潜入
アルバート視点。
アウグラウンドの首都に到着、街中を行く。行く先には城がある。自国の見慣れた城とは、やはり外観が異なる。
「ひとまず、城の方に入る。だが目指す先としてはあちらの方」
ヴィンスが示したのは、城から離れ、独立した建物だった。
外壁は白で、丸い形の屋根の琥珀色との組み合わせが目を引いた。
「離宮だ。私が完全に出入りを禁止にされていたことからして、彼らはシルビアを取り戻せばあそこに戻すつもりだったと思う」
「戻す、っていうことは」
「そうだ。あれが、シルビアがこの国で居続けた建物だ」
城の門を通り、城の敷地に足を踏み入れた。
ここからが勝負だ。時間との勝負でもある。人とすれ違えば顔を見られずに中を歩き回ることは不可能。顔を隠すのは怪しい。
ヴィンスの顔は知られており、ヴィンスがここにいることをいつ知られるか。
離宮を横目に、ヴィンスは城の中に入っていく。
当然アルバートはアウグラウンドの城の中は初めてで、彼がどこに向かっているのかは分からない。
大まかな段取りは確認したが、細かな道のりは聞いていない。ついて行けばいい。
「図書室だ」
ついた先は、場所柄か来た道より、さらに静寂が濃い。
「ここに、地下の秘密通路の入り口の一つがある」
「管理は」
「祖父に長く仕えていた者がいる。祖父の臣下は多くが追い払われたが、すでに図書室の隅に隠居していた司書はその的から零れ落ちたわけだ。彼なら通してくれる」
ヴィンスは図書室に入る前の廊下にある扉を開き、中に入り、素早く通路を進み開いた扉の中に、一人の老人がいた。
ヴィンスを見て大層驚いた様子の老人に、ヴィンスが短く詫びて、簡単に用件を伝えた。
「地下通路を……。確かに仕掛けを動かせば入り口は開きますが、一体どこに向かうおつもりですか」
「離宮に行く。曾祖母が建てた離宮だ」
「あの離宮に、でございますか」
「以前、離宮にいた『女神』が戻された。私は、今から彼女をまたこの国から出したい」
老人は目を見開いたが、ヴィンスの後半の言葉を聞いて「ああ、やはり」と呟いた。
「……やはり以前、殿下がお逃がしになられたのですね。陛下が、仰られていました。きっと、あなただと」
「そうだ。以前は普通に離宮に入り、離宮から通路を使ったのだが、今正面から離宮には入れない。私は立ち入りを禁じられているため、知らせがいくことになっているだろう」
「……かの方がいなくなられれば、疑われるのはヴィンス殿下、あなたでしょう。今の陛下と、兄弟殿下方との溝が深まるどころか、次こそお命が危うくなります」
「そうだな」
「危険です」
ヴィンスはもう一度、穏やかなくらいに相づちを打った。
「それでもやる。彼女が戻されてしまったなら、私は彼女を出す。一度目に決めたことだ」
ここの入り口を使わせてくれないか、と、ヴィンスは要求した。
時間に余裕がないと匂った様子に、老人は目を伏せ、重く頷いた。
地下通路の入り口とやらは、図書室の奥の奥にあるようだった。
仕掛けを発動させると、壁がずれ、扉が出てきた。
「ありがとう。ここは完全に閉めておいてくれていい」
ご無事で、という声と下げられた頭を、扉が隠していく。
真っ暗になるところ、もらった燭台の蝋燭の火が照らしてくれ、一本伸びる通路が見える。
「……今さらだが、道は分かるのか」
「分かる。元々私の手元には地図などというものはなく、祖父にもしものときのためと見せてもらったときの記憶の地図だ。道は変化しない」
まずは下に行く階段を、下り始めた。
階段を降りると、城の地下部分に伸びているだろう平らな通路になる。右と左があったが、ヴィンスは迷わず右に行った。
靴音は二つ。
地下通路を知る者は王族と一握りの臣下のみ。そして臣下は使うことは許されておらず、王族も普段不便な地下を行こうとは思わない。兄弟たちは正面から出入りすればよいため、わざわざ地下通路は使わない。
