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87 クレイジー・ジーニアス -7


 異世界歴の短い僕には地方都市の凡庸な風景にしか見えないが、黒曜大宰相の瞳には別の景色がうつっているようだった。

《現在地点は雄市藍鉄(アイテツ)地区だ。五十メートル先を左折、地下通路に入れ》

「どこだ、通路入口はっ!?」

 道化人形に追われる絶対絶命の最中、人がすれ違えるかどうかという通路に飛び込んだ。

 人形が追って来るが流石に入っては来れない。巨体が入り口に蓋をし、重量に入口の構造物を破砕したが、それだけだ。

 どうやらここは鉄道駅の入り口らしい。

 天藍は飛び続け、改札を抜けてホームに出る。

《そのまま線路へ!》

 誘導に従ってトンネルへと飛び込む。

 不吉な音響がして振り向くと、背後から鉄の車体が迫ってる。

 そして天藍の飛翔速度は明らかに落ちてきている。

「こんなところで轢死だけは嫌だぞ!?」

「煩い」と天藍は心底めんどくさそうだ。

「だいたいさぁ、なんなんだよお前! 何も言わずに独断専行、これじゃ銀華竜のときとおんなじだ!」

 違うのは僕が暴走してオルドルに飲まれてないことくらいだろう。

「私は……自分のためには戦えない」

 天藍は眠そうな目を顰めて、口ごもりながらそう言った。

 姫殿下のために……女王国のために。そう育てられた天藍には、騎士として守るための戦いしかできない、誰からも求められない騎士はいらないのだ。

「だからって僕のことは守らなくていいだろ。殺したって死なないし!」

 天藍は上着を掴んでいた右手を無言で離した。

 体が大きく傾き、足が地面に着く。

「あだっ!」

《取り込み中すまないが五百メートル先で建設途中の地下道と合流する、穴を開けて抜けろ》

 天藍が眉を顰めながら、竜鱗を投擲する。

 進行方向先に白い花が咲き誇る。続く二撃目で地面に大穴が穿たれる。

 僕と天藍が抜けた後、魔術を発動。

『バカバカし~! どうせ偽物なのに!』というオルドルのコメントとともに、破壊した軌道が再生されて、その上を列車が通過していくのを確認。

「自分のためじゃない!」

 僕はこの危険な状況で他人のことを思えるほど強くはない。

 でも、彼らを見殺しにすれば……こんなことは自分らしくもないので言いたくないが、天藍が傷つく。ここで悲しい想いをした人たちが、さらに悲しむだろう。

 それにキヤラの人気取りに使われるのもゴメンだ。

「ここは……?」

 誘導に従って入り込んだのは地下道というよりライフラインの一部っぽい。

 進んだ先で道が開け、広大な空間に出る。

 照明はなく暗闇だが、竜鱗騎士なら問題ない。僕にもオルドルの目がある。

《地下貯水施設だ。雄黄市には激しい雨季があり、雨水を逃がすために敷設途中だったもののひとつ。幻術を張り巡らせて時間を稼ぐといい》

「さすが大宰相……むかつくからお礼は言わないよ」

《どういたしまして》

 ここなら天藍を休ませられるかもしれない。

 並び立つ宮殿のような柱の影に身を隠し、それぞれの怪我に応急処置を施す。

