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84 クレイジー・ジーニアス -4


 キヤラが指をパチリと鳴らす。

 すると全ての明かりが絶え、周囲の風景が闇に沈む。

 キヤラの姿だけを一筋のスポットライトが照らし出している。

 硝子の破片が彼女の姿を無限に映し出す星となって天井から零れ落ちる。

 即席の舞台の上で蕾のように閉じていた唇が花開き、甘美でいながらどこか力強さを感じさせる歌声を響かせた。それは少女の恋心を歌詞にのせた何の変哲もない恋歌で、しっとりしたバラードだった。

 桃色の髪が優美に波打ち、その頂にティアラが現れる。衣装は花嫁衣裳を思わせる白と桃色を基調としたドレスに。そして杖は大きな金剛石を象ったものに変化する。

 ただ、光の中でただひとり歌う彼女の姿が――連続殺人犯だとわかっていてもどこか寂しそうで、切なげで、聞いている僕ですら心を打たれるものがあった。

 天藍が静かに動く。彼女が何を考えているにしろ、最後まで歌わせる気はないのだ。

 しかし、僕たちはどちらも誰かの腕に全身を掴まれて動けなかった。

 それは闇の中で生臭い息を吐きかけてくる亡者の姿に見えた。

「おい天藍、お前、腕力だけが頼りだろ。なんとか抜け出せないのか!?」

 天藍はむっつりと黙りこんだまま、こちらを睨んでいる。

「なんとか言えって」

 彼は何故か頬を赤らめ、目を逸らした。美少女めいた容貌のせいでなんか他の感覚が芽生えそうになるところをグッと堪えなければいけないのが癪だ。

「お前さあ……そんなに僕に《できない》って言うのがイヤなのかよ」

「…………できなくない」と、絞りだすような声で言う。

「無理しなくていいよ。できないんだろ?」

 こんなところで強情張ってどうするんだ、コイツ。

 控え目に言って馬鹿じゃないのか。

「封印している残りの竜鱗を解放して出力を上げれば引きちぎれる!」

「やめろ! 暴走して竜人化したら止められる気がしないし、恥をかかないためだけにそんなアホみたいな最終手段を使うんじゃない!」

「くっ……殺せ!」

「それ聞くの二度目だけどホントさ……揃いも揃ってくだらないことで死のうとすんのやめたほうがいいよ」

 こうも動けないとなるとキヤラオンステージを黙って見るしかすることがないので、アホさ1000%の会話が進む。

 内心では冷や汗ものの状況だが、冷静さを失うとたちまち殺されるので、会話は余計な緊張緩和の手段として有効なのだ。危機的状況を前にして頭がバカになったせいではない。

『こいつらはシウリの魔術じゃない、青海文書のチカラでウまれたモノだヨ。あの歌のせいで共感がまた高まってルんだ』

「ウソだろ、なんでもアリじゃないか……!」

『本来、万能とはこういうモノなんだと言っていただきタ~イ~』

「その割にはつまんなそうな声してるな。青海文書仲間としてなんかないのか」

『ボクには段々、今回の件のカラクリが見えてきちゃったのサ』

「だったらそれを教えてくれ。攻略情報をくれよ」

『言ったでしょ。知ったところでどうしようもナイって。強いて言うなら、《真なる敵を目覚めさせよ》ってトコか』

 オルドルはふざけてるけど、重要なことを言ってる気がする。

 真なる敵を目覚めさせよ、か。

 言葉通りに捉えるならキヤラは本当の敵ではないってことか?

『まぁも少しだけサービスするとだナ……ボクが奴の能力について重要なネタバレ行為を行ってしまうと、敵は対策して来るんだネ。するとキミは重要なタイミングを逃すことになるカモしれナイ。まっ、バケモノが言うコトなんて信じられないと思うケド~?』

「いや……信じるよ。僕は君を信じる」

『おっとォ、どーいう風の吹き回シ?』

「お前は僕を危機的状況に陥らせる一因ではあるけど、それでも僕を生かした」

 血を譲るという方法で、黒曜大宰相の罠から救った。

「だから君を信じるよ」

 紅華が危険を顧みずに駆けて来てくれたように。

 天藍が暴走しかける寸前まで戦い抜いてくれたように。

 ミクリが勇気をくれたように。目の前に絶望しかないとき、何を信じればいいかは自分なりに答えを出したつもりだ。

「お前が金鹿を使うなというなら、僕は使わない」

『フン……お好きにどうゾ』

 ワンフレーズを歌い上げたあと、キヤラは杖を掲げた。

「最後の戦いに相応しい舞台を用意しましょう♪」

 地面が震えた。光が無限に広がり、闇が晴れる。

 そこには瓦礫の山が現れていた。

「これは……まさか……」

 倒壊した建築物、破壊された車両、燃える街。

 そして次の瞬間、キヤラの杖から虹色の光が発せられ、風景を塗り替えていく。

 瓦礫が元のように組みあがり、ひとつの街を作っていくのだ。

 そこには変わらない街の営みがあった。子供が笑い、若者が買い物を楽しみ、男女が忙しく立ち働いている。

 そう、僕にだって理解できる。

 これは……雄黄市だ。

 竜に蹂躙される前の風景を、青海文書で再現してしまったのだ。


 ……くすくすくす。

 理想郷は理想郷。

 夢の国の妄想の国。

 みんなが帰りたいとねがってる。

 あなたはだあれ?

