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愛妹弁当  作者: 斯波 志羽
4/12

4.

 再び目が覚めた時、希の視界は昨日のように『白』で埋め尽くされることはなかった。代わりにあったのは人の顔だ。見覚えのある、上総の顔。


「……何を、しているんだ?」

 希は目だけを開けたまま、身動きを取れずにいた。

 テレビで見た天敵に見つかった動物ってこんな感じなのかなと頭ではのんきなことを考えながら、身体は固まってしまっている。

「よかった、生きてた……」

 上総はそんな物騒な言葉をつぶやいてから希の目の前から顔をどけてくれた。そして彼が起き上がろうとすると背中に手を当てて座らせてからベッドの角度を調整した。

 背中には先ほどまで彼の頭が乗っかっていた枕が挟まれており、希はありがたくベッドと枕に身をゆだねることにした。


「苦しくないか?」

 希を気遣う上総に「大丈夫だ」と返してやると彼はほっとしたように胸をなでおろした。

 


 この日から上総は毎日希の病室へと通ってくれた。気にしなくてもいいと希は何度も上総に告げたが「暇なんだ」と笑って返すだけだった。

 それを聞く度に希はほっとした。記憶がなくなって、頼れるのは彼しかいないのだから。

 それに寝ているだけでは暇なので、名前や関係性が思い出せなくても話し相手をしてくれる上総の来訪は毎日の楽しみにしていたのだ。

 きっと上総が来なくなってしまったら希にはやることもなければできることもない。きっと上総にもそれがわかっているのだろう。

 上総は毎日くる時間こそまちまちではあったが、面会時間ギリギリまで部屋にいて、リハビリの時間には希を茶化しながらもずっと隣を歩いてくれた。

 

「なあ希。会ってほしい人がいるんだ」

 だいぶ歩く感覚をつかんで、移動をするにも車椅子から松葉づえへと身体を支える道具が変わった頃、上総はひどく深刻な顔で希に告げた。

「会ってほしい人? 誰だ?」

「えっと何というか……その、俺の知り合い……かな」

「なんだよ、はっきりしないな」

 歯切れの悪い返答をした上総に少しだけ疑問を抱きながらも、それを吹き飛ばすように肩を一発叩いた。

「別に会いたくなかったらそういってくれてもいい」

「上総はどう思うんだ?」

「俺は……会って、ほしい……」

「そうか……じゃあ、会うよ。その、知り合いさんはいつ来るんだ?」

 唇をかみしめて言いづらそうに、けれど自分の意見を言ってくれた上総にわざと軽い調子で返した。

 すると上総は安心したような、けれどどこか悲しそうな顔をしてから人差し指で頬を引っ搔いた。

「実はもう来てるんだ。いや、今までも何度かこの部屋の入り口までは来ていたんだ」

「なんだ、じゃあ入ってくればよかったのに。あ、今も待たせているんだったな。早く呼んできてくれないか? とはいえ俺は多分覚えてはいないんだろうが、それでもよければ、だが……」

「ああ、あの人もそれは了承済みだから心配しないでいい。今、呼んでくるから」

「ああ」

 重い腰を上げ、部屋を去っていく上総の背中を眺めてから両方の手の指を絡ませ天井へ向かって一つ、長い伸びをした。

 

 

 トン。

 上総が部屋を出てから数分くらい経った頃、何かがドアに当たるような音がした。目をそちらに向けるがドアに変わった様子はない。音からしてそんなに大きなものでも、重いものでもない。おそらく荷物を運んでいるときにふらついて当たってしまったのだろう。すぐに目線を薄手の白い布団へと戻す。

 

 そしてまた。

 トン――。トン――。

 今度は二回。感覚を開けて音がする。

 また先ほどと同じようにドアの方から音がする。

 トン――。トン――。トン――。

 続いて三回。

 いい加減音の正体が気になって、壁に立てかけてある松葉づえに手を伸ばした。その時にはもう音は止んでいたがいつまたこの正体不明の音がするかは分かったものではない。だから希は手っ取り早く音の正体を確かめることにした。音をなるべく立てないように、音の正体がどこかに行ってしまわないように、そおっとそおっと。ゆっくりと片方ずつ動かしていく。

