86 クレイジー・ジーニアス -6
天藍の体術と竜鱗魔術に重力を上乗せした蹴りを受け止めたあの怪力、竜鱗の力を思わせる再生能力、ついでに八重歯の牙――やっぱり、キヤラは吸血鬼化していたのだと考えるのが自然だ。
ニムエがすっとこどっこいだったからみんなそんなもんだろうと思ってたけど、全然違う。
吸血鬼強い。凄い強い。
『このまま素直に合流しちゃっていいワケ~~~? いいかイ? そもそもキミとボクは血液の譲渡と共有によって、他の青海の魔術師たちよりも強い共感状態を作り出している。つまり……』
血を失えば、オルドルの力の大半が使えなくなる上、僕の強力なアドバンテージである再生能力も使用不可能になる。
要約すると、僕は死ぬ。
二度と蘇ることなく、あっさりと死ねるだろう。
もちろんこれは試合であって、死闘ではない。
命まで奪わなくても勝敗は決する。
『けど――キヤラが何の意味も目的もなく、キミの命を奪える手段を用意するとは思えない』
構わない。
危険に飛び込まなければ、得られるものはない。
『でも、それは心からのコトバじゃナイよね』
僕の足は止まっていた。
オルドルに言われたからじゃない。
息が上がって、動けない。
『そうじゃないよネ。ボクはボクだけど、キミでもある』
黙れ。オルドルの言葉を意識しないようにする。
でなければ足が動かない。
恐怖は消せない。
足掻くしかないんだ。
その先に、償いのために戦っている人がいる。
~~~~~
「むかしむかしあるところに? というか女王国の昔の話なんだけど♪ それでもって歴史物語にありがちだけど、現在ではいなかったということになってる男の王様がいたのね♪」
キヤラは世間話をしながら、天藍の突きをひらりと避けた。
何気ない動きだが、それは鍛錬による冴えとは違う。ただ動きが尋常でなく速いのだ。
「その代の女王っていうのがわりとよくあることに愚王ってやつで、その兄が勝手に王様を名乗りはじめちゃったのよ。ただ民衆は王より彼を信頼してしまってしばらくの間は王権が分裂したまま、でもそれなりにいい治世が続いていたみたい♪」
高すぎるヒールを履いたまま、キヤラは一瞬の呼吸の隙を突いて一歩を踏み込む。
箒の柄が無造作に突き出され、防御に回した腕の装甲を突く。
すると天藍の体が《ふわり》と浮いた。
「――学校じゃ教えてくれない魔女の飛行術の応用編よ♪」
足が鞭のようにしなり、上段、中段、回転蹴りを続け様に放つ。
衝撃は軽いが、飛行術が彼女の体がから天藍へと伝わり、その体が舞い上がって再び間合いの外へと弾かれる。
何故、人体はおろか竜の魔力抵抗を破れるのか――それが彼女が大魔女と呼ばれる由縁だろう。
「ただ女王に娘が生まれ、賢く成長したあとは話が別。彼女は王権を奪い返すために叔父と戦わねばならず、せめてもの慈悲として頭を垂れれば命は助けるとしたところ、彼は政道を正すことを選び臣下とともに下った。だけどね、彼の唯一の親友であり忠誠を誓った騎士だけは、けっして頭を垂れず処刑されてしまったの……この騎士の名を挙げて真の友情とする逸話は藍銅では一般的なの♪」
「何が言いたい」
「まるで貴方のよう、と言いたいの♪ 初めて出会ったとき、あなたは私にただのお辞儀もしなかった」
「ではヒナガツバキが王の器だとでも言うつもりか、馬鹿馬鹿しい」
「お馬鹿さんは貴方だわ♪ あなた、ツバキを引き離すためにひとりで来たのでしょう? 吸血鬼の能力が彼にとって致命的だから」
「あれは愚図で戦いに相応しくない、だから置き去りにした、それだけだ」
天藍はそれだけ言うと、白鱗天竜の魔力を《牙折り》に注ぎ込む。息を深く吸い込み、止める。
そして両手の武器を器用にくるりと回した。回転の力を加えることで勢いをつけ、地面を蹴り全身全霊の刃を縦回転に乗せて叩きつける。
キヤラは髪の毛を耳にかけながら右足を一歩引いた。魔力を帯びた刃は、キヤラの浮遊術を引き裂いてアスファルトを割り砕いた。
飛び散った破片が竜鱗の結晶と化し、キヤラを引き裂こうと迫る。
その間にも天藍の斬撃は止まらない。横薙ぎに斬りつけ、斬り下ろす。
