第8話 お嬢様の弱点
学園寮エントランス。
黒髪二人は受付から離れて、手に持ったカードキーを透かしていた。
眩しいほどの明かりは変わらないが、周りが慣れてきたのだろう。視線は少しだけ収まっていた。
といっても、キューレはこの学園来てから。
シュートはこの世界に来る前からのことだったので、ほとんど気にしていない。
「ソレ、僕のと形違うけどそれも鍵?」
「言ってたでしょ。形は変えられるって」
言いながら開いた左手を、シュートに向けるキューレ。
その人差し指には、ノアに投げられていた指輪がはめられていて。
ふーんと、鼻を鳴らしてから、自分の鞄を拾い上げるシュート。
キューレも手を下げて荷物を持って、歩き始める。
「階段とか嫌なんだけど。エレベーターとかないの?」
「―――? よく知ってるね。ミューリに聞いたの?」
「え?」
足を止めたキューレと、後ろをついていたシュートの目の前。
少し凹んだ普通の壁に見えるそこは、人を感知したように上に上っていく。
「―――」
シュート口を、あの字に開いていた。
それを横目に中に入っていくキューレ。
「乗らないなら、階段で来てね?」
「乗ります……」
姉に急かされて、さささと乗り込む。
小さな個室らしい部屋には、バリアフリーよろしく三面に手すりがつけられていたり、扉の横には見覚えのある基盤が取り付けられていた。
けれど日本で見たことのあるものではなく、この世界の、フィルハード邸で見たもので。
部屋の明かりをつけるときに、魔力を流すための基盤だ。
明かりをつけるぐらいなら、そもそも触れなくても可能だが、ここのは使い方が違うらしい。
キューレが、左手をかざした。
その途端に、上から扉が降ってくる。
シュートには近未来的なエレベーターにしか見えなくて。
「姉さん、これってなんていう―――」
「手すり、つかんで置いた方がいいよ」
「え?」
瞬間。
どこかの夢の海にでもありそうなアトラクションのように、急上昇する個室。
少ししてから、やわらかく止まった後に、高速で横にスライドしていく。
浮いたり、揺れたり、やっとのことで止まったと思えば、シュートは地面に這いつくばっていた。
「なんでこういう時、ダメダメになるの?」
「……トラウマがね」
「なにそれ?」
「っていうか、姉さん足震えてない?」
「震えてない」
「多分それが、トラウマだよ」
きっと初めて乗った時に同じ目にあったのだろう。
ここ数日で強がりキューレを、ある程度把握したシュートはため息を吐きながら、何とか体を持ち上げた。
それに合わせたように、開く扉。
黒髪二人は、逃げるように退室していった。
「さっき聞きそびれたけど、これの名前って―――」
「あら、あらあらあら? ちゃんと戻ってきたんですのね! キューレっ!」
「……誰、姉さんの知り合い?」
言葉を切られて、不機嫌なシュート。
その発端は姉弟の目の前に、堂々と立ちふさがる、女子生徒だ。
彼女は、自分のくるくると巻かれた蒼い髪を揺らしながら、ふふんと、息を吐いた。
「だれ?」
「「え?」」
キューレの言葉に、疑問が重なった。
姉の知り合い、あわよくば友人だと、断定していたシュートが。
髪の色のように凍らせて、目だけをパチパチさせる女子生徒が。
「冗談。迎えに来てくれたの? ティスミン」
誰かに似ている、悪戯笑顔を浮かべたキューレ。
彼女の表情に、体を小刻みに震わせる女子生徒は、あっさりと上品さを振り払って睨む。
「だからいつも言っているでしょう!? 私のことはティスと呼んでくださるかしらっ!」
「私は可愛いと思うよ? ティスミンって名前。ねぇ、シュート?」
「……え? あぁ、うん」
「可愛いなんていりませんのっ! 私は気品あるセルフィ―――」
「ティスミン・セルフィルム。お姉ちゃんと同室の子」
憤慨中のティスミンを無視して、シュートを向いて説明。
シュートは、「ティスミンさん……? 先輩?」なんて復唱している。
「私のことを無視するとは、いい度胸ですわねっ! 今日という今日は許しませんのよ!?」
「怒りすぎると、ノアさんみたいになっちゃうよ? ティスミン」
「いつも怒らせているのは、あなたじゃないですのっ!」
「怒ってるのは、ティスミンだけどね」
火薬を追加していくキューレ。
見る見るうちに、ティスミンの顔が赤くなっていく。
そして、諦めたようにシュートの方を睨みを向けて。
「あなたの姉でしょう!? もっと常識的な言動ができませんのっ!?」
「……なんで、僕に? そもそも出待ちしてたのは、ティス先輩の方じゃないですか?」
「出待っ……そんなわけないでしょう!? なんで私が、キューレの弟様にご挨拶をなんて―――」
「へー、ティスミンは、シュートに合うために待ってたんだ?」
キューレがどんどんと、悪戯に笑顔を強めていく。
語るに落ちていくティスミン。
顔を赤くして、やってしまったといわんばかりに、頭を抱えてしゃがんだ。
