68 騎士幻想 -2
緊張し、杖を握る手に力が籠る。
戦えるのか? 僕は、彼らと。
上昇し続けていた天藍がいきなり滞空する。
それから僕の体を掴んだまま翼を畳み、地上に向けていきなり背面ダイブする。
「――――うわっ!! な、なにするんだ、いきなり!!」
「しがみついていろ、離すな」
滑らかに縦回転しながら落ち、再び翼を広げる。凄まじい速さで炎上するバスの黒煙を抜け、銃弾の射程内に飛び込んでいく。
鉛弾の雨の中を翼を広げて回転。叩き落とす。
こんな無茶な飛び方、はじめてだ。
死ね、殺せ、と唸る銃声の大合唱をもあっという間に置き去りにしてしまう。
「菫青ナツメだ。追ってきている。探せるか?」
「――え?」
そういえば、戦闘が始まった途端、彼女の気配を感じなくなった。
全身を気体に変えて、追って来てるのだ。
『四時の方角!』
天藍の肩越しにそちらを見ると、靄のような魔力の動きが八か所に散って見える。オルドルの瞳が魔力を感知して、視覚化させているのだ。
視線に気がついたのか、ほんのわずかだったそれらも消えていく。
そして八つの透明な竜鱗が撃ち出された。
「《昔々、ここは偉大な魔法の国》――!!」
慌てて紡いだ盾が殺到する刃の軌道を変える。
でもすぐに次がまた来る。しかも今度は発射地点がわからない。
がくん、と大きく揺れる。
姿を現したナツメがナイフを持ち、天藍の髪を掴んでいた。
「ここで……お前は落ちろ!」
不意にバイクのエンジン音が耳に入る。
背後から、バイクに乗ったイネスが全速力で追いついてくる。後ろにはウファーリも乗ってる。たぶんあれは、雄黄市解放同盟の奴らのものだ。
「落ちるのは手前だ!!」
牙を剥いたウファーリが後部座席を離れ、手にした武器を突き出す。
それはイネスの突撃槍だった。咄嗟に腹部を霧に変え、刃を回避する。
その瞬間、ウファーリは引き金を引いた。
刃は一瞬で赤くプラズマの熱で燃え上がり、煙が上がる。
「あああっ!! ああああああっ!!!」
ナツメが甲高い悲鳴を上げ、天藍から手を離し、地面を転がりのたうち回る。
いかに巧みに霧に姿を変えていても、それが自分を構成する一部であることに変わりはないのだ。
「先生、先に行け! あいつの相手はあたしらがやる!」
「ウファーリ……」
「死なせるな、だろ? ここで止めないと、あいつらは絶対にやっちゃいけないことに手を出しちまう。あたしのことは先生が止めてくれた。だから、今度は」
金色の瞳が荒れ狂う暴風ではなく、頼もしい意志の光を湛えて追走するテリハとイチゲを見つめている。僕はウファーリを守りたかった。危ない目になんか遭わせたくなかったのに、ここまでついて来てくれた彼女を頼もしいと感じてる。
「君が友達でよかった。ほんとに」
返事の代わりに《そうだろ?》とでも言いたげな笑みが返ってくる。
イネスが親指を上げて減速。
二人から距離を稼ぎ、天藍は背後を振り返った。
漆黒が颶風となって駆け抜けてくる。
片手で僕を抱えたまま、天河の剣を受け止める。天河は二刀である。逆の刃が脇腹を裂き、血が流れる。
「天藍!」
「うるさい、黙れ。腹が立つ」
うるさいも黙れも集中力を削ぐだろうから仕方ないにしても、腹が立つとは何ごとだ。怒りを噛みしめていたところ、刃を挟んだにらみ合いをやめ、ふたりは一旦離れた。
「テリハ、本当に……キヤラと交渉するつもりか!? 古銅を翡翠宮から奪って……!」
海市にはノーマンも、他の騎士団の正騎士たちも控えている。仮にできたとしてもテリハは罪をいくつも犯すことになる。学院にはもう戻れない。
騎士になる道も、当然のことながら断たれるだろう。
「そのために仲間も巻き込むつもりなのか? 君のことを信じて力を貸してくれた仲間を! 他にも方法があるはずだよ!」
一瞬だけ……ほんの一瞬だけ、気持ちが揺れた気がする。
でもすぐにテリハの表情は仮面の下に隠れ、二人は再び激突する。彼はひたむきで真面目過ぎる。敵の言葉になんか絶対にブレたりしない。カガチの教え子として最高の教育を受け、それに適合した間違いなく最優の生徒だった。
天藍は僕を抱え、庇い、防戦一方だ。
急所を守るのが精いっぱいで、傷はどんどん増えていく。