結果、地下通路は一種の安全圏となる。
「シルビアが生まれたのは城の母の部屋だが、すぐに離宮に移されそこで育った。あの離宮は曾祖母が作らせたものだ。外観を見てどう思った」
「珍しい色の屋根だな、くらいか」
それから、あれがシルビアのいた場所か、と。
「あの屋根の色と形は曾祖母のこだわりだそうだ。いや、あの離宮の外観と内装全てがこだわり尽くされたものだ。どうやら可愛いものが好きだった曾祖母は、そのような離宮を作りたかったらしく、あの離宮は『可愛らしい』らしい」
離宮に可愛いとかあるのか。
「離宮に可愛いなんてあるのか、と思ったか。君の思考を読んだわけではない。単に私も思うからだ。衣服の類いは多少分かるが、建物が可愛いとはよく分からない。だが、とにかくテーマがそうだった。結果、曾祖母がつけ、今も残る離宮の呼び名がある」
「あまり興味がないんだが」
「離宮の簡単な説明だ。もう終わる。呼び名は『人形の家』だ」
可愛い離宮を、という思いで作られた離宮。その呼び名は、考え方といい、まるで少女の発想だと思えただろう。
「あくまで、可愛らしい意味でつけられた愛称だった。曾祖母自身、可愛らしい離宮を作ることができ、ご満悦だっただろう。だが、将来『可愛らしい』檻になるとは、曾祖母は思ってもいなかっただろうな」
「……今となれば理不尽にも趣味が悪い、っていうことになったわけだ。離宮にいたシルビアは普通は自然に知ることも知らず、教養を授けられることもなく、喋ることも知らず、……感情も足りなかったんだろう」
人形の家、は皮肉に聞こえてしまう。
向かっている先は、シルビアが過ごした場所。
胸が踊ろうはずがない。その環境と、ジルベルスタイン家に実際に連れてこられた当初のシルビアの状態を覚えている。
「アルバート、実は彼らの行いは『認識のずれ』と片付けることも出来る」
「ずれ?」
ずれで済む話か?
「そうだ。まず、彼らは間違いなくシルビアを愛している。愛おしく思っているんだ」
「……」
「これは事実だ。『ただ』、その愛し方が歪すぎた。もちろんそれだけの話だと片付けることは出来ても、片付けるつもりは毛頭ない」
アルバートは、黙って話の続きを聞くことにした。
すでに言いたいことは山ほどあったが、今は先に話を聞くべきだ。戦場から発つ前に切られた話の続きではないかと感じた。
「そして、ここは曾祖母が望んだ可愛らしい離宮になるどころか、死臭が染み付く場所になってしまったことも事実だ」
ヴィンスは、通りすぎる壁に触れた。汚れがついているのか、ぱらぱらと何かが落ちる音がする。
「……戦場で見たシルビアの表情に、衝撃を受けた。私がそうさせてしまった衝撃もあったが、違う衝撃を受けた。かつての彼女なら、あの種類の表情は浮かべなかった」
蝋燭の橙の光が映る水色の瞳は、戦場での記憶を見ているのか、もっと過去を思い出しているのか。
「私は、シルビアに感情がないに等しいことを知っていたが、彼女にそれを故意に教えようとはしなかった」
すんなりと、自然に彼はそう述べた。
「そもそもシルビアに感情が表れていなかったのは、彼女の特質か、教える者がいなかったからか、環境が環境だったからか。分からない。私自身、感情は薄い方だと自覚しているから教える者がいないことが多少関係し、環境が一番だと言えるかもしれない」
無表情で、感情が表れてもわずかな友。比べると、今では彼の方が表れる感情が薄く見える。
「それでも、笑顔は見せてくれるようになった。嬉しい、という類いの感情は持つようになったと分かった。だが、絶対に負の感情は教えたくはないと思った」
「……どうしてだ」
「『彼ら』のことを怖いと思い、不快を感じ、悲しみを覚えてしまったなら。彼女はきっと、あの環境が耐え難くなっていたはずだ。だが決して逃げることは許されず、牢に繋がれる者のようになってしまっただろう」
前方に向いていた視線が、通路で初めてアルバートの方に向けられた。隻眼の左目とだけ、目が合う。
