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旋律の吸血姫と眠れよ勇者 竜鱗騎士と読書する魔術師2  作者: 実里 晶
決着、戦友よ永遠に
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 番外編 椿と唐揚げ戦争


 合宿中、負傷と痛みと苦しみに慣れてしまうと、一番しんどい仕事は夕飯作りに変わった。

 訓練が終わってからの手伝いだから大半のことは終わっていたけれど、イブキは一日中台所に立ってたと思う。自分たちの食事は全部が終わったあとで、残りものに口をつけたときにはへとへとで味があんまりしない。

 一日目が終わった後、死んだような顔で味のしない、したとしても慣れない味付けの食べ物を死んだ顔でいつまでもいつまでも咀嚼しているのを見るに見かねたのかイブキが聞いてくる。

「何か食べたいものはありますか?」

「リクエストしてもいいの? 献立はもう決まってるんだろう」

「ええ、そうですけど、なるべくなら美味しく食べてもらいたいですからね。とくに先生は慣れない食事で大変でしょうし……」

「イブキ……」

 えええ、困ったな。それが正直な感想だ。

 イブキは人としては信用ならないが、なんていい子なんだろう。まさか、もともと食にこだわりがなく、ここ最近は毎日同じ弁当チェーンで同じ弁当を食い続けてきた駄目人間に好きな食べ物をなんでも作ってくれるなんて。

 食えればなんでもいい……だがこの解答がもたらす結果は、あまり好ましいものにはなりそうもなかった。

 仕方なく、巨大な冷蔵庫を覗き込んだ。

 育ち盛りを黙らせるために、魚より肉類が多い。多いっていうか、多すぎる。

 仕方なく、一番食べ慣れた食品名を提案することにした。毎日毎日来る日も来る日もただ黙々と食い続けたアレを。

「ええと…………じゃあ、からあげ」

 名前を口にしただけだけで、なんだか胸がむかむかした。

 部屋に閉じこもって《誰か》が帰って来なければいいのにと念じながら、暇潰しに黴臭い本のページを繰っていたあの時間が、一瞬の苦痛になって取り過ぎていく。

「カラアゲ?」

 イブキのたどたどしい発言で、聞き慣れた単語が返ってきた。

 簡単に料理の説明をしてみたが、どうやら女王国に該当する食べ物はないらしい。

 厄介なことになった。



 それからというもの、特訓の合間に《唐揚げ》なる食べ物を再現する試みがなされた。いい迷惑だ。まあ、うっかりそれを提案した自分が圧倒的に悪いんだけど……今更取り消すわけにもいかない。

 卵やにんにく薄力粉や片栗粉はなんとかなるのだが、日本と同じ調味料が存在していないので、ありったけの調味料を味見して、薄めたり、他のとブレンドして限りなく近い味を再現する作業が手間がかかった。

 お前って偉大なやつだったんだな、醤油。

 そんなこんなで翡翠宮で暴動が起きたり、ミィレイを起こしに行って失敗したり、いろいろあって唐揚げを夕食に提供できる準備が整ったのは、四日目……カガチにほんのすこーしだけ一矢報いた、その晩になった。

 僕は個人課題をこなす仲間達を横目にエプロンを着た。

 イブキは僕の姿を見つけると作業の手を止めて、にひひ、と笑った。

「いい感じに浸かってますよ!」

 巨大なボウルに下味に浸かった鳥肉が文字通り山のように盛られている。鳥であって鶏でないところがポイントだ。

「美味しくなるといいね……何をしたらいい?」

「付け合わせの野菜を切っててください。なんか足りなくなりそうなんで、自分は解凍の済んだこっちの肉を処理します」

 巨大な冷蔵庫から、やっぱり山のような肉が出て来る。

「いや、流石に食べきれないでしょ。何キロあるんだよ」

「五鱗騎士以上は基本1キロで計算してますね」

「キロって……いくらなんでも燃費悪すぎる……っ」

「あ、もちろん、ナツメ先輩は別ですけど」

 菫青ナツメは、竜鱗騎士で他の面子と同じく消費するカロリーは多いはずなのだが、使用する魔術の都合で一度に摂れる食事の量は制限されている。足りない分は休憩中にゼリー状の栄養ドリンクを飲むことで補っていた。

