50 偶像恋愛禁止令
何人もの人間を平然と死に追いやる五人姉妹がいくら大罪人でも、法の裁きを受けさせるには証拠が絶対に必要だ。そこが、中途半端に文明化された異世界社会の弱点でもある。
これまで彼女たちは定的な証拠は残さなかった。それは犯罪の証拠を消すためでもり、魔術の素材として使わせないためでもる。
そのために、目撃者である被害者たちを徹底的に殺した。
でも……ミイレイは意識不明に陥りはしたが、生き延びていた。試合に参加していないとみなされたのか、人形化も働かなかった。
もしも彼女が蘇生して、話ができるようになったなら、決定的な証拠に繋がる糸を手繰れるかもしれない。
僕は休みを利用して、海市市警に向かっていた。
『あんまり気乗りしないナ~。ホントにやるの? キミがやろうとしてるコトは、早いハナシ、他人の脳味噌のナカに潜ろうってコトだヨ?』
「多少、危ない目に遭わないと後手後手に回るばっかりだろ?」
現在、魔術通信網に接続して彼女の無意識に潜りこみ、そこで何が起きたのかを探る準備をクヨウがしてくれている。
『ボクは構わナイよ。何しろまだ敵の姿も、目的も見えないからネ』
「敵はあの五人姉妹だろ?」
『五人姉妹、か……なぁんか、こう、イマイチぴんと来ないんだよナ~~~。キミもそう思わなイ?』
「ピンと来ないもなにも、向こうから仕掛けてきてるんだぞ」
『これは魔法使いというより獣のカンだけど、ボクらは既に決定的な何かを間違えてしまってるような気がすル……前提条件からして違うっていうノかなァ』
こいつが妙なことを言い出すのは、これが初めてのことではない。
腰に提げた水筒から意識を離し、進行方向に向ける。
『あとさ、前方不注意だヨ、ツバキくん』
オルドルが言う。
僕は愕然として、目の前の光景を見つめていた。
そこには最近見慣れてきた海市市警庁舎があり、手前に女が立っていた。
白いワンピースに桃色のカーディガンを肩にかけ、ピンク色の髪の毛を翻した人目を引く女……というかキヤラ・アガルマトライトだ。
つばの大きなハットとサングラスで顔を隠しているが、身にまとう派手派手しいオーラが全然隠せていない。
「んふふ♪ 久しぶり~、愛しの弟よ♪」
「んなっ……!? キヤラ……なんでここに!?」
抱き付いてこようとする動きをなんとか躱し、金杖を抜き放ち、構えた。
何しろ数歩先は警察署だ。警察署の前に連続殺人犯が大手を振るって待ち構えていれば、平静を保つほうが無理だ。
「オルドル、こんなに接近するまで全然気がつかなかったのか……?」
『全く。あの女が現れるトキはいつもそうなんだよネ~』
さり気なく周囲を窺うが、僕を不審そうに見つめる目線はあっても、彼女に注意を払っている人間はいない。
もしかしなくても、それも何かの魔術なのだろう。
彼女はびっくりするくらい細いヒールをカツカツ鳴らしながら、魅惑的に近づいてくる。
「いま、海市には結界のノーマンがいる。すぐに応援に来てくれる」
「それは困ったわねぇ♪ どうしましょう」
ふわり、と僕の嗅覚を、甘い香りがくすぐる。化粧のにおいと香水の香りだ。
前方一メートル程度の距離にいたはずのキヤラは、いつの間にか隣に来て僕の腕に彼女のそれを絡ませていた。
逃れようとしたが体を寄せてきた彼女を引きはがすことができない。
なんて怪力だ。たぶん、天藍と同じくらいかそれ以上……。
「安心して。今日は戦いに来たんじゃないの……あなた個人に用事よ」
「安心できる要素が無いっ……!」
「じゃ、こうしましょ♪ 声を上げたら、ここにいるヒトたちを殺すわ」
周囲には……じきに昼時を迎える広場には、若い会社員風の男女やら、幼い子を連れた母親やら、無防備な人たちが行き交っていた。
『ツバキ、ムダだと知りつつアドバイスするケド、ここで抗戦すればノーマンとクヨウが気がつく。ボクらが死ぬ前に、彼女を拘束できル』
でもその数十秒で……彼女は何人殺せる?