 わたしはだあれ?

 闇夜に劇場が開く……。


 青海文書のザワザワした声が響く。

 それと同時に空に無数のモニターが開き、会場の様子が写し出される。

 歓喜するもの、驚く者、懐かしい故郷に涙するもの……反応は様々だ。


「こんなことをして、君は何がしたいんだ」

「たとえそれが理解できたとしても、もう遅すぎるのよね♪」


 キヤラが箒にまたがり、上空へと上がっていく。

 僕は天藍に首根っこを捕まれ、飛翔する。

 繁華街だけあって足場がたくさんあることは幸いだ。魔術による模造の街とはいえ、みんなの気持ちを考えるとあまり破壊したくはない。

 決着をつけよう。彼女と。


「行くぞ、天藍!」


 声をかけるが、白い幻影は動かない。


「どうし……」


 たんだ、と声をかけようとして、言葉が引っ込む。

 天藍アオイは当てもなくただ呆然とキヤラが作り出した模倣の街を見つめていた。

 拳を握り、その表情には《苦痛》が、瞳には現実にはもはや存在するはずもない街の幻影が刻まれている。

 彼の心の内が、僕にはわかる。

 この土地を無為に失ってしまったのは女王国の民たちだけじゃない。銀麗竜に襲われたとき黙って見ているしかなかった竜鱗騎士団も、この土地に賭ける想いは同じなのだ。


「……ここが、俺が救えなかった場所か」


 呟く声が聞こえる。

 その言葉には無限の悲しさが詰まっている。ここにあるのは無くなってしまった過去と、あるはずだった未来が残酷に入りまじった風景だ。

 彼は見えない鎖でここに縛りつけられている。

 百合白さんのために、彼女のために、天藍は雄黄市を救わなかった。その重すぎる鎖だ。

 そして他ならない僕自身がどうするべきなのかも自動的に理解する。

 キヤラが何者で、何をしようとしているのかに関わらず……そして彼女が心に秘めているものが何であれ、僕が立つべき場所はここなのだ。


「ちがうだろ。ここは、いずれ君が救う場所だ。古銅でもない、マスター・カガチでもない、テリハでもない。君だ。僕は君が英雄になるところが見たい」


 彼の鎖を断ち切るには、雄黄市を取り戻すしかない。

 百合白さんの気持ちがどうあれ、天藍は戦うことでしか本当に欲しいものを手に入れられない人間なのだ。だからこそ戦いに猛り、渇望し、足掻く。


「君が百合白さんに誓った忠誠が本物だってことは知ってる。だけど、今、ここにあるのは呪いと勇気と血塗れの戦場だけだ。ここには正しさもなければ、忠誠を誓う相手もいないよ。だから、今だけは逃げるなよ」


 少なくとも翡翠宮で見た、死人のようなこいつの姿はもう二度と見たくない。

 天藍は真剣に僕の言葉を聞いていた。 


「俺に、自分のために戦えと言うのか?」

「ああ。僕は雄黄市の運命を君の選択に託す。これが僕が用意できる最高で、最低の戦いだ」


 それでもまだ百合白さんを選ぶと言うのなら、黙って人形になるまでだ。

 彼はただ静かに答えた。

 俯き、目を瞑りそして開いたとき、そこにはまた僕が知らない彼がいた。

 剣を地面に突き立てる。

 アスファルトの大地が割れ、白い結晶の花座を作り上げる。

 それをベースに対の翼を作り上げ、天藍は僕を地上に残して空に舞い上がる。

 そして白い矢になって、雲一つない青空を一直線に駆けあがって行く。

 

「お、おい、ちょっと! なんで置いてくんだよ、どこ行くんだよ、バカぁ!!」


 声はもうまったく届いてもないだろう。


「あらあら♪ フラれちゃったみたいね♪」


 キヤラが上空でおかしそうに笑っている。

 おかしいだろう。こんなの僕だって爆笑ものだ。

『……ツバキ、来るよ』

「ん?」

 微かに地響きが伝わってくる。

 そちらの方角を見て、僕は一瞬だけ立ち竦む。

 轟音を立て、こちらにゆっくりと転がってくる巨大な玉がビルとビルの間に顔を出したからだ。醜悪な笑顔の表情に固定された、懐かしいクマ道化人形だ。

「…………またかよっ」

 ひと言だけ突っ込んで、僕は走り出した。

 背後の玉も、速度を上げてついて来る。文字通り死闘が始まった。

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