第1話 新生活への決まりごと
フィルハード邸玄関。
普段なら片方しか使われない両開きの扉が、今日は騒がしく両方とも開け放たれている。
といっても双子を見送った日や、その翌日など最近では何かと騒がしい一間ではあったのだが、それでもこの日はより一層騒がしかった。
理由を見れば簡単で、周りにはフィルハード家だけでなく、人狼や村の何人か。馬車までもが待機している。
その場では喜ばしいような、悲しいような雰囲気が広がっていて。
それもそのはず、今日はこの村唯一の子供たちが一年ほどいなくなってしまうからだ。
いなくなると聞くとあまり喜ばしいとは思えないが、実際はそうでもないようで。
「リューネちゃんもシュートも。もう学園に行く歳か……この村も静かになるなぁ」
「ウーさん寂しいんだー!」
「あったりまえだ! シュートはともかく、可愛いリューネちゃんを当分見れないなんて俺は悲しくてしょうがない!」
「ほんとうはシューのこと大好きなくせにー」
大きく体を動かしながら悲しみをあらわにする人狼。ウィスターのことをリューネがつんつんしてからかっていた。
別の場所では、村の老爺がキューレに干した果物を強引に手渡ししたり。
老婆がミューリの頭をポンポンとしたり。
各々が別れに動きを見せていた。
シュートはそんな光景を一歩引きながら見ていると、一人の男がシュートに近づいてきて。
「次に帰ってくるときは好きな女の一人は作ってこいよ!」
「十歳に何期待してんの」
「お前と同じ年のころには、村に来る素敵な女性に目も心も奪われて―――」
「そんなんだからいまだに独身なんだ? お、じ、さ、ん」
「うるせぇぇぇ!」
泣きながら走って逃げていく男に、シュートは意地悪な笑みでがんばれという視線を送った。
それを見たカレンがシュートの後ろにすっと近づいて。
「シュートくんは―――だものね~」
一部だけをシュート以外の誰にも聞こえないほど小さな声で。
シュートは顔をゆがめながら、一歩二歩と母から離れる。
「シュートくん。おいで?」
「……なんで」
「おいで」
腕を広げて強引にシュートを招くカレン。
諦めて一歩だけ前に出るシュートに飛びついて、抱きついて。
「ごめんなさいね」
「……ん」
すぐにカレンはシュートを開放して、散らばっていた娘たちを呼びに行く。
シュートが苛めないといった顔でため息をついていると、家の中から兄が出てきて横に荷物を置く。
「誰も運ぶの手伝ってくれないってなんだよ! シューも自分の荷物くらい運べよ!」
「兄さんお疲れ様」
「お兄さまありがとうございます! 力持ちですね!」
「っふ。当たり前だ。リューネちゃんのためならいくらだって、なんだって運んであげるさ」
唐突に聞こえたリューネの声にかっこつけて親指を立てた。
「……おにぃ気持ち悪いなぁ」
「お姉ちゃんもそう思う」
妹弟たちはディールに蔑むような目を向けた。
そんないつも通り過ぎて、既視感を覚えるような中。
シェイドには話があるようで。
「ついに二人も学園に行く頃になってしまったね……」
涙を堪えてシェイドが鼻をすする。
「ディールたちには言ったことがあるけど、フェイという女性が私の知り合いでね。学園の偉い人って立場だ。何かあれば彼女を頼るといい」
”フェイ”という名前に何か感じるらしくキューレが苦い顔をする。
爪を噛み始めたキューレに、後ろからカレンが後ろから抱き着いて腕をはがす。
「女の子なんだから噛まないの~」
「別に本気で噛んでるわけじゃ―――」
「咥えてるだけでもだ~め」
ゆったりとした注意に、キューレは力を抜いて口をゆがめて。
えがお~と、頬を上げてくるカレンに抵抗もしないでいじられている。
一瞬で蚊帳の外になったシェイドが咳払いをしてから。
「……とにかく体には注意して、みんなで助け合うんだ。わかったかい?」
子どもたちはそれぞれの返答をしたが、やはりパッとシェイドから興味をなくしたようで、金髪組は自分の荷物を馬車の方に持って行き始めた。
