67 騎士幻想
キヤラは手段を選ばない女だ。偶像のように愛想を振り撒き、ワガママで放漫な女を演じながら心の中は誰より冷徹。自分の目的のためには人を陥れたり、殺すことを何とも思っていない。そのキヤラが、勝利を手にするためにこんなに簡単な手を打たないはずがなかった。最小限の労力で、多大な効果を得られる――《脅迫と誘拐》っていう、単純明快な方法を。
イチゲはするりと隣の天河に寄り添う。
「後から気がついた間抜けが何かいってるよっ、先輩。確かに護衛をつけてはくれたけど……あれは違う。魔術で作られた土人形なの。みんなもそうなのか、私と先輩の脅迫対象だけがそうなのかはわからないけど」
キヤラは僕だけでなく、天河とイチゲにも接触していた。合宿に向かう直前、ふたりに人質解放の条件を突きつけた。
「私たちの役目は、選抜メンバーに選ばれてヒナガ先生を孤立させること。それができない場合は確実に息の根を止めてマスター・カガチの足止めをさせることだったの」
これは、事情を知っていた面々も驚いたらしかった。
もしかしたら、他の人たちは《脅迫》だけがあったのかもしれない。
とにかくイチゲたちは仲間に――菫青ナツメと黄水ヒギリに協力を持ち掛けた。ヒギリとナツメのふたりは事情を聞き、チームメイトと運命を共にすると約束したのだった。
そして最終日、天河は天藍との対戦中にイチゲの魔術による援護を受けて離脱。何も知らない僕を殺して平然と練習に戻った。
「教えてくださいマスター・カガチ、守るべき者たちを守れぬなら、なんのための騎士なのです」
低く押し殺した声が響く。
彼はかつて、家族のために戦うのだと誓って竜鱗を受け入れた。
移動のバスで僕に自分の過去を話したのも、選抜メンバーに入れるつもりがあるかどうかを試すつもりだったのかもしれない。それに、この合宿中、何かに悩んでいる風でもあった。ヒギリの協調性の無さを咎めず、ただ見守ったあのとき――その正体を見抜けていたら……いや。違和感は感じていた。
だから、僕はテリハに殺される直前に彼を試した。
選抜メンバーに選ばれないと知ったとき、彼がどう行動するかを見てみるつもりで心無い嘘をついたんだ。まさか即死するとは思わなかった。
カガチがテリハの問いかけに答える。
「そうだ。家族は見殺しにしろ、死者を踏み越えて私とマスター・ヒナガと共に行き刃を振るえ。失われた魂の嘆きは勝利の栄光によって弔われる。彼らは女王国に報いた英雄となる……それがお前たちの進むべき正しい道のりなのだ」
それはあまりにも残酷で、多分な嘘が付け加えられていた。
勝利の栄光など生者にとっても死者にとっても何の慰めにもならない。カガチだってそれが真実だとは思ってないはずだ。
でもカガチはその嘘をつき通そうとしている。
何故なのか、僕にはわかる。それが騎士だからだ。
強敵を前にしたとき、騎士たちは己の命、己が命と信じる者たちを省みてはいけないのだ。迷えばたちまち戦えなくなる。
死と引き換えにされる名誉があるという幻想を妄信することは、命を賭ける理不尽さを消してくれる効果がある。それは一度、否定の言葉を口にすると打ち砕かれてしまう脆い言葉の鎧でもあった。
テリハの表情は、それに納得できないという顔だ。
「そんな馬鹿げたことのために家族を犠牲にはできない」
「そのためにマスター・ヒナガを犠牲にするとしてもか?」
家族がどんなものか僕は知らない。
でも、テリハはそのために犠牲は厭わないだろう。
「だけど――ちょっと待ってほしい」
重たい空気を割って、発言する。
「悪いけど……僕は殺せないよ。死んだ瞬間にオルドル……使役魔が自動的に僕を復活させる。肉体を再構築し、保存した《記憶》をそこに乗せ換える。半強制的にだ。だから誰にも殺せない」
しん、と音が消え、炎が爆ぜる音と熱だけが吹き荒れる。
もしかしたら、今殺せば二日ほど目覚めない可能性もあるから、目的は達成されるのかもしれないが……。
でもキヤラが提示した条件は《僕を殺すこと》だ。
「キヤラはそのことを知ってるはずだ」
自分でも、恐ろしい考えだと思う。
だけど、キヤラははっきりと言ったのだ。
《貴方に魂はあるの?》
