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公爵家の養女は『兄』に恋をする。  作者: 久浪
第四章『各々の選択』
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約束





 アウグラウンドからの客人が来た。改めて戦の終わりを約束し、これから国交を再開させる話し合いをしていくために、あちらがこの国にやって来た。

 その一行が城に入ったと聞いて、シルビアはそわそわしていた。

 もちろん、その中に兄がいると聞いているからだ。

 すぐには会えないとは分かっており、ろくな時間が取れるかどうか分からない。いつ会えるかも分かっていないけれど、近くにいると分かっているだけで、少し、もどかしくも感じた。

 待てていたのに、そこにいるとなると、落ち着かなくなってきた。


 いくらそわそわしても、シルビアから会いに行くことはできないので、待ち続けなければならないのは変わらない。

 シルビアは心地が一部落ち着かないまま、一日を過ごした。

 そして、そのときが来たのは、三日目のこと。


「お嬢様!」


 部屋を出ていた侍女が、珍しい勢いで部屋の中に戻ってきた。


「どうしたのですか?」

「お嬢様の、お嬢様の」

「私の」


 自分の何かがどうかしたのだろうか。でもシルビアのものと言っても……という考えは、勘違いも甚だしかった。

 大きく息を吸った侍女は、なぜだか少し泣きそうな目で、こう言ったのだ。


「ヴィンス殿下が、いらっしゃいます」

「──」


 なるほど、最初彼女はシルビアの兄だと言おうとしていたのだ。そんな納得は思考の彼方で。

 扉の外に控えている者の、訪問者の名を告げる声に、固まっていたシルビアは扉の方を見た。

 開いていく扉に、期待と喜びが心臓を騒がせる。


「シルビア」


 扉から現れた人は、すぐにシルビアをその目に捉えて、名を呼んだ。

 格好は、前回のときとは全く違う。制服ではないし、傷も汚れもない。

 気がついたときには、その服の色が視界いっぱいを占めていた。


「……兄様」


 抱きしめてくれる人が、「うん」と優しく返事をした。


「シルビア、元気にしていたか?」

「はい」

「それなら、何よりだ」

「兄様も、お元気でしたか」

「もちろん。心配をかけたな」


 抱擁は、前より長かった。

 危険はなく、状況に急かされることはない。言葉のない、静かな抱擁はしばらく続いた。


「ここが、今、シルビアが過ごしている部屋か」

「はい」

「何をして過ごしているんだ?」

「本を読んでいます」

「本か」


 兄にとっては、シルビアは本を読むことのなかった姿だけが知るところなのだ。

 どんな本を?と聞かれて、シルビアは本棚まで彼を連れていった。ジルベルスタイン家の本で、順に読んでいるから、いつも分野的には偏っている、と説明をしながら。

 兄は、本棚に並ぶ本の背表紙を慈しむように撫でた。

 次に、ここは外に出られるのかと聞かれて、庭があるのだと教えて、今度は庭に連れて行く。

 兄は当然場所を知らないので、シルビアが案内する。


「シルビアに案内されるのは、新鮮だな」


 少しだけ先を歩きながら、兄を見上げると、彼は前でも窓でもなく、シルビアに視線を注いでいた。シルビアが見ると、彼は深く微笑む。


「ついでに、道中久しぶりに手を繋いでもいいか?」


 差し出された手が、とても、懐かしかった。

 かつて、数えるほどしか外に出られなかったとき庭に出してくれる彼は、シルビアの手を引いたし、あの国を出るときもシルビアの手を引いていった。いつも、兄の姿は前にあった。


「はい」


 シルビアは微笑み、自分からも手を伸ばした。シルビアの手は少し大きくなったけれど、兄の手は変わらず大きかった。

 その手を、シルビアが引いていった。


 小さな庭には、先日、養母がテーブルと椅子を設置させたため、庭を見ながら寛ぐことができるようになっていた。

 テーブルを挟んでいる椅子を移動させて、隣同士、庭の方を向いて座る。


「飴、いるか」


 兄がポケットから出したお菓子は、記憶にのみ残っていた包み紙に包まれた飴だった。

 口に含むと、懐かしい味がした。

 ジルベルスタイン家で、色んなお菓子を食べて、飴ももらってきたけれど、同じ味はなかった。


「この前は、ゆっくりと話している時間はなかった」


 なかった。ほとんど、再会して、互いを確かめ合っただけだっただろう。


「シルビア、君がこの国に来て、過ごした日々が聞きたい」


 兄の要望に、シルビアは頷いた。

 頭の中で、記憶の糸を手繰り、彼と別れた日から思い出した。兄のいない何年もの記憶。ジルベルスタイン家での日々が甦り、何から話そうか迷った。

 シルビアが知ったこと、学んだことは多かった。全てがシルビアにとっては未知で、新鮮だった。

 全てをそのまま共有できたらいいのに、と思いながら、シルビアは出来事を吟味し、話した。

 養父とのこと、養母とのこと。そして、アルバートとのこと。

 彼らが、ジルベルスタイン家の使用人含めて、シルビアにどのように接してくれたか。

 ジルベルスタイン家の庭でのことや、初めて首都の街に出たことを話すと、兄がどこのことだと場所を知っていて、何だか嬉しかった。兄が行った場所に、行っていたことが嬉しかったのだろう。