「まぁ、ほとんど冗談だから。今年も部屋は同じなんでしょ? またいろいろよろしくね。ティスミン」
「だらか、私のことはティスと……」
差し出されたキューレの手を、しぶしぶと取ろうとするティスミン。
遠くから見ても、仲良しなように見えるだろう。
「ありゃれー? ティスティスさま、どうして座ってるですー?」
「ティスティスさま、お腹いたいいたいですー?」
廊下の奥からやってきた、瓜二つの金髪が二人。
髪型や衣服が、左右対称だったり程度の違いぐらいの彼女たちは、ティスミンに近づいて。
「ティスティスさまー? 立ち上がれるですー?」
「手を貸すですー……って、ありゃれー? キューレちゃんだー? 黒いから影とおもってたー!」
「ありゃりゃれー? もうひとつ影があると思ったら、男の子だったー!」
「「びっくりー!」」
二人は子どもっぽくふるまいながら、確実にキューレを。黒髪を敵対視していた。
彼女たちに手を引かれて、立ち上がるティスミンも、やるせない顔を浮かべる。
「ティスティスさまー! 向こうでお菓子を食べましょー?」
「あまーいお菓子なんですよー!」
「え、えぇ。そうですわね……キューレっ! あとでいっぱい話がありますのっ!」
両腕に巻きつかれて、連れて行かれるティスミン。
何とか、捨て台詞を言ったかと思えば、ちょっと強引に引きずられていく。
残された黒髪姉弟の軽いため息が漏れて。
「六割は遠くから見てくる。 それで一割は無関心。 もう一割が積極的に関わってくる。 残りはあんな感じ」
お姉ちゃんの学年はそんな感じだと、キューレが片目を閉じた。
「……まだ、絶望はしてないよ」
聞きたくない事実は、シュートのため息を強くする。
「とりあえず、お姉ちゃんの部屋に行こう。重い」
「あぁ、うん。どの部屋なの?」
「ちょっと待って」
言ってから数秒。
すぐにキューレは動き出す。
「わかったの?」
「うん、こっち」
どうやったのかもわからないままに、後をついていくシュート。
気になっても、後で聞くことになるだろうから、後回し。
そして、カップラーメンほど歩いて一つの扉の前でキューレが止まった。
「ここ?」
「そう。開けるけど、あんまり見回さないでね。あと、ちょっと手伝って」
「手伝う? 何を?」
「見ればわかる」
矛盾させながら、苦い笑いを作ったキューレが、扉の横の基盤に手を向けた。
すると今まではなかった、ウィーンという機械的な音を立てて、扉が横にずれていく。
キューレの後を追って中に入る黒髪。
まっすぐ続く廊下の左右に、部屋に繋がっているだろう扉が四つ。
さらに奥には、もう一つ扉が見えていた。
長めの廊下を歩いてから、奥の扉を開いて。
シュートが唖然。
ついでにキューレもため息。
「ここって何人部屋なの?」
「二人部屋かな。去年と同じだし」
「ここ寮なんでしょ? 子供二人にこんなのでいいの?」
「知らなーい。あとその辺のやつ、籠に入れておいて?」
言いながら荷物を放り投げるキューレ。
そして、地面に転がっていた、誰かの服などを拾い上げて、大きなかごに放る。
一世帯ぐらい余裕で住めそうなリビング。
おそらく廊下にあった扉は、自室なのだろう、ここにはベッドはない。
シュートも驚きながら、一緒になって拾い上げるが、すぐに目を殺した。
「もしかしてこれって、全部ティス先輩の服?」
「ティスミンはこういう家事がまともにできないの。まぁ、お使い頼む代わりに、お姉ちゃんが片付けたりしてあげてるの」
「お嬢様なんだろうなぁ……」
「ティスミンも言おうとしてたけど、彼女の家ってすごく名家なんだよ。お姉ちゃんに意地悪する子のほとんどが、嫉妬とか混じるくらいにね」
「僕の方は、普通の子でありますように……!」
「厳選されて入学してる時点で、普通の子なんていないと思うけど」
懇願するシュートを、真正面から打ち砕くキューレ。
少し嗚咽が漏れている。
時間をかけて、リビングであろう部屋をあらかた片付けると、キューレが一呼吸してから満足げな顔をする。
「シュートの部屋に行く前に、何か飲む? たぶんなにかあると思うし」
「喉渇いたし、なんでもいいから飲みたい……って冷蔵庫もあるんだ」
もちろん電気ではなく、魔法で動いてる冷蔵庫。
流石に冷凍はできないようだが、飲み物なんかをを冷やす程度なら、余裕な代物だ。
「ぶどうでいい?」
「うん」
紫色が注がれたコップを受け取るシュート。
そしてそれを一口―――
「げほっ、げほっ! 炭酸!?」
この世界に来て、はじめての炭酸飲料。
実に十年ぶりになる感覚は、彼には刺激的だったらしい。
咳込んだ勢いで、コップからジュースがこぼれていく。
それにキューレがため息を吐きながら、タオルを投げて。
「姉さん。これはわざと?」
「あれー、間違えて、ティスミンのおぱ―――」
「な、ななななにしてるんですの! わ、私のっ! 私のっ!」
蒼い髪を揺らした、ティスミンのお嬢様らしからぬ怒声が響いた。