「《解放リベラシオン》……」

 護符に込められた治療魔術が発動し、貫かれた腕を乱暴にふさいでいく。

 天藍は休眠状態に入ってる。

 せめて一時間くらい稼げれば、まともに動けるようになるんだけど……。

 だけど、敵もそこまで甘くないだろうな。

「ヒ~ナガせんせ、あっそび~ましょぉ~?」

 愉快な遊びに誘っているようでいて、シウリの憎悪の籠った声が聞こえてくる。

 それから複数の足音も。

「……なんとかする」

 それは時間を稼ぐ、というだけじゃない。

 シウリの盾を消失させて、退場させる。ここで天藍が落ちたら、勝ち目が消えて無くなるんだ。だからこそひとりで行かなければいけない。

 勝利の目に駒を進ませなければいけない。

 柱から出て、天藍からなるべく離れる。声の主は別の入り口から亡者たちを引き連れて現れた。

「置いて行くなんてひどいじゃなぁい」

 血塗れのシウリが笑っている。

 笑ってるけど、全然笑ってない。

 彼女の周囲にはゾンビ化してしまった雄黄市の人々がいた。ここに来るまでに、オルゴールが作りだした人たちを手駒に変えて、ありったけ引き連れてきたらしい。

「酷いのはどっちだよ。君たちは翡翠女王国のことなんてカケラも考えてないじゃないか」

「はぁ? だからなんだっていうのよ。最初からわかりきってた話じゃない、こんなの翡翠女王国のためでもなけりゃ、私たちのためでもないわよ」

 キヤラと同じ声が、乱暴に、乱暴すぎる理論を紡ぐ。

「君たちのためでもない……って、どういうこと?」

「あんた、ほんとに鈍いのね。青海の魔術師のくせに」

 シウリが舌打ちして悪態をついたとき、衝撃が空間を揺らした。

 異音が聞こえるのは天井からだ。

 音と揺れは断続的に続き、慌てて見上げると、小さな亀裂が入っている。

 次の瞬間、亀裂は網目状に広がり、そこから急速に崩壊が始まった。

 陽光とともに、巨大な質量がシウリごとゾンビたちを圧し潰す。

 砂嵐とコンクリの雨あられが収まると、抜けた天井のその下に神々しく照らされたクマ道化師人形と、その上に腰かけるキヤラがいた。

「シウリ、あなたいい子なんだけど。ときどき熱っぽくなっちゃって、あることないこと言うのが玉にキズよね♪ 罰として退場です」

 キヤラがパチリと指を鳴らすと、道化師人形やゾンビたちが消える。

 本当に好き放題だ。まるで、魔術通信網の中みたいに。

「お詫びに藍銅の秘宝をお目にかけましょう♪ さあ、藍銅公姫の名のもとに、我が歌声に共鳴せよ、魔剣ダーインスレイヴ~~~♪」

 彼女が杖を振り上げる。

 杖が桃色に光り輝き、ハートを描く。彼女はその中心から長柄の武器を引っ張り出す。

 禍々しい桃色のプリズムを放つ流線形の刃がついた、薙刀だ。全長はキヤラの身長を越している。

「ダーインスレイブって、剣じゃなかった!?」

「ん~ふふふ、いい反応です。紅華ちんに見せて貰わなかった? こいつら宝物庫の神剣たちってね、別にホンモノがしまってあるわけじゃないのよ♪ しまってあるのはその性質だけ……いわば情報レシピなの。レシピを取り出してどう料理するかが料理人の腕の見せ所なのです♪」