「シルビアの身の回りの世話をしていた召使いは、何人もいなくなった」
水色の目は、すっと前に戻った。
歩みの速さは変わらず、乱れない。淡々と歩き、角を曲がる。
「理由は様々だ。少しの不注意、ミス。シルビアに話しかけてしまった者、部屋の外でシルビアのことを話題として話してしまった者。全て普通であれば些細な理由だ。お茶を溢してかけてしまった者はいても、シルビアに故意に害を為そうとした者はいなかっただろう。……シルビアが、召使いが幾人か消えたことに気がついていたかどうかは分からない」
消えたのは、シルビアのせいではない。シルビアを理由にした者のせいのはずだ。だが、それもこの戦と同じなのだろう。
シルビアはじっとしているが、周りが勝手に何かする。その根元がシルビアにされる。
──本当に、国の中枢はシルビアには生きにくい世界だ。感情があっては、鋼の心を持とうとまだ足りない。
「……お前の兄弟は、そんな有り様でシルビアを愛していたと言えるのか」
「言っただろう。彼らは間違いなく愛している。ただ、その愛が歪んでいる。──アルバート、愛とは所謂真っ直ぐで純粋で綺麗なものだけだと誰が定義した?」
定義してやりたい気分だ。
「愛しているんだ。間違いなく、心の底から」
あいしている、とシルビアにその言葉を投げ掛けた男がいた。ジルベルスタイン家に侵入した男だ。
愛している? ふざけるなと思った。
感情は、人全てが当たり前に得ても良いものだ。シルビアも、当然。
なければ傷つかずに済むからと言って、ないままなのは、権利を取り上げているだけに過ぎない。
当たり前に感情があるシルビアを苦しめているのに、何が愛しているだ。
ヴィンスは先ほど、兄弟たちに対し、怖い、不快感、悲しみというものを感じてしまったなら、シルビアはきっと、あの環境が耐え難くなっていたはずだと言った。
決して逃げることは許されず、牢に繋がれる者のようになってしまっただろうと。
ならば今、シルビアはそうなっているのではないか。
「彼らがシルビアを取り戻した今、これから先何が始まり得るか分かるか」
アルバートは、ヴィンスを見た。ヴィンスもちらりと視線をアルバートに向けた。
「兄弟殺し、さらに王殺しだ。伝説通りにいけば、据えるべきとされる位置は王の隣。すなわち妃だからな」
「……それは」
「王は一人。『女神』を隣に据えられるのも一人。この地の頂点に君臨出来るのも一人。──彼らは、仲良く家族でそれをなそうとは決して思っていない。『女神』を自分一人の思うままに。他国との戦が始まったときからは、駆け引きが本格的に始まっているだろう」
「──本気か」
「ずっと、彼らはそのつもりだ」
かなり血なまぐさそうな未来が、自然と味方だと思われていた中で起こる、と淡々と語ったヴィンス。
いつからその可能性を悟っていたのか。シルビアが亡命してからではなく、その前からか。
その可能性を身近で感じ、彼が選んだ行動は──。
「そろそろ出口だ。この通路自体は離宮が作られるより昔からあり、離宮建設に当たり新たに作られたものではない。元々あった出口の一つが利用されたようだ」
ヴィンスが燭台を上に掲げ、天井に触れる。出口は天井にあるらしく、手と目で探している。
「ヴィンス」
上を見ている友は、天井に視線を向けたまま「何だ」と応じた。
「お前は、どうにかして自分が王になろうと思ったことはなかったのか」
天井は汚れか何かで覆われている。苔にしろ、汚れにしろ掃除などさせられないからだろう。
その天井を這っていた手の動きが鈍った。
「シルビアを他の人間にどうこうされないためにと考えたとき、その方法しかなかった時期があっただろう」
逃がす先に当てはなく、術がなかったときがあったはずだ。
女神を隣に据える王は一人。その王の座を争う未来が来ると予想した彼は、シルビアを逃がすことを選んだが。