カレンに拘束されたままのキューレと、父に哀れむような目を向けるシュートがその場に残っていて。
シェイドは今までより、ずっと真剣な声音で。
「特に二人はつらいことがあるかもしれない。もしも耐えられなくなったら帰ってきてもいいからね」
「……」
一度、固唾を呑んでからシュートが頷く。
シェイドはそんなシュートを見て納得したように頷き返して、馬車の方に行ってしまった。
いつの間にかキューレから離れていたカレンも、悲しそうに微笑んでついて行く。
弟の驚いたような、何とも言えないような表情を見て、キューレがぼそりとつぶやく。
「まぁ、お姉ちゃんは頑張って耐えてたんだから、シュートが途中で逃げるなんて許さないけどね」
「そんなにひどいの?」
「性格が暗くなったり、歪んで成長するくらいにはね」
「……それはすごい大変そうだ」
苦い笑いを浮かべるシュートに顔を近づけて。
「お姉ちゃんに似ちゃうね」
「そもそも兄弟の中では一番似てるじゃん」
「髪だけでしょ?」
「そのせいで境遇まで似ちゃうなら間違ってないと思うけど」
呆れたようにため息をついてから姉は自分の荷物を拾う。
シュートも続くように余った鞄を手に持って、二人は同じ色の髪を揺らしながらもう一つの馬車の方に近寄っていく。
馬車の周りには、多くの村人が集まっていて。
それぞれがシュートたちを鼓舞させるような言葉を積んでいく。
「頑張れよー!」「怪我せんようになー」「問題はさんでね!」「好きな女作って―――」
「だから勉強しに行くんだっての!」
気に食わなかった一言に、シュートが睨み付けながら叫ぶ。
そんなシュートの一番近くにいたキューレは小声で。
「シュートはまともに勉強できないかもねー」
「……怖いこと言わないで欲しいんだけど」
顔をひきつらせながら頭を抱えたシュートに、体験談だしと、軽い調子でキューレが舌を出す。
二人の様子を見て、ミューリやリューネが近づいてくる。
「途中で休みを挟むらしいので、それまでは一緒の馬車でもいいですよね! キューレ姉さま!」
「みーも同じのに乗っとくー!」
リューネの声に反応したディールもやってきて。
「なら俺も同じのに乗せてくれ!」
「荷物があるし四人でぎゅうぎゅうなので無理です。お兄様は一人で貸切ですよ」
「なら荷物を俺らが乗る方に集め―――」
「めんどうくさいので嫌です。お兄様は一人で貸切ですよ」
「ならシュートが俺ら―――」
「お兄様は貸切ですよ」
半ば機械的なリューネの返答に、肩を落としきって馬車に逃げて行った。
ふて寝でも始めるのかもしれない。
「お兄様は一人きりで貸切でーす……くすっ」
キューレが笑いのツボに入ってしまったらしい。
クスクスと、復唱しながら笑っていた。
「あんまりお兄ちゃんをいじめちゃだめよ~。枕を涙で濡らしちゃうお兄ちゃんなんて嫌でしょ~?」
「妹が恋愛対象になるおにぃよりも、ずっとましだと思うなぁ」
シュートどころか周りのみんなも、共感した。
フィルハード家長男の散々な評価に、一人だけ反抗して目を輝かせている男がいた。
「誰を好きになったっていいじゃないか! そこに愛があるのなら!」
「お父さま良いこと言ってるようで、話の流れ的に気持ち悪いです」
「―――っん!」
フィルハード家の主は周りの侮蔑するような目に晒されながらも、なんとか喘ぐだけで耐える。
「……協力してッ、頑張ってくれっ!」
いろいろとぎりぎりなシェイドに、顔を赤らめた女性がいるなんて誰も気づくこともなく、別れの言葉を適当に交わして終えて―――
「「いってきまーす!」」
ミューリとリューネの元気な言葉。
それが引き金になったようで。
その場のほとんどが、いってらっしゃいと、声をそろえた。
満足したように歩き始めるシュートの腕をリューネが引き留めて。
「どこに行く気ー?」
「兄さんと同じ馬車に……」
「お兄さまは一人で貸切なんだよ?」
「ですよねー」
思い出したかのような誰かの笑いと、シュートのため息が重なった。




