お見合い
アルバート視点。
今日は仕事は休み。
そんな休日に、アルバートはとある部屋に入った。
中には、すでに人がいた。
扉の側に控える者、椅子の後ろに控える者、お茶を淹れるために待機している者。
そういった者たちではなく、一人、テーブルの近くに立つ女性がいた。
「久しぶりだな」
「お久しぶりです」
ドレスを摘まみ、流れるような礼をし、彼女は顔を上げた。
髪と瞳はどちらも栗色。
微笑みを称える顔は、記憶よりも余程大人びていた。だが、同時にこういう顔だったという心地がした。
アルバートは彼女と面識があった。
面識があるどころか、子どもの頃はよく会っていた気がする。
しかし、学院に入って以降はまともには一度会ったかどうかという有り様だ。
記憶にある顔かたちが、どれほど現在から近いのか遠いのかも定かではなかったくらい。案の定、記憶とはずれがあった。
ニーナ・ミュート、というのが彼女の名前だ。
そして、本日、アルバートの見合い相手である。
席につくと、香り高い紅茶がテーブルに置かれた。
形式的にアルバートがニーナに勧めると、彼女は紅茶に口をつける。
その様子だけでも、まさに令嬢の鑑のような動作、姿だった。可憐な容姿もあり、誰も、彼女が未婚だとは思わないだろう。
また、中身が相当な頑固であるとも。
「言いたいことがあるなら聞こう。そのための場だからな」
むしろ知り合いである分、他に話すべきことが分からない。向こうから聞きたいことがなければ、この場は数分で終わるだろう。
だが、向かい側の見合い相手は、若干何か言いたそうな目をしているように見えた。促してみると、彼女はカップを置く。
「今回のお話には、驚きました」
口調が、心なしか随分大人びて聞こえた。当たり前か、大人なのだ。と、時の流れを感じる。
「どこに驚いた」
「そうですね。まず、貴方がまだご結婚されていないことに」
「それはお互い様だと思うが」
そのままそっくりを返してやれば、ニーナは「まぁ」と小さく言った。むっとした感情が混じっていた。目にも。
しかし、それ以上にはならず微笑みの形を崩さない。
「ニーナ、もう少し本性を出してもいい」
「本性なんて──」
本性という言い方に、即座に言い返そうとしたようだったが、とっさだったようで止まった。
「今日の私には、一応お目付け役がいます」
代わりに言った言葉と共に、彼女は自らの後方を雰囲気で示した。
後方には、彼女が連れてきた者が控えている。
「お前の侍女であれば、直接の主人はお前だ。多少のことなら、主人を優先して何も言わないでいてくれるだろう」
こちらとしても腰を据えて話すのなら、相手が相手である以上、表面だけを撫でる会話はしたくない。
これでも、自分の結婚の話なのだ。
アルバートが控える者を見ながら言うと、その者は黙礼で暗に意思を示した。それを受けニーナに視線を向けると、ニーナは意を汲み取ったか、ふっと小さく息をついた。
「もう、予想以上にやりにくくて仕方ありません……」
彼女は、微笑みを薄くした。と言うより、力が抜けたのだろう。
「話を戻すか。俺が結婚していないことを驚かれるのなら、俺もお前がまだ結婚していないとは思わなかったんだが」
「レディに向かって失礼ですね」
「言われたから言ったまでだ」
しかしながら、まだ結婚していないとは思わなかったとは本音だ。
客観的に考えて、彼女なら縁談は一つ二つどころか、山ほど来ただろう。
「耳に挟んだ話では、これまで全ての縁談を突っぱねてきたとか」
「あら、それを耳にしている上で今回の縁談を? 私が何かの訳ありだとか思わなかったのでしょうか?」
思わぬ返しをしてくる。普通の令嬢なら、自分に不利益が降りかかるような、こんなことは言わないだろう。
とは言え、遠慮無しにという意味で本性をと言ったのはこちらだ。
「本当に訳ありなら、今回の話も受けなかっただろう」
「分かりませんよ。昔馴染みだからと思って来たのかも」
本当に、ところどころ真っ直ぐな女ではない。
続けても、しばらく同じ調子の会話が続くだけだろうと、アルバートはニーナを黙って見た。
視線に、ニーナは意味ありげな微笑みを引っ込めた。
