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公爵家の養女は『兄』に恋をする。  作者: 久浪
第一章『公爵家の謎多き養女』
23/87

胸に仕舞う





 パチン、パチン、と音がして、一つの音のたびに緑の茎が断たれる。

 養母曰く、微妙な長さで印象が左右されてしまうこともあるという。

 一度切ってしまった茎はまたにょきにょき伸びては来ないので、シルビアはちまちま切ることにしている。


「うーん、あと一本黄色を足そうかしら」


 シルビアとテーブルを挟んだ向こうで、養母が真剣な顔で、思案していた。

 思案の元は、目の前にある花だ。花瓶に飾り付けている途中の花。そのバランスに目を凝らしている。

 やがて言葉通りに黄の花を一本付け加えて、角度を弄ると、養母は満足そうな笑顔になった。

 完全したそれは、花瓶ごと使用人の手で、慎重に運ばれていく。邸内の、ここにと養母が決めた場所に運ばれるはずだ。


 現在、仕事から帰って来たシルビアは山盛りの花を前にしていた。花は全てジルベルスタイン家の温室で作られたもので、非常に多種に及ぶ。

 そしてシルビアもまた、花を花瓶に飾る作業をしていた。

 元々、ジルベルスタイン家を彩る花は、全て養母が生けているものだ。彼女の趣味だ。

 シルビアも誘われて以来、教えてもらいながら共にしている。


「お母様、どうでしょう」


 手を置いて、声をかけると、養母がどれどれとシルビアの側に回ってくる。

 花瓶に飾られた花を、見つめる。


「うん、とっても素敵よ。控えめな華やかはシルビアの持ち味ね」


 養母は微笑み、特にこの花がいいわね。と、真ん中の花たちの周りにある、淡雪のような小さな小さな白い花を指で撫でた。


 そう言う養母は、そっと部屋に溶け込むようなものから、どん、と印象にぶつかるようにその場の主役を主張する、鮮やかで、派手なものまで何でも表現できる。

 彼女の感性の広さを示しているようだ。


「食堂に飾りましょうね」

「はい」


 シルビアの花が飾られる場所は決まっている。

 始めたばかりの頃、養母が来客に見えるな場所にと言ってくれたのだが、シルビアはとんでもないと断った。来客する人々は、未熟な自分の花より養母の花を見た方がよい。

 その代わり、毎日のように一家が使用する場所に飾られることになった。


 シルビアが仕上げた花が、使用人に運ばれていく。

 見送り、それからシルビアは新たな花瓶を持ってくる。もう一つ作るのだ。

 花瓶をくるくる回して、正面と思うところを見つける。据えたところで、花瓶越しに、向かい側が見えた。

 養母の前に、そこまで背が高くはないが大きめの器があった。薔薇が次々と挿されていく。

 とても華やかな作品になりそうだった。


「玄関用ですか?」

「ええ。もう少しで夜会だから、入ってきたときにぱっと華やぐものをね」


 なるほど。ジルベルスタイン家主催、ジルベルスタイン家で行われる夜会が近い。お茶会のとき同様、最近邸内は特に忙しない。

 とはいえ、シルビアは例年と同じで参加はしないので、その関係で忙しくなったりはしない。

 養母は特に忙しそうだ。養父が仕事に行くこともあり、夜会などの催し事のほとんどは彼女が決める。彼女は楽しそうだけれど、他の夜会にも出掛けたりしながらの日々の合間には大変だろうと思うのだ。