 彼女が三食のうち比較的、量が食べられるのが夜だ。

 そうはいっても、やっぱり他の人たちに比べれば少ない。


 もしも、と僕の頭が余計な思考を紡ぐ。

 彼女が竜鱗騎士になったら、同じような生活があと何十年も続くんだろうな……なんて。


 誰よりはやく食べ終わって、ぼんやりつまらなさそうに窓の外を眺めてる彼女を思い出し、何とも言えない気分になった。



*****



 決戦の火蓋は切られた。

 ――という表現は食事に関するものとしては明らかにおかしいが、目の前の惨状はそうとしか呼べない。

 新メニューは、概ね全員に否定的に受け止められた。

 何故だ、と訊くまでもない。虐待された犬みたいに瘦せ細った異界人が、まともな食育を受けて味覚を育んだはずがないと判断されたのだ。まったく正しい。

 だが、たとえ味音痴の考案でも、からあげ自体に罪はない。長きにわたり思春期食べ盛りの若者の圧倒的支持を得ているそれは、異世界でも熱烈な歓迎を受けることになった。まあそのへんの経緯は、そのへんに無尽蔵にある料理ものの異世界ラノベに大抵あるはずのカラアゲ回でも読んでくれればいい。

 なお前回の教訓をいかして今回は大皿に盛りつけるなどという愚行はおかさなかったので、パンケーキのときみたく料理の奪い合いによる死傷者は発生していない。

 ただ、おかわりに次ぐおかわりにより厨房が死ぬほど忙しいだけだ。

 おまけにコンロの数の都合により一度に揚げられる量にも限りがある。

「とりあえず、これが最後の皿です! 次のが揚がるのを待ってください!!」

 そう言って、野菜とくし形に切り分けた柑橘、唐揚げが五つのった皿をカウンターに叩きつけるイブキ。大人気ないランキングで一位と二位を争ってこのまま殿堂入りしそうな二人、黄水ヒギリと天藍アオイは、カウンターの向こうで火花を散らしながら向かい合った。

「――おい、そろそろ礼儀ってものを教えてほしそうな顔してるじゃねえか、後輩」

「無駄に年を取ったようだな。貴様が引け」

 イブキが、止めろ、と目で合図してくる。何故僕が。でも止めないと、また血を見ることになりそうだ。竜鱗騎士はこと食べ物のことになると人が変わるからな。

「提案がある、二人とも!!」

 鍋を頭にかぶりつつ、駄目元で制止する。まだ理性は消えてなかったらしく、二人は柄に手をかけはしたものの抜くまでは至らなかった。

 そこで取り出したるは、こんなこともあろうかと事前に借り受けたコインだ。

「ここは平和的に、そして公平に決めよう」

 じゃんけんやクジは、ルールを伝えるのがめんどくさい。でもこれなら簡単だ。

「いいか、これを高く投げるから――」

「ふん、それくらい説明されなくてもわかってる」

 ヒギリは自信満々に応える。

 よかった。異世界の猿にも知能がある……などと、安堵している場合ではなかった。

「勝負ってのはいつも単純だ。奪うか、奪われるか。つまりコインを手に入れたほうが勝ちだ!」


 ――――はあ?


 疑問を差し挟む暇もなかった。

 ヒギリによって奪われたコインは天井近くまで高く投げられ、僕の知らないルールによる未知の勝負の火蓋が勝手に切って落とされた。

 コインは落下の軌道に入る。


「もらった!」


 ヒギリが無邪気に手を伸ばす。

 そのとき、ふ、と天藍が息を詰めるのが聞こえた。

 ほんの一瞬だ。

 神速の抜き打ちが銀色の鎌鼬となってコインを二枚に両断し、再び舞い上がる。

「――――なんだとっ!?」

 さっと顔色を変えるヒギリ。悪いけどその台詞はこっちの台詞だからな。

 二枚になったらなんだというんだ? ともかく正確に表と裏切り分けられたコインが微妙に別の位置に落ちて来る。

「表だけ、裏だけではコインとは呼べず、両方を手に入れた者が真の勝者――だ」

 かっこつけてるところ悪いが、なんなんだその理屈。

 問題を二つに増やさないでほしい。

 二人が手を伸ばすが、瞬時にその手が引かれる。

 コインがあったはずのところを、熱線が正確無比に撃ち抜いてきたからだ。

「――――別にそうしろとかは言われてないけど、礼儀とか体面とかで声を大にしてほしいっていえない旦那のために銃を抜くのはどう考えても妻の役目、ってことで私参上! それは先輩のでしょ!」

