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公爵家の養女は『兄』に恋をする。  作者: 久浪
第三章『迫る過去』
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彼女の正体




「俺の怪我はもうないとして」


 アルバートがシルビアの腕を取った。


「怪我してただろう」


 彼が見たのは、右腕。

 袖を捲ると、血で染まった包帯があり、アルバートはさらにそれを捲ったのだが。

 シルビアは痛みがないことに気がついて、露になった肌にも、あったはずの傷がなくなっていた。


「治り、ました……?」

「確かに治っているな」


 腹部の怪我も、簡単な手当てがされていて傷は完全には治っていなかったということのはずが、違和感一つなくなっていた。

 いつのタイミングで治ったのだろう。

 自分で意識して治した覚えはなく、シルビアは内心首を捻った。


「ないなら、それに越したことはない。──これからヴィンスと合流するぞ」


 その名に、シルビアは自らの腕を見つめていた目を上げる。

 兄と、合流と聞こえて。けれど、シルビアの表情は強張る。


「兄様は……」


 アルバートはシルビアの様子を見て、「あぁ……」と苦い顔をした。


「簡潔に言うと、原因は部分的な記憶喪失だったようなんだが……。俺が言えるのは、ヴィンスはもう大丈夫だっていうことだ」

「大丈夫、ですか……?」

「大丈夫、だ。会えば分かる。ヴィンスもお前の奪還に戦場からここに来た。あいつは、お前の知っている『ヴィンス』だ」


 だからもう大丈夫だと、アルバートは言った。

 シルビアは戦場での出来事が頭から離れないけれど、アルバートの言葉に頷きを返した。


「じゃあ下に降りるか」

「あ。あの、部屋に一度戻りたいです」

「部屋? ……さっきの部屋か?」

「はい」

「どうしてだ」

「一人、女性を──」


 と、言って、部屋に繋がる通路の方を振り向いたときである。

 メアリがいた。


「あ」


 その姿を見つけて、シルビアが漏らした声に、アルバートが「あの人か?」と理由を察した。


「はい。私を、部屋から出すばかりかイグラディガルまで連れて行ってくださろうとした方なのです」

「それは……そう考える人間が、この国にヴィンス以外にいるとはな」


 壁際でこちらを窺っているメアリの元に行くと、メアリが見ていたのはどうやらアルバートだったらしい。

 目の前に来たアルバートを見て、シルビアを見る。


「失礼。不躾だが、名前は。俺はアルバートだ」

「メアリと、言います」

「メアリ嬢。正直に言っておくが、俺はイグラディガルの人間だ」


 メアリは、アウグラウンドの制服を着た人間が、他国の人間だと名乗り、表情を驚きに染めた。

 彼女は、部屋でアルバートがしていた会話は認識できていなかったのだろう。そんな状態ではなかった。


「可能性としても、ヴィンス様の部下の方かと考えていました……まさか」

「まあ今はそういう感じだ」

「そうなのですか?」


 そういう感じとは、と、ついシルビアがアルバートを見上げると頭を撫でられた。


「俺はイグラディガルでのシルビアの──彼女の亡命先の家の人間だ。ヴィンスの助けもあって、ここまで彼女の奪還に来た」

「ヴィンス様が、お戻りになられているのですか」

「ああ」

「では、記憶が……?」

「戻った」


 メアリは口を手で覆った。「良かった」と微かに聞こえてきた気がした。


「あなたを敵だと疑っているわけではないが、あなたはヴィンスとどういう関係が?」

「はい。私は…………」


 メアリは眉を下げた。言葉が繋がらない。


「……困りました。どう、言えばいいのでしょう」


 彼女は視線をさ迷わせ、とある方向に視線をとめた。


「ヴィンス様との関係を簡潔に言い表す言葉が思い付きませんが、私は、ダシアス殿下の──第一王子殿下の元婚約者です。……そのお方です」


 倒れている男だった。

 あの男が第一王子だということと、名前を、シルビアは初めて知った。

 そして、メアリの元婚約者……?