「一度抜かれると血を吸わないと鞘に戻らない魔剣を、吸血鬼が使ってるなんて悪夢以外の何ものでもない……! しかももうすでに鞘ないし!」

 キヤラは長大な刃をぐるりと回転させ、生き残りのゾンビを両断してみせた。

「なんで、お姉様! 私たちは、みんなお姉様のために……!!」

「煩い♪」

 床の上で気を失っているシウリの盾を割り砕く。

 勇気の盾を消失し、出場資格を失ったことをカリヨンが宣言する。

「もう、いちいち驚いたりしないよ」

 キヤラが暴走したシウリを切り捨てたのは、残虐な行いを観客の前で披露することが、自分たちの利益にならないと判断したからだ。そこに姉妹の情とかは、考えるだけ無駄だ。

 杖を構える。

 僕は彼女たちほど非情にはなれないが、何が起きても、自分の果たすべき役目は変わらない。

 時間を稼ぎ、天藍を戦える状態まで復活させる。そして……勝ちたい。

 それだけを頭に刻み込んで行動するだけだ。

「バカね、先生♪ 勇者が目覚めれば、すべて明らかになるのに……」

「言葉で翻弄しようとしたって無駄だ。君は信用できないし、信用できない人間の言葉を聞いたりしない」

「じゃ、どうするのかしら。私に、殺されたい? ほんとに、ほんとの意味で殺されたいの?」

「それは……少し魅力的だね……」

 僕は自分が何者なのかを定義できない。生きているのかもよくわからない。

 みんなはマスター・ヒナガと呼ぶけれど、それも違うのだと思う。

 それなのに血を吸われて本当に死ぬことができるなんて、きっと贅沢なことだ。

「――でもダメだ、君と戦わなきゃいけない。天藍が誰かを守るための盾なら……。僕は、君と戦わなくちゃいけなくて、それでもここに来れなかった人たちの剣にならないといけないんだ」

「あらそうかしら……人々は私たちを選んだわ。あなたの誠実さも、献身も、大衆は理解しない。だって、自らの力で戦うということは苦痛を伴うから」

 全てキヤラの策謀によるものだというのに、その言葉は的を得すぎてている。

 僕は彼らのために戦うと言ったが、でも僕だけでは戦えない。

 カガチたち学院の教師や、ミクリたち生徒や、黒曜やら紅華やら……色んな人たちの勇気と、そして悲しい気持ち、辛い想い、流した血潮に押し出されるようにしてここに立っている、それが僕だ。

 耐え難い苦痛と、犠牲の果て。

 だがそれでも勝利は曖昧なまま、確定しない。

 それがこの場所だ。

 誰もが願う、敗北するかもしれないのに、そんなものを支払いたくはないと。

「彼らは自分たちをトコトン甘やかしてくれる嘘のほうが好きなの。黙ってじっとしていても、誰かが自分のかわりに戦ってくれるっていう……。――ねえ、そんな人たちのために戦いたい? どうして戦っているの? 愚かな人々を救って何が残るというのかしら」

「それでも……!」

 天藍がかつて言った。

 騎士はそれでも竜を殺す。

 たとえ愚者を救うことになったとしても。

 騎士の幻想が、耐えきれずに後退りそうな自分を踏みとどまらせる。

「《昔々》っ…………!」

 足下から突き出した三条の茨がキヤラの足と腕を絡め取る。

 彼女は微笑んで飛び上り、体をひねって茨を切り伏せる。

 さらに、サカキの魔術を発動。

 六条の光がキヤラを襲う――が、それは彼女の体には届かず、その手前で地面に曲がり、大地で炸裂した。

「重力で光が曲がるって、むかし習ったわよね♪」

「そういうのはゲームの中とかだけにしてくれ!」

 キヤラはすごく楽しそうに地面の上を駆けて来る。

 いくら天藍の教えを受けたからって、こっちは槍や薙刀を捌く技術は持ってない。

 長物は長ければ長いほうが有利なんだ。

 僕は正面に立ち、刃を受け入れるしかなかった。

 盾が一枚消失。

「貴方を、眠らせてあげる♪」

 彼女は僕の上着を掴み、持ち上げた。凄い力だ。そして首筋に顔を近づけてくる。

 甘い砂糖菓子のにおい……。

 だめだ、時間を稼げ、自分! なんでもいい、なんでも――!

 キヤラにはいいようにやられてきた。

 出会ったときも、デートのときも。全ての邂逅がこの女の思い通り。それを止めなければならない。最初だって、弟だとか言われてペースを持っていかれたじゃないか。弟……弟……?

