3. あんやのこどくに
取り敢えず、次から週一です。
小屋は、今までにない程の緊張に包まれていました。
イタチの目の前には、細長い山のように積まれた石がありました。イタチがただ立つだけではもう、更に積み上げるには届かない高さです。
そして、ワシも同じ程に石を積み上げていました。
そんな中、オオカミの石は、もうとっくに崩れていました。
しかしながら、オオカミはこの中で最も緊張を強いられていました。イタチは言わずもがな、もう、地面からでは石を積むことができませんでした。そしてワシも、風の力を使えるとは言え、地面からではバランスを見極めることは難しいです。
オオカミは、それぞれの踏み台にされていました。
イタチは、オオカミの背に立っていました。前脚に石を持ち、体を伸ばして、慎重に、体の震えを抑えつつ、新たに石を積もうとしていました。
ワシは、オオカミの頭の上に立ち、そこから風の力を使って石を積もうとしています。石に集中しているのか、頭に当たる爪はいつもより強く食い込んでいます。しかしそんな事は気にする余裕も無く、積む石を浮かせて、そして積まれている石に風の影響を与えないように、徐々に、繊細に、石を乗せようとしていきます。
オオカミは身じろぎ一つ出来ませんでした。体の鼓動一つでさえ邪魔になってしまいそうです。頭は重いのに動かせず、首が辛くなっていきます。
どうしてこんなことさせられているんだろう、とオオカミは必死に堪えながら思っていました。
動いたら、がっかりされることは間違いなしです。でも、がっかりされても良いからもう楽になりたいような気もします。
そんな中、耳に入って来る音は、緊張とは裏腹な雨風の激しいものでした。
しかしながら、その影響は、小屋の中では全くの無縁でした。
人が来ることの無くなったこの山の使われなくなった小屋は、人の手による手入れは勿論ありません。しかしながら皆が集うこの場所は、それぞれによって好き勝手に補強されていました。扉はちゃんと閉まりますし、隙間から風が入って来ることもありません。天井からは流石に雨漏りしますが、そんなにたらたらと流れてくる程でもありません。
要するに、外で風がごうごうと吹いていても、積み上げた石が崩れることもありませんでした。
オオカミは、この時だけ、隙間風が入って来ないほどのこの頑強な空間を恨みました。
目の前の、ワシが積み上げた石に、とうとうワシが石を置こうとしていました。背中からはぷるぷると震えるイタチの緊張が伝わってきました。
後少し、後少しだ、きっと。
そう思い、我慢することを再び決心したとき、唐突に扉が開きました。
強い風が一気になだれ込んで来て、それぞれが積み上げた石はあっけなく崩れました。
ことっ、ことっ、ころころころ……と、積み上げた石が虚しい音を立てながら崩れていきました。
そしてまた、オオカミが崩れ、イタチとワシが一斉に扉の方を睨み付けました。そして、びくっと震えた子タヌキのすぐ後ろにキツネがいることに気付きました。
キツネは中に入り、きょろきょろと中を見回しました。
イタチ、ワシ、オオカミ。中にいるその三匹も同じだと分かりました。何が同じなのか、一瞬遅れて分からなくなります。
そんな間に、オオカミがのっそりと立ち上がり、びしょ濡れなタヌキとキツネに歩いていきました。
こんなに濡れちゃって、と、扉を閉めてから、風の力を使って水を飛ばしていきます。
でも、と少し不思議に思いました。この雨の割りには、そこまで濡れていないとも。びしょ濡れではありましたが、毛皮は水が滴るほどぐっしょりと濡れている訳ではありませんでした。タヌキの力ではないとすれば、キツネの力でしょう。
オオカミは、また風かな、と思いました。
そのキツネは、飛ばされていく水滴を見ていました。ここにいる皆の同じことは、皆、何かしらの力を持っていることだと分かりました。最初に会ったタヌキの力はまだ分かりませんが、タヌキも何か力を持っているのでしょう。
じゃあ、自分は?
