第6話 初めての大都市
「……どいて」
「……おぅう」
目と鼻の先。
言葉通りの距離に、整った幼い顔があった。
むしろシュートの鼻くらいは、キューレの頬に触れていたかもしれない。
目をパチクリしながら体を起こすシュート。
それに続いてキューレも、顔を伏せたまま離れる。
そんな状況を作り出したのは、またしても馬車の停車が原因だった。
ただ今回のは、今までよりもずっとゆったりした大きな揺れ。
アクシデントがあったわけではないのだろう。
多分理由は―――
「もう着いた?」
「たぶんね」
彼らの目的地。
第二都市【レストリア】は、学園生だけでなく、大勢の行商人や一般人が集まる大都市だ。
窓のない客室内では確認できないが、外ではすごい騒ぎになっていそうだ。
なにせこの馬車を引いている馬が、規格外の大きさなのだから。
どんな反応をしているのかと、シュートが扉に手をかけた。
「あ、まだ開けちゃダメ」
「なんで? どうせここで暮らすならもうばれても―――あぶっ!」
言いながら扉を開いたシュート。
なかなかの速度で動いていく風景が流れて、風に引っ張られて引きづり出されそうになる。
「だからダメって言ったのにっ!」
「知らない、知らない! まだ進んでるとか気づかない!」
ギリギリのところでキューレに片腕を掴まれて、何とか客室内に戻れた。
そして案の定、動機が激しくなっているシュートに、ため息を吐きながら開いた扉を閉めるキューレ。
「お姉ちゃんも初めて来たときやった。あのときはディールに……」
キューレは自分で口にしておきながら、不機嫌に爪を噛み始めた。
「……なんでまだ動いてるの?」
「まだ着いてないから」
「さっきたぶんって言ってたよね!」
「たぶんはたぶん。ほとんどとかとおんなじ意味でしょ」
「全然違うし、そのせいで死にかけたっ!」
「だいたい街に入っても全力疾走してたら大変なことになるでしょ? だから少し手前で速度落としてるんだって」
「そういうの先に言って欲しかったな!」
「まぁタンクさんが開けてくれるまで待てってことね」
さっきまでとは別の理由で顔を真っ赤にするシュート。
恐怖やら怒りやらさまざまな感情をはらみながら、キューレを睨み付けた。
「お姉ちゃんと同じ体験一つ目だね」
「ちなみに次はどんな体験したの?」
「いつもの」
言いながら壁に手を這わせるキューレ。
理由は簡単。
立ち上がっていたシュートが、悠々と宙に浮かんだ。
そしてすぐに落っこちる。
「―――いっだぁ!」
「だから危ないって言ったのに」
「絶対言ってなかったじゃん!」
「走行中に立ってるシュートが悪いでしょ」
「……んぐぅ」
キューレが悪戯に笑いながら、床に這いつくばるシュートに手を伸ばした。
「今度はちゃんと着いたみたいだから」
言葉と一緒に外側から開けられた扉。
そん先にはタンクがいて。
「とりあえず荷物おろそっか」
「……はい」
テンションが下がりきったシュート。
それを横目に、キューレが持てる荷物を手にして出た。
残りの荷物をシュートからタンクに、そしてキューレに渡って外に積まれていく。
といっても子供二人分の荷物なんてそんなに多いわけでもなく、すぐに出し終えた。
一仕事終えたとばかりに、息を出したシュートは、ぴょんっと飛んで客室から出る。
「いろいろ大きいけど、言うほど大都市って感じしないね」
「まぁただの駐車場だしね? この辺は」
「前言撤回。めっちゃ広そう!」
目の前が壁だったせいもあるが、自分たちの乗ってきた馬車の裏。
さらに広い範囲を見たシュートが、目を真ん丸に。
ずらりと並ぶ馬車は、ずっと遠く。
見えなくなるまで続いていた。
なによりその先に見えた、巨大な壁。
まるで巨人に蹴られて壊れそうなほど高い壁に見えた。
実際は高さ二十メートルほどだが。
「こっちは学園用の駐車場だけどね。街側だともっと広いんじゃない?」
「まだあるのか……」
「とりあえずシュートの部屋とか確認しな……あ」
言葉を途中で切ったキューレ。
彼女の視線を追ったシュートの目に、フリフリの衣装を着た何人かの女の子が見えた。
「もう学園ついてるんでしょ? もう隠すもなにもないんじゃないの?」
「お姉ちゃんは隠れたい気分だけどね」
まさか、もう始まっちゃうのか。
学園での洗礼。
黒髪に対する、絶望的な嫌がらせ。