彼女の能力を僕は知らない。でも僕は、僕だったら……オルドルの力でここにいる数十人全員を磔刑にできるだろう。杖をしまい、抵抗をやめた。
「いい子ね♪ 今日はね、貴方をデートに誘いに来たの♪」
「…………デート?」
衝撃を押し込み、問い返す。
~~~~~
キヤラはスキップで市警の建物を離れ、僕の手を引いて裏路地を風のように走り抜け、路面電車に飛び乗って、気がつくと海の見える通りに出ていた。
翡翠内海、という表示が読める。海ということになっているが、見た感じは海に向かって開けている湖、という印象だ。
工場街とは離れていて、海べりは公園になっていた。
「ねえ、これ、どっちが似合う?」
キヤラは女子のめんどくさいテンプレ質問を投げかけつつ、露天商が店開きしているアクセサリー類のところに屈んで髪留めをふたつ交互に当ててみせる。
どちらも花をモチーフにしたものだ。
いかんせん彼女の身を飾るにはやや役不足な、チープな代物だったが……。
「……オレンジのほう。君の瞳とおなじ色だから」
正解から数えて二番手の返事をすると、彼女は髪にオレンジの花を咲かせ、嬉しそうに微笑んでみせた。
そうしていると普通の女性に見えなくもない。犯罪の証拠隠滅に次々と民間人を殺しまくる公女を普通って言っていいなら、だけど。
「似合う?」
「ああ、似合う似合う」
適当に返事をした僕を「じゃあ、これ買って」という甘ったるい声が襲う。
「……お金持ってないよ」
「いいの、買ってくれるって言ってくれれば、買ってくれたことにするから」
キヤラは謎理論を持ちだしてごねる。なにこれ、なんの罠だ?
「あ~、わかった。じゃあ、買ってあげるから」
「やった♪ 優しいのね、大好き!」
心なしか露天商は僕に冷たい視線を投げていた。さぞかし甲斐性なしに見えただろうが、誤解だ。僕は彼らの生命を守るため、話を合わせてるだけなのだ。
キヤラは彼に過分な札を握らせると、僕の隣に戻った。
僕もまた、ごく機械的な動きで腕組み用の片肘を提供する。
「あのさ……ほんとにデートみたいなんだけど……?」
「そうね。あっ! ねえ、あれに乗ろう!」
キヤラは実に楽し気に、遊覧船の乗り場を指さした。
「船……? なんで?」
「そりゃあ、海鳥の餌を買って、鳥に集られたりしたいからよ。それから氷菓子を半分こずつにしたり、美味しい隠れ家的なお店でランチを食べたいわ」
それって……それって、恋愛経験値的なものがゼロの僕ですらわかる。
デートじゃないか? ふつうの。
それから突然、チケット売り場に向けて走り出し、振り返って「はやく!」と呼びつけてくる。
「オルドル……あいつが何考えてるか理解できる?」
『ぜ~んぜん。魔術世界の真理なんかよりよっぽど意味不明だヨ』
昨日まで僕たちは敵対しあっていたはずだ。
キヤラは古銅イオリをめぐって陰険な策略を練り、つい昨日は暴動も起こして、王姫の命を危険に晒した。あれはいったいなんだったんだろう。ぜんぶ嘘でした、とでも言い出すつもりだろうか。
僕たちは観光船のデッキに出て、どこかで見た覚えのある頭が二つある海鳥に餌をやったり、景色を楽しんだりしながら瑪瑙島というところで降りた。それからキヤラに手を引かれるまま一軒のレストランに入った。
林の中の小さな家、としか表現のしようのない雰囲気のいい看板の出ていない建物だ。バルコニー席からは海が見えた。
「いいお店でしょ」
とか言われても、目の前にある海鮮の煮込みが《甲殻類多め》としか表現できない僕には、判定のしようがない。でもこれが、日常的な食事ではなくて、少しお高めで、特別に親しい人と囲むには最適な料理だということがわかる。
「……ほんとにデートみたいなんだけど」
「だから、デートだと言っているじゃない」
キヤラはそう言って優美な仕種でアルコールを口にする。
「僕たちは最悪の関係だったよね。昨日まで、君は悪辣な罠にこっちをハメようと画策していたよね」
「そうね。昨日まで、ではなく今も、が正解ね。そことのところは変わらないと思うわ♪」
