73 未だ遠き理想の王国 -2
昔々、ここは偉大な魔法の国。
勇者と魔法使いは竜を倒すために旅を続けておりました。
しかしその間にも竜の炎は王国を容赦なく焼き払います。街は崩れ去り、畑を焦がし、人々はしだいに竜そのものよりも飢えや不和に苦しむようになりました。
明日をも知れない人たちは、やがて西の地へと移り住むようになりました。導の星を頼り進むと、高台の地に飢えも苦しみも無い果ての土地があるというのです。
そこでは作物や果実は四季のめぐりを待たずに実り、家畜たちは餌が無くとも生み増え続け、たとえ跡形もなく家々が崩れ去ったとしても、次の日にはまた元に戻ってしまうのです。
それが気がおかしくなった人たちの噂でないのならば、この国に唯一残された清浄な土地は最早そこしかありませんでした。
もちろん、そのような働きが自然のなせるわざでないことは確かです。
おそらく高名な魔法使いのしわざにちがいありません。
助力を請うために、勇者は果ての土地を訪れることにしました。
――そこに何があるのかは、オルドルにはまだまだ内緒。
*****
『場所は――あっち。魔術学院だヨ!』
「魔術学院!? ってことは、修練場を使うつもりかよ」
オルドルが方角を示すのとほぼ同時に、ノーマンが正しい座標を送ってくる。
天藍は容赦ない速度で空を駆け抜ける。いまは僕が紅華を抱え、さらに僕を天藍が抱えている、といった複雑なパズルみたいな状態だ。不本意ながらお姫様抱っこであるが、何かのバランスが崩れると落下して死ぬので文句は言わない。
「危ないから絶対に手を離さないで!」
「もちろん」
紅華は楽し気に首を伸ばして景色を見ようとする。僕を、未来の女王様を落っことして殺した大罪人にするつもりだろうか。
天藍はいつもより余裕の無さそうな表情で建物の天井スレスレに飛んでいる。ときどきぶつかりそうになってるのは、荷物が重くて高度が稼げないせいだ。もともと白鱗天竜は結晶の翼しか持たず、飛ぶのがあまりうまくない竜種らしい。
学院の建物が見えた。既に、学院には関係の無い野次馬たちが集まりはじめている。
キヤラが情報を出したのかもしれない。
試合をするなら修練場だ――が、目の前の光景を目にしてぎょっとする。
そこは僕たちが知っている場所ではなかった。
周囲を石の城壁が取り囲み、鉄の門扉が開き、周囲を水を張った堀が取り囲んでいる。花火が打ちあがり、壁の周囲には道化師の姿をしたバルーンが飛んでいる。これじゃまるで遊園地だ。
「何コレ!? なんでこんなことにっ!!」
「それより指定時刻に間に合わん!」
天藍が言うが早いか、僕を一瞬手放し、腰のあたりを抱くようにして勢いよく投擲した。
「んなっ……!!」
バカな。地上と空が目まぐるしく入れ替わり、大層な鉄の扉の間をすり抜け、大怪我コースで入場。かつて修練場だった施設に滑りこんだ。
それはいいのだが、ちょっと地上が遠すぎるな。
いくら間に合わなさそうだったからといってこれはひどい、と思いながら複雑骨折を覚悟した。
「時間が守れる紳士って素敵よ♪」
耳元で囁き声が聞こえた。
目を開けると逆さまの視界に、オレンジの瞳が宝石みたいに輝いていた。落下は止まって、僕は逆さまのまま空中に固定されていた。キヤラがホウキに乗ってにこりとする。
映像と同じ格好に、大きな魔女帽子をかぶった彼女のその髪に、オレンジ色の飾りがあった。不意にあの日、彼女が普通の女の子みたいだった一日が蘇りそうになり、記憶を振り払う。
「会いたかった、マスター・ヒナガ。貴方はどう? あれから私のことを少しでも考えてくれた?」
「当たり前だろ、考えてたよ。ずっと」
情熱的な告白みたいだが、本当のことだ。殺しに次ぐ殺し……汚いやり方で仲間を何人も失った。だから、僕はここに来た。
「冷たいのね。貴方とだったら、こんなバカげたことやめて、全世界を敵に回して逃げたっていいのに♪」
「ぜひそうして欲しいよ。テリハとイチゲの家族や、死んでしまった人たちをみんな返してよ」
「なんのことかわからないわね♪」
彼女が素早く僕から離れる。
