天使な悪魔と馬鹿1人
その出会いは突然に
目覚めると、知らない天井を仰いでいた。
不思議と心に動揺はない。
なにせ目覚めたら異世界に転移している人生だ、今更寝起きに知らないお宅へ転移していることぐらい、別に驚くほどのものでもないだろう。人間の適応力舐めんな。
「お目覚めですか、旅人さん」
耳元から可愛らしい声が聞こえてきて、ようやく事態を理解し始める。
「ここは…」
「ここは宿屋の一室です。店主の方に無理を言って休ませてもらいました。」
「えーと、君は…」
「君ではありません、私にはフィオナ=フィールハートというお父さまとお母さまからもらった立派な名前があります」
フィオナ。そう名乗った彼女が少しむくれ気味に答える。
どうやら行き倒れになっていたところを彼女に助けてもらったらしい。
「しかし、どうして見ず知らずの俺なんかのことを?」
「むかしから、困っている人がいると放っておけない性格なんです。たとえあそこに倒れている人間が誰であったとしても私はその人を助けます。勘違いしないでくださいねっ!」
そんな今日び聞かないテンプレツンデレ発言を放ちながら照れくさそうに顔をそむける少女。
あぁ、ツンデレロリ聖母は本当に実在ったんだ。
死ぬ前に見られて本当に良かった、いや元の世界的に死んでいるか死んでないかでいうとかなり微妙なラインだが……
「それにしても、こんなおっさんが美少女に助けたところでフラグも何もあったもんじゃんじゃねえよな……畜生、せめて俺がもう少し若ければ……」
「?よくわかりませんが、そんな人生に後悔を抱くような年齢ではないと思いますけど、お兄さん」
「おいおい世辞がうまいな、28なんて世間から見たら立派なおじさ……ん?」
ふと鏡に映る自分の姿が目に入る。
俺がいた、そこまではいつもと何ら変わらない、しかしそれは厳密には俺ではなかった。
腕や足は細く、いや、正確には体ごと縮んだかのように一回りほど小さくなっており、なにより、日頃の不摂生の影響か隈がひどく、手入れもろくにしていない髭も相まってでみすぼらしく見えていたはず俺の歪んだ人相は、明らかにまだあどけなさを残した健康的で整った人相へと変化していた。
しかしそこにある人物は間違いなく自分自身で、それを本人が見まごうはずもなく。
このことから導き出される結論はただ一つ。
「若返ってる、俺が青年だったころに……?」
見た目からしておそらく高校生、年は17くらいだろうか?着ている衣服は最後に元の世界で来ていたものと同じパジャマ代わりのゆるいTシャツとズボンだ。しかしサイズはぴったりと縮んだ体になじんでいる。それなら、もともとあった俺の体はどうなった?なぜ?誰が?何のために?
「どうかしましたか?」
「あぁいやなんでもない!」
そんな複雑な感情にふたをして、あわてて誤魔化す。
やめだやめ、どうせ考えたところで答えなんか出ない。
だったら、目先の問題から一つ一つ解決していくのが先決だろう。
「本当に命が危なかったんですらね?一体どんなハードワークをしたら町の中で行き倒れられるんですか?」
「は、ははは…」
言えない。歩いてみたら死にかけましたなんて世界が滅んでも言えない。
雨宮千種、享年28、死因散歩って何が悲しくてそんな方向性の間違った伝説残さなきゃなんねぇんだ、エンドレス晒し首か。
っていうか17の時の体でこのざまって俺どんだけ体力ねえんだよ!?
自分で自分に悲しくなってくる体たらくである。
「まぁ、とりあえず応急処置はしておきました、あと数十分もすれば体も元の通り動けるはずです」
「とりあえず、礼だけは言わせてくれ。ありがとう、フィオナ。危うく人類史上最悪の死に様を晒すところだった」
「いえ、フィオナの自己満足です。まあ、ここで会ったのも何かの縁でしょうし、何があったのかについては置くとして、名前ぐらいは聞かせてください」
そういえば、まだ名前も名乗っていなかったな。
「俺の名前は雨宮千種だ」
「アマミヤさん!覚えました!」
守りたい、この笑顔。
妹がいたらこんな感じなのだろうか、俺はノーマルだが、年々増加するロリという禁忌のジャンルに走る男達の感情が少しだけ理解できた気がした。
「それにしても、さっきまでこの世の終わりかと思うくらいしんどかったのに、今は嘘みたいになんともねぇ、しかもなんか体がめちゃめちゃ軽くなった気がする」
「当然です、フィオナは治療師の血族ですから」
「治療師?」
ほんの一瞬、フィオナの表情が曇ったような感じがした。
「別名、治癒魔術師。人の魂魄を治し、癒す。私のような、他者に干渉する魔術に特化した者にのみ任される、人々を救済する仕事です」
治癒魔術師…元の世界でいう医者のようなものだろうか。
巡らせる思考に、淡々と言葉は続く。
「数十万という人口を誇る国内に千といない、その特殊な素質を持った人間は、生まれた時から王国に引き取られ、治療師となるためだけに育てられます。私も、その中の1人です」
「……」
「治療師にとって、人々を助けることは義務であり、使命です。もっとも、もとより生まれつき自由を奪われている私達には、他にやるべきことなんてあるわけもありませんけどね」
言って、少女は笑う。
