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公爵家の養女は『兄』に恋をする。  作者: 久浪
第三章『迫る過去』
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問答


アルバート視点。







 アウグラウンドの王子の一人、ヴィンス。正真正銘、シルビアが唯一兄と認める人間にして、シルビアを過去に亡命させた張本人。

 シルビアを誰よりも大切にし案じる人間のはず、だった。

 しかし本日、過去の行いと、形作られていた像の裏切りが行われた。アルバートも目撃した、彼がシルビアを斬った行為だ。

 ヴィンスの意図が分からないが、シルビアを傷つけた時点で、もはや信用は崩壊の一途を辿っている。

 そんな男が、唐突にこちらに投降する形でやって来た。

 さらに、アルバート同席の上でという条件をつけ、指揮官への面会を要求した。


 ヴィンスを前にした途端、アルバートは今すぐにでも胸ぐらを掴んでやりたい気持ちに駆られた。

 怒りは冷めない。あの場でいなくなった本人が、思いもよらず手の届く場所に現れたとなれば、怒りは再熱するどころではない。


 だが、耐える。

 どんな形であれ、あちらからの使者として来たと考えるのが筋だ。何か、思惑があるのだと。

 今すぐ問い詰められないのが歯痒く、掴みかかれない代わりに、射殺さんばかりの視線は抑えられようもなかった。

 何の裏事情があったとしても、したことはしたことだ。


「さて」


 奥にいる王太子が、ゆっくりと話しかけ始めた。


「今まさに戦を行っている相手が何用だろうか。使者にしては随分捨て身だ」


 アウグラウンドが弱気になるような戦況でも、これほど下手に出るような戦況ではない。


「私は、使者として来たのではない」

「……ほう」


 ヴィンスの表情は、読めなかった。元々無表情が通常の男だ。

 敵陣で拘束され、行動如何によってはどうなるか分からない状況下で、彼は至って表情を変えずに答えた。

 使者ではないという答えを聞き、王太子は思案する様子をみせた。


「知っての通り、シルビアが連れ去られてしまってな。てっきり、舐められているようだが、戦は用済みとばかりの判断でも下されたのかと思ったのだが?」


 そうして、軽く首を傾げる。


「使者ではないと言うのなら、あなたはどのような立場で来たと言うのだろう。一体何用で。意図が分からず、些か不気味だと感じずにはいられない」


 意図が分からない。さっさと用件を述べろ。そう読み取れる、遠い言い回しだった。

 対して、ヴィンスは。


「ただのヴィンスとして。──シルビアの、兄として」


 その言葉に、控えていたアルバートの、怒りを押し込めていた蓋が壊れた。

 この場が終わるまで堪えられるだろうという見通しだったのに。糸がぷつん、と切れるように突然だった。


「……グレイル」


 アルバートは、低く、王太子に呼びかけた。

 本来であれば、この場は他国の者を交えた場。殿下、と呼び掛けるが筋だろうが、その男は「使者として来たのではない」と言った。

 どうも疑り深く慎重に扱わなくとも、大丈夫のようだ。その確認も含めた呼びかけだった。


「俺に時間をくれ」

「……いいだろう」


 少し、考えたような間のあと、王太子は許可を出した。


「どうやら彼もお前に用があるようだし、名乗った立場を問うには私よりお前が相応しいだろう。『兄』同士、()()()()()()()


 完全な許可を得て、アルバートはヴィンスとの距離を詰めた。

 前に至るや否や、その男の胸ぐらを掴み、強引に引き上げた。

 鎖が枷と杭と擦り合って、がちゃがちゃとうるさい。余計な音にさえ神経が逆撫でされる気分だった。


「どういう気持ちで、兄って言った」


 眼前まで引っ張り上げた男を真正面から睨み、問う。


「どういうつもりだ、ヴィンス」


 声は、努めて押し殺す理性は残っていた。

 だが、もう怒りは押し戻すことはできない。

 兄として?

 その立場を名乗られることは、今、どうしても我慢ならなかった。ヴィンスはシルビアを傷つけた。裏切った。あの行為で、シルビアの何もかもを裏切ったのだ。


「──どうしてシルビアを斬った」


 喉の奥から、怒りの源が出てきた。

 最もこの男に問わなければならず、問いたいことだ。

 胸ぐらを掴む手に、より力が入った。


「あろうことか、お前が……!」


 なぜ傷つけた。なぜ、なぜ、なぜ。


「知らない振りを取らなければならないとしても、何があっても、傷つけるなんて有り得ないはずだろう! ──お前は、死んでもシルビアの居場所を吐かないと言ったんだからな!」


 揺さぶるどころか怒りでどうにかしてしまいそうな衝動の代わりに、正面から、言葉を叩きつけた。

 瞬間、男の隻眼が揺らいだ。


「そう、だ。……死んでも逃がした先を言ってやらない。以前、確かに私はそう言って君に託した」


 あの子を、と、彼は過去をしっかりと認めた。

 意味が分からなかった。どうしてそんな表情をする。いや、そんな表情をするのは当たり前だ。ならば、どうしてシルビアを斬った。


「……斬った理由を説明してみろよ。俺が納得出来るような理由を持っているんだろうな」


 言葉を重ねるにつれ、アルバートの拳は震えてきていた。

 今、ヴィンスを前にしその行動を問い、改めてその出来事を確認し、自分の情けなさをひしひしと感じる。

 苛立つなどというレベルではない。

 ヴィンスに怒りを覚えるが、何より自分に腹が立つ。守れなかった。自分は、シルビアを守れなかったのだ。

 ヴィンスの行動を怒るのは当然として、その前にシルビアを守れと言うのだ。

 絶対に、渡すことだけはあってはならなかった!