魔術と物理攻撃のコンビネーションをまるで揺れる柳の葉のように避けて、天藍の背後に回った。
「んふふ。忠告しとくわ♪ ――彼は来るわよ。絶対に来る。何が起きても、たとえ死ぬとわかってても来る。何故なら貴方がここで戦っているから。それが青海の魔術師が背負う宿業だから♪」
天藍が後ろ回し蹴りを放つ。
キヤラは蹴り足に術をかけることで勢いを殺し、回避。
天藍は自らの足に刃の切っ先を突っ込み、浮遊術を強制解除する。
深く、とても深く踏みこみ、魔女の両足を薙ぐ。飛燕の如く飛び去る剣筋を彼女はふわりと飛んで箒に飛び乗って躱した。
「そろそろ行くわね♪ 学校じゃ教えて貰えない魔女の飛行術講座第二弾よ♪ そーれっ」
彼女は微笑むと、箒で浮かび上がり、木の葉のように舞い落ちる。
踵落としにしては、優雅すぎる。咄嗟に、天藍は掲げた腕を下ろした。防御ではなく回避に切り替えたのは戦士の勘だ。
だがその靴の先が掠めた瞬間、竜騎装の腕の装甲が弾け飛び、騎士の体は重たい何かに押さえつけられたかのように動かなくなった。辛うじて膝こそついていないものの、その両足が地面にめり込み、円形に亀裂を走らせる。
「浮くことができるなら力の向きを逆にすることもできるのよって、単純だけどけっこう凄いでしょ♪」
押しつぶされ、肺から血しぶきを漏らす。
流石に大魔女の名は伊達ではなかった。
彼女は一旦、天藍から踵を降ろして地面に降り立つと、後ろ回し蹴りを放つ。インパクトの瞬間、騎士の体は操られたマリオネットのように彼女の蹴りに飛び込んでいく。
剣の刺突に負けない威力が、胸の装甲を突き抜けた。
「がっ……!」
血を吐くが、盾は消失しない。
動けない天藍に向けて、さらに二撃目が放たれる。
瞬間、僕は魔法を放つ。
「《愚者に放たれる毒矢よ、密やかに息を止めよ、密やかに鼓動を隠せ》」
オルドルが僕の体を借り、手のひらに吐息を吹きかける。
引き寄せられる天藍の体を茨で掴み、二重三重の魔術を重ねて隠した針の刃が滑るように配置される。
それらは彼女の飛行術に引き寄せられ、キヤラを貫くはずだった。
だが、自らの術に混じった異物に勘づかないほど愚かな女性ではなかった。
「甘いっ♪」
「うぐっ」
すぐさま力の向きを反転、紛れ込ませた不可視の矢は向かいのビルの屋上に隠れていた僕の腕を貫いて止まった。
串刺しになったまま慌てて屋内に退避。
居場所がわかったら何をされるかわかったもんじゃない。
しかし、階段を駆け下りる最中、僕は向きを変えて屋上まで駆けあがる。
「逃がさないわよ、マスター・ヒナガ~~~~!」
顔と髪を土埃で揺らしたシウリが接近していたからだ。
彼女の爪は即死効果があるため、あまり距離を詰めたくない。
屋上の扉の前に、ふわりと誰かが降り立つ。逆光になってるけどキヤラだ。引き返して屋内の廊下を走る。壁面が硝子になったオフィスっぽい建物だ。
振り返ると、どの方角から見ても激怒したシウリが肩を揺らしながら追って来る。
もう一度、サカキの術を使うか……!?
次の瞬間、窓が一瞬で破砕され、シウリが横薙ぎに吹き飛んだ。
白い竜鱗が突き立ち、盾を粉砕する。
竜鱗は荒れ狂い、フロア全体を破壊していく。
僕は破れた窓から外に身体を躍らせた。落下していく体を誰かが掴む。
「わざわざ新しい敵を連れて来るな!」
天藍はそう言って血の塊を咳とともに吐きだした。
強がってはいるが、凄く眠たげな目つきをしてる。
「おいおいおい、結構ダメージ食らってるじゃんか」
「煩い、食らってない」
寝ぐずりする子供みたいだ。
こいつは負傷に再生が追いつかなくなると、危険極まりないことに寝落ちしてしまう。
抗えないのは竜の本能みたいなものだろう。それに僕を回収しに来たということは、僕には利用価値があるのだ。
翼のはためきが小さくなり、急激に高度が落ちて来る。
「今は寝るな、天藍、頼むから!」
このフィールドで天藍やキヤラが優位に立てるのは、飛行能力があるからだ。
なにしろ地上には危険がいっぱい!
転がるクマ道化師人形がみんなを圧し潰して皆殺しにしてしまうからだ!
カフスから、黒曜の声がした。
《地下へ逃げ込め》と。