キツネはその飛ばされていく水滴を何となく、集めてみました。
雨を防いでいたときと同じく、空間そのものを操るように。
水滴は集まり、一つになっていきました。
それは、風の力ではありませんでした。オオカミが放つ風以外に、風は微塵たりとも感じられませんでした。
全員、その空中に漂う大きな水滴に目を奪われていました。
イタチの火の力でも、タヌキの良く分からない力でもありませんでした。
更に大きくしていこうとすると、水は固まりを保てずに崩れて落ちていきました。次に、そこらに散らばっている石も持ち上げたりも試してみます。重い石ほど持ち上げ辛くなりますが、風の力で持ち上げられないほどの物も簡単に持ち上げることができていました。
暫くキツネが試している内に、何となく、キツネの力がどういうものか、キツネを含め、皆が分かって行きました。
それは、重さを操る力のようでした。
もう少し試してみようと、キツネは、タヌキを壁際に寄せて、それから壁にその力を掛けてみました。
それは、とても不思議な感覚でした。タヌキは、壁に立つことができました。そして、歩くことも出来ました。
イタチやワシもできましたが、流石にオオカミは無理でした。
オオカミはしょぼくれてしまいました。
緊張も解け、程ない内に皆、眠りに就き始めました。
イタチが外で見張りをしています。今日も人を殺したとは言え、この山に誰かが潜んでいる可能性は否めませんでした。
この小屋に集まるときも、全くの警戒をしないことはしませんでした。
小屋の中では、オオカミの大きい体に包まれて眠るキツネとタヌキ、それから梁の上で眠るワシがいました。
雨はざあざあと今も降り続けていました。
火花も碌につきません。そんなこともあって、雨は好きではありませんでした。
木の上に登って、しとしとと垂れて来る雨水を身に受けながら、ゆっくりとしていました。
お腹も減っておらず、眠気もそこまでありません。
退屈なこの時間は、蓄えていた木の実の一つをカリカリと少しずつ齧りながら過ごすことにしました。
ごろごろ、と雷が音を立てています。
雷の音を聞くと、もしかしたら、と思うことがイタチにはありました。
雷が落ちて裂けた木を見た記憶です。記憶の中のその木の記憶は、とても鮮明に残っていました。
見事なほどに真っ二つに裂けた大きな木ですが、最も印象深いのは裂けていることではなく、所々が焼け焦げているように黒ずんでいることでした。
それは、タヌキが物に力を使ったときと同じような黒ずみでした。
どん! という轟音と共に、白く眩い光がまた、辺りを覆いました。思わず手に持っていた木の実を落としてしまいました。
…………。
自分の力の弱さが、気になってしまうのです。
オオカミは、物を切り刻むことができます。
ワシは、同じ風の力でもオオカミとは毛色が違います。物を切り刻むような局所的な強いことはできませんが、今日、オオカミから受け取った毒のある植物の粉末を広範囲に撒き散らしたように、使いようによってはとても凶悪に化ける力でした。
そしてタヌキは言わずもがなです。水を介せば、そこらの魚を一気に殺すことができました。
……俺の力も凶悪だ。
やろうと思えば、この山、燃やせる。
そんな考えが頭の中を過ります。けれども、何故でしょう。そんな考えだって浮かぶのに何故か、自分の力はこの皆の中で一番弱いと思えてしまうのです。
今日やってきたキツネの力だって、使い方によってはとても凶悪に化けるでしょう。風の力より、石などの固い物を自由自在に動かせるのです。自分の体だって、きっと浮かせられるでしょう。そして、何もさせないまま、首を折ってしまうことだって。
弱いと思ってしまうその原因は、考えてしまえば、分かることでした。
自分の何かとしての力に、直接的に殺す力がないこと。そして、イタチという種である自分自身がどちらかと言えば狩られる側の生物だから、ということでした。
それを思ってしまう度に、どうしようもない嫌な気分に襲われてしまうのでした。
びゅうびゅうと、ごうごうと、風が吹き荒れます。オオカミが、ワシが、羨ましくありました。
ごろごろと、雷が唸っています。タヌキが、羨ましくありました。
ざあざあと雨が降りしきります。葉が千切れて飛んで行きます。キツネが、羨ましくありました。
体が濡れていきました。体温が奪われて行きます。
何かが、自分の失われた元気を埋め合わせていく感覚が薄らと湧いて行きました。
この感覚に身を任せていれば、俺の力は強くなってくれるだろうか?
そう、願わずにはいられませんでした。
落とした木の実を取りに行こうかと、体を起こして、下を見ました。
……クマが、いました。自分をじっと、見ていました。
何か、ではありません。ただの、普通の、クマでした。自分という何かを恐れずに、……獲物として見ていました。
込み上げて来たものは恐怖と、それよりも強い、自らへの失望でした。
「キキッ、キキッ」
鳴いても、木の上からでは、この暴風雨の中では小屋の中まで声は届きませんでした。クマは木に爪を立てて登ってきました。
……。俺だから、襲おうと思ったのか? タヌキやオオカミとかだったら襲わなかったのか?
そんな疑念が、頭を過って離れません。
しかしながら、俺でも出来れば、とも思いました。
近付いて来たその、一番先にある鼻が自分の力の使える範囲に入った瞬間、そこに熱を加えました。
雨が降っているとは言え、一気に熱くなっていくのに耐えられずに、クマは木から爪を離して降りました。
しかし、逃げるまではせず、今度は木に体当たりを始めました。
ずん、ずん、と揺れが上まで伝わってきます。イタチが登っていたその木は、太いものではありませんでした。
木を登れるほどのそう大きくないクマでも、折れる太さでした。
みし、みしみし、と次第に木が痛んでいく響きが、伝わってきます。
助けを呼ぶことはそう難しくありません。近い小屋の中まで逃げ切るだけでいいのです。
けれども、それは逃げでした。イタチは、逃げたくありませんでした。