自分は彼女を人として扱わない。だが、お前は自由にすればいい。
アルバートは、女神を守り、自分を制する者に成り得る。
アルバートが動いた。
椅子から立ち上がり、その姿が沈む。床に膝をつき、顔が見えなくなる。
「承りました。──殿下」
従兄であり、臣下という関係がこの先続く男は、膝をつきグレイルに頭を下げる最敬礼をした。
そう、彼は兄のようであれど、兄ではない。自分はいずれ王となり、アルバートは自分に仕え続ける。その事実を今、実感したような気がした。
「女神が望めば天の神々に迎い入れられるのだとすれば、決して彼女を不幸にせず、手を離さないことだ。地上に留まる理由がなくならないように。地上から離れたいと思ってしまわないように」
楔となればいい。
そう意識しなくとも良いだろう。
その思いが、あるのなら。
「だが、お前次第だぞ」
アルバートが顔を上げた。
見下ろす位置のその顔を、座ったまま見るグレイルはにやりとした。
「何しろシルビアにはもう一つ選択肢がある」
騎士団に所属し続ける方だ。
「ジルベルスタイン家の方には叔父上叔母上が、今陛下から話がされているので、プロポーズの言葉を考えるなりしてくれ。ああ、ちなみにシルビアにも今日話をしたばかりだ」
「……全部が急すぎないか」
「話自体はもっと前に陛下に通していた。急なのは本人達だけだ」
アルバートが眉を寄せた。
急すぎ、という言葉に、ピンときたグレイルはその表情に隠されようとしている感情を、見逃さなかった。
「はっはっは、アルバート」
「何大笑いしているんだ」
いや、だって、なあ?
「実は頑張って冷静さを保とうとしているだろう? 慌てているだろう? なあ、アルバート」
にやにやと言ってやれば、従兄殿は何か言おうとして、やめて、頭が痛そうな顔をして髪をかき乱した。
人生で初めて、この従兄を負かしてやった気分だった。心が躍りかける。そうだそうだ、もっと慌ててくれなくては。
これこそ期待した反応!
「一つくらい感想が聞きたいなあ」
「グレイル、ちょっと黙れ」
アルバートは結婚の話を受け入れた。受け入れたからこそ、話がやっと現実味を帯びてきたのだろう。
「この際勘違いではなかったか不安になるので聞いておきたいのだが、お前、シルビアを好いていただろう?」
ここまで直接的に聞いたことはなかったのだが、そうだろうな?
「……グレイル、ヴィンスに言っただろう」
「言ったとも」
かの殿下も驚いていたとも。




