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公爵家の養女は『兄』に恋をする。  作者: 久浪
第三章『迫る過去』
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戦え





 なぜ、アルバートがここに。

 この国にいるはずのない姿に目を疑うが、立つ姿は変わらない。服装に違和感はあるものの、よく見知った顔そのものだ。

 シルビアが瞬きもせず見る先で、突如現れたアルバートは、まずシルビアの傍らを目にしてわずかにだけ目を細め、次いでその視線がシルビアを掠めた。

 一瞬、目が合ったか、どうか。


「入ってもいいと言った覚えはないのだがな」


 声に、シルビアは我に返った。腕を掴まれていることや、間近にいる男のことを実感し直した。

 はっとして男を見上げると、男はアルバートに視線をやっていた。


「この部屋を見る際に顔を上げても良いとも言った覚えもない」


 どくり、とシルビアの心臓が鼓動を打つ。違和感が生まれ、妙な緊張を覚えた。


「……申し訳ありません」


 対する答えは、アルバートによるものだった。

 シルビアは、男を見ていた目を、アルバートにそっと向ける。アルバートは視線を伏し、軽く頭を下げていた。

 シルビアからすれば違和感しかない動作だ。彼はイグラディガルの人間で、今アウグラウンドの人間は敵であり、このように畏まる対象にはならないはず。

 だが、何も知らず見ればこの光景は成り立つ。なぜなら、アルバートがアウグラウンドの制服を着ているからだ。

 これは──。


「何用だ」


 このときに、違和感と妙な緊張の理由が判明した。

 シルビアの側にいる男は、アルバートがそこにいる不自然を流した。というより、不自然に気がついていない様子だ。

 アルバートがこの国の人間ではないと、気がついていない……?

