54 ワットウィルユア・プレジャービー?
床が消え、壁がボロボロ崩れ出す。
体は偉大過ぎる物理法則に従って落ちていく。
あれ? こんなこと前にもあった、ような……なんて言ってる間もなく机が、椅子が、地面に向かって落ちていく。
地面のほうから盛大な音楽が聞こえてくる。
「アーーーーーーーッ!!」
魔法使えない・地面遠すぎ・つまり死んだ!
いや、精神だけだから落ちても死なないのかな? どっちだ!? でもたぶんロクなことにはならない。自分はその道のプロなのでわかるのだ。何度も何度も死んでると、いずれ発狂するのであまり死なないに越したことはないのだ。
悲鳴を上げながら必死に下の様子をうかがうと、それはそれで地獄絵図が広がっていた。赤と白の市松模様が一面に広がっていて、その上で芋虫とか時計ウサギとか《アリス》に出て来る珍妙な生き物がダンスしている。
「いやっ、いや! 誰か助けてっ!!」
さらに僕の心を代弁しているかのような悲鳴が聞こえた。みると、悪趣味なダンスステージの端っこに高い台があって、その上に引きずられていくミィレイがいた。
「ミィレイかっ!?」
「――助けて、いやあっ!!」
こっちの声は聞こえてない。そして――台の上には悪趣味な処刑台があった。
悪趣味で時代錯誤な断頭台ギロチンだ。銀色の刃がいやに輝いている。
そして――ミィレイを抱きかかえるようにしてその上へと進んで行くのは、紫の髪の少女。公姫のひとり、ガレガの姿だ。
もう何が何だか訳がわからない。
処刑しろ!! と無数の芋虫ががなりたてる。
悪い女王を処刑しろ!! と帽子頭の紳士の集団が叫ぶ。
時間がない!! と、ウサギたちが……。
ここはいかれたオッサンが幼女のために生んだベストセラー夢物語、不思議の国のアリスの世界になぞらえて作られた空間らしい。
ミィレイはその悪夢の頂に連れて行かれようとしている。
そして僕は地面に叩きつけられて潰れたトマトになろうとしている。
「落ち着け、落ち着け僕。ここは想像力の世界!」
そうだ。流石にクッションなら想像できるだろう。
必死に恐怖をやり過ごし、体を受け止めてくれるでかいクッション、とびっきりふかふかで柔らかいやつを想像する。
「出ろ! クッション出ろ!!」
足下に、ぼわん、と効果音がつきそうなほど柔らかそうな、図書館のクッションが出現する。アリスさんがいつも昼寝に使ってるやつだ。
「――よし!」
しかし、次の瞬間、柔らかなクッションから幾本もの槍が突き出してきた。
いつの間にかトランプ兵の軍団が現れ、クッションを素敵な針のムシロに変貌させたのだ。
「あれ!? 状況が悪くなった!」
「キミはほ~~~んト、懲りないヤツだヨね~~~~」
横合いから強い衝撃を受け、目を瞑る。瞼を開くと、オルドルの満面の笑みがそこにあった。彼は金杖の先から蔓を伸ばし、僕を抱えて宙にぶら下がっていた。蔓の先は冷蔵庫の向こうに伸びている。
「ここではボクらは別々の存在ダ。ボクが力を貸さなければ、キミは元の無力で、非力で、な~~~~んにもできないヒナガツバキに戻る。当たり前だロ?」
オルドルは微笑んだまま、僕を前方に突き出した。
オルドルが手を離せば僕は地面に叩きつけられるか、そのまま串刺しにされる。
そんでもって、ミィレイは引きずられていき、刃の塵に消える。
「――それでも、なんとかしなくちゃ。僕が助けなくちゃいけないんだ!」
「キミは思い知ったほうがいいみたいだ。彼女のクビが落ちるのをここで見物してたら?」
そう――僕には何もできない。だって、天藍のような努力を積んでこなかった。古銅のような天才的な才能もない。
何も無い人間だからだ。
何もない人間にできることは限られている。
それはいつも選択だった。
「――オルドル、ここで僕はお前とは別々だ、と言ったな?」
