62 湯船に堕ちる不安
天河たちが協力的になってから、びっくりするほど何もかもが上手くいった。
もー、それはそれは今までの苦労はいったいなんだったんだってくらいに。
いくらカガチが今まで目にしたバケモノの中でダントツに強いといったって、こちらには竜鱗騎士が五人ついていて、全員が五鱗以上なのだ。そうそう簡単に遅れはとらない。
とくに天河テリハだ。彼は八鱗騎士でみんなより実力が頭ひとつ抜けている。
素人目にみても剣技が素晴らしく竜の力も強力で、頼もしいことこの上ない。
誰と組ませても問題ひとつ起こさず、作戦にきっちり従って戦果を上げる。
カガチの足止め役としては最適だ。
「――――まったく、天藍とは正反対だよ」
呟いた声が浴室の壁に反響する。
思い出すだけでむかむかする。全体の調子が上がっていったのに反比例して天藍は非協力的になっていった。試しにヒギリやナツメと組ませたのだが、相手を無視して行動しまくるのでペナルティ受けまくりだ。
専門外であるライフルを持たせたときは素直に強力してくれたのに、思考回路が意味不明だ。
まあ、もともとあいつの人嫌いっていうかなんていうかを矯正するためにペア制度をつくったんだろう。カガチも。
「うー、いてて」
湯がまだ治療してもらっていない細かい傷に染みる。右耳は包帯が巻かれたまま、ついでに両手首に焼け焦げがある。ペナルティが強くなって、ペアが離れると軽く電流が流れる仕様になったのだ。
でも慣れっこになってきた痛みよりも珍しい湯船に浸かれる喜びのほうが大きい。
女王国には公衆浴場という観念があまりない。あっても水着を着て入る暖かいプール、くらいのものだ。でも合宿所には個室のシャワー室のほかに大きな浴槽が設えられていた。たぶん、そっちのほうが効率がいいから、とかいう身も蓋もない理由からだろう。初日や二日目は使っていなかったが、今日の成績がよかったので使用許可が下りたのだ。
広い風呂がそんなに好きだという自覚はこれまでなかったが、シャワー生活が長く続くと、疲労回復における効果を確認できる。
これで、女子風呂が覗けるとか、あるいは何かの誤解で女子が男子風呂に来てしまうとか、ご都合主義的ハプニングがあれば最高なんだけど、この合宿所に裸を見てみたい女子はいない。というか命が惜しいのでむしろハプニングは起きてくれるなと切に願う。
幸い、風呂場は離れてるし、ヘンなのぞき窓もないし、会話が聞こえてくることもないので大丈夫だけど。
『おくつろぎの最中申し訳ありませんけド……』
白い靄の中から、温泉宿の女将みたいな口調でオルドルが話しかけてくる。
「あ、オルドル。何かわかった?」
水筒が吹っ飛んだ後、水の無いところでも魔法が使えた。
その理由が金鹿にある気がして、オルドルに訊ねていたのだ。
湯船に持ち込んだ金鹿は、浴槽の端にちょこんと置かれている。
『結論からいう。その金鹿は今すぐ捨てたほうがイイ』
「おいおい、なんでだよ」
『それは何でか知らないけどボクにまつわるものらしい。でも、ボクじゃない……相容れないモノだ』
アイリーンに記憶を改竄されているから曖昧な物言いだが、自分との関連性には気がついたようだ。これをオルドルが書いた、という言葉の意味は相変わらずわからないが、わからないなりに理解していくしかない。
「まあ、お前は僕と同じ日本産だから、翡翠女王国産のモノとは多少は違和感あるだろうと思うけど」
その違和感は記憶の改竄のせいなのか、それとも……。
戦いの最中、聞こえたあの声を思い出す。
『勇者の守護者よ、ともに愛しき者を守ろう』
声はそっくりなのに、いつもの道化らしいオルドルじゃなかった。知性的で、落ち着いていて、慈愛に満ちた声。
あれは復讐に燃える魔性というよりは……そう、まさしく勇者の守護者だ。
言われてみれば、オルドルはそういう解釈もできなくもない。
オルドルは描写が少ない。でも勇者を見出した《父親》である。
結局は子供に裏切られることになるが、子に対する情はあってもおかしくない。普通の親子関係だったなら、我が子を守ろうとするのが《父親》だ。
「この金鹿を使ったら、なんか、魔法が使いやすい感じがしたんだけどな」
いつも痛みの中でもがきながら魔法を使っていた。
『ソリャそうだ。その金鹿には、大地の力を糧にする魔術が認められている』
「お前が水を魔力に変えるみたいに?」
水と大地。エネルギーの供給先が増えれば、同じ代償でも得られる効果は倍になる。
『それくらいならボクも思いつくハナシだ。だけど……それはボクじゃない。ボクはあいつを許したりしない。死の屈辱を忘れたりしない。絶対に』
「オルドル……」
湯を介してオルドルの怒りが伝わってくる。
こいつが言うあいつとは、勇者のことだ。
そんなふうに他者を拒み憎み続けているこの魔術師が時折かわいそうだと感じることがある。
怒りを持続させることに費やされるエネルギーは並大抵のものではない。
でもなまじ理解できるからこそ、かけてやる言葉がみつからない。
「そろそろ上がるか」
風呂のあと、リブラの治療をもう一度受けることになっている。
連日大忙し、魔力は尽き放題でやりくりが大変そうだ。
「きゃーっ!!!」
湯船から上がった途端、絹を裂くような悲鳴が響き渡った。最悪なことに悲鳴の主は僕じゃない。湯煙の向こうで、可憐な乙女が僕の全裸を見て怯え、肌を隠そうとしている。
安易なエロハプニングから問答無用でボコボコにされるルートだけは避けようと思っていたのに!!