「記憶が、さっきまでなかった」

「ああ!?」


 返答に、出したこともない唸り声が出た。

 八つ当たりが入ってしまっていたことは否めない。


「アルバート、少し落ち着け。話は聞こうではないか。他ならぬ彼の言葉だろう?」


 王太子の仲裁に、アルバートは突き放すように、ヴィンスを解放した。


「理由は何だと?」


 記憶がなかったとか聞こえたが。

 言葉だけは聞いていたアルバートは、今一度尋ねた。何だと?


「記憶がなかった」


 ヴィンスはほぼ同じ言葉、同じ意味をもう一度答えた。

 記憶がなかった。

 この男は冗談を言う類いかと言えば、この状況ではさすがに言わない。冗談だと言われたらさすがに殴る自信がある。

 しかし、そういう人間ではない。アルバートは妙だと感じ、眉を潜める。


「どういう意味だ」

「そのままの意味だ。さっき──シルビアを刺すまで、一切の記憶がなかった。シルビアのこと全て。君に、託したことも全て」


 そんなことがあり得るのかと思わず思うと、それが表情に出ていたらしい。


「シルビアを託したあと、国に戻ってから私だと決めつけられるのは意外と早くてな。拷問を受け続ける日が続いた影響だろう。記憶が飛んだようだ」


 拷問。

 その単語に、以前は見なかった眼帯に目がいった。

 瓶詰めの目玉の件がある。あれは、一つだった。そして彼は右目のみを覆っている。


「……その眼帯の下は」

「これか」


 示されて、ヴィンスは手で眼帯に触れた。拘束は前のため、手は届くが、鎖が音を立てる。


「この下は空っぽだ。最近なぜか突然目玉を取られてな。曰く、目は一つあれば充分だろうと。そのせいで戦場で死ぬのならばさっさと死ねばいいと。罪を知れ、と」


 あまりに淡々と、彼は自らの右目がなくなった経緯を語った。


「とは言え、私は記憶がなかったから罪というものが心当たりがなく、非常に理不尽に感じたのだが」


 そこまで淡々と語っていた彼は、不意に目を伏せた。アルバートから、視線を逸らすようだった。


「……もう会えないのなら、忘れてしまってもいいと思った」


 呟きのように、ぽつりと一言、言葉が落ちるように発された。


「覚えていないなら、どれほど痛めつけられても言いようがない」


 ヴィンスがどのような目に遭ったのか。具体的には分かりようがないが、想像を絶するやもしれないとは、瓶詰めの目の件で思っていた。

 右目を失った彼は、拷問を受け続けたと言いながらも、語りの軸には自分以外の身を据えていた。


「それこそ、死ぬまで拷問されても決して言わない」


 ──何年も前、目の前の男は妹を託し、兄妹共々匿うという言葉に対し、自分は戻ると言った。

 アルバートが、素知らぬ振りで戻ったとしても疑われるのではないかという懸念を口にすると、問題ない、命乞いの仕方は知っていると即答した。

 そして、「ただし、死んでもこの子の居場所は明かさないがな」と傍らにいる妹を示して言い切った。

 声音どころか、上げられた視線、目が、一瞬確かに記憶と重なった。


 ああ、ヴィンス、お前は。


「かといって、意思で飛んだかと言えば違うだろうな。単に、『死んだ方がましな酷な拷問』に、頭が衝撃を受けただけだろう」


 そんなことは、どちらでも良かった。

 ただ、彼は意思で飛んだかと言えば違うだろうと言ったが、脳の防衛本能が働いたのかもしれないとアルバートは思った。

 妹を守るために。


「結果的に都合よく飛んでくれたようだが……道理で、ずっと何かが欠けていたような感覚を抱き続けるはずだ」


 ヴィンスが、視線を下に落とした。手が動き、衣服のポケットに入れられる。

 武器だという可能性は、頭を出さなかった。


「いつも、なぜか無意識にいつの間にかポケットにこんなものを入れていた。それがなぜか、思い出した」


 彼が取り出したのは、戦場に不似合いな包み紙に包まれた飴玉だった。

 シルビアは甘いものが好きなのだと、アルバートに教えたのはもちろんヴィンスだった。託されるまでに得た情報は少なかった。その数少ない内の一つ。

 こっそり、お菓子を持って会いに行くのだと言っていた。だから、似合わぬ飴をポケットに入れる癖がついたと。彼が留学してきていた学院時代、一度誤魔化された裏には妹の存在があった。


「まさか、こんな日が来るとはな」


 ヴィンスは飴を握り締め、片方だけになってしまった目で、手を見下ろしていた。

 彼の利き手だった。剣を握る方。


「アルバート、君の言う通りだ。あろうことか、私があの子に血を流させるなんて。……あんな顔を、させるなんて」


 声は、疑いようもなく後悔にまみれ、手が震えていた。


「記憶がなかったことなど理由にはならない。私がしたことは、許されないことだ。だが、言ったことを、信じてくれるか」


 その男は、確かにかつての友だった。

 自分の身を顧みず、妹の将来を案じた男。


「──ああ、信じる」


 したことはしたことだ。それは変わらない。

 だが、お前は確かにシルビアの兄だ。

 お前は帰って来た。








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