前日
また、一歩一歩、その日が近づく。
奇妙な心地と、そわそわとした様子は続いているが、近衛隊隊長の言葉を思い出して、まだ仕方ないと言い聞かせることにした。
訓練の状態は、前よりは改善された気がする。近衛隊隊長のおかげだ。次会えたら改めてお礼を言いたいと思っているけれど、あれ以来会えていない。
アルバートの知り合いのようだけれど、尋ねた内容を思うとやはりアルバートには言おうとは思えないので、会ったことも伝えていない。
が、つい先日、「会ったらしいな」とアルバートに言われた。近衛隊隊長の方から聞いたそうだ。貸したハンカチが返ってきた。
ドキリとしたが、シルビアが気にしていたことは言わないでくれていたようだ。おそらく。
そして、その日は、とうとう翌日に迫った。
いよいよ明日。もう少し。きっと、この心地も、もう少しで落ち着くのだ。
近衛隊隊長が言った通り、アルバートが結婚する人であれば、大丈夫。そもそも大丈夫とは何だ。大丈夫だ何だと、シルビアが気にすることはないのに。
でも、もう少し。
フォークを口に運ぶ。口を動かし、口の中のものを咀嚼する。
「アルバート、お見合いするんでしょ」
シルビアの横の席に、レイラが滑り込んできた。
囁くような、小さな声で言われた唐突な内容に、シルビアは目を丸くする。
「レイラさん、ご存知なのですか」
「相手の家とちょっと付き合いがあってね」
小耳に挟んだのだと、食事の乗ったトレイを置いた彼女は笑った。
「お相手の家と……」
「私の直接の知り合いは相手だけどね」
シルビアは目を見開いた。
相手を知っている。
「ついでに言うと、アルバートも直接の知り合い」
「そうなのですか」
「ニーナ・ミュートって言ってね、彼女も幼馴染みたいなものよ。と言っても、私は兄貴たち繋がりでアルバートと一緒になることも多かったけど、ニーナは生粋の令嬢だから私より機会は減るかな」
レイラは騎士団に入るため学院に行ったが、そのニーナ・ミュートという女性は、家に令嬢としていたことから、学院入学以降はめっきり会う機会はなくなったらしい。
「まさかニーナとお見合いとは、想像もしてなかったわね。それにしても、昨日偶々親から聞くまで思いもよらなかったわ。アルバートも普通だし。いや、お見合いでそわそわするような性格じゃないか……」
独り言のような呟きは落ち着くところに落ち着き、レイラは「どう?」とシルビアに言った。
「お姉ちゃんが出来るわね」
「そう、ですね……」
「うちの兄貴も結婚してて、私にも義理の姉がいるんだけど、これが気が強くて私とそりが合わないの何のって。だけど、ニーナはそんなことないよ」
シルビアが見つめ返すと、レイラは微笑む。
「ちょっと、気の強いところもあるにはあるけど、あれは私の義姉みたいなのじゃなくて……」
会えば分かるかな、とレイラはフォークを手にとり、昼食に入った。
会えば。やはり、全ては、会って解決するのだ。
今日は、アルバートとは別々に帰った。シルビアの方が先だ。アルバートが先になることはあったことがないのではないだろうか。
一人歩いていると、道を行く馬車が横の方で止まった。
「シルビア」
「お父様」
窓から顔を覗かせたのは、養父であった。
「乗りなさい」
開けられた扉から、中に入り、座る。
「お父様、お帰りなさい」
「ただいま。シルビアもお帰り。──ふふん、シルビアにお帰りと言うのは中々新鮮だな」
ただ今戻りました、と言うと、まだ馬車の中で家に着いていないので、不思議な気持ちになった。自分からお帰りなさいと言ったのではあるが。
養父は城に出かけるときの服装で、彼も仕事帰りなのだろう。そして何やら箱を持っていた。
「お菓子だ」
養父は箱を持ち上げ、中身を教えた。
「近頃評判だと聞いて、今日買いに行ってしまった。流行に乗り遅れるわけにはいくまい」
帰ってから食べよう、と養父は微笑んだ。
シルビアは甘いものが好きだった。嬉しい気持ちが生まれて、つられて小さく微笑む。
「実はうちの菓子職人に食べさせ、同じものを作れないかと企んでいる。買うのも出来立てを食べ、そして出したいという欲があるものでな」
養父は含み笑いをした。
「上手くいけば茶会に出せるな」
貴族が集まると、社交界の時期が幕を開ける。
ジルベルスタイン家でも、社交界の間にお茶会や夜会を開く。養母は茶器や調度品の見定めの最終段階に入っている。
シルビアは出たことはないが、開かれることは知っているし、この時期になると養母に意見を聞かれることがある。
意見を聞かれても、実態は、養母の話を聞いて、養母の結論が出るのを見守る係だが。
「アルバートはまだ仕事か?」
「はい」
「あいつ、明日見合いだと分かっているんだろうな。……まあ泊まりになるような案件はないだろう」
養父は箱を元の位置に戻した。表情が落ち着く。
「家に着くまでに、少し話をしておこう」
「はい」
シルビアは、何となく居ずまいを正す。
「本当は婚約が正式に決まってから話そうかと思っていたが、決まったも同然であり、時間があるからな」
アルバートの見合い相手であり、話が進めばシルビアの義理の姉になる令嬢のことだと言う。
シルビアの背筋が伸びる。
「名前はニーナ」
今日、レイラに聞いた名前の通りの名前だった。
どうやら相手はニーナ・ミュートという名の令嬢で間違いないようだ。
「私の古くからの知人の娘だ。アルバートとは小さな頃は子どもの集まりでよく一緒になっていたものだ」
彼女も幼馴染みたいなもの、というレイラの説明を思い出す。
「シルビアもきっと馴染める子だ」
養父は優しく微笑んだ。
その言葉を聞き、シルビアは、とっさに何と返すか迷った。養父が言いたいのは、この部分だったと分かったから。
「……お父様、私のことは、いいのです」
そして、頭を振る。
自分のことを、そこまで気にしてくれなくてもいいのだ。
「お父様が仰る通り、その方はきっと素敵な方なのだと思います」
レイラも言った。
「しかし、例えとしてどのような方であれ、私が合わせるべきです」
アルバートが選んだ人がアルバートにとっての良い人だ。
万が一、その人がシルビアと馬が合わない人であっても、シルビアが合わせるべきなのだ。
そうまで気遣ってほしくはなかった。
考えさせてしまうことに、今、申し訳なさを感じた。ああ、こういう面が出て来てしまうのか。今までは分からなかったことだ。
「シルビア」
けれど、養父はシルビアが思っていることを分かった上で、「違うよ」と言う。
「シルビアは私たちの家族だ。娘だ。アルバートにとっても、大事な妹だよ。その家族と上手くやっていける人がいいと思うのは、不自然なことではない。結果として同時に彼女がぴったりな子だっただけの話だ」
「……」
「だからそんなに気にしすぎるのはよしなさい」
シルビアは「……はい」と小さく返事した。