浮いてるホウキを鉄棒みたいにして、後ろ向きに回転することで放たれた竜鱗を回避。つまり、無防備な僕が切り刻まれる。
次いで、腹のあたりに鈍い痛み。天藍が僕を回収して、地上に降り立つ。
「何をしてる!」
それはこっちの台詞である。
鉄の扉が閉め切られる。天藍は剣を抜いて警戒態勢。
僕も杖に手をかける。
「んふふ♪ それじゃ、役者は揃ったわね。そろそろ試合を始めるわよ」
「待った! 青海文書のこととか、説明はないわけ!?」
「説明ねぇ~。どうしよっかな♪ 説明したところで止められないと思うわよ、こんなふうに」
キヤラは指をパチリと鳴らす。その手に、ピンク色の杖が現れた。大きさは傘くらい。先端にハート型のピンクの石が輝いてる、メルヘンチックなやつだ。
彼女はそれをマイクのように扱い、呪文を唱える。
「――《昔々、ここは偉大な魔法の国》!」
魔力が広がるのを感じる。軽い地響きとともに、学院全体を覆い尽くす。
軽い地響きとともに、学院のすべての建物が石壁の城壁へと変貌していく。
「そんな――――!」
こっちは間抜けに大口をあけて見守るしかできない。
それから、指で観客席を《撫ぜる》。
すると、空席だった観客席に《人が現れた》。外に集まっていた野次馬たちと思しき人たちだ。彼らは突如として観客席に現れ、自分自身も戸惑っているらしい。
「あれ? ここはどこだ?」
「さっきまで外にいたはずなのに……!」
なんで。と訊ねる間もなく、驚愕のうちに彼女の魔法は展開される。
彼女が示したところに観客が次々に現れるのだ。彼らは戸惑って、あたりを見回し、僕たちに気がついて声を上げる。
「キヤラだ!!」
「王姫殿下もいるぞ!」
キヤラは邪悪な顔をしていた。それは非の打ちどころのない美しい女の笑みだが、全てを食らい尽くす魔性のそれだ。
「んふふ♪ 私は愉快な歌劇姫。ここは私のために用意された夢の舞台。だからすべてが望み通り……満員の客席、私を賞賛するファンたち。みんなが私だけを見つめててくれるの♪」
遠慮なく向けられる視線を浴び、彼女の頬が喜びに紅潮していく。
「どういうこと……!? 学院にだって警備員くらいいるはずだろ!?」
『空間をねじまげてる……っていうより、この空間そのものを支配下に置いてる!』
魔術学院と、その周辺すべての範囲において、距離も、障害物も無視して好きなものを好きな場所に配置し直したのだ、と説明されてもわけがわからない。彼女は一瞬で、修練場や校舎を、破壊することなく望む形に変えてしまったのだ。
「これって幻じゃないの?」
『存在も質量も全てが現実に存在している。別の場所にあるモノを移動させたワケでもない。《書き換えた》んだ。愚鈍なキミは気がついてないかもしれないが、幻ではせいぜい見せかけを変えるのが精いっぱいだ。でもこの魔術はちがう……!』
「さり気なく蔑みを挟むのはやめろ」
『よく考えてヨ。無から有を生み出すほうが百万倍簡単だ。もしもそれが可能なら、世界は彼女の望み通りになっちゃうだろ』
確かに。今のように建物も、地形も、好き勝手に変えられたら、この世は意味をなさなくなる。やろうと思えば、人間を別の生物にもできるだろう。カエルとか。
『これは《神》の領域だ』
神。そんな単語が、オルドルの口から出てくるとは意外だ……とか、感心している場合ではない。
客席から、矢のような言葉が飛んでくる。
「裏切り者っ!!」
飛んできたのは言葉だけじゃない。こっちに向けて、瓶やら缶やら、当たると危なそうなモノまで何もかもが飛来してくる。
「古銅を出せっ!」
「雄黄市を見捨てるつもりなの!?」
「うそつき!」
硝子が地面ではねて割れ、破片が飛び散る。
それは、明らかに僕たちに向けられている言葉と暴力だった。
暴動は一旦はおさまった。でも人々の胸に燻る火種のすべてが消えてなくなったわけではない。
悪意によって増幅された怒りが、憎しみが。故郷をなくした悲しみが。ただの好奇心が、猜疑心が、すべての感情がこちらに向けられているのを感じる。
「みんな~! 今日は集まってくれてありがとう♪ 女王国のた・め・に♪」
怨嗟の声が響き渡るその下で、キヤラは嬉しそうだった。
それが彼女のやり方だった。




