61 願いよ、叶え
訓練が始まった直後、イチゲは翼を生やし上空に舞い上がった。
ペアを組んでいる菫青アオイが慌てて追いかける。
定位置に着くと、イチゲが翼をしまう。落下する体をナツメが掴んで引き上げた。
イチゲは感情の無い表情で竜鱗魔術を発動させる。
「五の竜鱗、その名は《偽弓》」
伸ばした両手の間に光の羽が舞い、集約して狙撃銃型の銃身を形作る。魔力が物理的な質量を持ち、彼女はスコープを覗いて地上の戦いを覗き込む。
そこには青い顔でカガチに立ち向かうマスター・ヒナガの姿があった。魔術師としてどうあれ、彼が戦いの素人であることは誰にでもわかる。まさに蛮勇としか言いようが無い。
「なに考えてる……の! 遮蔽のない上空に出たら狙いうちだよっ!」
「だからヒナガ先生が目隠しかけてくれてるンじゃん。でもそれもサカキにじき解析される。命が惜しかったら、あんたも魔法を使って時間稼ぎしてよね」
「……くそ」
ナツメはイチゲを抱えたままさらに上昇。位置をずらして竜鱗魔術を放つ。
「二の竜鱗、その名は《氷晶魔的欺瞞》!!」
透明なナイフが空中のあちこちに竜鱗をはなつ。それを中心に大気中の水分が凍りつき、極小の氷晶を形成していく。
即席に作られた雲があたりを覆う。この雲には竜の魔力が込められており、魔術的な追跡をある程度妨害できる。
「よーしよし、後はいいタイミングを待つだけねっ」
「何を考えているのか理解不能……。この雲の上で狙えるわけがない」
「それは観測手の腕前と、マスター・ヒナガの足止めに期待しててよぅ。通信は辿られる可能性があるから一瞬だし、失敗するかもしれないし、そもそもあんたの雲を破らなきゃいけないから威力は減衰するし……しっかり支えててよね~!」
風は四人の中では魔術的にも体力的にも非力なナツメの翼を翻弄する。
銃口を下に向け続けるイチゲに、ナツメは震える声で話しかける。
「わからない……わからないよ、イチゲ。どうしてあいつの味方をするの? あんたがいちばん、テリハのことを見捨てられないくせにさ」
その氷のような瞳に彼女らしくない複雑な感情が浮かび、揺らぐ。
イチゲは無表情を捨てて笑ってみせた。
「そんなの今だけ、今だけ。利用価値がある間だけだよ。それとも、疑ってる?」
「疑ってるんじゃない。心配してるんだよ」
「ごめんね、ナツメ。――来た、予定よりズレてる」
イチゲは一瞬、体を捻って、苦痛を噛みしめるような表情を浮かべたナツメを突き飛ばす。その衝撃で位置を調整し、雲の間に落下していく。全ての魔力を光弾に込めているため、彼女自身はほぼ生身だ。
銃を構えたまま、為すすべなく真下に落ちていく。
だが――微笑んでいた。
「全身全霊で受け取って!! マスター・ヒナガっ!!」
一瞬で雲を抜ける。引き金を引く――その一瞬。
*****
放たれた熱線は、正確無比極まりない射撃である一点を撃ち抜く。
そこからは、光が無限に広がり世界を覆いつくすかのように見えた。
必死にカガチにしがみつきながら、僕は後悔していた。
「ちょっ、ま、待ったっ!! や、やりすぎだっ! それを受けたらさすがに再生できな――――!!」
我ながら小物過ぎる断末魔だった。オルドルの魔術によって、僕は疑似的な不死の存在である――とかいうと聞こえはいいが、一回死んで別物になるだけである。しかもその魔術は血を媒介にして行われるため、全身が熱線で焼けて蒸発しきってしまうと、非常にまずい。塵の一粒から再生できるものなのかわからないし、あのぶんだとたぶん塵ひとつ残さずに消えてしまう!