「貴方は、私が何を言っても私と結婚する自信はありますか」
「ある」
「軽い返事」
「軽く聞こえるなら悪いな。だが事実だ」
ニーナが受け入れるなら、アルバートはニーナと結婚する。
「私、きっと貴方を愛せない」
前置きの末に、見合い相手が言ったのがこれであった。彼女は真剣でいて、悲しそうな、申し訳なさそうな表情をしていた。
アルバートは、少し驚いたが、それほどの衝撃は受けなかった。反対に拍子抜けしたような気分でもあり、また、ああそうかという心地になった。
結婚を突っぱねている理由は、自分に見合う相手ではないからだと大層高飛車な令嬢として噂になっているようだったが……。
「そうか」
「そうかって……随分、軽い返──」
「好きな相手がいるんだな」
「…………この場でそんなに率直に聞きますか?」
見合いの場で。
アルバートは笑う。
「そういう覚悟で言ったんじゃないのか」
「それは」
「聞いて俺がどうするわけでもない。言いたくないならいい」
「……貴方らしいですね」
自分らしいとは何だろうか。アルバート自身は自覚がないため、「らしい」が示すところは分からない。
だからその発言は流す。
ニーナは好きな相手がいると肯定したも同然だ。
そう来たか。いや、全く予想していなかったわけではなく、予想した上で父から聞いた縁談を受けたと言ってもいい。
「……お前が一緒になれないということは、身分違いか、余程の事情持ちか」
「そうであれば、良かったと思います」
ぽつりとした呟きに対する反応に、アルバートは相手を見返す。
ニーナの栗色の瞳が、やけに真っ直ぐにアルバートを見る。そして、意を決したように、赤い唇を開く。
「ヒューバート・ベリンゲラー様」
会話の流れからして、男の名前であれば、想い人だという者の名前だろう。
アルバートは、思わぬ名前に、目を見開いた。その人物は、アルバートも知っていたのだ。
父の直属の部下だ。
そして、ニーナが想っていながらも結婚できてはいない理由がおそらく分かった。
「なるほど。そこそこ年上だな」
「そういうことです。『そこそこ』と気遣いの表現をありがとうございます。一回り以上も年上の方」
父の直属の部下であり、それなりの回数会ったことのある人物だ。アルバートも外見や実年齢、人柄を知っていた。
「身分違いではなければ、大した事情ではない。一回り以上年上の方と結婚する例もあるはずなのに……」
「それには意に沿わないものが多いだろう」
「意に沿っていて、むしろこのお見合いが意に沿っていないんです」
「おい、見合い相手が目の前にいるぞ。……まあ、気にしないが」
「気にしないと言ってしまう辺りをどうにかした方が良いですわよ。この話題運びといい」
「ああ、悪かった」
確かに、普通の見合いの場にはあり得ない会話をしているのだろう。
ニーナの後方にいる侍女が、さすがにはらはらした様子で、ちらちらと視線を主人の方に向けている。
あろうことか、相手方の名前まで具体的に出してしまったからだろう。
「私が縁談を突っぱねてきた理由はこれです。父や母は貴族の、年の近い跡取り息子に嫁いでほしいのでしょうけれど、腹いせに突っぱねてきたんです」
昔からの頑固さは健在で、現在はそこに注がれているらしい。
「親心というものだろう」
「親でもないのに親心がお分かりに?」
あら、とニーナが、令嬢には中々見ない意地の悪そうな笑みを浮かべた。
「予想は出来るという話だ」
良い親と言えるだろう。
娘のことをよく考えてくれている、と。たとえ娘が不満に思っていても、よく考えてくれている事実には変わりない。
「それで、突っぱねていたのに、とうとう俺で妥協したか」
「貴方も私で妥協したのではないんですか? 他に想い人がいたり」
些細な意趣返しにも、ニーナは動じない。
最初の、見違えたくらいそそとした様子はとうにどこかに消え、やり返してくる。
「レイラとか?」
「ニーナ、冗談が大雑把すぎるぞ。大体、レイラには婚約者がいる」
「ええ。叶わない相手だと言えるでしょう?」
アルバートは止めろという仕草をした。
「分かっています。貴方は妥協とは違いますね。単に、結婚する必要があるからするだけ」