その笑顔が、先ほど見せたものとは全く違う感情のものであることは、他人の感情の機微に疎い俺にもなんとなくわかった。
生まれた時から、決められたレールの上を進み、自身の幸せでなく、顔も知らない他の誰かの幸せのために自由すら奪われる運命を背負った子供達。
その中の1人が今俺の眼の前にいる小さな子供だと、少女は言った。
だが、その背中はあまりにも頼りなく、運命なんて大層なものを背負うには、あまりにも、小さすぎた。
思わず俺は、返す言葉を見失う。
そんな俺のことを察してか、フィオナは少し申し訳なさそうにその重苦しい沈黙を破る。
「……すみません、ちょっと暗い話になってしまいましたね」
「いや、こっちこそ、無神経だった」
「まぁもう昔の話です。気持ちの整理なんてとっくについているし、あなたが気を使うようなことでもないと思いますよ?」
『これ以上踏み入るな』そういわれている気がした。
突き放し、拒絶するかの如く、人の心を優しく包み込むはずだった彼女の言葉は、俺の心を握りつぶすかのようにキリキリと、蝕むように侵食する。
同じような人間を見たことがある、人生というシステムに何の疑問も持たず、ただがむしゃらに進み続ければ、いつかどこかへ辿りつけるんだと信じていた少年。
少年はただひたすらに信じ、道を進んだ。
その先にあるものが、自分を何かに変えてくれると、何者でもない自分を、何者かに変えてくれると信じて。
……そうして、十数年という月日が流れ、かつて少年だった青年は理解した。
この敷かれたレールの先には、ゴールなんてないのだということを。
あるのはひたすらの虚無と、歩むべき道を選択すらしなかった自分への後悔、そして嫌悪だけ。
いつからかそいつは、進むことをやめた。
それはまさしく、かつての俺自身の姿だ。
フィオナの姿が過去の自分と重なって、もやもやした黒い感情が自分の中で渦巻いているのがわかる。
決められた運命だから?
もう終わったことだから?
だから、もう気にしてない?
「……ねぇな」
「今、なんと?」
その言葉は、俺を乾ききった喉を震わすには充分すぎるものだった。
「気に入らねぇって言ったんだ」
「なっ、なんなんですか!?」
「誰かを救うっていうのは、誰かを助けたいって心の底から望んでる奴が必死に努力して叶える思いなんじゃねぇのかよ?もとより不幸な運命に生きてる奴が人々の救済なんて仰々しいこと口走ってんな。お前らの言う人々とやらに、お前ら自身が入ってなくちゃ意味ねぇだろ」
この世界も、元の世界も、そして俺も、結局何も変わってはいない。
1人はみんなのために、みんなは1人のために。
そんな口当たりのいい言葉を並べて、結局誰もがたった1人すら見ていない。
自己犠牲、助け合いの精神。いつだって世界はそういうもので溢れていて、それに異を唱える者は、社会不適合者という生涯残る烙印を押されて、世界というコミュニティから排斥される。
かつての俺が、そうだったように…
「あなたに私の…この国の何が理解できるというんですか?」
冷たく放たれた言葉は、されどその中に確かな熱を帯びている。
「フィオナに出会ったのも、話したのもさっき!治療師も、あまつさえこの国のシステムすら知らなかったあなたに、一体何がわかるというのですか!」
「んなもん知るか」
「なっ…」
「でもな…目の前でこんだけ悲しそうな顔してる奴がいるのに、何も言わないで立ち去るほど俺も人格壊れてねぇんだよ」
深く息を吸い込んで、声をはりあげる。
「いいかよく聞け!ルールだかなんだかしんねぇが、そんなの田舎もんの俺が知ったこっちゃねぇ!俺がお前を助けてやるなんて、大それたことを言うつもりもねぇ!でもッ!」
声の続く限り、喉の潰れぬ限り言葉を綴る。
まっすぐに見つめる少女の朱に染まった頬は、かすかに涙で濡れていた。
「俺が、愚痴くらいは聞いてやる」
そう言って、俺は彼女に…フィオナに、笑いかける。
「…アマミヤさんは本当…馬鹿なんですか…」
そんな馬鹿げた俺を見て、フィオナも小さく、けれど心の底から笑っているような気がした。
ーーー
「ところでアマミヤさん」
しばらく経って、俺の体が元のように動けるようになったころ、フィオナが何かを思い立ったかのように口を開いた。
「ん?」
彼女の表情が無邪気なそれから真剣なものへと変わる。
「フィオナは路頭で倒れ、死にかけているアマミヤさんを甲斐性こめて看病して差し上げました。つまり、フィオナはアマミヤさんの命の恩人ということになります。あんだすたん?」
「え、お、おう」
早口に捲したてるフィオナの圧力に押され、俺は首を縦にふる。
「つまり!アマミヤさんはもうフィオナに対する莫大で甚大な恩義を返すまでは、二度とフィオナに逆らえない体になってしまったということです!いうなればアマミヤさんはフィオナの下僕、下僕アマミヤさんなのです!」
「んん…?」
定義のレールをぶった切って飛躍する超絶新理論に理解が追いつけず、思わず首を傾ける。
「フィオナのお願い、聞いてくれますよね?アマミヤさん❤︎」
純白の天使、改め漆黒の小悪魔は、なおも愛らしいエンジェリックスマイルを振りまき続けていた。
下僕雨宮、カモられる。




