51 金鹿の書
目の前にはガラスケースの仕切りがあり、その中には古書や装飾品、壺や装飾の施された鏡なんかが並んでいる。新しいものは稀で、ほとんどは何代も時代を経てきただろう古美術品だ。
それらは単純に美しい、とか貴重である、という物とは別の禍々しく重たい空気をまとっていた。
「……やばいことに手を貸してしまった気がする」
『アレッ奇遇だネ~~~! いつから気がついてた!? ボク最初から~~~~!!!』
ここで最後にしましょ、と言ったキヤラは明らかに従業員用の通用口脇にあるパネルをパチパチと弾いて暗証番号らしきものを入力し、さも当然、というふうにホテルに入り込み、エレベーターを使って最上階に上がり、金庫の据え付けられた広間ホールに侵入した。
部屋の入口にはやはり厳重なセキュリティがあったが、キヤラは「まあ、これもカバラの神秘よね~」とか言いながら平然と抜けてしまうのだった。
「それは嘘だろう、絶対!」
開けゴマと唱えれば扉が開く、というモノでもない……はず、たぶん。
ここに並んでいるモノに、僕は見覚えがあった。
彼女が参加する予定だったオークションに出品される予定の品物だ。知らず知らず、競売の会場に連れ込まれたことは理解した。
黒曜に見せられたカタログ通りなのだから、流石にわかる。
彼女は最低限の明かりに照らされたガラスケースをひとつひとつ品定めしながら、そのひとつの前で立ち止まった。
ケースの中にあるのは一冊の本だった。
金と緑と朱色、美しい森の中に佇む黄金の鹿の表紙……作者不詳、のプレートが添えられたそれは、金鹿の書だ。
「デートの最後に、あなたに贈り物をするわ。どう、欲しくない?」
「欲しくないって……それは他人のモノだろ」
「あら、どうせ私が落札したわ」
なんでオルドルの本をキヤラが手に入れようとするんだ?
キヤラは意味ありげに微笑んで、そのケースの中に腕を差し入れた。
白い腕がガラスケースの両脇に触れた瞬間、両腕が煙になって溶け、ガラスケースの中で再生される。肘からその先が、白い嫋やかな掌が、ケースの中に浮かんで表紙を開いたり閉じたり、遊んでいる。
「それは菫青……モガっつ」
『バカ!』
ナツメの竜鱗魔術だ、と盛大なネタばらしをしかけた僕の口を、オルドルが無理矢理閉じさせた。
段々、こういう技が上手くなってる気がして、不安だ。
キヤラがくすくす笑った。
「大丈夫よ、オルドル。菫青家の魔術とは違う質のものだから♪」
「…………っ!」
僕は本気で驚き、言葉を失う。
「……オルドルの声が聞こえるの?」
「気がつくのが、おっそ~い。そうよ。オルドルの声が聞こえるの。彼が何者なのかも知ってるわ」
「竜鱗騎士みたいに、魔力の気配を探ってるからか?」
イブキのように適性が低く鱗が少ない者にはムリだが、天藍や……おそらくカガチたちにも、オルドルの声は聞こえている。
「なるほど。貴方は竜鱗騎士が魔術師として優れているから、青海文書の声が聞こえる、と思ってるのね♪」
どういう意味だ?
続きが聞きたい、という欲望をぐっと堪えた。それは彼女が蝶を捕えるために撒き散らした甘い蜜に過ぎない。それは真実かもしれないが、嘘であるかもしれないのだ。正しい情報を引き出す方法は、ただひとつしかない。
僕は彼女に金杖を突きつけた。
ここには犠牲になる人間は一人もいない。
そして今なら、腕の一本や内臓を人食い鹿に食わせても、死にさえしなければリブラが治療してくれる。
「何故青海文書のことを知ってる!? お前も青海の魔術師なのか?」
「おお、怖い♪ 間違いにならないように発言すると、私は青海の魔術師ではないわ」
再び掌を煙にかえて、ケースから腕を引きぬく。
そして掌を閃かせると、マジシャンのように小さな本が現れた。
女王国語で書かれた《青海文書》の文字。
僕が所持している原典の写しだ。
「もうお気づきだと思うけれど、私がほしいのは、竜鱗魔術ではない。古銅イオリでもない。青海の魔術よ♪」
彼女ははっきりと口にして、にたりと血生臭い笑みをみせた。
そこにいるのは人形のような美女じゃない。血錆のにおい漂わせ、瞳には殺意という名の欲望を滾らせている、魔性の女だ。かつての悪夢と似たような状況だ。星条百合白と、キヤラの姿が否応なくダブって見えて来る。
「ただし、私は文書そのものには興味ないの。オルドル、貴方にも興味ない。でも貴方にだけ教えてあげる……古銅イオリは《勇者》よ」
「勇者……?」
彼女の言葉の意味を考える。古銅イオリが、勇者?
