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公爵家の養女は『兄』に恋をする。  作者: 久浪
第四章『各々の選択』
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『日常』




「シルビア、お土産を持ってきたわ!」


 養母が、華やかに、勢いよく部屋に現れた。

 お土産、と養母が示したのはついてきた彼女お付きの女性で。見知ったその女性が箱を差し出し、蓋を開くと、綺麗な焼き菓子が並んでいた。


「アルバートも後から来るわよ。ルーカスは分からないけれど、後からお茶にしましょうね」

「はい」

「そうだわ、素敵なお庭があったわよね。今日は良い天気よ。あそこでお茶出来ないかしら?」


 ここは、イグラディガルの首都。以前、戦が始まる前に、シルビアがひっそりと連れてこられた部屋だった。

 戦は終わった。あれから、アウグラウンドから使者が来た。一時停戦の使者である。

 そして、やがて正式な戦の終わりを申し入れる使者が来て、再び刃をぶつけずに済み、戦は終わったのだ。

 それは同時に、兄がアウグラウンドの王権の奪取に成功したことを意味していた。

 今は、事後処理の期間であり、これからの国間のつきあい方を決めていく期間でもあった。ただ、アウグラウンドは内部の整理もしなければならず、すぐにとはいかないようだった。


 シルビアは、現在ここにいるように、また王家預かりに戻っていた。ドレスを身につける、騎士団とは遠い生活だ。

 とはいえ、以前と違う点は、訪れる人が増えたところか。

 こうして養母が頻繁に遊びに来たり、養父も顔を見に来たり、アルバートも来てくれる。

 シルビアの元を訪れるのは、養母が格段に回数が多く、その次がアルバート、その次が最も忙しい養父となっていた。


 シルビアがここにいる理由は、アウグラウンドがごたごたしているから、念のためだと聞いた。

 でも、これから、ジルベルスタイン家に一度でも戻れる日が来るのだろうか。ここにいると、そんな風に感じてならなかった。

 ジルベルスタイン家に戻る機会はあっても、騎士団にはもう戻ることはないかもしれない。元から、そういう流れで、あとどれくらいいられるか分からなかったのだ。残念だが、未練はない。

 身につけたことは無駄ではなかったし、それゆえに戦場に行けた。


「こんなにいい天気なのだから、ジルベルスタイン家(うち)であれば、心置きなく外でのんびり出来るのだけれど……お茶をできるテーブルも椅子もないわね」


 小さな庭に出た。

 前に見たときよりも植物の色がより鮮やかに。穏やかな空気に満たされていた。

 爽やかな風が花や葉を揺らし、陽光が降り注ぐ景色は、他の世界と隔てられたような独特の穏やかな空気感を持つのも変わらないけれど。養母がいることで、外に繋がりがあると感じ、以前のような隔絶感はなかった。


「うーん、お茶をするには少し小さいかしら?」


 養母は首を傾げた。

 庭は、本当にささやかなものだが、テーブルと椅子を置く場所はあるにはある。

 陽光も、太陽が真上に来るとよく射し込み、明るい。

 だが、あくまで廊下を通りかかるときに楽しめるように作られたような作りだ。


「余裕のあるスペースがないなら、廊下にでもテーブルと椅子を置けばいいんじゃないか?」

「アルバート、来たのね」


 静かな場所だ。声が聞こえたらしい。アルバートの適当な言葉に、養母は「違うのよ、そういうことじゃないのよ」と首を振る。

 養母が、庭を見て「花の面積を少し削れば……駄目ね。削るのは駄目」など、真剣にお茶用のあれこれを置くことを検討し始めた傍ら。

 アルバートがシルビアの横までやって来た。


「シルビア、本、持ってきたぞ」

「ありがとうございます」


 本、とは、ジルベルスタイン家の蔵書だ。

 アルバートは、どうやらシルビアがジルベルスタイン家の本を順に読んでいっていることを知っていたらしく、引き続きここにいることになったシルビアに、持ってくるかと聞いてくれた。

