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公爵家の養女は『兄』に恋をする。  作者: 久浪
第四章『各々の選択』
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思いの形


アルバート視点。









 仕事の途中、アルバートは城の、普段は滅多に赴かない区域に行った。

 通された部屋で待つことしばらく。どうも、前の予定が押しているらしい。仕方ないだろう。国と国の間の話だ。最悪、この時間も潰れることも考えられる。

 が、そこまでには至らなかったようだ。

 開く扉に、アルバートは立ち上がり、現れた姿に頭を下げた。


「改めて君にそうされると、違和感の方が大きいな」


 苦笑の混じる声が、言った。


「頭を上げてくれ、アルバート」


 ゆっくりと頭を上げると、友であり──アウグラウンドをこれから背負う立場に立つ男が立っていた。


「違和感とは、人聞きが悪い。まるで、俺がこれまで公私をきっちり分けずに畏まったことがないようでは?」

「それは失礼した」


 ヴィンスが手が差し出したので、アルバートからも手を差し出し、握手した。


「元気そうだな」

「君も」

「俺のことなんていいんだよ。クーデターなんて、危ないことはしていないからな。今お前が来て、国の方は大丈夫なのか」

「こうして短期間来られるくらいには、任せられる人間がいてくれた、ということだ」


 ヴィンスは祖父に感謝だ、と言った。


「わざわざ忙しい予定を縫って、俺に会う時間まで作ってくれなくとも良かったんだぞ」


 内部がまだ少し安定したとは言い難く、長居はできないようで、今回の予定には余裕がないはずだ。

 ヴィンスは、緩く首を横に振った。


「君に礼を言いたかった」


 握手が解かれ、手が離れ、ヴィンスが半歩前に来た。握手の距離から半歩、だ。


「……おい、何だ」


 急に抱擁され、さすがに戸惑う。

 挨拶の範囲なら覚えはあるが、すぐに解かれる気配はない。身長は同じほどで、横の方にある顔を見ても、表情は窺えない。


「ありがとう」


 友は、一言、礼の言葉を届けてきた。


「シルビアのことを頼まれてくれて、ありがとう」


 ──ああ、その礼か

 急な行動への疑問は、消滅した。


「多くの手間をかけさせただろう」


 アルバートは目を伏せた。ヴィンスの言葉で、シルビアが来た日からのことを思い出した。


 ジルベルスタイン家に連れて来られた当初のシルビアは、知らないことが多すぎた。

 この世の常識、国の仕組み、歴史。

 何も知らなかった。

 コップ、椅子、目、手……そういったことは平民貴族関係なく、暮らしていく中で当たり前に知るようにさすがに知っていたが、欠如としか言いようのない部分があった。

 友人というものの意味、母、父、両親という概念。そういう存在がいるとは知っていたが、実際どういうものかは知らなかった。ただ、兄という意味だけは正確に理解していた。


 彼女が置かれていた環境の歪さが垣間見えるようだった。

 アウグラウンドには王がおり王妃がいるが、王や王妃は両親として接することはなかったということだ。

 嫌だという感情、拒否することなど、感情部分にも欠けている部分は見られ、何より自分の意志がなかった。


 だが、決して完全なる人形のようではなかった。

 表情も、瞳に映る感情もあるにはあった。少しずつ慣れていくと、ヴィンスから聞いていたような面がぎこちなくも表れてもきた。

 時間が経つにつれ、様々なことを教えると、疑問を口にするようになった。もちろん自分で部屋を出て歩き回るようになり、話しかけなくとも話すようになり──変化は数えきれない。


