60 狂気の果て
鋼材はイブキと検討した。オルドルが用意できるもののなかで最高の硬度と剛性を持つ素材だ。しかしカガチの剣はそれすら裂き、僕の命を一文字に断裂しようとしていた。鋼の強さに押し留められてなお、刃が敵の首を獲ろうとして震えている。
腕を貫かれているにも関わらず、だ。
恐ろしいまでの執念。殺意。
しかも生き延びる意志が生半可じゃない。全身串刺しにされていてなお、右腕は籠の中の何本かを握りこみ、へし折って、頭部や脊髄への損傷を避けていた。
さらにその膂力で籠が閉まり切ることを防いでいた。
見事、としか言いようがない。彼の剣は僕に届ききらなかった。でも僕の作戦も、彼を押し留めることはできなかった。
「――――ふっ……はは、ははははは!」
カガチの唇から血塗れの呼気が漏れる。
「素晴らしい。貴方はあのときもいたな。天藍の後ろにいて、魔法を操っていた!」
「覚えてるよ、マスター・カガチ。貴方は恐ろしかった。今でも怖い人だ」
本気で怖い。怖すぎる。ぎしり、と棘の檻が震える音で自分も震える。
「カガチ先生、無茶をしないでください!」
後頭部に逃れていたらしい。サカキの声がする。人形は籠の外に出ていたカガチの髪にしがみついていた。
「ウファーリ、回収してくれ」
声をかけると、人形の体にするりと細い布が巻き付いた。
器用に両側から巻き付き、強い力で引きはがす。
「あっちょっと! やめ、やめなさいっ!」
そのまま空を飛ばして、空中でキャッチ。
ウファーリの燃える髪が一瞬だけ現れる。
「仕事は終わったぜ、先生」
リボンのような柔らかいものは動かしにくいと言っていたが、リボンの両端に金属製の留め金具をつけることで自在に海音を働かせることができるようになったのだ。
「ありがとう。じゃ、仕留めようか」
「まさか――――まさかまさかまさか! ここでソレを使うっていうんですか!」
「使用許可を取っていたはずでは?」
「近代兵器は使用してもいいか、と聞かれただけに過ぎませんよっ!」
何を使うか言ってしまうと対策されちゃうわけで、言う訳ないだろ。
僕は残った片腕を上げて合図を送る。
カガチが筋肉の繊維が引きちぎれるのも無視して腕を引き抜く。そして後ろに回した。
無音で飛来した何かが、二発。一発は籠の上部を抉り取り、軌道を修正した二発目が掌を貫く。
射線の向こう――幻影の森の奥。
深い沢の向こう側に天藍とイネスがいる。天藍は地面に伏せ、恐ろしく銃身の長い大型の狙撃銃を構えている。僕の知識でなら対戦車ライフルとか呼ばれてるやつだ。
女王国軍制式対竜狙撃銃、とでもいうのかな。
事前に見せてもらった銃弾はこれまたでかいタングステン徹甲弾に対魔術加工を施したモノだ。イチゲの武器と違いこれなら多少障害物の多い場所でも使える。
反動が大きく人間が扱うには不便でも、五鱗騎士なら話は別だ。
もちろん天藍は一通りの軍事教練を受けただけで狙撃は素人で、イネスは観測手じゃない。当ててくれて助かった。
「ぐっ………うぅ…………!!」
「ごめんなさい、マスター・カガチ。僕は弱いイキモノなので、殺すつもりでかかるしかなかっ……た」
カガチの横顔には獣の笑みが浮かんだままだ。
見ると……僕らの望みを賭けた弾丸は、貫通していない。竜化させた装甲が、弾丸を押し留めている。
「抜けてないっ!!」
「ぐあっ、うるぁああああああッ!!」
獣声を上げて、人の姿をした緑竜が籠の縛を力任せにねじり、破壊し、抜け出てくる。
天藍たちが三発目を撃ち込む。
弾道に対し正面に向き直ったカガチが、血まみれの手で、星の速さで飛来する弾丸を受け止める。四発目、五発目が叩きつけられるが、全て体で受け止める。効果のほどはというと、ほんのわずかに上半身がのけ反っただけ。さらに六発目。
全身が躍動し、音速を越えて迫りくる弾丸に刃が叩きつけられた。
「バケモノかよ……!」
『どうすル?』
「まだだ。まだ終われない!!」
カガチはつまらなさそうに、こちらに向き直った。
そういう顔、天藍がよくしてる。
「マスター・ヒナガ。貴方らしくないな。切り札は出尽くしましたかな?」
「切り札は…………僕だ!」
カガチが地面を蹴る。
軽い歩みで間合いが詰まり――これで狙撃の援護は受けられない。
低い位置から放たれた刺突が、腰のあたりに伸びる。
「しまっ……!」
刃は僕の体と水筒の間の留め具に的確に入り込む。手首を返すだけで、留め金が外れて水筒が吹き飛んだ。
カガチの反対の刃が緑の竜鱗を投擲。
水筒を地面に縫い付け……ただけでなく、瞬く間に根や枝葉を生やし、一本の樹へと成長する。カガチの竜の魔力で取り込まれ、その中身の回収は不可能。
水はオルドルの魔力の源泉だ。アレを取り上げられたら、魔術を使う負担が大きくなりすぎてしまう。
『ツバキ!』
水筒を失ったのに、オルドルの声が聞こえる――どこから!?