 当初は城の本があるからわざわざ運んでもらうのも申し訳ないので、読むならこちらを読めばいいと思っていたのだけれど、他に何も望まないので本の運搬が始まった。

 アルバートが来るときに合わせて読んだものと取り替えられるのだが、シルビアは、アルバートと会えることの方が嬉しかった。

 今まで、ジルベルスタイン家で当たり前に会えていたから分からなかった嬉しさだ。それを知ったことは、素直に嬉しさを感じていられない複雑さもある。


「相変わらず、部屋からはあまり出ていないらしいな。まあ、ジルベルスタイン家(うち)ほど慣れた場所じゃないから仕方ないか」


 そうなのだとも言える。

 ジルベルスタイン家は、もう何年も過ごしてきて、慣れたものだったがここはそうもいかない。仮住まいであるという意識が大きく、戦で自分だけ不謹慎という感覚がなくなっても、勝手に動き回ろうという気がしなかった。


「眠れているか」

「はい。もう大丈夫です」


 以前、急にここで過ごすことになったシルビアがあまり眠れていなかったことを、戦が終わってから侍女からか耳に挟んだらしい。

 アルバートは、訪れる数回に一度はシルビアに確認する。

 これに関しては、嘘はついていない、と思う。以前の眠っていたのか、目を閉じていただけなのかという感覚はない。眠っている。


「そうか」


 はい、ともう一度シルビアは言って、アルバートと庭の方を見た。


 戦から、何日も何日も経った。

 シルビアはまたここに戻ってきて、騎士団とも離れ、戦の影響を感じない。

 けれど、戦場での光景、感覚は残っている。様々な声。敵であったアウグラウンド側の兵の表情、敵意。

 踏み締めた地面と、握りしめた柄の感覚。人の命を奪い、奪われた地。

 古い記憶にある部屋。記憶と変わらなかった。『彼ら』の顔、声、言葉。──言葉。

 そして──。


 地上を照らす陽の光を追うように空を見ると、空はよく晴れ、青かった。ここからでは、雲一つも見えない。

 外で過ごすには、最適の気候だ。


 地は、国が異なっても繋がっている。それは過去に兄に連れられ馬で駆け、この地に来てから、そして先日も馬で国間を駆けて実際に知っている。

 しかし、地以上に空とは、どこまでも繋がっているものだ。地には作ることができる隔たりも、空に作ることはできない。

 兄の上に広がる空も、シルビアが見ているように真っ青だろうか。兄は、今、何をしているのだろう。

 次、いつ彼に会えるのだろう。


「シルビア」


 シルビアは、空から視線を戻した。


「『それ』は、これからも消さないのか」


 アルバートの視線を追うと、シルビアの手が、衣服の上から自分の腕に触れていた。

 無意識に触れていた箇所には、古い傷が一筋ある。


「消した方が、良いのでしょうか」

「お前がまだ残しておこうと思うなら、そうすればいいだろう、と俺は思う」

「……では、まだ残しておこうと思います」


 アルバートは目を伏せ、「そうか」と言った。

 軽い確認だけだったようだ。その話題は短く終わった。

 けれど、さっきのようにアルバートの視線は庭には流れなかった。


「まだ少し、アウグラウンドが落ち着くには時間はかかるだろうが、それだけだ」


 まるで、シルビアが先ほど思いを馳せていたことを読み取ったようなタイミングだった。

 シルビアは、少し驚きながらも、「はい」と返事する。


「兄様は、約束してくださいました。私は待てます」


 ──「今度は、きちんと約束しよう。私の妹、君に誓おう。再会を約束する」

 近い内にまた会おうと、彼が言った、その約束は胸の中にある。

 余裕がない中での再会だった。目まぐるしく事が起こり、時間に押されるように別れ、また離れた。

 でも、確かに兄に会えた。この手で、触れられた。シルビアは、『次』を信じて、待つことができる。

 今シルビアが見る空と離れた地の天気が違っても、それは隔たりではない。

 アルバートは少し微笑んで、シルビアの頭に一瞬触れた。


「あいつは約束は守る。もう少し、待つか」

「はい」


 戦が終わった今、シルビアが気にするのはアウグラウンドのその後であり兄の現在だが、アウグラウンドの内部の詳細の動きはシルビアには伝わってきていない。

 捕らえられていた男がどうなったのか。『彼ら』はどうなるのか。

 シルビアは、待つだけ。あの場で、『彼ら』に立ち向かったシルビアにはもう恐れはない。待つだけだ。


 庭の方を見ると、いつの間にか養母がこちらを見ていた。

 彼女の瞳の青は、今頭上に広がる空の色を映したようだ。シルビアはそのいろが好きだった。

 彼女は、シルビアをやさしく見つめた。

 養母も養父も、シルビアが戦場に勝手に行ったことを責めなかった。一度はアウグラウンドに連れて行かれたと知り、ただ、ただ、無事を安堵してくれた。兄と会えたことを喜んでくれた。


