蓮華
「レン……」
僕は、その呼びかけに、応えることが、できなかった。
† † †
「レン、誕生日はなにがほしい?」
僕は背中の向こうからの、その質問に答えることができなかった。
なんと答えたとしても、僕には関係ないことだからだ。
――12歳。
それが、僕の生きられる限界。生まれたときから決まっていたリミット。
科学の発達やら人生の幸福やらを究極まで突き詰めた結果、生まれたそのときに『亡くなる年齢』が判るようになり、本人と家族にそれを知らせることが法で決まっていた。例え、どんなに短い命であろうと。
お母さんは、こんな短命の僕をここまで育ててくれた。
お父さんは、そんな短命の僕を捨てた。
お父さんを恨んだことはない。顔さえ知らないのだから恨みようがない。
そして、明日が、僕の13歳の誕生日。
つまり、今日が僕の命日となる。
お母さんは僕がまだまだ生きるんじゃないかと思ってる。でも、きっと僕に明日は来ない。予報は必ず当たるし、なにより、僕はすでに『ボロボロ』だ。
「なにもいらない」
喉から、自然とそんな言葉がでた。
僕を乗せた車椅子が一瞬止まり、背中から息をのむ音が聞こえた。沈黙が落ち着き、車椅子はふたたび動き出した。
僕はただ座りながら、静かに景色の向こう側を眺めていた。
ふいに、安らぐような香りが、そんな僕の鼻をくすぐった。
匂いのするほうへ、顔を向ける。
そこには、名前も知らないお寺の門が、僕を誘うように開いていた。
お寺、お墓、今の僕にはぴったりだろう。
僕は、門に向かって指さした。
お母さんは何も言わずに、車椅子のタイヤを転がした。
どこから匂いがするのか、僕は首をせわしなく動かした。
そして、車椅子が池のある庭へ向かっていく。
小さな池のほとりに、それは咲いていた。
真っ白な、純白の、穢れ無き、蓮の華。
時が止まったようだった。心臓が止まったようだった。
あまりに綺麗で、儚くて、僕なんかが触れたら一瞬で枯れてしまいそうだ。
僕の意識を引っ張ったのは、人の気配だった。
僕と同じように低い位置からこれを眺めている人が、この蓮の花の壁の向こうにいるようだ。僕の位置からは、その姿がほとんど見えなかった。
向こう側の人もこちらに気づいたようで、走ってどこかへ行ってしまった。
そのとき、お母さんは小さく声を発したようだったが、あまりに小さすぎて僕には聞き取れなかった。
僕はこの日、事故にも遭わず、生まれたときから闘ってきた病気が悪化することも無く、家の前まで帰ってきた。
空はもう、茜色に染まりきっていた。
夕暮れの光に照らされた家を見るのはこれで最期だろう。
もともと赤く塗られた家のポストが、さらに暖かい色をしていた。
中を覗いてみた。箱が入っていた。小包だ。カラフルな包みを、落ち着く色のリボンで綺麗に丁寧に飾り付けていた。
「きっと友達からの誕生日プレゼントよ。家に入ったら開けましょ」
その言葉に、僕は素直に頷いた。本当は友達なんていなかった。どうせすぐお別れだというのに、友達をつくるのは無意味な気がした。そもそも、こんな身体では一緒に遊ぶこともできない。
車椅子からベッドへと移動した僕は、小包を開けた。
小さな箱から出てきたのは、白く、柄のないレンゲだった。
「チャーハンが食べたい。あとコンソメスープ」
僕は、台所に向かってそう言った。
晩ご飯は、希望通り、チャーハンとコンソメスープだった。ケーキは見あたらない。きっと、僕が明日も生きていると信じて、予約はしているのだろう。
身体はボロボロだが、普通にご飯は食べられる。
僕は白いレンゲで、澄んだ琥珀色のスープをすくいあげた。
純白の花弁に、琥珀の湖が。
そこへ、ぽつりと、透明な雨が。
「蓮……」
僕は――。