「そう予想した上で、俺と結婚する自信はあるか」
少し前にニーナが言ったことを、返してやる。
ニーナは即答しなかった。
考え込む様子を見せる。勿体ぶって、振りをしているわけではなさそうだ。
「……私、どうせ結婚するなら、愛されたいわ。淡白すぎる夫は嫌」
「俺に愛されたいわけではないだろう」
「あら、これでも昔は貴方のことはそれなりに好きだったんですよ」
「『それなりに』」
「アルバート様ともあろうお方が、揚げ足取りはもてませんわよ?」
「もてたいと思っているように見えるか?」
「あらおかしい。見えないわ」
ニーナがころころと笑う。
言い返しのねじ曲がり方は昔からの付き合いの弊害だと置いておき、その様子を見ていれば、彼女が結婚していないのが本当におかしいくらいだ。
いや、結婚しようとしなかったから、ここにいるのか。
先ほどまでの会話を思い出す。想い人。
アルバートが黙っている間に、ニーナは笑い声を収めた。
「どうせ結婚するなら愛されたい。淡白すぎる夫は嫌。結婚した意味が感じられない気がするから。……これに嘘はありません」
静かな調子の声だった。
「でも貴方、きっと私を愛してくれないでしょうね」
「自分のことは棚に上げて言うか?」
「あら、それ、肯定しましたか?」
アルバートは苦笑する。
話を混ぜ返すのが好きな女だ。
そうせずにはいられない、ということなのだろうか。
自分とは正反対だ。アルバートはどうせそうなら、簡潔に出来るなら出来るだけいいと思っている。相手が聞きたいことがあるなら答えるが。今がそうだ。
しかし、彼女は反対だ。簡潔にしたくはない。出来ない。
「そうでしょうね。私が愛せないからと言って、相手にだけ愛を求めるのは不公平」
その不公平は、突きつけられるまでもなく分かっていたのだろう。
それでもその『我が儘』を彼女は言った。
「貴方であれ、誰であれ、家族として思いやり合える人生を送れたら十分。貴方となら、互いに愛し合わなくても、思いやり合える関係にはなれそう」
直接的にではなく、少し遠回りに、ニーナは結婚についての同意を示した。
アルバートは、わずかに目を細めた。ニーナは無自覚なのだろうか。
「……話を根本に戻すか」
「どの話?」
「俺はここに見合いに来ている」
「私もです」
「それなら、その話にだ」
ひとまず、この場に決着をつけよう。
雑談は終わりだ。
「見合いの感触としてはどうだ」
「『考える価値はある』」
「随分と上から目線だ」
「ごめんあそばせ」
どこまでも真っ直ぐには答えが返って来ないが、不快には思わない。
「貴方は」
ニーナが問う。
「今日した話を聞いた上で、私と結婚してもいいんですか」
念押しの問いだった。
ニーナが想い人の話をしたのは、こちらが話を繋げたこともあるだろうが、隠した上で嫁ぐようなことはしたくなかったのだろうか。
または、言って、突っぱねて欲しかったのだろうか。
他にも、普通は懸念材料になりそうなことを言った。その様子は、まるで──
彼女は、無自覚なのだろうか。
アルバートはゆっくりと、一度、瞬きをした。
それらは、直接尋ねることは出来ない。
さすがにニーナの体裁に関わる。彼女が言わないのなら聞かない。
そして、ニーナの問いに対するアルバートの答えは決まっていた。
愛せないかもしれないという点に関しては、お互い様だろう。
義務で互いに結婚する。受け入れてくれるのなら、それで充分だった。
アルバートは一言肯定の返事をしたのみで、同じ事を彼女には問い返さなかった。
「俺との結婚を考える余地があるなら、『妹』と一度会ってくれるか」
「くれるか? 貴方、そういう言い方をする方でしたかしら?」
最後に一混ぜ返しした彼女はくすくすと笑ってから、首を傾げた。
「それより、妹、ですか?」
と。
レイラと同じく、幼い頃を付き合ってきた関係だ。妹がいるなら知っているはずだが知らないと思ったのだろう。
「実の妹じゃない。養子だ」
アルバートは決まった言葉を返した。
シルビアも今日は仕事は休みだ。今頃、母にでも何かに巻き込まれているだろう。
とりあえず、見合いは終わりだ。




