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間違いだらけの物語(後編)

幕開けは激流の如く

 建物の中へと引きずられ、エントランスの受付に入館証のようなものをもらって建物右手の途方もなく長大な廊下、いくつか並んでいるであろう部屋を手前から数えて3番目。そこが先ほど説明を受けた患者たちの部屋だった。


 うめき声ともつかない、被害者たちの悲痛な叫びが部屋の内壁にこだまして、鼓膜から心を浸食する。


 そこにあるのは、恐怖と、絶望。


「うぁ…」


 雰囲気に飲まれて息を飲む俺の手を、フィオナがギュッと握りしめる。


「これが…フィオナたちの仕事です」


 そう一言、呟くように言い捨てて、フィオナはさきほどと変わらない愛らしい笑顔を浮かべ、いつも通りの透き通った声をよどみに重ねる。


「突然の不幸についに心までやられてしまった哀れな負傷者のみなさーん!」


 瞬間、空気が変わった。


「いつまでもそんな需要の無い残念な仏頂面を披露されていても困るので、さっさとこの大天使フィオナちゃんが貴方がたを治療してさしあげます。さーあ、崇めなさい、奉りなさい、フィオナを神と称えなさい!」


 人の心がここまで一つになった瞬間というものを、俺は小学校の運動会以来みたことがない。


 周囲に伝わる感情が、絶望から困惑、困惑から憤怒、憤怒から殺意へと変わる。

 え、ちょっと待って。その殺意の対象に俺含まれてないよね?大丈夫だよな?なんなら今すぐ俺もあっちサイドに走りこみたいんだけど。俺もフィオナ被害者の会の会員なんだけど。


「なんなんだてめぇら!」

「ここはガキの来る場所じゃねぇだろうが!」

「おままごとしてぇなら他所でやんな!」


 誰かの怒鳴り声を皮切りに、患者たちにけたたましいまでの喧騒が伝染する。それが彼女なりの気遣いであることはわかっているつもりだったが、あまりにも手厚い気遣いに正直俺までちょっとキレそうだ。

 その直後、たまらず耳をふさいだ俺と、なおもドヤ顔で佇むフィオナのもとへ、小さな人影が迫ってくる。


「フィオナさーん!お待ちしてましたー!」

「フィオナさんではありません。フィオナはフィオナです」


 いつもの調子にもどってむくれるフィオナにとてとてとせまる小さな栗色の髪の少年は、幼い顔つきに体格と相まって小さなハムスターを想起させた。


「なんだ、坊ちゃんの知り合いかい?」


 ベッドに横たわる大柄の男が少年に話しかける。


「はい!彼女は王宮に名高い指折りの治療師で、僕の尊敬する同僚です!」


 それに、満面の笑顔で返して、彼は改めて俺らの方に顔を向ける。


「来ていただいて感謝します!なにぶん僕1人じゃこれだけの患者の面倒は見切れなかったもので…」

「そんなんだから万年落ちこぼれなんですよ貴方は、天下のホスピタリア専属治療師が、そんな体たらくでどうするんですか」

「あはは、面目ない。ところで、そちらの方は?」


 俺の存在に気づいた少年が、フィオナに説明を促す。


「俺はー」

「フィオナの血液タンクです」

「ちょっとフィオナさん?」


 扱いが雑ってレベルじゃねぇぞ、もはや道具としてがっつり利用する気満々じゃねぇか。俺の心の治療は管轄外なんですか?


「あっ…えっと、ご苦労様です」

「オイ今あっ、て言ったろあっ、て」


 何かを察してぺこりと頭をさげる少年を全力で睨みつける。マジでこの世界に救いは無いのか。


「僕の名前はマロン。このホスピタリアの専属治療師をやらせてもらっています。貴方のお名前は?」

「俺は雨宮、雨宮千種だ。訳あってこいつの下僕になってる。」

「こいつじゃありません。フィオナはフィオナです」

「どーでもいいけど血液タンクはねぇだろ。もうちょっとアレだ、オブラートとかに包んだ言い方ってのがあったろ?」

「じゃあ血袋です」

「悪化してんだけど!?」

「あははは…」


 野生動物のようにいがみ合う俺とフィオナのやり取りを、マロンが顔を引きつらせながら見守っていた。


 ーーー


「なぁ、治療師の専属云々…ってのは、どういうもんなんだ?」


 魔法で活性化させられた体が作り出す新鮮な血液を変な機材に搾り取られながら、俺はマロンに質問する。


「治療師は、国で保護され育てられた後、どこかの専属として固定した場所で働くか、フリーランスとして自由に働くかを選択することが出来るんです。例えば、僕はこのホスピタリアの専属、フィオナさんはフリーランスの治療師です」

「ほーん」

「専属になれば、安定した収入と生活拠点が得られますが、規則に縛られながらの生活を強いられます。逆にフリーランスは、基本的にどこに行くにも自由ではありますが、仕事は自分でみつけ、自分の力で生活していかなければなりません」

「へー」


 あまりにしっかりとした雇用体制のあり方に言葉を忘れて感心する。

 この世界の子供達どんだけしっかりしてんだ。俺なんかよりよっぽど世の中の役に立つんだけど。むしろ俺が世の中の役に立たなすぎるんだけど。


「ってことは何か、お前らはその年でもうそこらへんの大人と対等な立場ってわけなのか?」

「そういうことになりますね」


  何気無い日常会話がどうしてここまで人の心を締め付けるのだろう。

 社会的にマロンやフィオナより格下であることを再確認して、俺は人知れず涙を流す。


「まぁ、僕は彼女なんかと違って落ちこぼれなので、自分の力で生きていくことが怖くて今に至ってしまう訳なんですけどね…」

「いや、お前は充分すげぇ奴だよ、少なくとも俺なんかより、ずっとな」

「そうですかね」

「そうでなきゃ俺が困るぜ」


 なんせ、最下位は俺の特等席だ。そんなカッコの悪い言葉を喉の奥へと押し込んで、マロンの頭を撫でる。その場だけはゆったりと、緩やかに時が進んでいる気がした。


「おい兄ちゃん!血がたんねぇぞ!さっさと作りやがれ!」

「うるせぇ、人様の血液をなんだと思ってんだ、ちょっとは自分の立場をわきまえやがれ」

「アマミヤさーん!血ぃ!血が足りませーん!血液まだー?」

「マジでお前ら俺をなんだと思ってんの?」


 やっぱこいつらの方が俺より下なんじゃね。

 穏やかな空気を思いっきり破られた怒りに半分ヤケになって言葉を返す。



 そんな騒々しくも平和な時間は、1人の来訪者に手によって、いともたやすく壊されることになった。



 バタン、とドアの開く音、それと同時、集まる大衆の視線の先に映ったのは、漆黒のスーツを身に纏った、黒髪短髪の女性。吸い込まれそうなほど黒い髪とは対照的に健康的な肌は、彼女の凜とした顔立ちをコントラストで彩り、どこまでも鋭い眼光はどこか1点だけを一心に見つめている。

 それはまるで、冷たく尖った氷山のような、そんな雰囲気を、彼女は纏っていた。


「私はアエラ、国家機関の者です。今から、貴方達全員の身柄を重要参考人として拘束します。ちなみに拒否権はありません」


 あぁ、どうして俺は、ことごとく理不尽な厄介ごとに巻き込まれてしまうんだろう。

 俺はただ、働かずに安定した暮らしを得たいだけなのに…

 ザワついた空気、内心で血の涙を流す俺の眼前で、なおも彼女は、氷のように静かに動きなく、ただそこに聳え立っていた。

雨宮、捕まる。

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