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旋律の吸血姫と眠れよ勇者 竜鱗騎士と読書する魔術師2  作者: 実里 晶
やっぱり鹿はろくでもない動物だ
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56 醒めて眠れ

 物言わぬ死体に端末を向ける。わずかに残された魔力残滓からライマー・ダレンという男の身分証が表示された。

 魔術禁止法違反の罪で二度の前科を持つライマー・ダレンは、ケルト魔術の使い手としては些か凡庸な死体となって病院の裏で横たわっていた。医療用のメスによって首を引き裂かれ、駄目押しとばかりに眼窩を串刺しにされて死んでいた。

 ノーマンは救命措置を取ろうとした医師や看護師を下がらせ、脈を取って呼吸を確かめた。次に手の平や指を確かめる。

 首筋には市警も所持を把握していなかった、使い捨てタイプの《ピン》が差し込まれていた。

「傷が脳に達してる。蘇生の望みはないと思うけど……抵抗した形跡は無し」

「監視カメラを照会する――自殺だな。まあまず間違いなく証拠消しのために《乗っ取られ》たな。犯人は離脱済み。意識不在時に起こりがちな、典型的な手口だ」

 ほんの数秒で残酷な結論に達する。

「ミィレイを陥れた何者か、おそらくガレガは罠を張って待っていた。最初から侵入者の意識が潜り込めば、肉体を乗っ取って脱出をはかるつもりでいた」

「バカ正直にマスター・ヒナガを最初に送り込んでいたら、そこで勝負がついていたってワケかい」

 後の処置を任せ、院内に戻る。ミィレイの部屋から、マスター・ヒナガが担架に乗せられて出て行くところだった。

 室内では、別の狂乱が起きていた。


「――いや、いやだ! 死にたくない、死にたくない死にたくない!!」


 叫び声が聞こえてくる。

「やめてやめてアリスはもう嫌、あたしはアリスなんかじゃない! 芋虫はどっか行け!!」

 突然、目覚めたミィレイが叫び、手近なモノを向かって投げつける。

 そうと思えばいきなり静かになり、敷布をかき抱いてうずくまる。

「うっうううう、お母さん、会いたいよ。お父さん、助けて、おうちに戻りたいの……」

 激しい感情の起伏を繰り返す娘を看護師が押さえつけ、医師が注射針を細い腕に差し込む。

「……マスター・ヒナガとの交信がいきなり途絶えたと思ったら、コレだ。通信が途絶していた間の情報は何か拾えないのか!?」

「ヒナガ教官の妨害が完璧すぎて、何もサルベージできてません!」

 クヨウに怒鳴られた職員は、弁解の言葉を用意することもできずに項垂れた。

 つい今しがた、ミィレイの意識が復帰した。だがああして喚き散らすだけで、精神に支障を来していることが明らかだ。

 ノーマンが小声でクヨウに訊ねる。

「あれは元に戻るのかい?」

 陽気で気さくな外見と対照的な冷酷な物言いにクヨウは顔を顰め、南部戦線がどんなものだったかを思い出すことで、皮肉を押し込めた。

「死を体験したかもしれんな。魔術通信網上で行われる、痕跡を残さない拷問だ。肉体と精神が切り離された状態では、通常の痛みや肉体の損傷にまつわるものは回復する。だが死はダメだ。死は魂が感じるモノだからだ。若いと猶更ダメになる」

「要約すると」

「リハビリを繰り返せば十年後に何とか現実を認識するかもしれない。二十年後になるかもしれないし、百年後かもしれない。普通であれば、悲惨な死の体験は過酷なものだ。普通であれば、な」