 それが違和感の正体だった。まさかそんなことが、でももうそうとしか思えない。

 そして、シルビアはアルバートがこの国の人間ではないと知っているため、緊張していた。

 明らかに、ばれてはいけないのだ。今は戦の最中。敵国の人間だと分かれば、どうなるか。ここは敵陣も敵陣だ。

 ──どうして、アルバートはここに。


「……その前に、あまり見ない顔だな。お前、ここに入る許可を与えている者か?」


 シルビアが反応してしまいそうになった。

 勘か、それとも単純にこの建物で見る顔ではないと記憶から判断されたのか。疑う言葉を向けられ、アルバートは。

 申し訳ありません、とまたその言葉を口にした。声に動揺はない。


「火急の用件を受けました。城の方にお戻りになられるようにと、戦場から伝令が参っているようです」

「戦場から? ……まさかあの戦力差で手こずるはずはないだろうが」


 男はそう呟くが、言葉自体を疑った様子はない。

 『まさか』ここに敵国の人間がいるとは思いもしていないのか。


「ヴィンスが死にでもした報告であれば無駄な報告だな。──まあいい」


 男の目が、シルビアを見た。


「私は少し行って来る。その間にこの部屋の掃除をさせ、着替えを持って来させておこう」


 微笑みと言葉とともに、シルビアの手首に金色の輪が戻る。


「その間、離宮の出入りは完全に止めておく。外に出そうとする愚かな人間が他にもいるとは思わないが──」


 もう一つ、枷を拾い上げようとしていた手が止まった。

 枷のすぐ上。不自然なタイミングだった。不自然であるがゆえに、シルビアを緊張させた。


「あまり見ない顔……?」


 静かな部屋、近くの微かな独り言を、耳が容易に拾った。


「違うな」


 という、続きも。何かに対する否定の言葉は、不穏さを纏っていた。

 男の手は、枷を拾わなかった。その身はゆっくりと起こされ、扉の方を──アルバートを見た。

 じっと、しばらく時間が過ぎて。


「お前、戦場で見た顔だな」


 これまでの流れをひっくり返す言葉が、出てきてしまった。


「イグラディガル側の神剣使い。あの場で阻止しようとしてきた人間だ。……ああ、そうだ。間違いない。──なぜ、ここにいる。こちらの制服で」


 誤魔化せる隙はなかった。

 確信した鋭い指摘に、目を伏せている人が、一言。


「何だ、記憶に残っていたのか」


 アウグラウンドの人間を演じていたアルバートが、伏せていた目を上げた。灰色の瞳が、鋭く、男に向く。


「別の機会に会っていれば腹が立っただろうが、今ばかりは忘れておいてくれて良かったんだがな。頭を下げたくもない相手に折角頭まで下げたのに、下げ損か」


 口調から、敬うものは剥ぎ取られ、姿勢も崩された。


「余計な時間を使った。時間がない、単刀直入に言う。俺はアルバート・ジルベルスタイン。イグラディガルの人間だ。『女神』の奪還に来た」


 男は不快そうに目を細めた。

 シルビアは言い様のない感覚を感じていた。だから、アルバートがここにいるのか。自分が、連れて行かれてしまったから。この、戦場より敵しかいない場所に。

 ああ、何ということだろう。


「『ジルベルスタイン』──セシルが送ってきた情報にあったな。ヴィンスが女神を渡した先。ここから女神を失わせた、もう一つの根元とも言える」


 乾いた笑い声が響いた。笑ったのはもちろんシルビアの近くにいる男だ。


「面白い。この国まで奪いに来たか」

「そうだ」

「この地で、この国の王族である私を前にして……これは笑い話にもほどがある。勝てると思っているのか」

「勝とうと思っているから、ここにいるんだろう」

「これは失敬」


 また男は笑ったが、笑い声は短く、声が途切れた瞬間、無表情となった。


「いいだろう、それなら相手をしてやろう。ここから失われた女神を汚した人間の内の一人を、一足先に(なぶ)り殺してやる」


 言葉も、声も、目も、殺意に満ちていた。

 満ちるどころか、溢れ、殺気を肌で感じる。


「さて、部屋の掃除は少しだけ先になりそうだが、すぐに片付けて来よう」


 殺気を纏ったまま、男はシルビアに微笑み、枷をつける作業を再開させる。手首、足首。

 腕から出始めていた血は流れ続け、包帯を赤く染め、床にぽたりと落ちる。


 殺気が、増した。


 シルビアに向けられているのではないと分かるのに、息苦しくなるほどだった。

 男の殺気ではない。前方から新たな殺気が発され一瞬、増えたと感じたのだ。

 男が立ち上がり、見た先をシルビアも見た。

 扉の元に立ち続けているアルバートは、凄まじい殺気を発していた。灰色の目は怒りに染まり、その激しさを映す目とは反対に、表情は無。


「そういえば、お前、その服はどうした。戦場で奪ったか? 違うな。ここまで入ってこられたのは、協力者がいるな。さすがに敵国の人間単身が簡単に侵入できるざるな警備ではない」

「それがどうした」

「些細なことだな。裏切り者は全て処分するのみだ。まずは裏切り者でも何でもないお前からだ。この部屋をこれ以上汚したくはない。廊下に出ろ」

「この部屋でしたくないのは同感だ」


 男がシルビアから離れていくと共に、アルバートが扉から離れる。


「左に曲がれ。通路自体を移る」


 男が言い、アルバートがその言葉通りに左に行こうとする。このままでは、姿が見えなくなってしまう。


「──アルバートさん」


 彼の足が、止まった。こちらを見て、目が合った。殺気の宿る目ではなく、いつもの目。

 その姿が、閉められる扉で見えなくなる。最後に見えたのは、冷酷な水色の目だった。扉が閉まると、鍵がかかった。


 行ってしまった。どちらも、何の躊躇もなく、行った。

 取り残されたシルビアだけが、未だに流れを飲み込めず、立ち尽くす。

 アルバートが来た。シルビアがここにいるから、『奪還に来た』と言った。

 これから、彼は戦うつもりなのだ。


 静かな空間に、息遣いを捉えた。

 自分が息をすることすら忘れていたシルビアが下を見ると。

 床には、二人倒れている女性がいる。一人はその内目覚めると言われた女性。もう一人は──斬られたメアリだ。

 シルビアは彼女の元に行く。鎖は扉までは届かなさそうだが、彼女がいるところまでは余裕で届いた。

 耳障りな音をさせながら、膝をついたシルビアは彼女の様子を窺う。顔から髪を避ける手が震えた。


「メアリさん」


 鎖があるため、向こう側に回ることが反射的に躊躇われ、重傷であれば体を動かすことも躊躇われる。怪我の具合を見ようと、身を乗り出すようにして、彼女の体を確かめようとする。


