何をしてやれる
──今、彼女に何を言う資格があり、あと何をしてやれるのか
アルバート視点。
話が終わり、シルビアが部屋を出ていった。
シルビアを見て、動けずにいた母が、遅れて出ていった。
父の書斎には、二人。アルバートと父がいるが、誰もいないのではないかというほどの沈黙が満ちる。
「……嫌われてしまっただろうか」
ぽつり、と父が呟いた。
アルバートが視線をやると、父は瞬時に少し老けたような印象を受けた。最近多忙であることから、目の下にくまができかけていたりしているが、疲労はテレスティアの問題そのものによるものではない。そこから影響を受けてしまった、先程の話。
「それでも、事実だ。事実をうやむやにして話すことこそ不誠実だ」
父は、椅子に座り、机の上で握り合わせた拳に額をつける。
「……しかし、こういう意味があって結婚の話が持ち上がっているのだと説明するのは中々辛いものがある。何もそのために身を預かってきたわけではないのだが、そう思われても仕方がない伝え方になってしまったな……」
結婚の理由をぼかして伝えることは可能だった。今まで言って来なかったように、これからも言わないという姿勢を貫くことは。
だが、これまで言って来なかったのは実際が伴っていなかったからで、これから知らなくとも現実となるのに隠すことは間違いだという結論に至った。
結果、非情な話運びになった印象は、こちら側からしても否めない。それなら、シルビアの方はどう思ったか。
分からない。シルビアがどう思うのか読むことは、他の誰の思考を読むより難しい部分がある。
「……実の娘なら──ジルベルスタイン家に生まれただけのジルベルスタイン家の娘という意味しか持たない子なら。あんなにショックを受けた顔をされてしまったなら、私たちがどうにかしようとギリギリまで攻めるのだが……」
時間が経つにつれて、父の疲労の色は濃くなっていくようだった。
珍しい弱音には、覇気も力もあったものではない。
行き場のない思いだった。この家の中ですら、そうどこでも吐露できるものではなかった。
「シルビアは、ジルベルスタイン家の名前を冠しても、『そうではない』のだと今、実感する」
父の言葉は、決してシルビアが実の娘に思えないという意味なのではない。むしろ実の娘と思い可愛がり、大切に思っている。しかし、『そうではない』という事実があり続けるのだ。
絶対に『ただのジルベルスタイン家の娘』にはできない。
「アルバート、お前が言うことはなかったのだぞ」
「……父上が言いにくそうにしていたからだ。……父上だけに押し付けるのも違う」
「だとしても、もう少し言葉を飾っても良かったぞ」
「飾れば、本旨が曇ってしまう部分が出てくるということだろう」
そうなれば、それこそ父の言うとおり「事実をうやむやにして話すことこそ不誠実」だ。騙すようなもので、そもそも話自体は消えない。
父は、そうだな、とため息をついた。
シルビアの結婚の話が出ていたのは、シルビアがこの家にきた当初からだった。しかし、長らく保留にされ、様子見がされていた。
その話が久方振りに具体的に上り、進むこととなった。
テレスティアの使者が来てからである。テレスティアの使者は、予想していた通りの話を持ってきた。
特別に場に居合わせることが許されたアルバートは、実際の話を聞いた。
──「我が国は、アウグラウンドから攻められ小競り合いをしていた状況でした。今は一旦落ち着いてはいるのですが、まだ続いている状況です」
やはり、比較的落ち着いたところでこちらに来たようだった。
──「この国は、五年ほど前からアウグラウンドとの国交が断絶したと認識しています」
その通りだと、王は肯定した。
アウグラウンドとこの国は、以前は親しくしていた部類の関係だっただろう。少なくとも表向きには友好そのものだった。
しかし、あちらから一方的に国交が断たれた過去があった。以降、かの国の詳しい状況は耳に入ってこない。
テレスティアと戦をしていると情報が入るまで、大きな動きはなかった。
あの国がテレスティアに戦をしかけた事実は、よくない予感を抱かせてくる。
テレスティアからの使者は、こちらと強い結び付きが持てないかと持ちかけてきた。
話を受け、協議に入った。
予想はしていたことだが、実際にアウグラウンドとのこと、テレスティア自体の状況を聞いた上で結論を出していく。
テレスティアの使者は結論が出るまで滞在するが、もうそろそろ話がまとまる。
シルビアの結婚の話は、別にテレスティアのせいではない。
後押しをされた流れではあろうが、かの国の話は自体は、将来的なことを考えると、こちらにとっても良いことなのだ。
そして、シルビアの結婚の話はいずれ正式に持ち上がっていた可能性は高い。
ただ、そのときシルビアに選択の余地があるように、シルビアの騎士団への入団意思を聞いたことがあり、騎士団に入れるようにした。王も一度は同意を示していた。
無駄ではなかった。ただ、世の中そんなに全てが思うようにいくようには作られていない。
どれほどシルビアの意思を尊重したいと思っても、アルバートはジルベルスタイン家の者で、王家と国に従う身だ。異論を許される立場にはない。
確かに、分かっていた。その可能性があると理解していた。現在アルバートの中を埋め尽くす思考を重視することは感情論であり、国のことを考えるのなら進められている話を見送るべきなのだ。
だが、いざ伝えるときになり、伝えると予想以上のものが待っているものだ。