「イチゲ、君はこんな結末でいいの!?」
「私? 私は先輩に、地獄の果てまでついていくって決めてるから。だって、愛し合うふたりは永遠にいっしょなの」
徐々にわかってはいた。イチゲは名誉や栄光なんていう騎士の幻想などとは離れたところにいる。その代わり、どこまでもテリハのため、それが彼女の幻想なのだ。
彼女は両手に真っ白なオートマチックを二丁、生成する。
彼女の掌が鱗に覆われ、それが剥がれて小さな結晶になり、無機物が生成されていく様はどこか幻想的だ。
「私たちずっと二人だったんだもん。あの孤児院で育って、学院に入って、竜鱗騎士になって……ずっとずっと戦い続ける未来しかなかった。あんただってそうでしょ、天藍アオイ」
天藍はうんともすんとも言わない。
「……ちょっとくらい何とか言ったらどうだ、天藍!」
「なんとか」
「お前に赤い血が流れてるってことが世紀の大発見に見えるよ!」
ブレなさでいけば、テリハとアオイは同じくらいのレベルだ。
惚けた返事を聞いたイチゲはおかしそうに身を捩って笑う。
「なんといわれようと私がすることは変わらない。だから――貴方をひとりにはさせない」
テリハが一旦引き、イチゲが援護に入る動きをみせた。
閃光が弾け、爆発する。《イチゲとテリハの間》で。
見間違いかと思ったが、そうじゃない。
確かにイチゲがテリハに銃口を向けて引き金を引いたのだ。
爆発は闇色のマントに防がれるが、爆発の勢いでテリハが後退。
イチゲは僕たちに背を向け、テリハに向けて無造作に連射する。
「というワケで、さっさと行きなよ、ふたりとも」
「――――えっ、ええっ、何ソレ!?」
「私はね、先輩のお嫁さんでもお母さんでも、先輩の助けになれるなら何でもなりたかった――でもダメだ。ダメだった!! 私がここで戦わなかったら先輩はひとりぼっちになっちゃう!」
イチゲは苦しそうに引き金を引き続ける。
テリハが放ってくる竜鱗を紙一重に避けながら、それでも狙いを外さない。
「私は女の子じゃないし、普通でもない。泣いても喚いても竜鱗騎士だから。私が守りたいのはテリハ、お前とお前の未来だっ!!」
そう言いながら、両手の拳銃を砕く。
両者を一つに合成し、ショットガンへと形態変化。
散弾を乱射する。テリハの竜騎装は、それらしく見えないが竜鱗の鎧であることは間違いない。抜けはしないが、絶え間ない射撃で立てないらしい。
その間に天藍が僕を抱え直し、地面を蹴って羽搏く。
「――――イチゲっ、どうして!」
叫んだが、答えはわかってた。
《みんなを英雄にして。そのためならなんでもする》
イチゲはそう、僕に頼んだ。
最初からそうだった。彼女はテリハの裏切りを許してなんかなかった。
竜鱗騎士として、そしてテリハの幼馴染として。彼が道を外れることを誰よりも案じていた。だから僕に協力したんだ。僕なんかに。
ふたりの姿が離れていく。
イチゲが一瞬、こちらを見上げた。
その体には二条の鋼鉄が巻き付いていた。テリハが竜鱗魔術で自分の剣の性質を変え、鞭のように使ったのだ。
テリハが絶望に満ちた暗い瞳で、彼女を睨んでいるのが見える。
その口元が動く――何故、裏切った、と。
青年の表情の上で憎しみの炎が燃えている。
裏切ってなんかない、そう叫んだが、声は届かない。彼女は誰よりも忠実だった。絶望に挫けそうな今も、彼を支えて正しい道に導こうとしている。
でも、それは復讐に燃える心には届かない。
テリハが柄を引く。
巻き付いた刃が彼女の体を引き裂きながら手元に戻る――その先を見ているのが辛かった。残酷過ぎる。
吹きつけてくる風が冷たく、凍える。
悲しい、虚しい、いろんな感情が混ざり合って、涙が出そうだ。
この七日間の結果がこれだ。
「他の方法って、何なんだよ……」
杖をきつく握りしめる。テリハに向けて咄嗟に答えていた何の根拠もない言葉だった。でもそう言わずにはいられなかった。
「私も、それが知りたい」
答えが返ってくるとは思ってなかった。
たった一言だけ、ひどく乾いた声だった。銀の虹彩は既に前だけを見つめていて、まるで聞き間違いのようだ。
道の向こうから、カガチがこちらに向かってくるのを確認し、海市に向けて速度を上げる。




