70 隠れ家 -2
扉を開けると、三人の人物がなだれこんできた。
ひとりはアルバイト先の制服を着込んだイブキ、残るふたりはノーマンとクヨウ捜査官だ。
「ああ、もう、変装した意味がまったくないっ!」
堂々と私服のまま押しかけてきた大人たちを横目にイブキが嘆きの声を上げる。
イブキが運んで来たのは大人二人を除くと他には箱に入った料理の山だった。料理を包む宅配用の袋は一抱え以上ある。中身が全て料理なら大掛かりなパーティができそうだ。もちろん、それはなんの変哲もないデリバリーの偽装に過ぎない。
「おふたりとも事態の深刻さがわかってるんですか!? マスター・カガチや先輩方という強力な援護を失って、このままじゃ二人っきりでキヤラ公姫たちと戦わなくちゃいけないんですからね」
イブキはテーブルの上へと荷物と一緒に目いっぱいの文句を乗せる。
「ああ、困ったなあ。イブキが仲間に入ってくれると心強いんだけどなあ~~~」
「それは全力で却下。うちの両親はいつ死んでくれても構いませんけど、まだまだ自分は死にたくありません」
「ノーマン副団長は?」
「残念ながらこれから翡翠宮詰めだ。カガチが突破されるとは万に一つも思えないが、この機会に古銅を奪おうって輩がいないとも限らないからねぇ」
まあ、それはそうだろうな。超適当な勧誘は失敗に終わった。
「とりあえず、これで自分の役目は果たしましたからね。感謝してください」
他の料理を取り除くと、彼女がそこに隠していたものが明らかになる。
その中身を確認し、僕は自然と眉間に皺を寄せた。
「これは……なんで、これがここに?」
天藍は底にしまってあったものたちの中から二振りの剣を取り出した。
鞘から刃を抜く。そこにあったのはマスター・カガチの《牙折り》だ。
竜の牙から作られた、唯一無二の剣。
「合宿所を抜け出すときに一足先に海市に運んでおくように言われたんです」
荷物が重いから、先に送っておこう、みたいな気楽な話ではなさそうだ。
天藍は剣を抜き、その鋭さを確かめるように構えた。
イブキは「ひええ、本物だぁ……」とわけのわからない音声を発している。
ノーマンに目をやると、酒瓶の栓を素手で抜く仕事の傍ら、無言でうなずいた。彼女はカガチが現役時代の副官だ。カガチの牙折りを何度も目にしている。
ちなみにクヨウはというと葡萄酒を選んでいて無関心。こいつら自由すぎる。
「これが本物ってことはカガチは別の武器を使ってるってこと? あ、いや、そういえば……」
一度、訓練中にテリハの《息吹》を間近で受けたとき、竜鱗魔術の効果によって使用不能になっていた。竜から作られた武器は他者の魔術に抵抗するはずなのに。
もしかすると、それは既にレプリカだったのかもしれない。
つまりカガチは合宿の期間中、敢えて牙折りを使っていなかったことになる。
問題は、何故そんなことをしたのかだ。
もしかしたらカガチの切り札のひとつである《牙折り》の性能を見せたくなかったのかもしれない。裏切者と、そこにくっついてるだろうキヤラたち、その誰かに。
「気がついてたんだな、とっくの昔に」
カガチがあそこに残ったのは、たぶん彼が教師だったからだ。僕のことを待ってくれて、そして大局を見ろと諭したように……テリハにも同じようにしたんだろう。
マスター・カガチは、そうやって《負けさせてくれる》人なんだ。理不尽で、どうにもならないことを諦めさせてくれる。そして諦めを憎むのでも世界や自分のいたらなさに憤るのでもなく、ただ先に行けと背中を叩いてくれる人だ。
僕がどうすればいいのかを、そうやって教えてくれた。
「先生?」
イブキが怪訝そうな顔で、じっと黙っている僕の前で手をヒラヒラさせる。
ぎこちなくだけど、笑ってみせた。
「……なんでもない。大丈夫。戦うよ」
どうしようもなく恐ろしくて、不安しかないのに、大丈夫だと思える。その恐れも越えて、後悔を拭って、きっと踏み出せると確信する瞬間がある。きっと勇気とか呼ばれてるものだ。
そんなものが自分にもあるんだということと、正体不明のそれがどこから来るのか、いま、はじめて知った。
『でもさあ、キミはその《感情》では戦えないわけだヨ』
オルドルの腹が膨れなくても、感情は感情だ。
取り込み中すまないが、とクヨウ捜査官が切り出した。
騎士団の副団長であるノーマンはともかく、クヨウがわざわざ姿を現したのが不思議ではあったのだ。
「耳よりの情報をお持ちしてやった。国宝に較べればささやかな品だがね」
クヨウがもたらした情報は、キヤラが殺して回った現場から唯一まともに逃げ出すことに成功した吸血鬼、ニムエの居場所だった。
~~~~~
ヴァンパイアは子を為さない不死者だが、血を分けることによって子分を増やす。