 部屋に戻ると、本の取り替えをする。読んだ本を預け、空いた棚に新しい本を入れておく。


「お出かけはちょっとできそうにないから……やっぱり、ここに来てシルビアと色々出来るように色々持ち込みたくなるわね」


 お茶をすることにした席で、養母は本棚を見つめ、部屋も見渡す。


「シルビア、本当に、何か欲しいものはない?」

「はい、今あるもので充分です。ありがとうございます、お母様」


 養母は「そう」と、残念そうにしながら、また部屋に視線を巡らせた。

 部屋には、必要なものしかなく、娯楽目的のものは本くらいしかない。シルビアが望まなかったからだ。

 元来、シルビアは誰かに引っ張って行かれない限り、あれこれと行動的な性格ではないのだろう。

 剣の稽古には自分で行ったり、図書室に行ったり、習慣になったことは別として。

 これまで養母が、彼女が嗜んでいることを色々シルビアに教えて、誘ってくれていた。

 一人でそれらをする気は、起こらなかった。


「母上が来るときに、シルビアと一緒にしたいことをするために必要なものを持ち込めばいい」


 同じくテーブルを囲むことになったアルバートが、何気ない口調でさらっと言った。


「そうね! そうしましょう!」


 養母が手のひらを合わせた。「どうして気がつかなかったのかしら!」と、息子がさらっと口にした言葉が妙案のようだった。


「アルバート、さすが私の息子ね!」

「常識の範囲内のものを持ち込んでくれ」

「何をしようかしら──あら、何か言った?」

「……常識の範囲内のものを持ち込むことを計画してくれ」

「ええ、当たり前よ?」


 アルバートは何だか信用していない様子を纏いながら、ティーカップに口をつけた。

 結局それ以上は言わなかったのは、彼が母親に対するいつものことだ。


「シルビア、何かしたいことはある?」

「そう、ですね……」


 シルビアは考える。これまで養母としてきたことを思い出す。


「お母様とすることはどれも楽しいです」


 お茶をすることだけでも、楽しいし、嬉しい。会えることも、今はとても嬉しい。

 だから、シルビアから特に望むことはないのだ。


「じゃあ──ひとまず、あの庭の改装から始めましょうか」

「待て、母上。ここはジルベルスタイン家じゃない。母上の実家でも、好き勝手するのは駄目だろう」

「あら、冗談よ」

「冗談……?」


 勘弁してくれと、慌ててカップを下げていたアルバートは、げんなりした声を出した。


「シルビア、前から言っているが、何でもかんでも母上に付き合うことはないからな」


 とは言われても、シルビアは『付き合うことはない』事象に見舞われた記憶がないので、いつも返事だけはしておくことになる。


 しかし、何がしたいと言われて、これがしたいと言えればいいのだろうと思う。

 勉強、剣の稽古、馬術、体術、こうするといいと、差し出されたものが今はない。

 今、シルビアはどこにも所属していない存在のようだった。ジルベルスタイン家でもなく、イグラディガルの王家に嫁いだわけでもなく。騎士団の人間でもなく。

 中途半端で、宙ぶらりんのような状態。だから明確にやることもない。

 アルバートたちが来ていない時間は、もちろんいっぱいある。その時間、シルビアは持ち込まれたジルベルスタイン家の蔵書を読んでいる。

 この過ごし方は、前と同じだ。

