63 時を止めてよ、今
《みんな~っ! 明日の試合の予定をお届けするわねっ♪ 試合開始は正午きっかり! 場所は女王府立凛音歌劇場よ。遅刻しちゃ駄目だぞ♪》
キヤラと四人の姉妹たちがポーズを取る。
ほんの短い動画が電網世界と魔術通信網を駆け巡った。
当然、動画は削除されたけれど、彼女たちの活躍を願う誰かによって複写され、無限に増殖し続けている。
でもこれで、彼女が凛音歌劇場に現れることは確定したのだ。
第二代翡翠女王硫蒼凛音は文化活動や芸能を奨励した。彼女が建てさせた歴史的な野外劇場は時代の流れで失われてしまったが、今でも近代的なアリーナに名前が残っている。それは翡翠内海に半分せり出したような特殊な外観をしており、著名な歌手や演奏者であれば、誰もがその劇場を目指したいという憧れの場所でもある。
今頃、黒曜たちはこの場所を戦場に変える準備におおわらわのはずだ。
それがどんな種類の戦いになるかわからない以上、市民を近づけるわけにはいかない。でも海市でくすぶっている、人々が心に灯した怒りの炎はそう簡単には消えやしないだろう。
さて、そんなこんなで合宿最終日だ。
風呂場の一件のことで脅迫されたりもしたけれど、僕は元気です。
いや、あんまり元気じゃないかもしれない。風呂の件はめちゃくちゃ尾を引いた。写真の処分についてはイブキと現在も協議中のままだし、桃簾に限ってそれはないと思いつつももしかしたら襲われるんじゃ、という微妙な不安で眠れないまま合宿最終日を迎えてしまった。さすがに、あれは全部計画的犯行で、おちょくられていただけなのでは? という説が現実味を帯びてきた。
黒曜はキヤラをギリギリまで追跡すると言ってきたが、望みが無いのは間違いない。既に方針はキヤラの追跡というより彼女たちの手の内を明かす方に動いていた。
彼はキヤラが藍銅で習得したであろう魔術の種類を調べ上げて、送って来た。
それをもとに戦法を考え、合わせて訓練の内容も合同訓練ではなく個人練習が主になっている。
「思いっきりやっていーんだよなっ!」
明日は決戦だというにも関わらず、訓練は今も続いている。
ウファーリが宙にふわりと舞う。その周囲には回転する鋼鉄の星が、二十、いや三十は舞っている。
「ああ、思いっきりやりなさい」
「じゃ、遠慮しねえからな! 気張って避けろよッ!!」
カガチがうなずくと、ウファーリな煌めくような笑顔で全ての星を天上に舞い上げる。海音の力は魔法とは違う。誰にも理由のわからない、未知の力だ。
でもそれは彼女の生命の輝きなんじゃないかと思うときがある。
舞い上がった星は閃光になって発射される。
そしてそれぞれが別の軌道で、空中に待機したヒギリに殺到した。
彼は魔術を発動。雷神の速さで第一陣を掻い潜る。
まさに四方から襲いかかる刃を、ヒギリは高速で旋回し、曲がり、ひたすら避け続ける。
段々減速していき、最後に放ったひとつの刃が彼の額を縦に軽く裂いていった。
「やったぁ!!」
ウファーリは嬉しそうだ。ヒギリはウファーリと比べて、攻撃能力の高さは圧倒的だ。だが実際の戦闘ではどうしても直線軌道に頼りがちで運用しづらい。
「いい調子だ。ウファーリ、前から思っていたが、お前は基礎ができているから指導しやすい」
「だっろ~? 伊達にヒゲじいに鍛えられてないからな!」
「あと十、足してもいいぞ」
カガチはにやりと笑って、刃を追加する。
それにしてもカガチはウファーリの運転が上手い。
繊細さが要求される仕事は本来、彼女の得意な作業ではなく、手裏剣の枚数を増やせば増やすほど難易度は高くなる。
だが、確実に成果をみせてやれば段々とノってくる。