『わたしはここ、わたしの魔術はここ。わたしの勇者の守護者よ、目覚めよ』
金杖に下げた金の鹿が金色に輝くのが見えた。
カガチが迫り、当て身を入れられる。後ろに吹き飛び、地面に叩きつけられる。
『勇者の守護者よ! ともに愛しき者を守ろう!!』
声が――やけに強く響く。頭蓋骨の内側で反響し、現実が遠ざかる。
瞬きの間に、カガチは僕との間合いを再度、詰めていた。
反射的に杖で体を守ろうとする。その感触が何かいつもと違う。
「んっ……?」
魔法は使えないはずなのに、杖の形状が変わっている。
短杖が少し伸び、先端は鋭い刃の形。この形を知っている。装飾は違うが、イネスの突撃槍だ。斬られた右耳の残りが少し減り、鈍い痛みを感じ、魔術の使用を報せる。これで戦えってことか!? なんて戸惑っている暇はない。
カガチは僕の鳩尾に拳を叩きこんだ。
浮いた体を両手で受け止め、膝を叩きこまれる。
目の前が白くスパークして――気持ち悪い。
考えろ、考えろ。気絶するわけにはいかない。痛みは無い。たぶん、僕が痛みを限界まで麻痺させてるのを知ってるんだ。
叩きのめそうとするカガチの腕に、リボンが巻き付いた。
「先生、あたしが代わる!! だから逃げろっ!!」
ウファーリが叫ぶ。
でもダメだ。それじゃダメなんだ。
「ぐ、うえっ……えっ……」
地面に着いた足は、なんとか踏ん張ってくれた。僕の力だけじゃない。オルドルの魔法が働いている。間違いなく彼も一緒に立っていてくれてる。
玻璃の天秤が展開し、喪った右腕が再生する。
カガチに体術で敵うわけない、でもやるしかない。やるならやるで、勝率の高いところを踏んで歩くしかない。
胃液を吐きながら槍の柄を握り、踏みこむ。
右手で槍を支え左手で突く。素早く引いて頭上を回し、反対に回してさらに突き。二度の突きをカガチは少し体をずらすだけで避けていく。
まるで紙切れのようだ。対するこちらは息もできない。夢中で突き、払い、その全てをカガチが軽くいなしていく。攻撃を受け止められる度、金属と金属が触れ合う硬質な感触で掌が痺れる。
不思議な時間だった。
カガチにとっては赤子をあしらうようなものだろう。これはどれも一度、受けた筋だ。僕の槍はイネスの模倣でしかないんだから。
それでもカガチは丁寧に受けていく。最後、僕の上段突きを下からカガチの剣が受け止める。首筋を狙ってさらにねじ込まれた穂先を、竜鱗が浮かんだ掌が掴んだ。
掴んだ武器を軽く引きつけ、体のバランスを崩される。足払いをかけられて、呆気なく空が見えた。
奪われた槍が、肌一枚裂いて地面を貫く。
「イネス殿が私と戦うとき、攻撃よりむしろ引き手に注意を払っていたことに気がつきましたかな。膂力の違いすぎる竜鱗騎士相手に武器を取られるのを防ぐためです」
敵わなかった、全然だ。全然、なってない。
歯牙にもかけられていない。
「――まだだ、まだ終われない」
地面を這いつくばり、カガチの服に手を伸ばす。
足が持ち上がり、僕の顎を軽く蹴り飛ばす。
それでも必死に両腕で足に縋りついた。
「ここで終わったら、僕の価値が無くなってしまう。剣を構えろ、マスター・カガチ……!」
なんて虚しい世界なんだろう。誰かが刃を突きつける。その瞬間だけ、その誰かの敵になれる。意味と価値が生まれる。
腕の中でつま先が胸を押す。簡単にひっくり返され、また空を仰ぐ。
今度は胸に載せられた足が重すぎて、身動きがとれない。あばらが軋んで悲鳴を上げる。肺が圧迫されて呼吸が苦しすぎる。
それでもその脚を掴んで力の限り叫んだ。声なんかろくに出なかったけど。
「僕は絶対にキヤラと戦うっ!! そして勝つ!! あんなヤツには絶対負けない!! 人を人とも思わない、あんなゴミくずみたいな人間には絶対に!!!」
だって、あいつは僕とおなじだ……自分のために他人を殺した。何人も何人も。
あんな殺人鬼よりもたちの悪い魔女は、生きてちゃいけない。
「だから――やれ!! 桃簾イチゲっ!!!!」
僕の視線の先を読み、カガチがゆっくり顔を上げる。
空の向こうをぼんやりと眺め、その向こうに待機した伏兵を見つけ「なるほど」と頷いてみせた。