青海文書には主人公がいる。魔法使いと旅に出て竜を倒す主人公、それが勇者だ。
でも、最初に古銅を確認したリブラが、彼は青海の魔術師ではないと断言してるからだ。彼は僕のように文書を所持していなかったんだ。
「何を言っているのだかわからないって顔ね。でも貴方もすぐにわかるわ、だって《勇者》は《魔法使い》の運命なのだから♪」
それと同時に反対の手が、金鹿の書を掴み、引き抜く。
硝子ケースが砕け散り、激しい勢いで警報が鳴った。
「……!?」
瞬時に金鹿の書をこっちに押し付けてくれる。
書が手に触れるとそれは溶けるみたいに形を失って……小さな金色の鹿のマスコットになった。青海文書が林檎になるみたいに。文句を言おうとして顔を上げるとキヤラの姿はどこにもなく、甘い香水の残り香だけが漂っている。
「あれ……? あれ!?」
廊下のほうから複数人の足音が鳴り響いてくる。
ちくしょう、ハメられた。彼女は大胆に現れたが、どうやって逃げ果せるかはきちんと考えていたに違いない。
両開きのドアが勢いよく開かれ、完全武装の警備員が飛び込んでくる。
しかも、だ。彼らは銃を携帯してる!
僕はケースの後ろに隠れた。銃刀法について勉強しとくべきだった。
「……あ~、諸君ら、注目! 静粛に! これ以上のまだるっこしい手続きは私はごめんこうむるぞ、無能ども!」
警備員たちの後ろで、パチンと手拍子の音が聞こえる。
「海市市警のクヨウ魔術捜査官である! 事情を説明したい」
死ぬほど面倒くさそうな顔と声をしたクヨウ上級捜査官が、目で「自分が死ぬかわりにお前を理不尽にぶっ殺す」と訴えている。
たぶん、警備員ではなく僕のことをだ。
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現在、僕たちは凶悪な魔術犯罪者を追うため、ホテルやオークションを主催していた魔術商ウィクトル商会にも秘密の捜査を行っていた。捜査対象は複雑な情勢を鑑み説明不可能だが、あと一歩のところで逃げられ、競売にかかる直前の稀覯本は盗まれてしまった――嘘の定番として真実が一割混ざっているのにも関わらず、それは嘘くさすぎた。
ホテルの支配人やら、通報を受けてやってきた市警やらを相手取り、クヨウは以上のような素晴らしい作り話をでっち上げてくれた。
「こんなときにデートだと!? あの女は何を考えている!」
クヨウたちは一時、キヤラと同じように僕の行方も見失っていたらしい。僕を発見したのは、ちょうどホテルの裏口から中に侵入したときだ。それで、あんなにちょうどいいタイミングで現れてくれたのだ……が、彼女にとってはプライドを損なう出来事だったようだ。
「この私が! 結界のノーマンともあろう者が、間近に出現したキヤラの存在に気がつかないなんて! 自信なくしちゃいそう」
クヨウは怒り、ノーマンは辛そうに項垂れる。
オルドルもキヤラの気配を探知できない、と言っていた。
それはノーマンも同じことらしい。
「僕が幻術を使って姿を変えたとして、それはどの程度追えるものなの?」
「場合によるけれど、キミが術を使った痕跡までは辿れるはずだ。その痕跡がつかめれば、変化している先生も追いかけられる。それはクヨウ捜査官も同じことだろう」
「でも、今回は消える意思のない僕も消えたってことだよね。キヤラが使っている魔術に巻き込まれたんじゃないかな」
「残念ながら、彼女がどんな魔術を使っていても追えるはずなんだ。黒曜大宰相から、毛髪の提供があったからね」
「!」
黒曜ウヤクは、亡命を手引きしたときに入手した彼女の《断片》を、ノーマンに渡していた。血や体液、髪を使われた呪詛は効果が高く、どこにいてもキヤラの存在を割り出す。魔術を使えば、それがどんな魔術であれノーマンが察知するはずだった。
「……キヤラはまるで亡霊みたいなんだ。何もないところから煙のように現れて、煙のように消える」
「亡霊ついでに面白い話を聞かせてやろう。デートで行ったとかいうレストランだがな、店員の誰もがお前たち、あるいはお前たちに該当する二人客の姿を見ていない。来店していない、と証言している」
クヨウが話す。
仕事が早い。そして信じられない内容だった。
もしもオルドルが使うような幻術で姿だけを別人にみせかけていたなら、少なくとも同じ時間に来店の記録だけは残る。
「でも……確かにウェイターが料理を運んできて……。そうだ、氷菓子の屋台や露店商だって僕たちと会話したはずだよ」
「調査済だ。遊覧船のチケット販売所も、誰もかれもが同じ回答を述べている。考えられるのは、その記憶を消したか、それともノーマンのいうように我々が根本的なところで思い違いをしているかだ」
それは恐ろしいほどにオルドルの言っていたこととぴったり一致した。
前提条件が間違っているのだ。
もしかしたら、とクヨウは続けた。
彼女は人間ではないかもしれない、と。




