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旋律の吸血姫と眠れよ勇者 竜鱗騎士と読書する魔術師2  作者: 実里 晶
やっぱり鹿はろくでもない動物だ
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59 勝つために


 戦闘服を着こみ、なんだかよくわからない装置を身に着ける。イネスに最終確認してもらい、準備は完了だ。指先が震えているのは、緊張のせいか臆病のせいだろう。

 銀華竜と戦う前とおなじだ。

 何度覚悟を決めても、恐怖は消えない。宥めすかして、足を動かし、もう戻れないラインを越えるしかないのだ。

「イネス、ごめんね。巻き込んだりして」

 そういうと、気のいい青年がびっくりした顔になる。

「ずっと気になってたんだ。あのときはこうなるとは思ってもなかったとはいえ、無茶なことさせたなあって。リブラのこと、恨んでる?」

「そうですね、複雑な心境です。でも、はじめから怒ってはいません。久々にこうして顔を合わせてわかりましたよ。不器用な人だ」

 イネスはそう言って苦笑いを浮かべた。

 そうは言っても、イネスの抱えているものは僕よりずっと重たい。ひと言で片がつく問題じゃないだろう。

「それに……もしも、俺たちが雄黄市を守り切れていたら、こんなことにはならなかった」

 イネスはぼそりと呟いた。

「君たちは悪くないよ」

 竜と戦えるのは竜鱗騎士だけだ。イネスはそのとき軍人で、雄黄市のあの惨状の中にいたけれど、戦局を覆すようなことはなにひとつできなかったはずだ。

 それでも自分を責めてしまう気持ちはもちろん、わかる。でもそうしてほしくはない。イネスがどれだけ勇気と思いやりがある青年か、僕はよく知ってる。彼がいなかったら僕は死んでたかもしれないのだ。

「ま――、ここまで来たなら最後までお付き合いします。きっとアリスさんがハラハラしながら待ってますよ。いっしょに帰りましょう」

 そう笑って、僕の頭をぐしゃぐしゃに撫でてくる。

「帰る場所……かぁ」

 意識したことはなかったけれど、あの図書館は僕が帰る場所なのかな。

 陽だまりのようなアリスさんの顔やふかふかの耳を思い出すと、懐かしいような、でもどこか遠すぎて実感がわかないような妙な気分になった。

「そうそう、こいつも届いてますよ。元同僚を頼りに頼りまくって、やっとこさです」

 更衣室の奥から大きな荷物を引き摺り出してくる。

 荷物の中身を覗き込み、僕は「うわあ」と妙な呻き声を漏らした。感心感激と呆れが半分半分くらいの声だ。

「ほらね、君と君の仲間がいてくれてよかったよ」

「先生方への報告はどーなってるんです?」

「近代兵器を使いますよって、アバウトに伝えてある」

 準備は整った。

 手元に揃ったカードでなんとか、カガチに勝てるって示すしかない。

 運動場で先に待っていたウファーリが、僕の顔を見て妙な顔をした。

「……先生、その目、どーしたんだよ」

「目?」

 天藍が無言で鏡面加工した竜鱗を作成し、こっちに投げてくる。

 受け取って顔をうつすと、白い艶のある表面に、真っ赤に染まった瞳が浮かび上がる。

「何これ」

『ごちそう様でしタ~! 美味しかったヨ!』

「オルドル、なんで僕の目玉が赤くなってるんだ!?」

『力を望んだのはキミだ。それに、それだけの恩恵はあげたはずだヨ』

「恩恵ってなんのことだよ! オルドルのアホッ!」

 オルドルはなぜだか満足げだ。

 ……話し合いの必要性がありそうだ。



*****



 走れ! 合図で全員が定位置に向かって駆け出す。

 斜面の途中で、僕は土を踏みしめて急ブレーキ。

 手入れされていない斜面は落葉で少し滑る。

 合宿は続くよ、どこまでも。具体的にはあと三日しかないのだが、その三日間が果てしない道のりに思えて仕方がない。僕がキヤラと戦う前に、とりあえずカガチとまともに戦えるようにならなきゃいけない。

「おい、バカ教師っ! 何やってるんだ!」

 黄水ヒギリがすり抜け様、こちらを罵っていく。でも構ってる暇は無い。

 金杖を抜き、目の前だけを見据える。仲間が助けてくれるとか、手加減してくれるかもとか、怪我なんてしないだろう――そんな楽観的な希望をひとつひとつ潰していく。それでも残る怯えが、僕の弱さだ。

『バカだな、キミは。手に負えない大バカ野郎ですヨ』

「この戦いは、お前も気に入るハズだよ。だって、そうだろ。僕たちの力を見せつけるんだもの」

 紅華やリブラは僕の覚悟も宣言も自己犠牲も全部全部否定した。

 僕の力はいらないと突っぱねた。それが他者を思いやる心からのものであっても、否定されたことに違いない。色んな事情をはぎ取っていけば、そこには僕が《弱い》って事実だけが残る。僕が戦えないと思っているからだ。