一足早く、彼女はデザートを口に運ぶ。
「……なんで、僕が君とデートしなくちゃいけないんだ?」
「だからぁ、お詫びよ」
キヤラはパンをちぎって、海鳥を呼び寄せながら、少し寂しそうに声のトーンを落とした。
「ほら、貴方の正体を知るために私の弟だって噂を流したことよ。まさかあなたが異世界人だとは知らなかったの……。そのせいで大変なことになっちゃったでしょ?」
驚いて、カトラリーを落としそうになった。
彼女が情報操作をしていたことは知っていた。
でも、それにまつわる一切について、謝る意志があるなんて思いもしなかった。
「私がしたかったのは学院と全力で勝負することだけで貴方を永遠にこの国に拘束することじゃ、ないのよ。もしも貴方が元の世界に戻りたいなら協力できなくもないけれど」
彼女は藍銅の公姫。天律魔法は使えないが、血筋が近いから研究を重ねれば可能性はゼロではない、と言った。
「それは……」
できない、と答えかけた僕の唇を、キヤラの指が塞ぐ。
「答えは知ってるわ。昨日のあなたは本気だった。本気でこの国と紅華ちんを守ると言っていたもの」
「自信はないけどね」
「それは貴方のせいではないわよ。紅華ちんが悪い。彼女の魅力がまだ命を賭けるに値しないから貴方が迷うのよ」
何と返事をしたものかわからず、唖然としながらキヤラが紡ぐ言葉を聞いていた。
そう言って彼女は机の上に身を乗り出し、好奇心に満ちた瞳を僕に向ける。
「なんなら乗り換えてもいいのよ?」
「……え、遠慮しとく」
そのひと言を口に出すまでがひどく大変だった。
机に乗るくらいの豊満な胸は大層魅力的だ。
「あら残念。じゃ、今日は楽しんで。キヤラ公姫とデートできるなんて、一生にそう何度もあることじゃないでしょう」
キヤラは何故か自信満々である。
彼女は本当に、そのためだけに僕の前に姿を現したのか……いや、そんなはずはない。きっと僕を油断させて何かするつもりに違いない。
より一層警戒していかないと。
******
気がつくと日が暮れていた。キヤラが宣言した通り氷菓子を食べたり、場所を移してハジ通りで買い物したりしているうちに時間はあっという間に過ぎていた。
「うそだろ……ほんとにデートだった……!」
注意は怠らなかったはずだが、彼女はデートから外れた行動は一切取らなかった。
「あ~、楽しかった! だからそうだよって言ったじゃない」
キヤラは落ち込む僕の後頭部を優しく撫でてくれる。
いい感じの夕焼けに包まれる通りを、並んで僕たちは歩いている。合宿期間中、命の危険を感じない一日がまさかキヤラの真隣でだけ実現するとは、なんだか皮肉だ。
「まっ、明日からは敵同士だけどね」
「あのさ……せっかくだから、聞いてもいい?」
「古銅イオリのこと?」
「いや、弟のこと。黒曜から聞いたんだ。キヤラは復讐しようとしてるって」
キヤラはこちらを一瞥し、ふん、と鼻を鳴らした。
「意外と夢想家ね、あいつ。今度会ったら、そんなんじゃないって言っておいて」
「大切な人だったんじゃないの」
「そうね。大切だったと思う。あなたと似てたの。瞳が似てるわ」
僕は無意識のうちに、硝子のショーウィンドウを覗き込んだ。誰かの失った誰かについて思いをはせるのは、それが殺人者の弟だと知っていても少し寂しい。
『死んでしまった者に罪はないものネ』
……まあ、そういうことだ。死者は僕を殺しに来たりしないだろう。
キヤラは僕のほうに手を伸ばし、頬に軽く触れて視線の先を無理やり自分に変更させた。
「私もひとつだけ教えてほしい。ねえ、ツバキ……貴方に魂はあるの?」
「……え?」
僕が戸惑っていると、彼女はさっと手を離した。
その質問や仕種や表情は、それまでの自信満々の魔女、藍銅共和国の公姫、大迷惑姫――そのどれもに当てはまらない別の何かだった。
「いいわ、忘れて。それより、ここで最後にしましょ。大事な一日を使わせてしまったんだもの。お土産がなくっちゃね♪」
彼女は路地の一画に取りつけられた扉を示した。
そこは大きなビル……ホテルの裏口だった。