ニムエは藍銅と女王国に棲む一族の《アルファ》……つまり最初の不死者だ。吸血鬼たちは、基本的に血を分けられたものには逆らえないため、ニムエは一族の全ての者たちに命令し従わせることのできる不死者の女王、ということになる。普通なら。
もしもキヤラが吸血鬼化しているのならニムエの命令権は彼女にも及ぶ。一応。
ニムエはキヤラに襲われたあと国外に逃亡したと思われていたが、海市に留まり、同胞たちに匿われていたらしい。
僕たちはツーシートにぎゅうぎゅうになりながら、クヨウと一緒に《猫の目亭》とかいう酒場に向かった。そこは雑居ビルの一階にある薄暗い入り口で、ウファーリのとこのスラム街ほどではないが、あんまり筋はよくなさそうだった。
「ガラが悪そう」
「よくわかったな。悪いぞ、とても悪い。悪すぎて私の仕事になりたがっている」
クヨウは、ここをたまり場にしているのは、女王国には本来いてはならない魔法生物種だ、と告げた。
ニムエが女王国への滞在を認められたのは異例中の異例。長きを生き、時折、人とは違うやり方で爆発的に仲間を増やす彼らは本来は厄介者なのだ。居住を認められない者が、こういう場所を根城に地下組織を形成して互助会のようなものを形成し、時に暴力団のように力を振るうことがあると彼女は簡潔に説明する。
「それって結構やばいやつじゃんか」
「ああ。近いうちに市警が叩き潰す拠点だが、社会科見学といこう。なに、竜鱗騎士団団長殿、手加減などしてくれなくていいのだよ?」
クヨウは黒い唇でにやりと笑う。
僕は服を変えさえすればいくらでも背景に溶けこめるが、天藍はそうはいかない。ただでさえ目立つ容姿を隠すためにかぶったフードの下から青色の瞳がクヨウを睨みつけている。
その瞳の色は銀ではなく、青だ。髪の色も純白から本来の黒い色に戻ってる。
容姿が目立ち過ぎるので、有り余った竜鱗を不活化させる腕輪を余分に嵌めている。この状態だと竜鱗魔術が使えず、それがもたらす効果がほとんど消えてしまう。要するに今の天藍アオイは真人間だった。
「心配だから僕が行くよ、いま怪我されると困る」
「来なくていい」
そう言って彼は躊躇いなく扉をあけ放ち、中に入って行った。まだ昼にもなってないので客はまばらだが、フロアに男が三人。グラスを磨いている店主がひとり。全員、顔が青白いのは照明のせいばかりでもないだろう。
天藍が入って行った瞬間、全員が緊張したのがわかる。
「ニムエはどこにいる」
その名前を出したら、さらにだ。
心なしかみんな、人相が悪くなった気がする。
手前の男がスーツの胸ジャケットに手を突っ込んだ瞬間、天藍は弾丸のように懐に飛び込んで行った。跳び蹴りが側頭部に刺さり、続け様に懐に突っ込んだ手を目がけて後ろ蹴りが叩き込まれる。銃か何かを掴み損ねた手を掴み、引き寄せる。
その瞬間、銃声が響き、背負い気味にした男の体が跳ねた。
背後で二人が狙いをつけている。
テーブルの上に置かれたガラス製の灰皿を投擲、手前のひとりの顔面に命中。
さらに背負った男ごともうひとりに接敵する。右掌底が奥の男の顎を打ち抜き、前蹴りが無防備になった脛を蹴り折る。
「誰が心配だって?」
クヨウが煙草を吸いながら現れ、僕の肩を抱き寄せる。
「もちろん…………敵が」
経緯は省くが最後に残った真ん中の奴は懐に食らった拳で沈んだ。
天藍アオイは竜鱗騎士だから強いのではない。元々ずば抜けた運動能力と戦闘勘の持ち主で、その上にたまたま竜鱗魔術が乗ってるだけなのだ。
カウンターにいたマスターらしき人物は、戦闘を拒否して諸手を上げている。
奥から、護衛らしきタンクトップ姿の巨漢が出てきて、全身に毛を生やし灰色の耳を生やして自分が《狼人間》であることを全力で主張していたが、牙折りの一本を抜き、美姫の顔に地獄の悪鬼じみた凄惨な笑みを浮かべる真人間のほうがよほど怖かったので、カウンターに寄り道してからその場を撤退することにした。
「裏口に回ろう」
一旦外に出てから細い裏路地に回ると、案の定、白いシャツの少女が駆けだしていくところだった。
「待て、ニムエ!!」
「そう言われて待つアホがいるかっ! わしは逃げるのじゃ!」
「その前にこれを見ろっ!!」
僕はさっきカウンターから拝借してきた瓶の中身をぶちまけた。
中身は、めいっぱいに詰め込まれたつまみの木の実類であった。
多少、馬鹿正直なところのあるニムエは背後を薄目で確認し「んなっ……!」とか言いながら目を見開いた。
「そんな……卑怯者めが……!」
彼女はふらふらとこちらに歩いてくると、散らばった木の実の前に座り込んだ。
そしてひとつひとつを指でさしながら、ひい、ふう、みい、よ、と古風に数えはじめた。
吸血鬼や妖精や、人でない者たちはなぜか細かいものの数を数えずにはいられない。……世界各地に伝わる、実際目にするとなんだか物悲おもしろい習性である。




