第4話 不運な少女
荷物や体が反対になったような状態で、二人の子供がクッションに埋もれていた。
「……最初言ったこと訂正するよ。減点が増えた」
「……すごい同感。何があったの?」
何とか頭を出した黒髪二人は、頭を抑えながら顔を見合う。
今までも停車するときに多少の揺れはあったが、さすがに出発の時よりも大きいのは初めてで。
キューレは出口付近に散ったクッションをどかして、扉の隙間からほんの少しだけ顔を出す。
どうやら馬車は停車しているようだった。
事故でも起こしたか、急停車でもしなくてはいけなかったのか。
とにかく何か問題があったのだろう。
ただタンクはそう簡単に事故を起こしそうではないし、彼に従順な愛馬が指示を無視することもなさそうではある。
というかあの馬なら事故おこしてもそのまま進みそうな気がする。
キューレは周りに人がいないのを確認してから外に出て行って、そのあとをついていくシュート。
もともと黒髪組を乗せた馬車は少し遠回りして人気のない道を進む予定だったため、誰もいないようなので、二人は先頭にいるタンクの方に近づいた。
「何かあったんですか?」
キューレの質問に、タンクは首を縦に振ってから前を見た。
二人は彼の目線を追って前の方に目を凝らす。
ずっと先、ぎりぎり形が見えるくらいの距離のところに、一台の馬車がいて。
「人がいるからって止まったの? ていうかなんでその子馬車から切り離してるの?」
首を傾けてシュートが言う。
タンクは馬車に繋がっていた愛馬を自由にしようとしていて。
突然キューレがスカートをなびかせながら、馬車を足場にジャンプして《キングホース》に飛び乗った。
想像以上の大きさに落ちかけたが、どうにか手綱を握って持ちこたえる。
「突っ込むなら私のこと乗せていってください!」
タンクが頷く。
それを確認したキューレが、シュートの方に手を伸ばして。
「めんどうだからシュートも乗って!」
「は? え、なんで?」
反射的に手を伸ばしたせいで、キューレに掴まれて体を強引に引っ張られてしまう。
痛いと言いながら馬の足にしがみついて、なんとか上に乗ってまたがるが。
「ちゃんとこれ握ってて!」
「だからなんで!」
ぐちぐちうるさいシュートに手綱をぐるぐる巻いて、キューレが振り返って頷く。
すぐにタンクが愛馬の後ろ脚を軽く叩いて。
瞬間。
周りの風景がものすごい勢いで動き出した。
同時に頬を撫でる風も冷たく、強くなる。
「怖い早い痛い死ぬぅ!」
案の定叫ぶシュートを無視して、キューレは少しだけ腰を上げて。
たった五秒。
それだけの時間が経ってからの強い衝撃。
「―――っ!」
衝撃に飛ばされたキューレの体が、地面すれすれで浮かび上がって、止まる。
「あっぶないっ! そっちは大丈夫っ!?」
「おえぇぇぇ……」
「シュートぉ!」
大きな馬の上で手綱に巻かれながら、洗濯物みたいに干されてリバースしていた。
「よくもシュートをっ!」
目前にいるモノを睨むキューレ。
もとはといえば、《キングホース》と彼女のせいなのだが、そんなこと考えもせずに地面に足を付ける。
キューレと対峙しているモノ。
それは見た目ただの木でしかなくて。
いくつもに分かれた枝がグニャグニャと動いていなければ、気にも止まらないはずだった。
【魔獣】。
動物でも植物でも魔法を帯びていれば、ほとんどがそう呼ばれる大きな括りの生物名だ。
基本的に獰猛な性格で人を襲うことがしばしばあるようで。
このあたりを縄張りにしているらしい、この大木の【魔獣】。
《マグリアツリー》とキューレは、去年からにらめっこする仲だった。
この道の人気が少ない理由はだいたいこいつのせい。
キューレたちのにらめっこをシュートは少し高い位置から顔色悪く見て、ゆっくりと手綱をほどいていた。
すると突然、待ちくたびれたというように、巨大な馬が軽くジャンプする。
「あぁぁ! やめっ! また……」
手綱から抜けて、地面に優しめに落とされたシュート。
四つん這いで涙を浮かべながらリバースを堪える。
シュートがおぼろげな目で地面とにらめっこを始めると、すぐに近くの地面が軽く揺れて。
《マグリアツリー》の幹に大きな蹄の跡ができた。
普通の木なら折れるくらいの突進だったが、なかなか硬いらしい。
反撃というように突き刺してきた枝を、高く飛び跳ねて悠々と回避する《キングホース》。
それに合わせてキューレが手を横に凪ぐ。
凪いだ後、残像のようにいくつもの火の玉が現れた。
「弾けてっ!」
キューレの言葉と同時、火の玉が《マグリアツリー》に向かって。
直撃。