策に溺れるとはこのことだ。絶叫をかき消しながら迫りくる光の奔流に飲まれた。
さよなら今生、とか言ってる場合じゃない。めちゃくちゃ熱くて、熱くて熱くて熱くて熱くて熱くて―――――――――――――――!!!!
光が去ったとき、僕は生きていた。
「…………ウソだろ」
「ウソ、のほうがよかったですかな」
カガチが言ってニヒルに笑う。彼の全身は深緑の装甲に覆われていた。彼は上空に待機するイチゲを確認した直後、竜騎装を纏い、竜鱗による防護壁を何重にも張り巡らされた。ドーム状に僕らを覆う壁は最後の一枚になっており、それでも最後の装甲を貫通した熱戦が、カガチが広げた翼の片側を焼き払い、肩口を貫通して血を流させていた。
裏の裏まで読まれて、苦肉の策まで正攻法で防がれた。
完敗、というか、バケモノ過ぎる。
カガチが竜騎装を解除し展開した防護壁を取り払うと、熱された風が頬を叩いた。風も相当熱いはずなのだが、感覚が麻痺していて十分涼しい。
焼け焦げた地面からは幾筋も煙が上がっていた。
「失敗するなんて思わなかった……」
「大した方ですな。二度も同じ罠にはめられるとは、これでも屈辱の極みです」
「いったいどうやったらあなたを殺せるんだ? マスター・カガチ」
「私を殺す競技ではないのですよ、そのあたりわかってますか、マスター・ヒナガ」
カガチの汗と血に塗れた手が僕の後頭部を撫でまくる。
子供扱いがくすぐったく恥ずかしいが、その手の持ち主は間違いなく魔術師という名の戦略兵器なのだと思うと腹の底から恐ろしさが湧きあがり、体が射すくめられたようになる。
仲間達はみんな退避している。熱戦が焼き尽くした範囲にいたのは、カガチたちが放った飛竜だけだ。
もしもカガチが僕を見捨てていたら。あるいは彼が気紛れを起こしてその手を握りしめるだけで、僕は死ぬ。
「負けたんだな、僕は」
そう口にすることで、やっと何が起きたのかを認識することができた。
僕は負けた。必死に足掻いた。汚い手も使った。勝てるほどに強くはないから、殺してやろうと、それくらいの覚悟でもがいた。でも最初から負けていて、負けを認めるまでの時間を延長することくらいしかできなかった。
カガチは文字通り、秒殺できるところを策が出尽くすまでずっと待っていてくれたんだ。
「負けていいのですよ。《負けても得る者がある、得た教訓を次の機会に活かせる》なんていうのは世間一般によく使われる詭弁ですので口にはしませんが」
「正直すぎる」
「次の機会を絶対に与えないのが我々の仕事なのでね。しかし勝利だけが目的達成の手段ではないことは言っておきま――おっと」
カガチが風の速さで剣を抜いて魔術を展開。竜鱗を楕円の盾に形成する。
そして。
「真剣白刃イイとこ取りアターーーーーッック!!!!」
という底抜けにアホな技名を発しながら、電雷と化した高速蹴りが盾の表面に突き刺さる……その直前にわずかに軌道修正され、火花を散らしながら僕とカガチの間の焼き払われた空き地に突き刺さる。
「ちっ、避けやがったか」
「真剣白刃取りをしたのはカガチのほうだよね!?」
「悪いか!? 咄嗟に素手で受け止めなければいけないくらい凄まじい攻撃ってコトだ!」
真剣白刃取りとか、こっちにもあったのか。いやもしかしたらそれは異世界翻訳の都合上の問題かもしれないが。
後から焦り顔のテリハも走ってくる。ヒギリが高速で先行したため、罰走を報せるアラームがけたたましく鳴り響いていた。
「こンの、アホ教師! 全身火傷まみれじゃねえか!!」
「いや、これは治療できるし。っていうか、僕、死なないし」