そして勢いがつけばつくほど、彼女の海音は強くなっていく。
カガチは最適な課題を見つけ、そして的確に褒めて伸ばし、叱って改善し、さらに成果を出させて次の課題に取り組ませる、そのサイクルに生徒を乗せるのが絶望的にうまい。引退してからの教師への転向は、悪いけど大正解だな。
ウファーリが増えた手裏剣に集中しはじめる。
それを見つめていたカガチが不意に動いた。
何かを脇で挟みこみ捕えるような動作。強く引き、肘打ちを背後にぶつける。
それから左腕を一切動かさないまま、彼の真正面から飛来した何かを止める。
一寸の後、現れたのはナイフを突き出す菫青ナツメ。カガチの背後で顔面を押さえているのはイネスである。
ナツメだけでなくイネスも透明化しているのは、これは女王国の科学力によるものだ。サカキ先生が共同研究先とやらに口をきいて取り寄せてくれた新兵装。肉体を霧に変える、という芸当をせずとも視界からある程度消えられる迷彩である。
ふたりはカガチに気が付かれず、隠密状態のまま一撃入れる、という課題を負っている。
「あと少しでしたな。直前で突撃槍を起動させ熱感知させたのは囮で、本命はナツメ、という仕込みはまあまあですが、起動のタイミングが速すぎだ。なに、殺そうと思ったところで死なないのはわかっているのだから、殺すつもりで来なさい」
カガチは「かかか」と笑っている。
イネスは人間として、ナツメは竜鱗騎士として、それぞれ非力である。だが非力な者にも役割が持てる。
たった二日だ。ほんのそれだけの時間で、それぞれが課題を見つけ、取り組み、解決の糸口を見つけている。
それぞれが運動場を所狭しと動き回るのを、僕は複雑な思いで見つめていた。
特訓も大事だが、先延ばしにしていた課題をどうにかしなくちゃいけない時間が来ていた。
すなわち、この中から四人の選抜メンバーを選ばなければいけない、ということだ。リブラやイネスは部外者ルールに含まれるからともかくとして、学生たちの中から誰を選抜するかはとっとと決めないといけない。
すでに黒曜が寄越したレポートを元に、サカキがいくつかの戦術パターンを考案してくれている。今夜には合宿所を出て海市に入る予定だ。
後は僕の決断を待つだけという至れり尽くせりの状態なのに、決断が下せない自分がいた。
「どーしたもんかなぁ……」
どう足掻いても、この合宿は終わる。
迷っているのは「メンバーを誰にするか」ということじゃない。
ずっと不気味だった。どうしてその可能性を誰も口にしないのか……不気味な沈黙は、けれど、見て見ぬふりをしてもいい時間でもあったんだ。
剣戟の音が聞こえる。
上空では、天藍アオイと天河テリハが剣を戦わせていた。
竜鱗騎士は陸よりも空の生き物だ。剣の軌跡は肉眼では把握しにくい。ぶつかりあう金属音と飛び散る火花で、そこに刃があるとわかるだけだ。
どちらかというと天藍が押しているだろうか。
天河テリハは高速で飛翔し、天藍の追撃を振り切ろうとしている。そして、視界から消えた。
「ま、直接、話を聞いてみるしかないかな」
僕は覚えたての女王国語で短いメッセージを送信してから自室を出た。
誰もいない廊下を渡り、角を曲がって――知り合いの顔を見つけて、少しだけ驚く。
「あれ? どうしてこんなところに。ちょうど今、呼ぼうと思ってたところだったんだ」
僕たちは二、三会話を交わして、それで。
色々省略すると、次に目覚めたのは闇の中だった。
濃い土と緑と大気のにおいがする。
森の中に捨てられた《日長椿》の遺体はボロボロだったはずだ。
血まみれで、心臓を一突きにされ、首を掻っ捌かれて森の中に横たわっていた。