 ただ、ジルベルスタイン家でと比べるとその時間が格段に多くなっているのは、やはり環境としか言いようがない。


 以前、養父や養母、アルバートがここで姿が見られなかったときと比べると、外との繋がりを感じられるとは言っても、繋がりが薄くなった感覚は否めない。

 アルバートとも。


 以前の生活は崩れ去った。

 ジルベルスタイン家での寝起きは、突然終わり、顔を合わせ、言葉を交わし、共に食事の席につくことが『当たり前』ではなかったのだと感じた。

 日常にはなっていたけれど、ずっと続くものではなかった。

 王太子との結婚の話が持ち上がってから、先の状況を予想した中にジルベルスタイン家から離れるのだろう、というものがあったが、実感には至っていなかったのだ。

 今、彼らと会えながらも住居が別になっているからこそ、身をもって分かる。

 シルビアがいなくてはならないのはここで、アルバートたちはジルベルスタイン家に戻るためにこの部屋を去る。


 今日も、養母とアルバートがこの部屋を後にし、ジルベルスタイン家に戻る姿を見送り、シルビアは一人戻る。

 見送ることが、寂しい。

 会えると嬉しくても、純粋には喜べない。当然のように会えないから、増しているものだと分かっている。だから、嬉しさに寂しさが混じる。



 養母が頻繁に訪れ、養父とアルバートが時折訪れ、そういう風にシルビアの日々は静かに過ぎていった。

 そんなある日のことである。


「王太子殿下がお見えです」


 戦が終わってからは、一度も会わなかった王太子がやって来た。


「朗報だ」


 入ってくるなり、第一声がこれであった。

 何の用だろうと、王太子が用はなしに来ることがなぜだか想像できず、考えていたシルビアは内心また首を傾げる。

 朗報?


「アウグラウンドから客人を迎える。実質王の立場にいるお前の兄が来るぞ」


 朗報の内容に、シルビアは驚いた。

 唐突だった。言葉を理解し、受け止め、反応が表れるのが遅れる。


「もちろん、会わせてやろう」

「本当、ですか」

「本当だ。疑われるとは、さすがに心外だ」


 思わず本当かと聞き返しただけのシルビアは、失言だったことになり、別の驚きに襲われるはめになる。本当に疑っていたわけではないのだと言ったが、王太子は軽い気持ちで言っただけだったらしい。分かっていると、流された。


「さて、私が今日来たのは親切にもヴィンス殿下が来ると伝えに来たわけではない」


 そうであれば、誰かに伝言を頼むだけで事足りたのかもしれない。


「一つ、念のため言っておこうと思ってな」

「何でしょうか」

「お前はあちらの国に戻ることは難しい、ということだ」


 そう言ってから、「難しいというより、完全に住みかを据える意味では無理だと思った方がいい」と王太子は少し訂正した。


「お前の亡命先になってほしいとは頼まれたが、返す約束はしていない。いくら友好的な関係になっても、他国は他国。お前という存在を返すのも難しい話だ」


 シルビアは、驚くことも、落胆することもなかった。

 アウグラウンドに戻し、兄と共に暮らせるようになると言われた覚えはない。

 そして、ジルベルスタイン家に戻されず、城住まいになっていることからして、確かめずともこの先の未来が変わることはないのだろう。











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