 ドアハンドルを握る前一つ呼吸を置く。焦らないように。ゆっくりゆっくりと手を伸ばす。そして一気にガラッとドアを開いた。

「…………っ」

 目の前にいたのは皺の刻まれた真っ黒のスーツに身を包む、白髪だらけの頭の男だった。男はいきなりドアが開かれたからか驚いた様子だった。肩は少しだけつりあがっていて目は見開かれて、その状態で一時停止でも喰らったかのように固まってしまっている。

 男から少しだけ目を横にスライドさせるとそこには右だけ口角をあげて、諦めを浮かべたような顔をした上総が立っていた。上総は斜め下に視線をやって、希のことも、彼の目の前に立つ男のことも見てはいなかった。

「あの……入ります、か?」

 固まったままの男とどこかを見ている上総。この状況を変化させられるのは自分しかいないと思った。上総が隣にいることからこの目の前の男が上総の知り合いとやらに違いないと検討をつけてから部屋に促した。

 すると男はすぐに動きを取り戻した。

「……ああ」

 それだけ返事をして男は希の後に続いて部屋の中へ入っていく。希はベッドまで戻ってきてどこに座ってもらおうかなんて今更なことを思い浮かべる。

「椅子……」

 一つは初めからあって、上総は訪れるたびにその椅子を使っていた。その一つしか今までは必要なかったためあまり気にしてはいなかった。だがそれだけでは足りない。もう一つを探そうと松葉づえに体重を預けた状態で首だけをひねる。

「希。手、疲れただろう」

「あ、いや……」

「椅子は俺が看護師さんにもらってくるから」

「あ、ああ。よろしく頼む」

 口から出た言葉とは裏腹に上総にはどこにもいかないでほしかった。だが、上総はそんなことに気付くはずもなく椅子を貰うために部屋を後にしてしまう。

 必然として部屋にいるは希と、先ほど会ったばかりの男だけ。

 何を話していいのか、そもそも希とは何か関係を持っていたのかすらも明らかにはなっていない。

 年だって見た目で判断するならば50~60歳といったところだろうか。白髪の多さから判断したからそれよりも若いかもしれないし、もっと年が上の人なのかもしれない。

 男をちらりと見てから上総の言葉に従って、希もベッドに腰をかけることにした。松葉杖には一週間ほど前からお世話になっている。おかげで初めは時間のかかった『座る』という動作も比較的スムーズに行うことが出来る。松葉づえで滑って前のめりになることももうない。

 ストンとベッドに腰を下ろし、松葉づえはフックに引っ掛ける。そして希は男の方へと目を向けた。

 初めから相手の目を見る、というのはハードルが高かったので胸の、ちょうどジャケットの合わせのあたりに視線を定めた。そのすぐ横には真っ赤なネクタイと、そこに止まった金色の葉っぱのモチーフに少しだけ興味を惹かれる。

「希……君」

「は、はい!」

 じっと見つめていると男の声ではっとした。

「身体は、その、大丈夫なのか?」

「はい。おかげさまでもう少しで退院できるそうです」

「そうか。よかったな」

 男は目の横の皺をさらに刻ませて笑った。心底安心したように、けれどどこか悲しそうに。上総の目とは何かが決定的に違う。涙なんか見えないのに今にも泣きだしそうな顔をしていた。

 

 結局男が言ったのはその二言だけで、それ以降言葉を発することはなかった。その代りに一分一秒を惜しむように希の顔を愛おしそうに見つめていた。

 ずっとずっと飽きることもなく日が落ちるまでの間、一歩も動くことなく。

 

 

 結局、名前さえも名乗らなかった男が次に言葉を発したのは病室には似つかわしくないビービービーとなるアラームの音だった。

 とっさに血液が逆流してしまったのか、機械の不具合を疑った。今までにも知らないうちにそうなってしまうことが何回かあったからだ。

 けれど男はその音を聞きなれているようで、すぐにスーツの裂け目に手を入れて携帯電話を取り出した。

 折りたたまれたそれを開き、すぐに画面を確認していくつかの動作を行う。そして希のほうを向いて微笑んだ。

「希君、さようなら」

「あ、はい。さようなら」

 

『さようなら』――その言葉を最後に使ったのをいつであるのか記憶のない希にはわからなかったけれど、その意味だけはよく知っていた。

 そして男はその言葉の通り希の目の前から姿を消し、二度と目の前に現れることのないまま希は病院を後にすることとなった。それは希が病院に搬送されてから、実に1年近い月日が経過したときのことだった。


 病院の近くにある、リハビリの際に何度か訪れた公園には薄紅色の梅の花が顔を見せ始めていた。


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