シルビアの様子が焼き付いて、頭から離れそうにない。
話題への戸惑いと、話題を出した父、そして側にいたアルバートへの戸惑い。
「はい」と言った、あの様子。絞り出したような返事。
何より、表情だ。彼女に出会った当初見てきた様子を思い出した。
「政略結婚というものは、基本的に当事者の感情は置いてきぼりだ」
決められた結婚が身近な地位に生まれながら、恋愛結婚を果たした父が、独り言のように言う。
「もちろんグレイル殿下が良い人柄だとは知っているのだがな……。問題は、政略結婚は『価値』『利益』が一番で、当事者を見ているようで見ていないところにある。……シルビアの場合はシルビアでなければならないが、それも『シルビア自身』を見ているかと思えば違う」
シルビアがもたらすものを見ているだけ。
「まるで、『物』のようだと私は思ってしまうんだよ」
──雨が降っている。
窓の外を見れば分かるくらいで、音はせず、細かな雨だ。
あまりに酷く雨が降ると、思い出す。シルビアも思い出すだろうが、アルバートも思い出す。
シルビアにとっては決定的だったろう別れの日。アルバートにもそうであり、初めてシルビアと会った日でもある。
そして今日、当初のシルビアの様子をより濃く思い出す。
笑顔、喜びなどといった感情を表してくれたのは、時が経ってから。
それまでは──まるで人形のようだった。動かないわけではない。ただ、立つように言えば立ち、来るように言えば近づき、寝るように言えばベッドに横になる。
ほとんど言われるがままで、拒否、という類いの感情を知らなかった。
「……シルビアの居場所になっているはずのこの家からも、居場所を狭めてしまった心地になるな」
同じような心地だった。
シルビアの様子から覇気がすとん、と抜け落ちて、数少ない自由を奪ってしまった心地になった。違うと言いたくなった。
何が違うのか。結婚の話は事実だ。
だが、決して自分達は『そんな風』に見て、扱おうとしているのではない。
「──父上、こういうことを言うと誤解を招くかもしれないが」
しばらく開けそうになった口を開くと、これから永遠に出口がないと決まっている思考が、すぐに出てきそうになった。
「もっと上手く、違う形でシルビアを匿うことが出来たんじゃないか。そんなことを考える」
例えば、彼女の正体をジルベルスタイン家以外に隠して、他が言っているように元は平民で神通力があるがゆえに引き取ったのだとか。
そんな理由をつけて匿っていれば、シルビアの将来に口を出す人間はジルベルスタイン家のみになっていたのではないか。もっと、もっと自由だった。
結婚の話を言っているのではない。
もっと、根本的な話だ。これからのシルビアの扱われ方、見方を考えると、考えが荒れる。
彼女を託されるとき、託された当初から分かっていたはずなのに、時が経つにつれ考えてしまう。
騎士団に入らせたことだって、本当はあまり変わらない。多少動きに自由があるだけで、シルビアに見出だされる意味は変わらない。
彼女を受け入れると決め、彼女がジルベルスタイン家に来たときにはもう選択肢など増えても二つだった。
──ヴィンス、
シルビアが何のしがらみもなく生きられる場所は、どこにあるのだろう。完全にでもなくとも、人並みに。
お前から聞いた、かつてのシルビアの環境も環境だが、ここも良いとは言えなくなるかもしれない。
シルビアの幸福は、どこか、国の中枢から遠ければ遠い場所にこそあるのではないか。
過去を顧みる。もしも、最初に何もかもを隠していれば。シルビアは単なる一人の人間として生きていけたのではないか。それなら、ジルベルスタイン家が守ろうと思えば、守れるだけの範囲に収まっていく。
「アルバート、私達はジルベルスタイン家の者だ。陛下とこの国に仕える者。そうすることは間違っていただろう」
「……知っている」
ばれたときは、反逆の意思ありと捉えられてもおかしくない案だ。これもまた、シルビアが持つ意味ゆえに。
そもそもアルバートとて身分が身分だから、客観的に割りきろうと思えばできる。珍しいことでない、と。
しかし、普通の政略結婚ではないから、シルビアの先を案じずにはいられない。この先の彼女の在り方を。
「何より、俺が自分を揺さぶってやりたいのは、シルビアが、どう思っているのか聞けないことだ」
様子の変化に気がついたとき、何も声をかけてやれなかったことだ。
「受け入れてもいいと思っているのか、何を感じたのか。俺には正直に言えと言ってきたのは俺なのにな」
たとえ聞いても、どうしてもやれない。
「せめて、結婚にシルビアの幸せが生まれればいいのだが。……そこはグレイル殿下との問題だ」
時間が解決してくれるかもしれない、という父の言葉には、せめてそうであれという響きが含まれていた。
あとはそう願うしかないのだろう。
裏でどんな意味を見出だされ、勝手な像を作られようと、せめて、結婚の中に安らぎがあるように。
結婚相手は知っているから、この際その点に関しては案じていない。シルビアが苦手に感じている部分が時間が解決してくれるなら、あとは王太子だ。
ただし、王太子を長く見てきた身だが、どんどん読めない性格になってきている気がする。
お前だけはシルビアそのものを見てくれ、と祈りたくなった。
──神は、人の民に力を貸してくれる。けれど、願いは叶えてくれない
どうか、彼女のこの先が平穏であり続けるように、と祈り願っても、確証は得られないのだ。
明日の更新は遅くなるか、お休みさせていただく可能性があります。