 騎士団にはいつ入ろうと思ったのかと聞かれて、答えて。乗馬や、剣術、体術等を教わったことを言った。アルバートには一度も勝てたことがないと言うと、


「剣術は重ねた年数がものを言うところもあるからな」


 と兄は言い、「私も学院でのアルバートの勝敗数は結局、引き分けで終わったと記憶している」と教えてくれた。

 騎士団で出会った人達のことも話し、任務で海を見たことも話した。


「私と、また会うことを望んでくれたそうだな」


 思い付くことが一区切りついた頃、兄が話し始めた。


「嬉しかった。その内容そのものはもちろん、君が望むことを知ったことが嬉しかった」


 水色の瞳が、細められる。


「私の記憶では、君が身に付けていたのは白いドレスばかりだった。同じ色、同じデザイン、同じ材質。あれはあれで似合っていたが、状況からか、枷の形をしていない枷のように見えた。こういったドレスも、似合うな」


 あのように全てが白い衣服は、普段は身につけることはないものになった。特別な、神聖な意味を持ち、儀式の際に着るようだ。神々への風習ならば、この国だけではなく、アウグラウンドも同じだろう。

 ゆえに、神官は普段から白を着る。


「髪は、黒く染めているんだな。目は……」


 神通力で変えているから、兄と、同じ色に見えているはずだ。

 兄は、シルビアの横髪を耳にかけるようにしてよけ、目を覗き込んだ。


「兄様は」


 兄は首を傾げた。


「兄様は、どのように過ごしましたか。私がここで過ごしている間、兄様は」


 『彼ら』が、兄をシルビアを国から出した者だと知ったなら、兄は、どれほどの代償を払わされたのか。逃がそうとしたと見たメアリを斬ったほどなのだ。


「私は、兄様に感謝しきれないほど感謝しています。私は、あの部屋にいたままでは得られなかったものを、数え切れないほど得ました」


 誰よりも、兄に感謝を。ずっと伝えられる距離にいなかった人に、感謝を伝えたかった。

 兄は、微笑んだ。


「それは、当然のことだ。当たり前の、権利と言う以前の権利。そして、私は君の兄として当然のことをした。私に感謝を覚えなくともいい」

「兄様が当然と仰っても、今の私にはそれがとても大変なことだったと分かります。兄様が、大変な目に遭ったことも、分かります」

「覚悟の上でした。シルビア、私は君を国から出したことを後悔していない。一生後悔しないだろう。君の成長が見られた。君のこんな姿を見られている。今、私は人生で一番嬉しい」


