79 異世界偶像崇拝物語 -4
急遽、細い枝を銀の大樹へと急成長させる。
枝を振り回して、道化人形たちを振り払う。
死刑を延期させると、会場から露骨なブーイングが上がった。
どっちの味方なんだよ、どっちの。
いや、答えはわかってる。
大樹に白竜の騎士が戻ってくる。アニスが追撃してくる様子はない。
「一撃、食らうなんて珍しいな」
「……あれは手練れだ。もしくは鬼神のたぐいだ」
素直に認めるなんて珍しいが、即ちそれはマスター・カガチの再来を意味していて、死刑宣告である。
アニスは他の姉妹に比べて体格が恵まれているとはいえない。
あんな小柄な女の子が、マスター・カガチに匹敵する体術の持ち主だなんて。
「素直に受け取るな、何か隠し芸があるに違いない」
素直に戦慄していると、天藍が妙なアドバイスをしてくる。
「隠し芸?」
「魔女とはいえ、生身の人間が竜鱗騎士について来れるはずがない」
天藍は不服そうに口を曲げて声を顰めた。
「ふふ……うふふ……♪」
こちらが手をこまねいているうちに、観客の《共感》によって青海文書の力があり得ないほど高まっていく。それは空気を振動させる音の波動となって放射され、目の前の全てを変容させていく。
再び曲が終わる瞬間、魔女たちの姿は城の中へと消えていた。
音を立てて城壁がせり上がり、ミニチュアからリアルな城壁と化していた。
「どう? この王国に貴方たちの味方なんてひとりもいないって理解できたかしら♪ ふたりっきりの王子様。虚しい戦いね。諦めてもいいのよ」
キヤラの声が聞こえてくる。
もちろん、その声が僕たちにしか聞こえてこない仕様である。
「先にスピーカーを破壊しよう。このままだと何が起きるかわからないよ」
「概ね同意するが、青海の魔術がある限り何度破壊しようが同じことだ」
門扉の両脇に張り付いていた石の飾りが巨大化して蠢き出す。
鷲の上半身に獅子の体を持つ魔法生物が、石の体とは思えないほどの俊敏さで立ち上がる。背丈だけでも僕の二倍はあるだろうか。
「……ゴーレム!」
天藍が隣でにやりと笑っている。
「いい余興だ。楽しくなってきたな」
「それはお前だけだ、バカ」
とはいえ、その戦闘狂ぶりが頼もしくはある。
観客席に目をやると、僕らへの声援なんてものはない。
罵倒と叱責と、そして興味本位のキヤラへの嬌声だけがあがる。
ここに味方はいない。そんな状況に叩き込んで、でもなお笑っていられるのだから。
~~~~~
天藍アオイがグリフォン型ゴーレムの一体と絡みあうように飛んでいる。
マスター・ヒナガは黄金の剣を落とし、もう一体を牽制し続ける。
歓声は修練場の外まで響いていた。
魔術によって変形、城と化した校舎の中に取り残された生徒たちは、それぞれの情報機器によって状況を知ったものの、脱出することもできずに試合の展開を見守ることとなった。
校内はいつもの教室のままだが、出口だけがない。
教師たちは集まって外部との連絡が取れないか相談している。
残された、とくに魔術に対してなすすべのない普通科生徒たちは、情報を並べて憶測を交わすことしかできない。
「なあ、どうしてマスター・カガチがいないんだ?」
「いないのはカガチだけじゃないけどな」
「二藍の方角に軍が出て、検問で通行止めになってるらしいけれどこれは何?」
クラスメイトがもたらす断片的な情報を拾いながら、女子生徒は固唾をのんで試合の展開を見守っていた。
「ねえ、ミクリ。大丈夫だよ、いまのところ怪我とかもしていないんでしょ」
友達が必死に励ましているが、ミクリと呼ばれた少女はじっと端末の画面を見つめたままだ。
「……左手を庇ってる。これ、血じゃないかな」
「え?」
マスター・ヒナガは教官服ではなく、全身黒い地味な衣装に身を包んでいる――ため、非常に分かりにくいが、ミクリの指先で拡大された画像には、小さな小さな血の粒らしきものが散っていた。
「さっきから魔術を使うごとに次の動作への移行と反応速度が遅れていってるの。負傷しているんだと思う……でも負傷した様子はないから、そういう魔術の性質なんじゃないかな」