オルドルを振り返る。
彼は血色の瞳で笑っている。
「さあご主人様、決断の時間だ。願いはなァに?」
「僕に魔法を教えろ」
まるでこうなることを読んでたみたいだ。
それでも僕は選び続けるしかない。
たとえ何があったとしても、時計の針は逆向きに回らないからだ。
「――イイだろう。じゃっ、ボクの目玉を召し上がれ♪」
どうすればいいのかわからず、瞼に食らいついた。
歯が肌に食い込んで、引き裂いて、差し込んだ舌にぬめっとした感触。オルドルが苦し気な呻き声を漏らす。これは全部夢の中の出来事なはずなのに、胃の中のモノを全部吐き出したくなるような不快感が広がる。
血と肉が喉を下っていく。
そうして、そうすることで、僕とボクは再びひとつに戻れる。
青海文書の声が聞こえてきた。
昔々……。
むかしむかし、むかしむかしむかし。
こうなるのは久しぶりだ。
初めて青海文書の魔法を使ったときと同じ。
あるいは、屋上でウファーリを握り潰してしまったときと同じ。
自分が自分でなくなって、肉体は別の魂のものになり、意識は遠くからそれを眺めているあの感覚。でも今なら理解できる。
あれはオルドルの仕業であり、でも、それを望んだのは僕だった。
*****
処刑しろ!!
赤の女王を処刑しろ!
時間がない! 時間がない!
不協和音の音楽と金切り声を掻き分けて、自分の身に何が起きているのかも理解できずに泣き叫ぶミィレイを可憐な少女が引きずっていく。
逃げようとするその体を、服を掴んで、首を脇に抱えるようにして。
その姿は必死過ぎて、舞踏会で可憐な花だったガレガのステップとはかけ離れ過ぎている。それに――その唇がぶつぶつ呟く悪態と文句の声音は、どう聞いても男のものだった。
「なんで俺がこんな目に!! ちくしょう、クヨウの奴がいけないんだ!! 俺は魔術通信網のプロなんかじゃなく、ちょっとした金稼ぎをしてた小悪党で、公姫に歯向かうなんてできっこないと言ったのに!!!! くそっ!!」
「いやだ、何!? 何をするつもりなの!?」
ガレガ――の姿をした何者かは、喚く少女を容赦なく殴りつける。
口の中が切れ、ミィレイは嗚咽といっしょに血を吐き出した。
「うるさい! あんなわかりやすい罠にひっかかって――この世界に足を踏み込んだのが運の尽きだ。いまごろ俺の体はガレガに乗っ取られてるだろうよ!」
見た目はガレガだが、その中身は異なっている。
この男は最初にミィレイに潜った専門家だとかいうあの男なのだ。
「行き場の無い意識が二つに、体がひとつ。ということは、後に待つのは醜い椅子取り合戦。意識が消失すれば、肉体を占有する魂をカンタンに追い出せるってワケだぁ~~~わっかりやすぅい!」
悪夢の世界に、やけにはしゃいでいる子供のような声と哄笑が響く。
処刑の丘に続く段上に、ぬらりと人影が現れ、偽のガレガはびくりと肩を震わせる。
その人物には左目が無かった。まるで獣に食われたかのように抉れて暗い闇から視神経がだらりと垂れ、とめどなく血を流していたからだ。
「お前……お前、この世界の生き物じゃないが、ニンゲンか……?」
「ご明察。ボクはオルドル。――師なる者、青海のケモノであり万能の魔術師。いついかなるときも《願いはなァに?》と問う鈍色の影」
オルドルは歌うように語りながら一歩ずつ距離を詰める。
その足跡が赤く染まる。
「さァご主人様。いまこそ盟約を果たそう。すべての願いを叶えよウ。それこそが魔術師の本分。魔術師とは奴隷の名、我ら全て物語の奴隷なのだかラ!」
ダンスに誘うように右手を差し出す。
そっくりな左の掌が、その手を握る。手首が現れ、青い上着が翻る。
オレンジ色のカフス、濃紺のタイ、オルドルそっくりの顔に黒い髪。
金の杖に踊る太陽と月の杖。
開いた瞳は、紅色に染まっていた。