接触した火の玉は順に爆発して、目の前の【魔獣】を燃やしていく。
「……詠唱してないじゃん」
なんとか立ち上がって愚痴を言うシュートを爆風が襲う。
爆風に押されて後ろに何歩か足を動かすと、横転しいる馬車の後ろ。
何人かが馬車の隙間からキューレを覗いているのが見えた。
シュートが彼らを見つけたのとほぼ同時、一人の少女がシュートと目を合わせた。
少女は気づかなかったとばかりに紫色の目を丸くして少しだけ前に出る。
瞬きするまでの一瞬だけ静かな時間が続いた気がして。
「―――避けてっ!」
キューレが叫ぶ。
【魔獣】の悪あがき。
何本もの燃えた枝を、さまざまな方向に突き出す。
それを巨大な蹄で踏み潰す《キングホース》。
鋭い風を起こして断ち切っていくキューレ。
おかげで人に向かっていく枝はほとんど破壊できた。
ただ、生き残ったたった一本の枝が、少女に向かって―――
「ぎりぎりセーフっ!」
「―――きゃっ!」
全力で突進するシュート。
そして彼に突き飛ばされた少女は後ろに尻餅をつく。
突き出した枝はシュートの右腕をかすった衝撃で、勝手に炭になっていた。
少女がすぐに立ち上がって、シュートに駆け寄る。
「大丈夫で―――」
「おえぇぇぇ……」
「じゃないぃ!」
胃の中空っぽになるまでリバース。
気持ち悪い状態で突然走ったせいで頭の中が回ったらしい。
あうあうと、うめいている。
「えっ、えっと。あの……」
どうすればいいのかと、あわてている少女。
その後ろから、黒い髪を揺らしながらキューレが走ってきて、シュートの横に膝を付けた。
「シュートっ! 大丈夫?」
「……ぎもぢわる」
「なんでシュートの方が疲れてるの! 私が疲れたときの支えにしようとしてたのに!」
「なんか今の姉さん子どもっぽいね……げふっ」
「は、はぁ? 子供っぽいって何なの? 心配してあげてるのにバカにして……ってシュート?」
力なく倒れているシュートの顔を両手で自分に向けて。
「シュートぉ!?」
近くで見ていた少女も、少し離れていた人たちも。
まるで少年が死んだんじゃないかと、ひやひやしながら近寄ってキューレの上から顔を覗く。
「……はっ! 姉さんに乗せられたシーンがフラッシュにバックで―――」
「何言ってるの?」
「走馬灯見てたって話」
首を傾けたキューレに支えられて上半身を持ち上げるシュート。
「よかったぁ、生きてたぁ……うちのせいで死んじゃったのかもって……」
大粒の涙をこぼしながら少女が地面に、ぺたんと座った。
周りにいた大人たちも、安堵の表情を作って胸をなでおろす。
「お姉さんとシュートさん? 助けていただきありがとうございました」
「自分たちの中に戦える奴がいなくて、襲われてもどうしようもなかったんです……。本当にありがとうございます」
人のよさそうな女性と、気の弱そうな青年が頭を下げる。
それに合わせて、ほかの人たちも頭を下げていく。
「えっと……シュートさん。助けてくれてありがとうございます!」
「俺……? 僕はほとんど何もしてないけどね。それに姉さんがいなかったらどうしようもなかったし、あとこの子も」
紫の目に溜まった涙を拭いながら、薄紫の髪をバッと下げた。
その前で《キングホース》が頭を下げて、シュートの顔の近くに来ていた。
そしてシュートはある発見をする。
「ドッグタグ……? カナット。もしかしてカナットって名前だったの?」
普段は位置が高すぎて見えない、口を塞ぐ籠の下の小さなプレート。
シュートが呼んだ名前が、正解だというように、ブブブっと空気を出して鳴いて。
「どっくたぐ? ってなに?」
「この小さな……ってなにすんのっ!」
首を傾げる姉に、シュートが答えようとする。
だが、カラットは全く意味を成していないらしい口籠を無視。
シュートの襟に噛みついて、ぽいっと自分の背中に乗っけた。
そして踵を返して主人。タンクの方に歩き始めた。
「ゆっくり! ゆっくりだよ!?」
「えっと、今からタンクさんっていう人呼んでくるのでちょっと待っててくれませんか? お願いします!」
その場の人たちに待機命令を出すキューレ。
青年がわかりましたと、頷いたのを確認してすぐにゆっくり進むシュートたちの方を向く。
「ちょっと! お姉ちゃんも乗せてよ!」
キューレは駆け足で近づいて、追いついてから軽くジャンプする。
「飛んだっ!?」
後ろの何人かが驚いてるのが聞こえたが、それを無視でふわふわとしながらカナットの上に着陸。
カナットは何か感じたのか、主人の方に加速をして。
やはりまたシュートが叫びだしたが、今度は十秒もかけてくれていた。