 複数の足音が聞こえ、クヨウは廊下を振り返った。

「どいて! 意識消失から何分だ!?」

「十分です。処置室へご案内します」

「間に合わない、ここで処置する」

 魔力の波動が雪崩れこんでくる。

 雪崩れ込む、という表現が相応しい。

 クヨウが廊下に出ると、そこには担架に載せられたマスター・ツバキに覆いかぶさる白衣の若者がいた。

 両手で眠る少年の頭を抱え、額を重ね合わせている。

 その周囲に次々に魔法陣が展開し、役目を終えて崩壊していく。彼の右手には玻璃の天秤の杖が握られていた。

 天才医師・リブラの周囲には、不気味な黒衣の影のような人物が警護についている。

「遅くなって済まなかったな、クヨウ上級捜査官、ノーマン副団長。対象に気が付かれないよう合宿所を抜け、警護をつけるのに手間取ってしまった」

「これはこれは、直々のお出ましとは光栄の極み」

 闇色の声音を響かせて現れたのは黒曜ウヤクである。

 ノーマンが敬礼し、控える。

「《昔々、ここは偉大な魔法の国》」

 ウヤクは医療魔術を披露するリブラの横に立ち、ぼそりと呪文を呟く。

 足下に伸びた影が蠢き、床を離れて左手に集まる。デナクの長弓を手に、反対の手が眠るツバキの胸の上に置かれた。

「少なくともオルドルは生きている……危なかったな。最低限、彼の命が無ければ、すぐさまゲームは終了だ」

「ふん……禁術の使用が二、三確認されますが、大目に見るとしましょうか。なにしろ、ここにいる全員が今や一蓮托生なのだ。くそったれなことにな」

「君が口にすると不気味な言葉だ。そんな言葉に信頼を託しているのかね」

「いやはや、ここにいる誰が一抜けして裏切ってもおかしくないだろうな。ノーマン副団長を寄越したのも相互監視のためであり、それ以上でも以下でもない」

 クヨウの言葉を聞きノーマンが微笑む。

「貴女が裏切った場合、貴女の本体がどこにいて何をしているのか掴めるのも私くらいだ」

「是非とも健闘してくれたまえ。しかし、私個人としては過去の恋人がキヤラどもに惨たらしく殺されたとしても、歓迎こそすれ困ることはないのだがね」

 クヨウは雪原のように白い胸の谷間から、一葉の写真をするりと取り出した。

 それは世間一般に流布するところのいわゆる《ブロマイド》といったものに近かった。写真の中央には美しい二人の女性――赤髪と、黒髪に大きな黄色のリボンを飾ったどう見てもレンブとアニスがいる。

 ふたりの間にはにやけ顔の男性警官がうつっていた。

 職務中であるにも関わらず、ホットパンツの裾から伸びるレンブのすらりとした足に視線が絡め取られている。

 写真にはご丁寧にピンクのペンでサインまで書かれ、写真の男の住所まで送りつけられてきていた。

 傍目から見ると、手厚いファンサービス。しかしここにいる面々からすると手の込んだ脅迫じみている。

 彼女たちは完全に捜査陣の目を欺き、被写体と接触しているのだから。

 この写真は試合の参加者全員と、黒曜ウヤク、ノーマン、クヨウのような捜査関係者の親族、あるいはそれに相当数人物に送られてきていた。もちろん写真が送られたことに気がついていない者、あるいは送られてきているのに黙っている者を含めれば総数はわからない。

 キヤラがこれまで冷酷に、無慈悲に屠って来た死体の数を思えば悪ふざけとして切り捨てることもできなかった。

 互いに人間不信に陥らせるための、最善の一手だ。

「職業軍人や警察官とはいえ、人の心は理解不能だ。この場で一番信用できるのが、異世界人であるマスター・ヒナガのみとはな。全く頼もしいことだ」

「今は黙ったままでいよう」

 黒曜は瞳を伏せたまま、そっと人差し指を唇に当てた。

「じきに明らかになる。戦いの場に真に相応しい者は誰なのか――英雄たる条件を満たすのは誰か」

 それもまた才能だ、と呟いたノーマンの声が、死と狂気と絶望のにおいしかしない病室に乾いて響いた。



*****



 どっぷりと深い夢だった。

 これは現実で、自分は眠っているんだと夢の中で思っているような、二重三重の夢。起きなければ、起きて手足を動かさなければ、と思うのに、手も足も鉛でできてるように重たくて不自由で、ひとつひとつ夢を剥がして選別して、フルマラソンを走ってる気分で現実の出口を探して、ようやく瞼が開いたとき、初めて目にしたのが合宿所の天井だったせいで、まだ夢の中にいるんじゃないかと疑った。

 でも。

「起きた? センセ」

 呆れたような表情の桃簾イチゲの瞳がこちらを覗き込んでいる。

 それでようやく、ここが現実なんだ、と認識する

「――ぐうぐう寝ちゃって、お気楽でいいねえ、先生は。言っておくけど、いろいろ噂になってるからな」

 イチゲはやれやれ、という動作から流れるような動作で僕の額に人差し指を突きつけた。流麗な眉は吊り上がり、優し気な瞳の向こうに毅然とした戦士の表情が見え隠れしていた。

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