74 未だ遠き理想の王国 -3
カリヨンが現れ、会場の四方に巨大なスクリーンが現れる。そこには困惑する僕らと自信満々な彼女が大写しになっている。
罵倒はやまない。
ここにいる客たちはキヤラの魔術によって恣意的に選ばれた人間だとわかってはいるのに、まるで海市全体が敵に回ったかのような錯覚を覚える。紅華たちが客を入れたがらなかったのはこれのせいだ。
予め予告のあった凛音歌劇場ではなく、急きょ修練場へと変更になったことですべてがキヤラのいいようになってしまった。
この修練場をつくりかえているのは、おそらくは青海の魔術だ。彼女は自分は青海の魔術師ではないと言っていたのが、確かに彼女が真実を語っている確証などはなからどこにもなかった。
「ちょっと、開けなさい!! 開けるのよ、コラッ!!」
閉ざされた門を外側からガンガン叩く音が響く。会場内の怒号に比べれば小さな物音だが、僕らやキヤラには届いた。
キヤラがそちらに指先を向けると、扉は自然と両側に開いていった。
現れたのは灰青色のスーツに身を包んだ熟女こと灰簾理事だった。飛んでくるゴミは手にもった月の飾りの杖で叩き落としながら、キヤラの前へと進み出る。
「お初にお目にかかります。私が魔術学院の理事、灰簾柘榴ですわ。まどろっこしい挨拶は省略させていただきますけど、言いたいことがあるの。学院の生徒を解放して」
灰簾理事は平常通り強気の口調だ。
「解放って、どういうことです?」と僕が訊ねる。
「どうもこうもないわよ」
彼女が言うには、学院が新手のテーマパークに魔改造された際、多くの生徒たちが学舎内におり脱出不可能になっているのだそうだ。
「あれでは拉致同然です。すぐさま解放されない場合は、正式に苦情を申し立てます。女王国と藍銅のどちらにもね!」
「あら、私としては彼らを保護したつもりよ? それに、そんなのは嫌だと言ったらどうなるのかしら♪」
「言いたいことはそれだけではないわ。今回の試合は凛音歌劇場で行われるはずで、本日、この修練場を使用する申請は行われていません。学則2256号3項によって本来なら一週間前に学院事務部に必要書類を提出せねばならないと規定されているの」
キヤラは微笑んだままだ。彼女と灰簾理事の間に見えない火花を散っている。
というか灰簾理事が何故こんなことをわざわざ言いに来たんだろう。
「もしも正当な理由があれば一週間の規定は免除されるけれど、その場合も申し立てが必要よ。様式は用意してきたから書類を確認して必要事項を記入の上、サインを頂戴、今すぐ」
「電子署名ではいけないのかしら」
「そのことについて事務部に問い合わせが必要ならその書面も用意しましょうか。あのけったいな城のどこに事務部門があるのかは知らないけれどね」
灰簾理事はぞっとするほど分厚い書類の束を突きつけた。そもそもこの文明の発達具合で紙っていうお役所仕事感は、僕も味わったことがある。
「……いい度胸してるわ♪」
「度胸じゃないわ、形式の問題よ」
キヤラは書類の束を受け取り、客席の観客たちに向かってウィンクを送る。
「……というわけで、みんなちょっと待っててね!」
どこからともなく机を取り出し、テキパキと書類を認めていく。
スクリーンにデフォルメされたキヤラの顔が浮かび、ただ今準備中ですので少々お待ちください、というメッセージが流れていた。
「一時間ももたないけど猶予を作ったわよ、この間に立て直しなさい! ということだな。中々のハッタリぶりです、叔母さま」
紅華の解説でやっと理事の真意に気がついた。
彼女は鈴を振る。紅薔薇の花弁が舞い上がり、修練場の客席とこちら側を隔てる結界を張って行く。一時だけ、罵声が遠くなる。投げ込まれたものも客席側に跳ね返っている。
彼らの抗議は物理的にはどうってことなくとも、心理的には最悪だ。
僕たちは紅華を連れて会場からは見えない控室に一旦、避難した。
「今のうちに黒曜を呼び、市警とマスコミを修練場内部まで入れろ」
天藍が言った。僕も同じ意見だ。
紅華もうなずいた。
「海市市民は完全に締め出すつもりだったが、こうなっては仕方がないな」