「お前から話を聞いたときに、全部覚悟していた。偽装も、何もかも、手筈は整えていた。……どうすればいいか、困ったときもあったがな。さすがに感情面は参った」


 示される物事がいいのか、嫌なのか。その感情を教えるのは、かなり骨が折れた記憶がある。

 単に、例えば騎士団という言葉の意味を説明するようにはいかない事柄だった。


「ヴィンス、お前、シルビアが泣いているところを初めて見たようだったな」


 地下通路で、シルビアが涙を流す様子を、友はとても眩しそうに見ていた。

 すぐ側の声が「……初めて見たんだ」と言った。


「シルビアはお前が去って、しばらくして泣いた。泣き始めてからは、何日もずっと泣いていた」


 そのときが、会ったばかりだっただけに一番困ったかもしれない。あれほど困ることはもうないだろう。

 ヴィンスが、シルビアが泣いたところを見たことがなく、あれが初めてだったと言うのならば。

 その感情の意味がまだ理解出来ていなかったとしても、ヴィンスが去ったことがシルビアに悲しみを芽生えさせたのだろう。


「あの子が泣くなんて。自分の意思を持つなんて」


 友は、何年か振りに見た妹の様々な変化を思い出しているのだろう。

 アルバート、と、どこか非常に出すのに苦労したような声で呼ばれた。


「多くのことをあの子に教えてくれて、本当に、ありがとう」


 本当は、自分で教えてやりたかっただろうに。

 アルバートは、友の背を叩く。


「いい。預かったからには、当然のことだ。剣の腕は保証するぞ。シルビアが望んだこともあって、ジルベルスタイン家の名が廃らないよう教えたからな」

「……ああ」

「……おい、ヴィンス?」


 さっきより、声が明らかに変化したので、不審に思って体を離した。

 抵抗なく離れたのだが、顔は見えなかった。ヴィンスは、片手で目から顔を覆っていたからだ。


「泣いてるのか」


 答えは言葉でも身振りでも返って来なかったが、明らかに、だった。

 お前、泣けるんだな、とアルバートは思わず言ってしまった。アルバートにとっては、この男が泣くことの方が驚きだったのだ。


 とりあえず、椅子に座った。

 向かいでは、ヴィンスが目元を拭ったハンカチをしまっている。ハンカチがなくなれば、何事もなかったかのようだ。


「……気になっていたんだが、その目」


 ちょうどハンカチをしまい終え、ヴィンスがこちらを見た。

 目は、両目揃っていた。二つの水色の目が、アルバートを映す。

 前は右目の部分に眼帯をしていた。そして眼帯の下は空っぽで、目玉を取られたのだと彼自身が言っていたはずだ。

 ヴィンスは、「ああ」と手を右目にやった。


「治った」

「治った?」

「シルビアが治してくれた」


 シルビアと先に会ったのだという。その際シルビアが治した、と。

 なくなったはずの目を。


 神通力を持つ者は、力量によって出来ることが変わるが、()()()奇跡は起こせない。

 治癒は、怪我を治す手助けをするだけ。いくら時間が経っても自力で治る見込みのない怪我は治せない。切断された腕、なくなった骨、そして、取られた目玉も。なくなったものなど、普通なら『治す』域とは言えない。

 奇跡とは、神の領分である。


 シルビアが持つ力の違いをまた一つ知り、アルバートはそれを胸にしまいこむようにゆっくりと瞬きした。


「……元の目玉の方、偽物でなければ俺が持っているんだが」


 気軽に捨てられる代物ではなく、戦が起きて、終わっての忙しなさで未だに手元にあるままだった。


「君が? なぜ」

「お前の兄弟の一人が見せびらかしてきた」

「それは趣味が悪い行いだな。いつの話かは知らないが、処分しておけば良かったものを」

「ちなみに、シルビアも見た」


 ヴィンスの動きが止まった。


「……それは、最悪の行いだな」


 目が不快げに歪む。

 「私が引き取ろうか」と言われ、本人に元の目を返すのも何だと思いながらも、やはり処分はしにくいので引き取ってもらうことにした。ヴィンスなら、躊躇いなく処分するだろう。後から届けさせよう。