 本日とて、養父とアルバートのみではあるが、他の貴族の家に顔を出す予定のようだ。


「シルビアは夜会は出る気にはならないかしら」

「……え」


 どの花を手にしようかと、さ迷わせていた手を止めた。

 思わぬことを言った養母と目が合う。


「あなたは騎士団に入ったけれど、普通の令嬢のような経験もいっぱいしてほしいと思っているのよ」

「そう、なのですか?」

「そうよ。何事も経験してみるのは悪いことではないと思うから」


 養母は大きく頷くけれど……。


「自分がその場にいる想像が出来ません」


 残念ながら。

 シルビアが、普通の令嬢のようにも過ごせると言われた上で、騎士団に入ることを望んだのはまた別の話だ。

 けれど、先日の茶会のような華やかな場所に溶け込むのは難しい。


「別のお茶会はどうかしら」

「別のお茶会」

「ええ。王妃様のお茶会」


 王妃、と急に出てきた存在に、一瞬聞き間違えたかと思う。


「王妃様のお茶会、と聞こえたのですが」

「そうよ。王妃様が、シルビアに会いたいと仰っているの」


 自分に。

 シルビアは戸惑う。


「なぜ、でしょうか」

「シルビアは騎士団に入ったでしょう? 表に出たこの機会に一度会えないかと思っていらっしゃるようなのよ」

「……お茶会の招待が、私に来ているのですか?」


 養母は首を横に振った。


「招待状が来てしまうと、立場上絶対参加になってしまうから、今回は止めておいていただいたわ」


 王の妹であり、王妃の義妹は「騎士団にも入ったばかりで大変でしょう?」と柔らかく微笑んだ。

 だから止めておこうと思うなら、いいのだ、と。


「やめておいても、いいでしょうか」

「分かったわ。──時が来たら、また」


 自分に会っても、何も特別なことは起こらない。王妃がシルビアに会って返るものはなく、意味などないのに。


「花の香りが良いな」

「あら、あなた」


 深みのある声に養母が反応したあとに、シルビアも扉の方を見た。

 養父が、ゆったりと中に入ってくる。服装は、夜会仕様だった。これから出かけるのだ。アルバートとは会場となる家で、落ち合うか、もしくは帰りに会って帰りだけ一緒になるだろうと言っていた。

 アルバートはすでに向かったようだ。


「おお、フローディア、お前のセンスはやはり素晴らしいな。花がより美しく見える魅せ方だ」

「まだ途中よ」

「途中でもこんなに見事なら、完成が恐ろしい」


 心の底からの声音で言う養父は、花を一輪手に取った。


「しかし、一番花が美しく見えるのは、フローディアの身を飾ったときだろう」


 彼はその手で、花を、自らの妻の髪にそっと差し込んだ。


「いや、私の妻の方が美しいから花の美しさが負けてしまっているか……」

「まあ。あなたったら」


 養父は眩しそうな目をし、養母は嬉しそうに微笑む。

 このような光景、やり取りは、それなりの頻度であることだった。やり取り自体は、毎日か。養父は息を吐くように、養母に愛を囁く。


 シルビアには当然の光景だった。

 シルビアが見た『夫婦』は養父母が初めてだから、シルビアは夫婦とはこのようなものだと思っていた。


「そうだわ、あなた。シルビアに王妃様のお茶会のことを話したのだけれど、今回は止めておくことになったわ」

「そうか。話したのは、招待のことのみか?」

「ええ。他のことは、またそんな時が来ればと思って。そうよね」

「そうだとも」


 お茶会の件はどちらが伝えるかという話になり、養母が伝えることになった。今度城に遊びに行くらしい。


「お、そうだ。お茶会と言えば、シルビア、少しいいか」

「はい。何でしょう、お父様」


 花を見ていたシルビアは、椅子の上で養父の方を向き、姿勢を正す。


「この前、ニーナに会ってもらっただろう」

「はい……」

「それはアルバートとの結婚を視野に入れて、一度会ってもらったわけなのだが」


 だが?


「その話はなくなった」

「その、話……?」

「アルバートとニーナの縁談だ」


 なくなった。

 アルバートとニーナの縁談が。

 …………。

 「えっ」と、シルビアは驚きの声を上げた。


「縁談がなくなった、ですか」


 養父が頷く。

 養母の方も見ると、「そうなのよ」と言う。


「どうして、ですか」


 とんとん拍子に結婚まで進むような空気で、そのまま、気がつけば結婚の日が来ているのではないかとすら感じたのだ。


「色々大人の事情があってな」


 養父は悩ましげな様子で首を振った。

 シルビアは、拳を握る。自分のせいではないだろうか。お茶会のこともある。


「ここだけの話」


 養父を見上げると、養父が手招きする。

 きょろ、きょろ、と養父は部屋内にはジルベルスタイン家の者しかいないのに、他の者でもいないかといったような確認のしぐさをした。

 そうして、満を持して、シルビアの耳元で小さく喋る。


「相手方に忘れられない相手がいたそうだ」


 ニーナに。


「……忘れられない相手……?」


 それは、一体……。

 忘れられないと意味するところは。

 アルバートとの縁談がなくなる理由になった、ということは、つまり。


「息子の前に、独身を貫きそうな部下のために一肌脱ぐ必要がありそうだ」


 息子の縁談がなくなってしまったわりに、養父は生き生きしていた。

 そういうことだ、とあまりにあっさり、養父はその話を終えた。


「さて、そろそろ行ってくる」

「お酒はほどほどにね」

「飲み過ぎたら介抱してくれるか?」

「介抱が必要なくらい飲み過ぎて帰って来たら、別室で寝てくださいね」

「誓おう、フローディア。決して飲み過ぎない。酔わずに、最短の時間で帰ってくる」


 養父は颯爽と部屋を出ていった。

 扉が閉まる。


「シルビア」


 前方からの呼びかけに、視線を移す。


「そういうことなの。ニーナは良い子だったのだけれど、理由を聞くと、むしろ応援したくなってきたわ。恋って素敵よ」


 恋、と口にした養母の笑顔が心なしか魅力が増した。

 でも、とその笑顔に困った色が滲む。


「アルバートの相手はまた探さないといけないのよね。良い人がいるかしら。今年の社交界期間中は難しいわね。次のシーズンになってしまうか……でも、出来れば今年の社交界が終わった後だとしても今年中に……」