『フン……だからって、ボクのやることに変わりは無いサ』

 昔々、ここは偉大な魔法の国。

 右手の爪幾枚かを犠牲に、ヒギリを含めた仲間たちに幻影の魔術をかける。

 ありとあらあゆる生命の痕跡を消す。獣の臭いで体臭を消し、森の幻影で姿を隠し、葉擦れの音で物音を消す。

 とすれば、ここはオルドルの森だ。

 そして僕は森の奥深くに控える魔術の王。

 木々は我が手足、我が僕。


 侵入者敵の姿が見える。


 カガチはサカキを連れ、まっすぐこちらに降りてくる。

 十メートルほど離れたところにやって来て、にこりと笑う。

 知ってるかぎり、いちばんまともな大人の顔で。でもその顔の裏に、戦いを欲してギラギラした欲望が隠れてるってもう知っている。

 天藍もそうだった。この人も同じだ。

 みんな英雄になりたがっている。

 その戦場は瞬きの間に消える陽炎みたいなものなんだろう。そこに上がりたいと常に手を伸ばしていなければきっと指先すら届かないんだ。

「先生ひとりで出迎えとはいい趣向ですな。興を添えさせて頂きましょう」

 どうやって持ってるのか不思議だが、サカキが赤い宝石を選ぶ。試合で使用していたやつだ。

 放たれた光芒は背後の木々を焼き払い、熱戦でなぎ倒していく。

 何ということでしょう……などと言っている暇もなく、周囲の視界不良があっという間に恐るべき速さで解消されていった。

 そういえばこれまでの訓練でも何本か木を引き倒しているが、次の日には元に戻ってた。もしかしてカガチが竜鱗魔術で植樹しているんだろうか。

「破壊と創造を一度に済ませるなんて匠の域を超えてるだろ……!」

「お気に召しませんでしたか」

「いや」

 僕は歯を食いしばる。

 カガチと天藍が戦うところを、一度だけ見た。

 敵わなかった。僕もきっと敵わない。

「逃げないって決めたから」

 カガチが柄に手をかける。

 その瞬間、刃は滑るように鞘から抜け出していた。

 僕の背後から銀の茨が噴出し、迎撃する。抜剣を視認した瞬間では間に合わないと理解はしていたから事前に撃ち出した魔術だが、完全にあっちのほうが速い。バカみたいな速さだ。

 緑がかった刃は容易く茨を駒切りにして、痛みなんか感じる間も無く僕を食い破っていく。どこを斬られたかなんかまったく感じなかった。

 血が噴出して体が傾いてようやく右腕と左足を同時に持って行かれたんだって気がついた。

 杖を持った手を刎ねることで魔法を封じ、同時に左足はそうそう簡単に再生修復できないよう二回は斬りこんでいた。僕の脚が肉屋で売られてる水炊き用の鶏肉みたいに分断されている。こっちに治療者がいると知っているからこその技だ。

 普通ならこの時点で失神しているけれど、今日はリブラがついている。麻酔で痛みの感覚は無い。


「――オルドル、立てないのは困る」


 杖をもぎ取ったのはいいプランだ。でも肉体と血が杖に触れていれば、問題ない。茨を伸ばして杖を回収。右手がボコボコと膨らみ、左足に変化する。それも茨で回収。

 僕の足元に玻璃の魔法陣が展開する。リブラの医療魔術手術オペラシオン

が発動し、新しい足となった右手が接合され、腕からの出血が止まる。

 カガチが深緑色の目を瞠る。

「……じっと見ててくれるっていうのも、なんだか気持ち悪いな」

「これでも意表を突かれたつもりです。では」

 仕切り直し、カガチが再び僕に剣を向ける。

 今度は、何もしなかった。彼の身体能力は半人半鹿のバケモノを圧倒する。そんなモノには付き合っていられない。


『それじゃッ、新作お披露目しまーす♪』


 好き好んでカガチの剣の間合いに入る。首が吹き飛んで、血を流し、ミンチになって死んでしまってもおかしくない間合いだ。

 烈風が首元を襲う。

 切り上げてくる銀の刃が、右耳に食い込み、真横に立ち割って、顎を粉砕する手前でギリギリ止まる。


 ――――止まってくれた。


 耳たぶが落ち、それをオルドルが食う。

「ふひっ……ひひひひひ」

 オルドルのものとも、僕のものとも哄笑が口から零れる。

 絶望に耐えきれない脳味噌が狂って、畏れを喜びだと勘違いさせてくれる。

「『僕を殺せなかったな』」

 目の前には素晴らしい光景が広がっていた。

 カガチの全身を、真っ黒な棘が貫いている。

 つま先から脛、大腿部、腹部から胸部、それから腕。

 地面からせり出し、カガチを両脇から挟み込んでいるのは、醜悪な金属と鋭い棘で編まれた鉄籠だった。

 校内戦であの双子、碧師弟が使っていたあの罠の魔術、その模倣だ。

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