「そういえば、他の傷は」

「他?」

「ああ。拷問を受けたんだろう。残るほどの傷もあるんじゃないのか」

「それは、残しておくことにした」

「残しておくことにした?」

「私がシルビアのことを忘れ、それにより傷をつけたことの戒めだ」


 目は、明らかに目に見えて、シルビアが気にするだろうから治してもらったのだと言われて、アルバートは一瞬言葉を無くす。

 そんなことをしなくとも、とその意志に虚を突かれたわけではない。


「……同じような事を言うな」

「何がだ」

「シルビアの腕の傷。いいや、お前がしたのじゃない。あれは消えたのを確かめただろう。別の、シルビアがジルベルスタイン家に来る前からあっただろう傷だ」

「──血を採取されていたときの傷か。そうか、『あの日』治している余裕がなかった。……いや、だが、治すことは可能だったのでは……」


 笑うような場面ではなかったのに、アルバートの口元に少し笑みが零れた。呆れが混じっていたかもしれない。

 もしかすると自分より接した時間が少ないかもしれないとは思えない、似たことを考える兄妹だと、本人たちはどれほど気がついているのか。


「治すと母が言っても、シルビアはいいと言った。これは、残しておくと。お前がしてくれたことを忘れるはずはないが、忘れないために、だと」

「…………まだ、あるのか」

「この前聞くと、まだ残しておくって言っていたな」


 この際、どちらも治してはどうか。戒めなど、シルビアとヴィンスの間には必要ないだろう。

 ヴィンスは少し黙りこんで、「……考えておこう」と言った。自分の決意と、シルビアの傷を天秤にかけているのかもしれない。そうなら、先が見える。

 シルビアには、自分がまだ残しておこうと思うならそうすればいいと言ったが、両方がこれでは話が変わる。

 傷は、傷。互いを結ぶ絆には成り得ない。シルビアは自分で落とし込むところに落とし込んで、そのうち消しそうな言い方をしていたから消しそうだが。

 ヴィンスの方はこうでも言わなければ、消せるものをそのまま戒めとして残しておくだろう。


「ヴィンス」


 変わらずの思考の傾き具合、優先度合いに、アルバートは問いたいことがあった。


「シルビアはそっちに戻るのは難しいんだろう?」

「そうだな。シルビアの存在は脅威になり得る。匿ってもらっていて、今返してくれというのは虫が良すぎもする」

「……ヴィンス、お前、シルビアが利用されることを考えて、今度はこっちに仕掛けるつもりはないだろうな」

「君のいる国を?」

「関係あるか?」

「アルバート、君に出会えたことは私の人生で」

「二番目の幸運だろ? だが一番目がかかっているなら、お前は何でもする。そうだろう」


 自分の命をかけた人物だ。一度ならず、二度。一度で怯まず、二度があったなら、何度でも出来るだろう。


「シルビアの人生が幸福にならない場所なら、の話だ。彼女はこの国全てを愛していなくとも、自分が関わった場所を好んでいる。アウグラウンドよりも、この国の方が親しみが深いだろう。私自身、多く世話になった。恩を仇で返すつもりはない」


 余計なことを聞いたなと言うと、構わないと返ってくる。


「シルビアが使われなくてもいいように、そんな場面が来ないようにしていくだけだ」

「……」

「何だ」

「……結局、お前はシルビアがこの国に来ようと『女神』として扱われると予想していた。今の言い方では、アウグラウンドに戻れない可能性が高いとも予想していた」

「そうだな。正体を明かして、亡命させてもらうわけだからな」

「それで良かったのか。自分が容易に会える距離じゃなく、そもそも他国だ。環境は変わっても根本は変わらない」

「アルバート」


 制する響きを持つ呼びかけに、分かっていると身振りで示した。分かっている。

 一度、違う形で父に吐露しながらも、飲み込んだ考えだ。

 だが、誰よりシルビアを案じるこの男を前にして、その根本を変えたかったのではないかと今一度思ったのだ。

 その前に今後の意思を確認したように、けしかけているつもりはない。ただ、ここまでのやり取りを経てくると、彼がそのような思いを抱えないはずはない。問題だった『兄弟』は無力化した今。

 ヴィンスは、重い思いを自分の中に抱えすぎている。


「君は、予想以上にシルビアのことを気にかけてくれている」


 友は、仄かに微笑んだ。


「……言っただろう。託されてから、一緒に過ごしてきた。情は湧く」


 アルバートはいつかも返した言葉を返したが、出したつもりはなく、意識もしておらず、封じているはずのものを意識させられた気分になった。

 ヴィンスは頷いた。


「シルビアの幸せは、客観的に見ると国の中枢から離れた地にある。『女神』として扱われない、利用されないからだ」


 アルバートが気がついたのは、シルビアがジルベルスタイン家に来てからだ。ヴィンスを通さず、彼女自身に情がある程度湧いてから。

 この先のシルビアの幸福について、考えたとき。


「確かに、地方に安全な環境があるのならそうしただろうが、残念ながら国の力が加わらずとなると安全面は犠牲にすることになる。それは絶対にあってはならなかった。私は君の言うことを分かっていたから悩んだが、他に選択肢はなかった。──でも、今、この国にシルビアを頼んで良かったと心から思う」


 その微笑みと、言い方に何か引っ掛かった。


「実は、グレイル殿下がシルビアを私の妹として公表する選択肢を提案してくれた」

「妹として?」

「あくまで義理の、だがな。貴族の娘を、王家に迎えた形だ」


 それはそうだ。実の妹は、『いるはずがない』のだ。


「そして、国間の繋がりを強める予定の今、その繋がりの証としてシルビアがそちらに渡る形が取られ、引き続きこの国にいることになる。その具体的な形とは、国間での縁組みだ」


 縁組み。結婚、と言えば。


「グレイルとの結婚の話が出ていたからな」

「いや、アルバート、この場合グレイル殿下に輿入れするわけにはいかない。

 どこの国も、神の血を継ぐとされる王族の、特に王となる血脈に他国の血を入れることをよしとしない人々が多い。王族自体、そういう考えを持っているところもある。つまり、シルビアをこちらの国の者とした場合、グレイル殿下との結婚は避けるべきこととなり、実際そういう方向だ」

「そう、だったな」


 そうだった。失念していた。

 では、グレイルでなければ……。


「じゃあ、誰になる。……ある程度真実を知っても問題ない位置にいる人物でなければならないだろう」


 王の子は、王太子たるグレイルのみ。

 真実を知るとなれば、自然と王に近い血筋となるだろう。

 辺境伯をしている叔父に、息子がいるのではないか。アルバートとは従兄弟だ。事情を知るには良い位置で、さらに王弟の家ということもあり、当然身分もついてくる。

 あの従弟は王太子と違う性格だが、癖のある叔父にそっくりではある。シルビアがどういう印象を受けるかは、シルビアしか分からないだろうが……。

 いや、そもそもアウグラウンドの者とすれば、王太子との結婚の話がなくならざるを得なくなる。そういう方向に、なぜわざわざ──


「そこで、諸々の条件から文句なしに一番最適な候補がアルバート、君だ」

「……?」

「先に聞いておこう。どう思う」


 完全に、理解が遅れた。


「────は?」


 これまでの人生で、こんなに不意を突かれたことはない。











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