「前の陛下がお決めになられた婚約でした。殿下は私に興味をお持ちにならず、前王が崩御されると、すぐに婚約は破棄されましたので今は婚約者ではありません。──他の殿下方を含め、ヴィンス様とも昔から存じている関係ではあります。ただ、ダシアス殿下や他の殿下方より、ヴィンス様と話した回数の方が明確に多かったでしょう」


 メアリはそれに付け加えて、「誤解はなさらないでください。ダシアス殿下とそれほど話す機会そのものが出来なかったのです」と首を振った。

 男を見る目は、過去に対しては悲しそうでも残念そうでもなかった。今男を見る目は、それに類する目をしていたけれど。


「……ヴィンスが、以前シルビアをこの国から出したことは知っていた?」


 問いに、メアリの目はアルバートの方を向いた。「シルビア」、と示されたのがシルビアだと視線で理解したと分かった。


「正確には、実際にお出しになられたかは知りませんでした。ヴィンス様は決してその話題は出さず、私も約束通り聞きませんでした」

「約束?」

「はい。私は、ヴィンス様が妹君を逃がそうとしていることだけは知っていました。避けられている、と気がついたときにしつこく聞くとそれだけ教えてくれたのです。……他の目を気にしたのでしょう。ヴィンス様は、明かす前に教えたくないと言いました。知っていれば、危険が及ぶかもしれないからと。だから今後この話題はなかったように、と」


 彼女はそこで目を伏せたけれど、一瞬で、「ヴィンス様はどこに?」とアルバートに尋ねた。


「ヴィンスとは、地下通路で落ち合うことになっている」


 地下通路、とシルビアが知らないようで、知っていそうな響きだった。地下、通路……。


「シルビア、靴を履いていないな」

「え」


 とりあえず下に降りるか、となったところで言われて、シルビアは足元を見下ろした。

 やけに石の床の冷たさが伝わってきていたと思えば、何と、裸足だった。


「靴のことは、忘れていたようです……」

「部屋に持ってきたものがあります。戻りますか?」


 メアリの言葉で、結局一度例の部屋に戻ることになった。

 アルバートとメアリと、来た道を素早く戻り、部屋に到着する。

 元々靴は履いていなくて、メアリが来てくれたときに、服と一緒に用意してくれていたものを履こうとしていたところで、男が来てしまったのだ。

 置かれっぱなしの靴を見つけ、シルビアが今度こそ靴を履いている傍ら、アルバートは部屋を見渡していた。床に落ちる枷、鎖を辿っていくにつれ、眉間のしわが深くなる。


「……私がいなくなって、この方たちは大丈夫、でしょうか。他にも私がいなくなって罰しようとする人がいるのではないでしょうか」


 少なくとも、後二人。

 彼らが、第一王子という男のように、メアリにしたようにする可能性があるだろう。

 そんなことは、もうあってはならない。

 シルビアの懸念に、室内から目を移したアルバートが少し考えて、言う。


「この国の王子なら、一人はさっきの場でとりあえずは拘束している。もう一人、ここに入ったばかりのときにヴィンスが行動不能にしている。いるとすれば後一人と、王はどうかは知らないが……半数削られたことになるのか。──いや、ヴィンスと合流してからだな。これから、どうするか」


 今は兄と合流するのが優先。

 メアリも連れ、また廊下に出て、『地下通路』を目指すべく行く。

 シルビアには、この建物内を歩き回った記憶はあまりない。機会自体少なかったのだろうが、建物全体を見て回ったことは一度もなかったはずだ。

 それにしてもこの廊下は、何だか『ややこしい』という印象をシルビアに抱かせた。


「ここまで来るまでにも思ったが、ここは迷路のような構造だな」


 剣を手に前を行くアルバートの言葉に、メアリが答える。


「今の状況では監獄のように思われるでしょうが、本来は楽しさを詰めた離宮をということで、単に迷路を模した構造にされただけだそうなのです」

「ヴィンスの曾祖母は、想像の数倍愉快な人そうだな。不敬になるからもちろん皮肉じゃない。──メアリ嬢、止まれ」


 アルバートは、シルビアは直接手で留め、メアリのことを言葉で制した。

 一瞬こちらに目での制止を向け、アルバートは前方を睨む。その手が静かに剣を構え、音を立てずに前へ一歩。

 敵は見えない。いるとするなら、角を曲がった先の通路のどちらか。どちらだ。アルバートが睨んでいるのは──。

 飛び出してきたのは、相手の方だった。

 角から素早く姿を現し、狙うものを見つけ、刃を振り上げる。この間数秒。躊躇いも何もなく、突っ込むように瞬時に距離を詰める。

 相手、応じるアルバート。二本の刃が光り、互いを狙う。


 しかし、二本の刃は、音を鳴らす前に止まった。

 覚悟していたシルビアは、剣が鳴らす音がしなかったことに怪訝になる。

 けれど、理由はすぐに明らかになった。


「──ヴィンス」

「アルバート、そちらから来たということは、君──」


 『彼』は、アルバートの後ろにいるシルビアを目にして、固まった。









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