そう聞いたのだ。金鹿の書を受け取ったあの日、デートの最後で。
あれは恋人たちの無意味な会話の模倣なんかじゃない。彼女は僕の魔術の本質を知っている。
生き返る度に魂の連続性が途切れるという致命的な欠陥のことを。
その上で、彼女は僕を殺せと言ったのだ。
「つまり、キヤラは最初から実行不可能な命題を与えたのか」
これには、カガチも驚いたようだった。彼女たちはせっかく奪った人質を返すつもりなんかなかった、という考えは妙にしっくりくる。返せば致命的な証拠に繋がる。それよりは証拠もろとも殺してしまったほうが、楽だ。
女王国が魔法を禁止にした理由が骨身に染みて理解できる。
魔法を使えば細胞の一片も残さず、死体を消すなんてお安い御用なのだから。
「そ、んな……!」
テリハはショックだろう。
最初から掌の上で転がされているとも知らずに……いや、人質との交換条件を提示された時点で本質が見えなくなっていただけだ。
「今からでも遅くないよ。人質を救う方法を考えよう」
説得を遮ったのは、テリハたちではない。
カガチがすらりと剣を抜いた。
「――先生、天藍と行きなさい。私は後から参ります。教師として、道を誤った彼らに引導を渡してやらねばなりませんので」
天藍が問答無用で僕の腰を抱える。
「引導……って。離せ、天藍!」
「無駄だ」
天藍が冷たく答えるのが早いか、じっと目を瞑っていたテリハは、群青の瞳をかっと開き獣のように吠えた。
「私は貴方たちとは違う! 守るべき者を守らず、雄黄市三十万の市民を犬死にさせたお前たちのようには絶対にならない! 条件を満たせないのなら――魔女の求めるものを手にし、交渉するまでだ」
その瞳には滾るような感情が燃え盛っている。
「交渉って……何をするつもりなんだ……!?」
「古銅イオリだ」と天藍が言う。「それしかない」
人質交換に足りる条件を満たす者は、ひとりしかいない。
「でも、彼は今、翡翠宮に……! 翡翠宮から古銅を奪うなんて、それこそできるのか!?」
「奴は八鱗騎士だ。一対一の戦いを止められる者はそういない」
裂帛の気合いとともに漆黒の刃が抜かれ、走る。
やめろ、という僕の声は、もう誰にも届かない。
内容はどうあれ、テリハは決断した。
彼には選択肢があった。このままその事実を誰にも話さず試合に向かう、あるいはすべてを他者に告白して僕たちに助力を求めることもできた。その全ての選択を振り払い、この、破滅しかない結末を選んだんだ。
彼は英雄になれなかった。
でも。
「――――でも、まだ騎士じゃない。彼らは騎士じゃないっ! 英雄になる必要なんかない!! 僕たちには彼らを守る義務がある。違いますかマスター・カガチ!!」
天藍が問答無用で翼を広げ、飛翔する。光弾と、ようやくバス大爆発の衝撃から立ち直ってきたナントカ同盟の射撃が追ってくる。
「リブラ、お願いだ。サカキ先生とここに残って! もしも僕の願いを聞いてくれるなら――僕のために力を貸してくれるなら、誰も死なせないでくれ……!」
僕は必死に地上に呼びかける。
狂乱の中に置いてけぼりのリブラは、追い詰まった声で問い返してくる。
遠すぎて音声が聞こえないが、あれは相当、キレてるな。
「どんな怪我をしても必ず生きて帰れ、とか言っているな」
天藍は無表情に言って高度を上げた。声はもう届かない。
生きて帰れ……か。地上では、テリハとカガチが戦っている。テリハの援護をするのはイチゲだ。
そこにヒギリが割って入り、カガチの剣戟の合間をすり抜け、ふたりがこちらに上がってくる。
天藍は片手で剣を抜きながら、冷たい瞳で彼らを睥睨する。
「家族のため――か。哀れで愚かな男だ」
天藍は何の感情もこもらない声で言った。どこか退屈そうでもある。
こいつには、テリハがどうして必死になっているのかが理解できないのだろう。
非情であるために、他者を受け入れず、遠ざけて孤立を選んだのだから。
そして僕と同じに《家族》が何なのかを知らない。
反対に、愛を知っている者が裏切り、追いかけて来る。
大切な者を救うために。
理不尽さを受け入れず、立ち向かう主人公みたいに。
いつかのマリヤみたいに……。




