75 未だ遠き理想の王国 -4
控室を出たところで、護衛を引き連れた黒曜に会った。
「……中に紅華がいる」
彼は無言で頷き、そっと左手を心臓の上に乗せる。
黒曜の行動に護衛の連中も従う。
「偉大な知恵に」
「やめてくれよ、そういう器じゃないって知ってるだろ。それに、僕はお前を味方だと思ったことはない」
「それでも戦うのだろう? 君に敬意を表さずにはいられないな、異邦の騎士」
皮肉のようにも、そうじゃないようにも聞こえる。黒曜の言葉の真意など、考えるだけ無駄だ。
どんな選択をしても、それはあくまでも僕の決断なのだ。
他人のために戦うってことは、それほど単純なことじゃない。いつでも万全でいられるわけじゃないし、時には自分の一番大事なものを犠牲にしてでも、という悲惨な決断が迫られる。むしろ、いつもその選択の繰り返しが大半を占めてるんじゃないかって気がする。テリハも、カガチも、天藍も僕も――みんなが未来を選んでる。たとえ一本にしか見えない道でも、そうだ。
「ああ。だから、お前も戦え」
そう言い置いて、会場に向かった。
市警の誘導がはじまり、観客は増えていた。でも秩序のある増え方だ。
しかし何より異常だったのは、修練場の床の真ん中に野外ライブのステージセットが出現していたことだ。
ほぼ正方形のステージはチョコレート色の幕で覆われている。
そのステージを、天藍は牙折りの柄に手を置いてぼんやりと見上げている。
「なんなんだ、あれ……!?」
「さあな。突然出現した」
突然って……なんでもアリなのかよ。ステージに近寄り、土台を支えている鋼材に触れてみる。質感はまったくの本物だ。
「何か感じるか、オルドル……」
『さぁ……青海文書の気配はずっとしているヨ』
「さぁって、もっとほかになんかあるだろ」
『キミもどうだった? ファーストキスの味は』
思考が停止する。
停止するっていうか、させた。
強制終了だ。今、それについて考えてしまうと、何もできなくなる。
「――あれは、そういうんじゃないから」
『じゃあ、どういうの?』
「いいから、キヤラを倒すことだけに集中してよ。僕が人形になったら困るだろ」
オルドルはふう、とため息を吐いた。
『マ、これが年貢の納め時ってヤツかもね。おそらくだけど、こいつの名は《理想郷のルレオリ》――端的に説明すると、コイツは自分の望むものをなんでも、自由に出現させることができる。万能にもっとも近いところまで迫った魔術師だ』
「なんでもって」
『モチロン、その万能には仕掛けがある……だけどそれを知ったところで、キミには何もできなイ』
どういう意味だ、と訊ねようとした瞬間、突然、ステージの四方を取り囲んでいた幕が落ちる。
ライトが点灯し、五色の光がステージの上を照らし出した。
ステージの上には巨大な水玉模様のピンクの箱が置かれていた。箱は黄色のリボンが十字にかけられて、その頂上にキヤラが腰かけていた。
「みんな~~~♪ お待たせっ! めんどくさいお仕事は終わらせてきたからもう大丈夫よ。マスター・ヒナガ、そっちは結局ふたりになっちゃったみたいだけど、大丈夫なの~~~?」
キヤラがマイクをこちらに向けてくる。
「君には負けないよ、キヤラ」
僕は懐から鎖を手繰り、契約の剣を取り出した。
人形になってしまったオガルやプリムラ、それに生徒たちのためにも、僕らは負けられない。イチゲやテリハを罠にはめたことを彼女が償うまで、僕はねむれない。
「天藍……また、君の力を貸してほしい」
「私ひとりでも十分だ」
そう言いながら、天藍は差し出した掌に、自分の手を重ねた。
刃が肌を薄く裂く細かな痛み。
鍔飾りがそれぞれの色に染まる。
キヤラは笑っていた。観客にとっては乙女の顔でも、血を啜る悪女の顔だ。
「――――さあ、素敵なステージをはじめましょう♪ あせらないで、準備はゆっくりとね♪」
僕らが身構える。キヤラはホウキに座り、パチン、と指を鳴らす。
すると、黄色いリボンがはらりと解ける。箱の四方がゆっくりと開いて、中にしまわれていたものが姿をあらわす。
それは閉じた本だった。