 養母の思案の言葉を側に、シルビアは目を伏せた。

 お茶会の日、お茶会の終わり、ニーナに声をかけられた。

 彼女は、なぜだかシルビアに謝った。謝るのはシルビアの方で、シルビアも謝ったけれど、彼女は小さく首を横に振った。

 ──「貴女のような子が妹になるなら、嬉しいと思って、先走りすぎました」

 シルビアは驚いた。そんな風に思われているとは、思わなかった。先走りすぎた、というところは分からなかったけれど。

 そして、その最後、ニーナがふいにシルビアを抱き締め、彼女は囁いたのだ。

 ──「貴女の様子は『恋』にそっくり」

 ──「それが正解か、分からないけれど」

 彼女は、微笑み、「また会いたいわ」と去っていった。

 シルビアには、教えられたものが何か分からなかった。ただ、彼女が当たり前にアルバートの方に行く光景に、また胸が苦しくなった。


 こい、とは、彼女は何を示して言ったのだろう。

 ──「……『こい』とは、何でしょう」

 シルビアはその日、ぽつりと養母に尋ねた。

 養母は驚いた顔をして、それから、静かに微笑んだ。

 ──「恋とはね、──」

 養母は、教えてくれた。

 その言葉の意味と、それがもたらすもののことを、全て。彼女の経験も踏まえて、教えてくれた。


 そして、シルビアは知った。


 聞かなければ良かった。教えてもらわなければ良かったと初めて思った。

 泣いてしまいそうになった。

 養母はきっと、シルビアが「アルバートの属している騎士団とは何をしているのか」「友人とは何か」などと、シルビアに身近でなかったことを尋ねていたことを知っているから、同じことだと思ったのかもしれない。

 シルビアが当てはまる感覚を感じていたこと、自分が抱えている感覚の答えを得たと知らずに。


 シルビアは、養母に、自分のことを話せなかった。話せるはずがなかった。

 知り、自覚した想いは、言うわけにはいかない、言えない想いだ。

 気がつかなければ良かった。どうして、気がついてしまったのだろう。

 どうして、──気がつかせてしまったのだ。


 シルビアは、『妹』であるしかない。

 そして、シルビアが抱くべきではない想いなのだ。


 ニーナとアルバートの縁談がなくなった。

 嬉しいとは思わなかった。

 いっそ彼女がアルバートの側に居続けてくれたら。それとも、アルバートの隣に誰かがいるようになっても、ずっと苦しいままなのだろうか。

 この想いが、消えてくれる日は来るのだろうか。

 分からない。また一つ、初めての感覚で、だけれどこれまでと同じように相談しようとは思えない。

 せめて、茶会で愚かにも口にした、あの愚行は起こすまい。

 この感覚は胸に押し込めて、今まで通り暮らすのだ。


「──ぃ」


 密かな決意と共に、花を掴んだら、手の内側に何かが刺さった。

 手のひらを開くと、中指の内側に血が滲みはじめていた。

 掴んだ花は、美しい薔薇だった。その茎に、一本鋭い刺が。微かに血に染まっている。


「あら、刺……?」


 目敏く気がついた養母が、素早く回り込んでくる。


「この薔薇は特別美しい品種の代わりに、特別刺が鋭いのよ。刺は取っておいてもらうように頼んだけれど、残っていたようね」


 シルビアの手から薔薇を取り、机の上に置く。


「水で洗いましょう」


 養母が合図をすると、控えていた使用人が水差しから水を注いだ器を持ってくる。

 その中に指を浸せば、血はあっという間に水に薄まって色もわからなくなる。


「『イントラス神に乞う。癒しの力を』」


 水から上げた指に手を翳し、養母が祈りを口にし、神通力で傷が塞がった。

 シルビアはお礼を言う。薔薇の刺で怪我をするとは何事だ。


「この薔薇は、こちらに紛れ込ませておきましょう」

「でも」


 血に濡れてしまった。


「洗って、こうしてここに」


 水に浸し、刺を切った薔薇が養母が手掛けていた花たちの中に混じる。

 シルビアが見ている間に、彼女は迷いない手つきで次々と薔薇を差し込んでいく。やがて満足そうに頷いたところを見ると、完成のようだ。


「『イントラス神のご加護を』」


 養母が祈る。

 薔薇が、瑞々しさと美しさを増す。勘違いではなく、実際に。


「今年は特別に、これくらいしてもいいでしょう。長持ちするわよ」


 アルバートには内緒ね、という養母の笑顔に、シルビアは頷く。さっきの情けない怪我のことも内緒だということだと分かった。


「さ、まだまだ作るわよ」


 シルビアも、未だに一本も花を挿していない花瓶のために、花を手にする。

 長い茎を短めの花瓶に合わせるべく、目で大体の長さを計り、ハサミの刃の間に茎を入れる。

 銀色の刃が、パチン、と花の茎を断った。









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