 イチゲが手の中でくるりと銃を回す。

 隣では、テリハが恥ずかしそうにスカートを引っ張って着席するよう促している。

 ああ、世紀のアホ大戦が始まった。また無駄かつ虚無い戦いを防げなかった……意気消沈した僕はカウンターの中に引っ込んで、床に腰を下ろした。

 これ以上の惨劇はもう見たくない。怪我するし。

 戦闘音が頭上で鳴り響く中、冷気を感じてそちらを見ると、小さく可憐な音を立てて霧に姿を変えていたナツメが姿を現すところだった。

 氷の結晶が足になり、体になり、頭になる。透明な氷が色づいて肌になるところは何度見ても驚く。半分だけ氷の唇が、言葉を紡ぐのが小さな奇跡のようだった。

「…………ぼくのごはんは?」

「あ、そうだった」

 ナツメの分だけはいつも別に用意しているのである。

 少し緊張しながら皿じゃなくて、トレイに盛り付けた料理を手渡す。

「…………いつもとちがう」

 トレイの上には、きれいなドーム状にしたトマトライスとオムレツ、サラダにからあげが盛られている。小さなゼリーをつけたのは僕のこだわりだ。

 とはいっても、製作は主にイブキだ。僕が担当したのはトマトライスに立てた旗の絵と、アリスさん直伝レシピで作ったミニオムレツだけである。

 とはいえ旗の表には僕とイブキ、裏側にはごはんを食べて《美味しい♪》という顔をしてるナツメを描くなど細部には凝りに凝っている。

 なお旗の絵を見たイブキは「気が狂って妻子を殺し、殺した血で絵を描いて自殺した画家の画風に似てる」と言われた。たぶん、その画家も、絵はすごく上手だったはずだ。

「なにこれ」

「お子様ランチ」

 見えはしないが、透明な竜鱗を喉元に突き立てられた気配がある。

「……お子様ってとこは無視してください! ほら、君って一度に食べられる量が少ないから……量は増やせないけど、こうして色んなものが食べられたら楽しいかなあってとこが重要なわけで!」

 その点、お子様ランチは、その発想の最も近いところにあったわけだ。

 ナツメは武器をしまった。

 そしてじっとトレイの上を見つめ、おもむろにスプーンを握って、オムレツを小さくすくい、ぱくりと頬張った。

「…………ど、どうかな。おいしい?」

 一瞬だけ、伏せた瞳にきらり、と輝くものがあったような気がする。

 でも、再び僕を見上げた表情からは、その感情は消えていた。

「マスター・ヒナガ……どうしてこんなことするの」

「どうしてって……」

 言葉は少ないが、それは真剣な問いかけだった。

 真剣に訊ねられたら、こっちも冗談で返すわけにはいかない。

「食事って毎日するものだからさ。ご飯食べてるときに、寂しかったり……自分はひとりぼっちだって思ったりするのって、嫌じゃないか。お節介かもしれないけどナツメは仲間だから。そんなふうに思ってもらいたくなくて……」

 ナツメはしばらく黙っていた。

 気まずい。めちゃくちゃ気まずい。

「お人好し……」

 ナツメはそれだけ言って、トレイを持って厨房から出て行く……。余計なことをしたようだ。

「…………オムレツ、おいしかった。またつくってほしいな」

 彼女の姿が見えなくなる一瞬、そんな一言が聞こえた。

 振り返ると、その姿は消えていた。

 おいしい、と自分の作ったものを評価されたのは初めてだ。

 複雑だけど、少し嬉しいと感じてるのも確かだ。

「ヒナガ先生も、さっさと食べちゃったほうがいいですよ。そしてこっちの作業を手伝ってください!」

 汗だくのイブキが取り分けておいてくれた皿を差し出してくる。

 カウンターの向こうでは、とうとうヒギリが竜騎装を使い始めた。

 カガチ先生がいくら鷹揚といっても、鉄拳制裁が下るのも時間の問題みたいだ。

 騒々しすぎる風景を眺めながら食べるからあげは、未知の味がした。

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