キューレが嫌がるようないじめが―――
「キューレさま? キューレさまではありませんか!」
「こちらに着いていらしたのですね!」
「一緒の時間に到着するなんてなんて光栄なことでしょう!」
「あはは。そうだねー……」
「……ん?」
起きなかった。
むしろ歓迎されてませんか。
すっごく歓迎されてませんか。
シュートが目をパチクリとさせて、キューレさまを見た。
彼女はなんだか引きつった笑顔を浮かべていた。
そして、そんなシュートにフリフリフリルな女の子三人と目が合った。
「そちらの殿方は……」
「婚約者様でしょうか……?」
「ですがその髪の色……」
それぞれがぎりぎりまで顔をシュートに近づけて。
とても強い花の香り。
頭の中がぐるぐるするような―――
「あぁ、私の弟だよ。前に一度話さなかった?」
「あ、どうも。シュートで―――」
「弟さまっ!?」
「キューレさまに似て美形ですわっ!」
「素敵な黒髪……っ!」
無意識に自己紹介をしたシュート。
フリルな三人は、言い切らないうちにシュート顔に、髪に触れ始めた。
近いしいい匂いだし、慣れてない感じのかわいさだしで、シュートは軽くパニック。
「え、あの、えっと?」
キューレにヘルプミーな視線を送った。
そしてため息を漏らして。
「私、シュートの部屋に寄らないとだから、三人は先に行ってていいよ?」
「それであれば私たちもご一緒させていただきますわ!」
「今着いたばっかでしょ? 荷物はどうするの?」
「執事たちが運んでいますっ!」
「なんでもかんでも人に任せるのは、私好きじゃないな」
「「「は……っ!」」」
キューレがいつも見せないような顔。
シュートは謎の新鮮味に心を取り戻すと、逆に心を失ったように動きを止めたフリル三人。
そしてシュートに一礼してから、焦ったように。
「また後程、ご挨拶に向かいます! わたくしは自分でしなくてはいけないことがございましたの!」
「わたくしも行かせていただきます! それでは!」
「私も行ってもよろしいでしょうか……?」
「シュートも私も疲れてるから、また別の日にしてくれるかな?」
「「「かしこまりました!」」」
全員が優雅に金髪を流しながら走って行った。
そして残ったのは疲れ切った黒髪二人に、彼女たちの花の香り。
「……聞いてた話と違いませんか。キューレさま? てっきりすごくいびられているモノだと……」
「誰もそんなこと言ってない。あとその呼び方はやめて」
「すごい人たちだったね」
「私……お姉ちゃんはいつもそう思う」
「反応はあの人たちが普通?」
「異常かな? 悪い子じゃないけど、ちょっと困ってる」
目を落としたキューレ。
彼女を見ながらシュートが目を殺した。
「あ、ほら、普通はあんな感じ」
言いながら顎で、誰かを指す。
遠くからこちらを伺いながら、ちらちらとみてくる、たぶんこの学園の生徒。
なんだか怯えているようにも見えるが、それ以上に目を輝かせている気がする。
「……どういうこと?」
「黒髪は珍しいってずっと言ってたでしょ? そういうこと」
「全然わかんない」
「第二都市では単純に珍しいだけってこと」
「んんん?」
「勉強してれば、ここで過ごしてれば、たぶんわかる」
「えぇ……」
不満が乗ったシュートの言葉。
そんな弟を無視して、馬車の魔法を説いていたタンクに近づいて。
「送ってくれてありがとうございました。またお願いします」
「……」
いつも通りの無言で頷くタンク。
シュートは心もやもやのまま、《キングホース》に近づいて。
「カナットもありがとう」
顔を寄せてきたカナットに触れて、優しく撫でた。
カナットも鼻を鳴らして頷いたように。
―――シュートの服を咥えた。
そして自分の上に投げようとして。
「やめっ……」
「……」
止められた。
タンクがカナットを静止したのだ。
ただ、頭に軽く触れただけで。
「さすがにご主人様の言うことは聞くんだ―――んぎゃっ!」
タンクが手を離した瞬間にシュートの体が持ち上がった。
この子ご主人様の言うことすら聞いてない。
もしかしてタンクが命令したのだろうか。
「なんか、トラウマが……」
シュートにはそれどころじゃないので、目に涙が浮かんでいた。
「……なんでシュートばっかり?」
キューレがらしくもなく羨ましそうに目をパチクリ。
そんな光景も、遠くから何人もの閲覧がついていた。