「──だい、じょう、ぶ、です」

「意識があるのですね。喋らないでください。──すみません、私のせいで」

「だいじょうぶ、です……。あなたのせいじゃ、ありません」


 大丈夫じゃない。シルビアのせいではないことなんて、ない。謝って済むことではなかった。


「わたしが、少し、あまく、見ていただけ、……なのです、から……」

「今治します」

「むり、です、それより」


 喉がヒューヒューと鳴り、声がか細い。


「……にげて、下さい……彼は、何より……それ、を……望む…………は、ず」

「いいえ」


 シルビアは首を振る。

 怪我は酷い。分かっていたが、酷い。

 服は広い範囲が血で染まり、床に血が広がるばかりだ。傷の具体的な範囲は分からないけれど、長く、深い。

 神剣で斬られたのだ。あれは容易に、軽く、肉を深く断つ。

 血と一緒に、彼女の命が流れ出していくようだった。声を発するたびに、体が弱々しくなっていく。


「いいえ。決して、あなたをこのままでは」


 何をすることが正しいのか。許されるのか。

 少なくとも、このままで彼女を放っておくことは正しくない。間違いだ。シルビアもそうしたくはない。

 そして──。


 音が聞こえた。


 激しい音だ。戦う音。ただ、普通の剣同士がぶつかるのではなく、神剣同士がぶつかっていると分かる独特な音。

 アルバートが、戦い始めた。

 ──自分は、何をしているのだ。

 シルビアの手が震えた。


「──治します」


 シルビアは慎重に、メアリの体に手を当てた。最も血に染まる部分に。

 この怪我が治るようにと、神通力を注ぎ込む。自分を逃がそうとしてくれて、負った傷が。

 白い光が手のひらから溢れ、メアリの傷を覆う。

 時間にして十秒ほど。

 シルビアが手を離すと、血は止まり、傷のない肌が見て分かった。


「動けますか」

「──はい」


 メアリがゆっくりと身を起こした。自らの体を見下ろし、腹部を撫で、目を丸くしている。


「これは、驚き、ました……」

「痛むところはまだありますか?」

「いいえ。怪我はもう、ないようです」


 全て治せたようだ。一安心したシルビアは、メアリに頭を下げる。


「酷い怪我を負わせてしまい、すみません」


 彼女が怪我を負った事実は変わらない。どれほどの痛みを感じたか。自分が負った怪我から推測しても、推測でしかない。

 何より、シルビアは彼女を助けられないところだった。死なせるところだった。


「いいえ、私が決めたことです。あなた様のせいではありません。そしてこの怪我は先ほども申しましたが、私が甘く見ていたためでした。しばらくは大丈夫だと思っていましたが……今のうちに、出ましょう」


 怪我が治り、動きが戻ったメアリは、時が巻き戻ったように同じ様子で言った。だが、怪我がなくなっても、血染めの服が惨劇を語る。そんな目に遭ったのにも関わらず、彼女は逃がそうとしてくれる。


「……いいえ」


 メアリは何を言われたのかとっさに理解できなかったのか、固まった。


「逃げないと、仰るのですか」

「はい」

「それはいけません。ここにいるのは、殿下の思惑通りになるだけです」


 メアリは、前のめりに首を横に振った。


「いいえ、ここにいるつもりはありません」


 シルビアはまた否定する。


「ただ、私は自分で出なければならないのでしょう」

「ご自分で……お一人で……?」

「はい。私は、今まで頼りすぎました。自分以外の人にしてもらってばかりでした。今日も、あなたに頼り、そして怪我を負わせてしまい死なせてしまうところでした」

「それは──」

「仰っていたことは、一つの事実だと分かっています。ですが、他の事実もあると思うのです。私は、私が持つ術全てを使おうと試みていませんでした。それはあなたを死なせてしまう結果に繋がるところだったのです」