「てかさ、この戦い、どっちが勝っても俺たちには大して変わりなくね」
ミクリの手元を勝手に覗き込んだ男子生徒がひどく興味無さそうに呟く。
「魔術科の教師が軒並いなくなったとしても普通科には関係無いし……、悪評が立って将来に響いたら嫌だなーってそれくらいだろ?」
「ヒヨス、最低」
ミクリが男子生徒を強く睨む。
「海市が竜に襲われたのはついこの間のことなんだよ。マスター・カガチやヒナガ先生や竜鱗学科の子たちに助けられたこと、もう忘れちゃったの?」
海市が飛竜に覆われて逃げ場もなく、それどころか施設の不備から避難所で死んだ者たちもいる。
その惨状の最中、竜鱗騎士見習いたちが学ぶ魔術学院は極めて優れた安全地帯だった。銀華竜を倒したマスター・ヒナガの評判に隠れてあまり知られてはいない事実だが、マスター・カガチと彼の教え子たちは避難を求める一般市民までもを受け入れ、命の盾となり続けていたのだ。
「……けど、古銅ってやつが騎士になれば雄黄市が取り戻せるかもしれない」
「そのために先生たちを犠牲にするの?」
悪気があって言ったわけではないのだろう。
ヒヨスという少年は、気まずそうな表情を浮かべる。
「そう思うなら境界に行って、女王府に抗議すればいい。藍銅公姫の力を借りて、先生たちを人質に取って意見を押し通すなんてまともな人のやり方だとは思えない!」
あまりの正論だった。だがこの正論を口に出して言う者が今の海市に少ないことを、ミクリはよく理解していた。
竜と戦えるのは、竜に選ばれたごくわずかな者だけ。
その条件は、いつも市民を他人の痛みに無関心にさせてきた。
選ばれさえしなければ、竜を前に剣を振るうことはない。自分たちの安全は竜鱗騎士に任せていればいい。そんな考えがいつも静かに人の心に忍び寄る。だからこそ、キヤラの甘い誘いに頼ってしまう。あるいは、頭ではわかっていてもやはり力がないのだ。ミクリにしても、魔術で変容してしまった教室でじっとしているしか術がなかった。
「なんか……甘い匂い、しない?」
クラスメイトがそう言った。
甘いにおい、と言われてつられて顔を上げると、どこからか花のにおいが漂って来る。それに、遠くから鈴の音が聞こえる。
「ミクリ! 教室から出ちゃだめだよ」
ミクリは廊下へと出た。音はその外側からしてる。
ぱきり、と薄氷を踏んで割るような音がして、廊下に見えていた壁面にひび割れが生ずる。
――りん。
今度ははっきりと聞こえた。そう思った瞬間、割れたガラスが散るように壁が崩れた。
「おっと、生徒がいたか。すまない、けがはないか?」
伸ばされた手を掴む。ひどく小さい掌の持ち主を目撃し、ミクリは唖然とした。
様子をうかがいに出てきた生徒たちも、愕然とした表情を浮かべている。
割れた壁の向こうには懐かしい外の世界がある。
太陽の光に照らされて、紅色のドレスを纏った少女は微笑んでいた。少女の周囲には赤薔薇の花びらが舞い散り、花の香気を強くはなっている。
「名は?」
「ミクリです」
「覚えておこう」
「恐縮です、お、王姫殿下……なんでここに……。まさか私たちを助けるために?」
「そうです。そして……助けを求めてここに来たのです」
「どうか、お願いだ。私の騎士を救ってくれぬか」
画像や映像媒体を介してでしか見たことのない王姫紅華が、その紅色の瞳が縋るようにミクリを見つめる。
「騎士……マスター・ヒナガのことですね」
「そうだ。今、置かれている状況がわかるな。奴を助けて欲しい。むろん、私に賛同できぬというならキヤラ公姫の味方をすればよい」
女でもくらりとくるような甘やかな声と香り、眼差しの強さに、つい二の句もなく頷いてしまいそうになる。その欲望に耐え背後をうかがうと、学院の制服を着た、けれど見慣れない少年が溜息を吐いているのが見えた。
やります、と答えたのは、色香に落ちたからではない。
ミクリには、彼を助けたいと思う相応の理由があったからだ。