全て晒け出して、なるべく正しい情報を広く発信して、キヤラの思う通りにはさせないほうがいい。
「それからツバキ、私も貴方たちと戦う」
紅華ははっきりとそう告げる。
驚いたのは僕よりも、天藍アオイのほうだろう。
「……何のつもりだ?」
「天律魔法は戦いのためのものではないけれど、役にも立つはずだ」
「何のつもりだと聞いているんだ」
自然と天藍の口調が強い語気になる。紅華と、彼女の姉であり天藍が忠誠を捧げた姫君、星条百合白の関係を考えれば無理もない。
「玉座のためと答えるとでも思ったのか、白鱗の騎士。私はキヤラに殺された者たちのために戦うのだ」
紅華の表情には、凛音歌劇場でみせた怒りが舞い戻っていた。
「此度の戦いで傷つき、果てていった哀れな犠牲者たちはみな私の民だ。私がはじめた戦いで死なせた犠牲者だ。彼らの魂のために何もできぬと言うのなら、せめてキヤラに一矢報いて仇をうつ!」
天藍は面食らったようだった。
「私は……彼らの望む女王にはなれないかもしれないが、それでも王姫だ。民のそばを離れない。絶対に目を逸らしたりはしない」
彼女の語る言葉は、百合白さんとは何もかもが違っている。力強い炎、燃える紅色、凛と咲く赤い薔薇。そんなものが相応しい。彼女は他者のために自分の身を危険に投げ出せる少女だった。
天藍は銀の瞳を鋭く細め、何も返事をせずに控室を出ていった。
「女王国の危難であっても私とは手が組めないと言うのか、白鱗の!」
「紅華……落ち着きなよ。まさか君を連れて行けるわけないだろ」
まさか、こんなふうに僕が取り成し役に回るとは思ってなかった。
紅華は顔を真っ赤にして拳を握っている。
まるで小さな少女型の爆弾だ。
「たとえキヤラに勝ったとしても、僕たちが負けてみんな人形になったとしても、それは結末じゃない。君がやらなければいけないことはその先にある」
たとえ古銅がどうなろうとも女王国は竜にその一部を削り取られたまま、人々の悲しみも癒えないままなのだ。この国には彼女が必要だ。
不意に紅華の両手が僕に伸びた。両側からばちん! と音を立てて挟みこまれる。
「痛っ!」
とても痛かったけれど、それで彼女の気持ちが落ち着くのなら、それでいいと思った。
「ツバキ、言ったはずだ。私は犠牲など出したくないと」
「…………そうだね。でも、僕は犠牲になんかならないよ」
最初はひどい悪運だと思った。
とんでもない巻き込まれ方をしたもんだって。
でもここに来るまで、たくさんの物をみてきた。キヤラに殺された人、ミィレイとその家族。イチゲは一番大好きな人に銃口を向けて、それでも僕らを送り出してくれた。その先に僕は今いる。
「ありがとう、紅華。僕をここに連れてきてくれて……」
「何に対する感謝だ。こっちに来てからずっと、辛い目にばかり遭ってたくせに」
「うん。でも、向こうじゃ僕は価値のない人間で、ずっと逃げ続けて来たけれど、ここでならもしかしたらそうではないものになれるのかもしれないって思えたんだ」
話しているうちに少しだけ、紅華は落ち着いたみたいだった。彼女の眉間にぎゅっと怒ったような皺が寄ってるけど、少し泣きそうな表情に見えるのは気のせいかな。
「価値のない人間などいない……ツバキ、君は私の騎士だ」
「それも悪くないなって思うよ。君に勝利を届けるよ、王姫殿下」
「少し黙っていて」
「え、なんで」
「いいから」
僕は大人しく口を閉じた。
紅華のふたつの瞳はきれいなルビー色をしている。小さい頃、女の子たちが大切にしていたオモチャの宝石みたいだ。紅い紅い色が、ゆっくりと近づいて来る。華奢な体の重みを感じる。
唇に触れるだけの、微かな感触があって、ぱっと避けるように離れて行った。
「ツバキ、生きていて」
「僕は……」
「私が触れたのは、たったひとりだ。馬鹿な騎士……」
彼女は細い腕で顔を覆い、俯いていた。
「……行くよ」
紅華が小さくうなずくのを見て、部屋を出た。
死にたくないな、と少しだけ思う。
死なずに戻って、そしてまたあの綺麗な赤を見てみたい。




