2.
「ところで希くん、今までどこにいたのかしら? ずっと、探していたのよ?」
「え?」
『今まで』――それがいつからいつまでのことを指すのかを理解できずに聞き返した。すると目の前の男性がカップをガシャンと音を立ててソーサーに置き、希から目をそらした。
「……いきなり切り出すことはないだろう。もう少し…………なんかあるだろう」
『なんか』という割に男性は『それ』をこの喫茶店に入ってソファに腰かけたその時からずっと探していて、今でもそれを探しているような気がした。
カップの取っ手をつかもうとしてはまた机の下に手を引っ込めたり。そしてカップを持ち上げたと思ったらまたソーサーに置いたり。
そうやって繰り返している間、一度も音を立てることはなかった。だからきっと今男性は戸惑っているのだろうというのは希にも簡単に予想できた。
それに男性はずっと顔をしかめたままではあるが、先ほど微笑んだ時にわずかに上がった口角が今度はへの字に曲がっている。
この短い時間で希が気付いたことを男性の隣に座る女性が、もう何年も共に過ごしているのであろうその女性がわからないはずもなく、畳みかけるように男性に、そして希に言って見せた。
「あら、あなた。あなただって知りたかったんでしょう? それに、そんなに時間はないもの」
『時間』――それは希がここから逃げてしまえばすぐに終わりを告げるものではあるけれど、女性が指しているのはきっとそれとは違うものだろう。
「俺は……」
『今まで』がいつからか、なんて聞けなくて。それでもどこから話していいかわからなかった。
困り果てて首筋に手のひらを這わせるようにしてなでていると目の前の男性は希の目を見据えた。
「ゆっくりでいい。……子どもが話そうとしてるんだ。時間ぐらい取ってやるのが大人ってもんだ」
もう働き出して十年以上が経っていて、一端の大人として扱われている希に『子ども』という呼び方は違和感があった。
けれど男性は希を一人の『子ども』として見ていることは喫茶店に入るよりも前から何となく感じていた。だがそれは馬鹿にしているとかではなくて、愛おしいだとか大事にしたいとか恐らくそんな暖かい感情だろうとも。
それと同じものを向けられたことのある希にはそれがわかった。
夏の暑さに蒸発でもしてしまいそうなほどに肌は透き通っていて、蝉の声にかき消されてしまいそうなほどにか細い声をした、真っ白い頭の中にちらほらと黒をまぜたような頭をした男性。
過去にただ一度だけ会った、名前すらも知らない男性もまた、目の前の男性と同じ目を希に向けた。
だから子どもじゃないなんて訂正するような野暮なことはしなかった。
そんなことしたら余計に子どもに見られてしまうだろうという思いもなかったわけではないが……。
「……そう、ね」
女性は男性の言葉に納得したように頷いた。
そしてカウンターに向けて左手でひらひらと手を仰いでから、3本の指を立てて言った。
「マスター、ケーキ3つ。お願いできるかしら?」
「ショートケーキ、でよろしいでしょうか?」
「うん。あ、希くんのは……」
「上のイチゴ抜きで、ですよね? もちろん存じております」
「ええ」
店主は俺たちに少しの間だけ背中を向けてから、すぐに真っ白なお皿にケーキを乗せて持ってきた。
3つのケーキ。
その1つだけが頭にイチゴを乗せていない。乗せているのは生クリームを絞ってできた小さな山だけ。他の二つは山の上にイチゴが、自分が主役であると主張するように乗っている。
店主が先ほど言ったように本来ならば上に乗っているはずのイチゴが乗っていないショートケーキを希の前に置いてからにこりと微笑んで、再びカウンターの中へ戻っていった。
お皿を半分だけ回転させてみるとケーキの断面からはカットされたイチゴが見えていた。
なぜか懐かしいと思うミルクコーヒー。
そして希の好みを知っている目の前の二人とこの店の店主。
そして何よりこの人たちは彼のショートケーキの食べ方を知っていた。
初対面ならそんなことは知らないはずで。よほど親しい間柄でもなければてっぺんのイチゴだけを残すこともないというのに、この人たちは希がショートケーキの上に鎮座するイチゴだけを食べないことを知っていた。嫌いなことを、知っていた。
あいつと、あの日希に向かって『親友』と名乗った上総と同じように。
探していたというのが嘘ではないのならば……俺は話すべきかもしれない――希の本能的な部分が、彼らを信用してもいいのだと告げていた。
「……俺は18歳の夏、病院で目覚めました。それが俺の覚えている中の、一番古い記憶です」
だから希は自身が覚えている記憶の道筋を彼らと共に辿ることにした。