「いやっこれには訳が――!! ……っていうか」
湯煙の向こうで恥じらっていたのは、まあ、当然といえば当然だが。
「何してんの、イチゲさん」
そこにいたのは桃簾イチゲだ。染色体は男である。
恥ずかし気に視線を逸らす仕種は女子そのもの。しかも何故か水着、それもピンクでフリフリで上下に分かれてるタイプのやつを着てる。ホルターネックで、胸元はフリルで覆われているため、胸はないはずなのに膨らんで見えるという技巧派。可愛いけれど、さすがに段々慣れて来たので動揺も少なめだ。
「先生こそ、全裸で大浴場とか変態の所業としか思えないよぅ」
「――――あぁ」
なるほど、油断していたけれど、そういう文化圏か。ヨーロッパなんかでは共用の浴場では湯あみ着とか水着とかを着用するって聞いたことがある。
「悪い、誰もいないと思って……でも別にそんな恥ずかしがらなくてもいいんじゃないかな。同じものがついてるわけだし」
「まーね。でもいくら先生のモノがかわいらしいけれど驚くに値しないからといって、やっぱり礼儀ってものがあるじゃない?」
「ぱっと見変わらないだろ」
「比べてみるぅ?」
「……やめとく」
イチゲはニヤリと笑った。そういう子供っぽい争いには加わりたくないが、そういう争いをしかけてくるあたりには意外性がある。
「じゃね」
すれ違う彼女の手を掴む。
イチゲの表情が少しだけ歪んだ。
「……ばれちゃったか」
彼女は右手に包帯を巻いていた。さっき、恥ずかしがってみせたのは咄嗟にこれをごまかすためだ。
上空からの狙撃で無理をしたせいで、彼女は手に負傷をしていた。
威力を限界を超えて高めたために、砲身が崩れて逆流を受けたのだ。
「流石に手は色々繊細だから半分治してもらったんだけどね、先生の治療も残ってるしさ。ま、こんなのいつものことだから、気にしなくていーよ。こっちは竜鱗騎士で、放っとけば治るんだから」
と言われても、僕の立てた作戦のせいでもある。
作戦に自信はあったけど、捨て身すぎて負傷のことまで考えられてなかった。
騎士たちは自己再生能力がある。でも個人差もあるし、修復不可能な傷を負えば命を落とす。
「ごめん。でも、ありがとう。次は――次はって言ってる時点でもう情けなさ全開だけど、もっとマシになる。君たちをがっかりさせたりしないから」
「先生……。なんかちょっと感動したかも!」
そんなに感動するような台詞を吐いた覚えはないけれど、感極まったイチゲが僕に抱き付いてくる。ちょっと待ってくれ。濡れてる床の上で男の体重を支えるような体幹は僕には無――――!!
案の定、僕はイチゲの下敷きになるように洗い場にひっくり返って倒れた。
そして足音が聞こえたのも同時。
「さっきの悲鳴はなんだ!?」
脱衣場の扉を開け、飛び込んできたウファーリが洗い場の光景を見て凍りつく。
後ろからついてきていたイブキは物も言わずに携帯端末のカメラをこっちに向けて素早くシャッターを切り続けていた。