 極度の緊張から、思考があり得ない方向に曲がり、収束するのを感じた。

「そうだ……そういうことか。君は、誰なの? っていうか、《どっち》なんだ?」

 彼女の瞳が見開かれる。

 絶好の好機。またとない瞬間が生まれた。

「その表情が見たかった!」

 次の瞬間、僕の背後から研ぎ澄まされた死の花弁が飛来する。

 純白の竜鱗の花吹雪。

 その殺到を避けるために、キヤラは華麗なステップを踏む。

「天藍、お前は来るなっ!」

 僕は振り返って叫ぶが、そこに天藍アオイはいない。

 最初の攻撃は次の手を読ませないための罠。

 上空から、キヤラに向けて牙折りが振り下ろされる。

 吸血鬼の研ぎ澄まされた五感で攻撃を察知したキヤラは、左下から掬い上げるような一撃で迎え入れる。

 竜の牙と、鬼の刃がぶつかり合い、金切り声と火花を散らしながら――足場が安定しているキヤラが競り勝つ。

 再び宙に放り上げられた天藍が一瞬、魔術を発動。大きな翼が翻った。そしてその両足が、はるか上空の天井にぴたりと着地する。彼は両腕から何かを外した。

 金属の環のようなもの。それがなにか、頭で理解するより先に言葉が走る。

「――やめろッ!」

「五の竜鱗、《竜鱗狂瀾》!」

 あふれ出す竜の魔力が、白い結晶の欠片になって吹きだす。

「十の竜鱗――《竜鱗狂瀾》、《竜躰変化》!」

 限界を超えた二十枚の竜鱗の力が発動する。

 銀の瞳が、髪が、薄暗がりに魔力の燐光を放った。人のものとは異なる竜の魔力が大気を波になって過ぎ去っていく。人の体にはあまりにも大きすぎる魔力なのだ。

「やめろ天藍! 人じゃなくなってしまう!!」

 彼は天井を蹴り、離れた。

 再び同じ角度から剣を叩きつける。

 だが、今度は競り負けない。キヤラが押されてる。

「くそっ」

 クソ、としか言えないような状況すぎる。

「援護を――《昔々、ここは偉大な魔法の国》!」

 茨を放ち、ついでに灼熱の閃光をはなつ。

 直撃は意味がないので、手前で爆裂させる。

 煙幕ならぬ炎幕と鉄の罠を掻い潜り、キヤラが砂埃の外へと逃れた。

 天藍は――炎などものともせずに、彼女のもとへと一刀を浴びせる。

 僕も走り、彼女たちについていく。

 天藍はすごく強くなってる。力も、魔力のほうも。

 浮遊術の効果もほとんど受けてない。

 ただそのかわり、天藍の腕は徐々に形を変えていた。

 指先から白い結晶に包まれていっている。足を踏み込む度、そこに白い蓮の花が咲く。七天の魔力に触れた全てのものが結晶に、塵でさえもが変化していっている。

 暴走、の二文字が頭に浮かぶ。

「――カ、カリヨンっ!! 棄権だ、棄権する!!」

《スミマセン、戦闘音がうるさくて、何も聞こえませ~~~ん》

 嘘だろうけど、審判は最早なんの役にも立たないことがよくわかった。

 止めたいなら、自分で止めるしかないんだ。

 自分で止めるしか……!

『ツバキ――ボクにはキミの考えがワカル。だから言っておくケド、これは《賭け》だからネ』

 いつも、選択肢は無限にある。

 けど僕が選び取れる方法はごくわずかだ。それか、目を瞑って、見なかったことにするしかない。

 でも、そんなのは嫌なんだ。

 弱くて醜い自分に負けるのが、いちばんイヤだ。

 僕は、迷わず魔剣と牙折りの間に飛び込んだ。

 そのことに気がつき、直前に逸らした天藍の剣が首筋を抜けていく。

 背後から差し出された魔剣は、止める理由がない。

 僕の盾を貫き、それでも止まらずに体を、そして、接近しすぎていた天藍の肩口を縫い留めて止まった。

 噴き出した血が、驚きに歪んだ白い顔に滴り落ちる。

 綺麗だな……。

 何もかもがハッキリとした輪郭で見える。

 飛び出したとき、僕は自分のことを考えなかった。

 ただ、止めたいと思った。

 彼が竜人になってしまって、人らしいもの全てを喪うなんて、考えたくもなかった。

 こんな気持ちが、自分にもあったなんて。

 まるで夢のようだ。

 こんな夢が続くなら、二度と覚めなくてもいい。


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