横倒しになった本はギシギシと軋む音を立てながら、表紙を開く。
本は飛び出す仕掛けになっていて、お城が立ち上がる。
そこそこ大きいとはいっても、ミニチュアサイズのそれだ。城の周囲には草木が生え、太陽が飾られている。
「昔々……ここは偉大な魔法の国。あるところに美しい王国がありました。王国に住んでいるのは美しいお姫様」
城の上にピンク色のドレスを着た……カリヨンが現れる。
どしん、どしん、と音を立てて巨大な本が揺れた。音は四方に取りつけられたスピーカーから流れているらしい。
こういうのの制御は、どこかでガレガがやってるのか? 謎だ。
「しかし、王国の平和も長くは続きませんでした。あるとき、恐ろしい竜が現れて王国を粉々に砕いてしまったのです」
ページが繰られ、ボロボロに崩れた城と、炎をふく恐ろし気な竜が姿を現す。当然、それは女王国の物語であり、青海の魔術の物語でもあることにも気がついていた。
「《どうしましょう、困ったわ》お姫様は瓦礫の王国で泣くばかり」
キヤラのナレーションに合わせてカリヨンが泣く演技。
天藍が牙折りを抜いた。
「待て。まだカリヨンは開始の合図をしてないんだぞ」
この茶番に付き合うと何だか悪いことになりそうだ、というのはわかってるのだが、ペナルティを食らうと非常にマズイことになるというのも確かだった。
キヤラはホウキを移動させ、お姫様の隣に舞い降りる。
「もう泣かなくてもいいのよ、お姫様。あなたに魔法をかけてあげるから♪」
キヤラが魔法の杖を振る。
すると、本のあったところから煙が巻き起こった。
白い煙幕は会場全体に広がり、視界を完全に塞ぐ。
煙の中央から、華々しい音楽と共にカリヨンが飛び出してくる。金色の光を撒き散らしながらピンクのドレスを脱ぎ去り、黒いドレスをまとう。
《これが、本当のワタシ~~~~!?》
「いいえ、あなたは戦うの!」
高らかに宣言したキヤラに続いて他の四人の声が「私たちと!」と重なりあう。
黒いドレスが脱げ、その姿は黒い鎧をまとった騎士の姿へと変身する。
煙が晴れると、そこに野外ステージは消えていた。
僕らが立っているのは石畳の広場で、正面には《城》があった。
目の前には漆黒の城門がそびえ、その奥にある城の上に、キヤラたち五人が立っている。キヤラ以外は背中を向け、ポーズを取っている。
《レディ~~~~スアンドジェントルメンッ!! これより血と勇気の祭典、その最終楽章ッ、最終試合を始めさせていただきますッ!!!! 試合形式は自由式! リミットなし、レフェリーストップなしの自由形!!!!》
第三形態となったカリヨンが手にした剣の柄に向かって叫ぶ。
その声は城の周りに置かれたスピーカーに乗って会場全体に届く。設置されたモニターには各国の字幕まで流れてる。
《魔術学院より出場は現竜鱗騎士団団長にして竜鱗学科期待のホープ、天藍アオイ!! そしてついでのマスター・ヒナガッ!》
「ついでってなんだよ、ついでって!!」
全力で突っ込んでみたが、僕の声はスピーカーからは流れないので、会場にはちっこい僕がなんかわめきながらバタバタしてる姿だけが流れた。偏向報道じゃないか、これ。
《対するは――藍銅の大魔女、美しき賢人、アガルマトライト五人姉妹! 救世主を女王国にもたらし、竜の脅威を打ち倒さんがため、危険をおかしてこの場にやって参りました!!!》
そのアナウンスはひどく大袈裟だったが、呼応するように会場のあちこちから歓声が上がった。
危険をおかしてるのはこっちだっつうの。
《女王国最強の武闘派魔術、竜鱗魔術に対してどんな戦法で魅せてくれるのか!? その問いはまさに伝統魔術は近代魔術に太刀打ちできるのか!? という魔術界の命題にメスを入れるものでもありますッ。決戦の火蓋は切られた!! ミュージックううううう、スタートぅおおおお!》
みゅーじっく?
明らかにキヤラよりの実況解説の結論に多大な疑問を抱いて間もなく、スピーカーから爆音が流れ始め、空飛ぶライトが城の上を華々しく照らし始めた。
「こ…………これは…………!!」
僕は絶句していた。