 手が、頬を撫でた。

 兄が、心底そう思っている声音で言うから。シルビアは、それ以上は何も言えなくなる。

 でも、せめて。


「兄様、その目、治しても良いですか」


 右目は、眼帯で覆われている。


「治してくれるのか?」


 シルビアは頷く。

 傷が治っても、受けた事実はやはり変わらないけれど。目が片方だけなのは、不便なはずだ。


眼帯(これ)はしたままで治すことはできるか?」


 シルビアの頷きを受け、兄は顔を下ろしてくれたので、シルビアはその顔に手を伸ばし、眼帯の上から触れる。

 その目が、彼の目が治りますように。淡く光が生まれ、眼帯の向こうに注がれ、シルビアはそっと眼帯を外す。


「……これは、とても不思議な感覚だな」

「見えますか?」

「見える」

「他には、ないですか」


 水色の両目がゆっくりと瞬き、彼は「ないよ」と言った。


「ありがとう、シルビア。私は、この短い時間で君からもらってばかりだな」

「私は、何かあげられましたか?」

「多くのものを。この時間全てが、そうだ」


 ああ、それならば、シルビアも同じだった。

 兄に会えたこの時間全てが、シルビアには大切なものだ。話した内容だけでなく、共にいる時間全てが。


「失礼致します」


 配慮されていたのか、周りには誰もいなかったところ、声がかけられた。


「グレイル殿下がお越しです」


 王太子の訪問の言葉を聞き、隣から「しまった」と聞こえた。


「話を聞くのに夢中になりすぎた。──シルビア」

「はい」

「グレイル殿下との結婚の話が出ていたそうだな」

「はい」

「それについての話があったのだが……」


 兄の視線が廊下の方にいき、言葉が途切れ、立ち上がった。


「グレイル殿下、シルビアと二人だけの時間を頂き感謝しています」

「いやいや、当然のことですよ」


 王太子がいた。シルビアも立ち上がり、礼をした。


「実は、『あの話』は出来ていない」

「では私が。どのみち疑問は出てくるだろうから、そのために私が来たのだ」

「申し訳ない。──シルビア、時間が来てしまった」


 兄には、この国に来た大きな用件と役目がある。ここにだって、時間を作ってきてくれたのだろう。


「また来る」


 と言って、兄は名残惜しそうに去っていった。

 そして、その場に残されたのはシルビアと王太子である。


「ふむ、叔母上がここに持ち込みたいものがあるとリストを作って申請していたとは聞いていたが……これはいいな。静かで、ちょっとした休憩にいい場所だ」


 王太子はテーブルと椅子を眺めていたが、シルビアが見ているのに気がつき、「さっさと話をするか」と呟いた。

 兄が、何か話がと言っていた。王太子とも話していて、このタイミングの訪れと何かに関係があるのだろうか。と、シルビアは考えて王太子を窺っていたのだ。


「話は通されていない、と。ふむ。まあいいか。──シルビア、単刀直入に聞く」

「はい」

「お前が持つ力、いざとなったときこの国に捧げることは出来るか」


 単刀直入すぎたのではないだろうか。

 シルビアは、脈絡も何もなかった言葉に、瞬く。


「私の、力をこの国に」


 捧げることは出来るか、と。

 いきなり、だ。

 王太子の意図が読めず、流れも読めず、シルビアは戸惑う。

 しかし王太子は、笑みのない真剣そのものの目で、言う。


「お前に選択肢をやりたい。そのために誓いを得たい。神通力での『誓い』ではない。単なる口約束だ」

「私は、何を約束すれば良いのでしょう」

「お前は戦の折、お前の『女神』としての力をこの国のために、この国の勝利のために使うと言ったな」

「はい……言いました」

「私はその言に、『女神』どころか『武器』として扱われる覚悟があるのかと問うた。お前は肯定した」

「はい」

「その覚悟を今一度確かめたい。お前の女神としての力を、万が一のことがあれば私に──この国に捧げる気はあるか」


 シルビアは、とっさに返事が出来なかった。以前は、すぐに肯定の言葉を返した。

 だが、今、頭に兄のことが過った。兄は、アウグラウンドの人間だ。


「……アウグラウンドに刃を向ける将来は、含まれていますか」


 以前、シルビアがすぐに返事できたのは、アウグラウンドが兄の生死をあやふやにした人達がいたからだ。『彼ら』を破り、兄と再会するのだと思っていた。

 だが、兄が先頭に立つ国に進んで刃を向ける未来があるのなら。


「ない。あちらに攻められない限り、こちらから進んで刃を向けることはない。そしてヴィンス殿下が王になる限り、その未来は作られないだろう」


 王太子はきっぱりとした口調で述べた。同じ調子で、こう続けもする。


「本物の『誓い』などお前にはかけられないだろうから、誓ったことを破りたければ破ればいい」

「いいえ」


 懸念は否定された。

 それならば。すでに、一度受け入れたことだ。

 シルビアは膝をついた。最敬礼を取るべきだと思った。膝をつき、頭を下げる。


「誓います、殿下。私は、この国のために、この国を守るために」


 今の生活を守るために、私の『世界』を構成する大切なものを守るために。


「私が手にする力を使います」


 自分の守りたいものを守ることに繋がるのだと信じ、使うと誓う。この国にいるために、シルビアが払うべき誓いでもあるのだろう。


「顔を上げろ」


 シルビアは顔を上げた。


「よし。それでは、本題に入る」

「本題、ですか?」

「私とお前の結婚の話があったな」

「……? はい」

「あれはなくなる」

「……なくなる……?」


 王太子は頷き、「そう、なくなる。綺麗さっぱりなくなる」とあっさり言った。

 なくなる?

 話が変わったかと思えば、何と?

 王太子の結婚の話とは、そんなに、簡単に、軽くなくなるものなのだろうか。シルビアには分からない。

 一度、自分の先に続く道だと示されたものが、ぱっとなくなると言われて、戸惑う。

 では、自分はどうなるために、ここにいるのか。


「何、陛下へは話を通しているし、母への説得は陛下に任せさせてもらった」

「そう、なのですか」


 気になっているのは、そこではない。そこではないのだが、どこだと言われると……。


「あの、結婚の話とは、こういう風によくなくなるものなのですか?」

「いいや。貴族の結婚然り、王族の結婚話ともなれば、一度出ればそれなりの理由があるからな。なくなることは、まずない」

「……? では、今回は」


 結婚の話を聞いたとき、シルビアは衝撃を受けた。それなりに自分の中で整理して、理解した話で、養母やアルバートも大層気にかけてくれた。

 なくなる、とはその過程さえも、吹き飛ばす衝撃を持っている。


 王太子は、シルビアの様子に、微笑んだ。


「シルビア、私はな、『伝説』とやらに全く興味がない」


 『伝説』──シルビアと同じように『女神』と呼ばれた存在が伝わるもの。この地が平定されたとき、その『女神』が力を奮ったという。


「私には『お前』を隣に置く理由がない。それなのに……お前を隣に置いておく自信はない」

「自信?」

「それはこちらの話だ」


 何でもない、と言うように、王太子は軽く手を振った。


「話を戻すが、前に言ったようにお前をアウグラウンドへは戻せない。この国で、この国の剣としていてもらう」

「はい」

「そこで、だ。色々考えた結果──」


 シルビアは、溢れんばかりに目を見開いた。












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