 それは、今も続いている。耳に聞こえる剣がぶつかり合う音が、シルビアに知らしめる。


「私は逃げないと約束してきたのに、ここに戻り逃げようとしました。この部屋で、私はかつての『私』とそれほど変わりませんでした」


 変わったはずなのに、変わらなかった。結局引っ込んだ。じっとして、話さないことが正しくて、それ以外は逆効果なのだと感じた結果、元のように戻った。


 今、腹立たしかった。怒りとは、こういうものなのだろう。そして、自分が情けなかった。

 立ち向かうと決めたはずだった。それなのに、この部屋でのシルビアは結局戻ってしまった。

 何もしない方が、誰も傷つかなくて済む。メアリや、他にあの部屋の周りにいた人。それは事実であり、逃げでもあった。

 シルビアには、『力』があるのだから。


 ──奮い起こせ


 もう場所に引きずられるのは終わりだ。終わりにしよう。怯むから、全てが手遅れになる。

 何が出来るのか。何をするのが正解なのか。分かってしまえば、一つしかなかった。

 戦え。戦えばいい。

 シルビアには、力があるのだ。刃を向けても良いのだ。話せる。立てる。歩ける。それと同じように。


 自分のせいで殺される人がいるなら、そうしようとする人をどうにかすればいい。シルビアがどうにかしなくて、誰かにどうにかさせることが間違っている。

 戦場でアルバートに、言ったではないか。シルビアが戦わないのに、他の人だけが戦うのは間違っていると。それと同じだ。

 自分のことなのに、またシルビアは繰り返している。自分が戦わなくてはいけない。


 この国もイグラディガルも同じで、自分は『女神』という存在に意味を見いだされ、扱われる。

 それがどうした。この国に生まれ、兄に会えた。イグラディガルに行き、アルバートに会えた。

 天に居場所があり、行けば、こんな何もかもはなくなるのか。そんなもの、現実逃避だ。自分がいるのはここで、この状況だ。


「恐れるものを、恐れたままで出ていっても同じ事です。私は、今、戦わなければなりません。自分で」


 兄がし、メアリがしようとし、アルバートがしてくれていることを、自分でする。


 手に、剣を形作った。

 その刃を枷に振り下ろす。あまりの切れ味に、音はほぼなく、枷は切れた。足首、手首。それぞれ的確に切り落とすと、シルビアは立ち上がった。


「メアリさん、また戻ってきます。──行って参ります」


 あなたはここに。

 こちらを見上げる彼女に微笑み、シルビアは前を見据え、軽い身で一歩踏み出す。

 枷はない。ゆえに鎖もない。この部屋に物理的に繋ぐものはなくなった。

 扉に到り、ドアノブを捻るが鍵がかかっている。鍵がかけられていった。こちらからは鍵は開けられない。

 だからシルビアは、『剣』で扉を壊した。

 扉の両側に、倒れている人が二人いた。扉の鍵を開け閉めし、中に人を通して出している警備だろう。息を確かめると、生きている。単に気絶させられているだけのようだ。


 廊下に出たシルビアは、左右を確認する。誰もいない。

 ここにはいない。確か、左と言っていた。

 扉がなくなると、今まで遠くの方で聞こえていたような音が明確に聞こえてきていた。その音も、左の方から。

 左に足を向け、一歩一歩進んでいく。歩みから、やがて駆けていく。進むと、そのたび新たな冷たさが足の裏に伝わった。

 早く。早く。──もう手遅れにならないように。後で悔いることにならないように。


 角を曲がると、音の発生源にたどり着いた。シルビアがいた部屋から移動した二人が、戦っていた。

 神通力のみで作られた剣が、常人では目で追うのがやっとの速さで互いに襲いかからんとぶつかり合う。

 刃が接触する度、音が鳴り、圧が風となって周囲に押し寄せる。


「──」


 赤色が散った。

 白い刃が、アルバートの頬を切り裂いた。

 怪我をしたところなんて滅多に見ないアルバートが、かすり傷どころか遠目でも明らかな傷を負っていた。

 技量は十分あるはず。だが、普通の剣のみなら単純な剣術の度合いがものを言うところ、神剣ではそうはいかない。

 ここは、アウグラウンドの首都。アウグラウンドの人間が信仰するベルギウス神の影響が最も強い神域。

 襲いかかる刃と防ぐ刃。押す刃と押し返す刃が擦れ合い、歪な音がする。互いに視線で相手を殺めそうなくらい睨み合い、隙はない。


 押されているのは、アルバートの方だった。

 血が頬を、流れ、落ちる。

 剣が離れ、わずかに互いの距離が開き、また近づく。

 一見すると、互角に戦っているように見えるけれど、先程のようによく見ると、アルバートが押されていると分かる。

 直接剣が触れずとも、力の余波が小さな刃となって、アルバートが相殺しきれなかったものが彼をまた少しずつ傷つけていく。

 地の特性を含め、客観的に考えても不利だ。このまま続けてもそれは変わらないだろう。


 それでも彼は前を見ていて、傷に怯まない。その剣が相手の肩を微かに切り裂く。代わりに相手の剣が腕を掠める。

 ──防御は二の次、怪我をするのは仕方がない。怪我をしても、自分がやられるより前に相手に致命傷を与える。

 そんな考えが読み取れそうな戦い方だった。


 怪我をする。血を流す。傷ついていく。


 一方で、シルビアはこんなところにいる。

 今下手に飛び込めば、自分が怪我をするばかりか、飛び込み方によってはアルバートも不利になる可能性もある。

 でも一刻も早く止めなければ。アルバートが傷ついていくのを、止めなければ。

 アルバートが傷つくところを見たくない。傷つかないでほしい。血を流さないでほしい。大切な人だ。

 自分のせいでそうなっていると思うと、もっと、名の分からない、どうしようもない感情に襲われる。


 シルビアの手のひらが、上に掲げられる。

 上は天井。──その上へ。天へ。


「『天に命ずる』」


 口が、意識せず動き、声が言う。


「『天の剣、地に落ちよ』」









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