「ワケわかんねえこと言ってんじゃねえよ」
ヒギリはそう言って普通に顔面を殴った。理由の無い暴力が僕を襲う。
「痛い」
「なんなんだよ、あのアホみてーな作戦は! マスター・カガチにそんなの通用するわけねーだろが!」
そこまで言われれば、僕としても大人げないことを言わなきゃいけないだろう。
真正面から睨むと凄い眼力で返り討ちにあったので少し逸らしつつ、言う。
「君たちが僕に協力してくれたら、もっとマシな作戦が立てれたはずだろ」
「なんだ、マシな作戦ってのは」
「まずはリブラを前線に入れる」
今回できなかった作戦をひとつ上げながら、僕は唇をかむ。
悔しい、という子どもっぽい感情が湧きあがり、無視できないほど膨らむ。
「遠距離からの治癒、という前提さえなければ、リブラの治療はもっと頼れるものになる。そのためには護衛役が必要だ。だけど、根本的にカガチに対抗できない僕とイネスでは役不足。貴重な攻撃役がいなくなることに目を瞑って天藍を据えるとしても、竜鱗騎士の最大の強みである機動力を削がせないために、絶対にウファーリを組ませなければならない」
手詰まりだ。打開したくても、これ以上の名案を、凡才でかつ戦いの経験のない自分には閃けない。まだ十五だぞ、こっちは。
「君たちなら、もっと適切な解を導ける。もっと戦える。キヤラに勝てる。この窮地を救える。そうだろ」
ヒギリは答えない。僕より何十倍も頑健な体と魔力、自信に満ちた迷わぬ瞳で、こちらを睨んだままだ。
その頭上にカガチの拳が落ちた。
「いっ…………て!! 何すンだ!」
「先生の言うことはもっともだぞ、ヒギリ。私はお前たちにそれぞれ課題を与えたつもりだ。この演習場は、お前たちにとって不利な戦場だ。遮蔽が多く、それぞれが従前な力量を発揮できない」
光線を武器にするイチゲ、そして攻撃が直線的なヒギリはその悪条件をモロに受ける。水気が少なく、菫青ナツメは水竜の力を発揮できず、しかも非力。
「お前たち、いがみあうばかりで合宿の趣旨を忘れ過ぎだ。それとも、それくらい言われなくてはわからないのか?」
沈黙の後、ヒギリはこちらを無視してカガチに怒鳴る。
「ふん、とにかく約束の数の飛竜は殺したんだ! 次は何をすればいい!?」
「負傷者の治療を優先する。午後からは竜の数を倍、二人一組のルール違反者には強い罰則を設ける。それから、《鉤爪》は使用禁止。天藍の腕では味方に当てる」
鉤爪、というのは持ち込んだ対戦車ライフルの通名だ。楽しいオモチャは取り上げられてしまった。振り出しに戻る。
だが、全くの振り出しではない。
「――――次は、力を貸してやってもいい。そうだろ、天河」
こちらに目線も合わさず、ヒギリがそう言いながら背中を向ける。そして、天河テリハに合図を送る。
群青の瞳が僕を値踏みしている。
一寸置いて、笑顔とまではいかないが彼は緊張を解いて友好的な表情を浮かべた。
「ああ、ヒギリ。お前がわかってくれて嬉しいよ。俺たちは好敵手として争うのではなく、高め合っていかなければ」
差し出された右手に、反射的に手を伸ばす。
テリハの手はひどく冷たかった。
「先生、先程はお見事でした。イチゲがあなたに肩入れするわけだ」
「え? あ――――あぁ…………」
あまりにもうまくいきすぎて、曖昧な返事しかできない。
なんだか何時の間にか、いい感じに、まとまっている。
努力し、対価を得る。僕が僕を犠牲に支払うことで、彼らの協力を得るという些か都合が良すぎるくらのシナリオが完成された。
なのに、何故だろう。戦いの最中にいるみたいに肌がひりつく。
まるで竜に見据えられているみたいだった。