他の国に渡さず、自分が側にいられる環境を作ろうと思えば、唯一その方法があっただろう。ヴィンスがその座──王位を目指す。
「……思ったことはある。私が王となり、あの子は外にその正体が洩れることなく暮らす」
妃にする必要はない。伝説は伝説だ。そうせよ、という促しはない。
ただその座を勝ち取り、妹の自由を得る。
「だが、確率は低すぎた。死ぬ気でやってもいいと思ったこともあるが、もしも死ねばあの子はどうなる? 誰が守る」
彼は妹を他国に逃がす方法を選んだが、かつてはその考えを持っていたという。
「……君の国に預けて、そちらの国で象徴として利用される未来があったとしても、仕方ないと思っていた。それでもあれ以上の底はないと思ったからだ。環境は改善されるだろうと思えた」
死ぬかもしれない確率に賭け、シルビアを残して王位を目指すか。
確実に他国に逃がし、人並みの環境を獲得しながらも、先には女神として扱われる未来があるか。
──ヴィンス、お前は、どれだけ悩んだのだろうか。
「ヴィンス、お前が王になればいい」
シルビアの存在は、もうこちらの国にも知られている。今さらゼロに戻ることはなく、全てが都合良くはいかない。
だが、ヴィンスにその考えがあったと言うのなら。
「全部排除する気でやるんだろう。対象はどこまでになる。父親、兄弟は入るんじゃないのか」
「……そうなるな」
「そのまま王を玉座に置いたままより、ついでに王は交代した方がいい。交代出来る人間がここにいるんだからな。まさか、兄弟に就かせるわけはないだろう?」
なら、残るのはヴィンスだけだ。
シルビアの奪還をすれば、任務は完了。目的はそれのみで今はそれしか見ていないが、途中排除出来る者がそれなりに排除出来てしまったとしたら。今だからこそ、見えてくる可能性があるのではないか。
「命張って亡命させたんだ。シルビアを守れるなら何でもする人間だろ。この機会に害悪はどうにかしてしまえばいい」
今ここで無理にでもやると言っているのではないが、この先の話だ。
どういう形であれ、とにかくシルビアに触れられないように。何も手出し出来ないように。同じことが二度と起きないように。
その覚悟は、とっくにあるはずだ。
「私が王になるとは想像出来ないが……。そうだな。この際徹底的にやるなら、それを視野に入れて頑張るとしようか」
どうせ対峙するのだ。
もしくは、どのように戦が終わるかは分からないが、負けるつもりはない。こちらが勝ちアウグラウンドが負けた場合でも、その先に同じ問題がやって来るはずだ。
「……アルバート、君は」
呼びかけられて、天井からヴィンスの方へ視線を移したが、彼は不自然に言葉を切ったきり続きを言わなかった。
「何だよ」
と言ってみると、「いや……」とこちらを一瞬見てから、「ふと思ったことなのだが」と前置きをして話し始める。
「君は、私がそちらに現れたとき、シルビアのために怒っていたな」
テントの中でのことだと言う。
王太子と話をしていると、突然、ヴィンスが現れた。彼の兄という名乗りに、戦場での行いを目の当たりにしたアルバートは怒りを叩きつけた。
「決してシルビアが連れて行かれたことによる国の不利益のことではなく、私がシルビアを傷つけた行為を怒っていた」
「それがどうした。当然だ。こんなときに掘り返したくはないがそっちが言い出したから言うぞ。あれがどれだけシルビアに衝撃を与えたと思う。怒らない方がおかしい」
「うん。だからな──随分、シルビアのことを思ってくれていると思った」
本当に、単なる感想だった。
それに若干不意を突かれたようになったアルバートは、
「……お前に託されてから、一緒に過ごしてきた。当たり前だろう」
そう返した。
「総時間数で言うと、私より長いかもしれないくらいだからな」
ヴィンスが立ち止まり、アルバートも止まる。彼が触れている天井を見ると、線が描く四角が照らされていた。
出口だ。




