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愛妹弁当  作者: 斯波 志羽
6/12

6.

「ただいま」

 希は今、あの喫茶店のある場所から少し離れたアパートメントの一室にお邪魔している。

 弟妹の顔を見てみたいというのと、叔父のために線香をあげたいという理由から家にお邪魔したいと願い出るとすぐに二人に快諾された。


 そして訪れたアパートの一室は現在のみどりと哲男の仮の宿で、元はみどりの兄、そして希の叔父である正彦が、希の弟妹である未希と大希と共に暮らしていた場所であったと道中、みどりが教えてくれたのだ。

 そして記憶のない希のために叔父の正彦、そして弟妹の未希と大希がどんな人物なのかを話してくれた。

「ここから20分しないくらいだから簡単にしか話せないけどね」

 そう頭につけてから。


「正彦兄さんは在宅の仕事をしていたの」

「未希ちゃんが小学校入学してからずっと一緒に住んでいるの」

「大希君は正彦さんに買ってもらったぬいぐるみとずっと一緒に寝ているのよ」


 みどりの話に出てくる3人はとても幸せそうだった。その反面で、喫茶店で聞いたみどりの言葉が妙に引っかかった。


 正彦は希の『叔父』にあたる。

 彼女の話に出てくるのは叔父と弟妹ばかりで、希の父親と母親が話に出てくることはないのだ。既にこの世にはいないのだろうか? だがそれは叔父も同じである。


「あの、みどりさん」

「やぁね。叔母さんでいいわよ」

「では叔母さん。俺の父と母は、未希ちゃんたちの両親は……」

 兄を亡くしたばかりのみどりに『亡くなった』という言葉を言い出せずに希はその後に続く言葉を濁した。

 けれど聞きたかった。聞かないという選択肢は希の中にはなかった。

 時間がないのならば、今後会えるという確証がないのならば、これが最後のチャンスになるのではないかと頭によぎった。


「文彦兄さんと春子さんは……」

「いい、みどり。俺が言う」

 唇をかみしめてうつむくみどりを制し、代わりに哲男は答えた。


「亡くなった。2人とも未希ちゃんが小学校に入学する前に」

 叔父と弟妹がともに暮らしていると聞いてある程度の予想はできていたはずだ。できていたはずなのに希は言葉を失った。

 声すら失ってしまったのではないかと思うほどに、腹に力を入れてもなお言葉を出すことが出来なかった。

 これは悲しいという感情なのだろう。

 けれど悲しさとは明らかに違う、長年胸に開いていた穴にコルクでもはまったような感覚がして、希は自分の感情のはずのそれに違和感を覚えた。

 違和感の正体がわからないまま希はそれ以上、何も言わずに歩いた。哲男もみどりも同じく口を噤んで、誰も何も言い出せないまま歩き続けた。


 ガサガサとビニール袋が擦れる音だけが耳に響いた。

 



  「あ、ここよ。ここ。ここに未希ちゃんと大希君がいるわ。きっと二人ともお腹を空かせているハズよ」

 たくさんのアパートメントの並ぶ区画のちょうど真ん中のあたりに差し掛かった時、みどりは3人の中に広まった空気をかき消すように明るい声で言った。するとその声に哲男が続いた。


「ご飯、食べて行きなさい」

「あ、ありがとうございます」

 そんなつもりはなかったのだがあいにく希の腹は食べ物を欲していた。

 グルグルと。

 彼らには聞こえてはいないだろうが本人である希にはよくわかる。

 先ほどケーキをごちそうになったばかりだというのに、全くどうなっているのだろうかと恨めし気な視線を自分の腹に向けながら疑問に思う。

 するとそれを察したのかみどりが勢いよく振り向いた。向かいから吹く風に吹かれて長い髪は哲男の顔に当たった。しかしそんなことは日常茶飯事なのか、それとももともとそんなことは気にしない性分なのか。乱れた髪を手で少しだけなでてから「ケーキ」と口にした。


「え?」

 言いたいことを予測することが出来ずに思わず聞き返すと、みどりは少ししかなかった距離をズンズンと詰めよった。

「ケーキのことは内緒よ? あそこ、お持ち帰りはしてないし近くにケーキ屋さんもないの。だからあの子たちの分は買ってないから食べたこと、言っちゃだめだからね」と釘を刺した。

「は、はぁ……」

 みどりの勢いに押されながら返事を返すと哲男はビニール袋をガサガサと漁っていた。

 さすがに希にとって初対面に等しい弟妹に会って、先ほどケーキを食べたと自慢するほどに彼の肝は据わっていない。どちらかというと人見知りをするほうなのだ。

 緊張して話をできるかすらも怪しいというのに、ケーキ、ケーキ……か。そのくらいの世間話をできるといいなとまだ見ぬ、というよりは記憶の底に眠って顔を思い出せない妹と正真正銘の今日が初対面の弟に思いを馳せる。


「駅前の和菓子屋の豆大ならある。食後にそれ、出してやればいいさ」

「お供え物の予定だったけど、正彦兄さんのだし……そうしましょうか。あ、でもやっぱり言っちゃダメよ? あっちに帰ったらケーキなんていくらでも食べさせてあげられるけど、こっちには足がないからケーキを買うにも電車で移動しなきゃならなくて何かと不便なのよね……」

 次第にみどりの声は小さくなり、ブツブツと独り言のように話しながらところどころ傷のついた、くすんだクリーム色のアパートメントの中に足を進めた。

 入り口の、わずかに浮き上がった段差を跨いでから奥へと進んでいくと二階へ続く階段があった。人ひとりが通るのがやっとの階段をみどり、哲男、希の順で登っていく。

 そして階段を全て上り終わらないうちに前の2人は足を止めた。

 何かあったのかと少しだけ開いた隙間から上を覗くと、先頭を歩いていたみどりがカバンの中を探って、何やら手に収まるほどの小さなものを取り出していた。

 そしてその小さなものを握った手をドアノブに運んだところでやっとこの部屋が弟妹の住む、叔父の住んでいた部屋なのだと理解し、希は2人に続いて敷居を跨いだ。


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