49 君と
天藍アオイは自暴自棄になってたんだろうと思ってた。
銀華竜との戦いで暴走しかけ、団長でいる自信がなくなったんだろうって。
でもそうじゃなかった。
「……僕が銀華竜と戦ったのは、純粋な気持ちからじゃなかったよ」
「純粋さになんの意味がある。誰しも野心がある。金で動く者いる。騎士になる定めに逆らえず、戦いの場に追いやられる者もいる。――俺とて、女王国のために戦っていたわけではない。すべては姫殿下のためだった」
元騎士団長とカガチが去り、王姫と対立した騎士団――それは僕がこの異世界に来る前からそうだった。たとえこの女王国が滅びても百合白さんが生きていさえすればいい――孤独で、周りとの関係を頑なに拒んでた。初対面でろくに知りもしない僕を本気で斬ろうとしたくらいには。
それなのに、天藍は変わった。
「心の内に何を抱えていても、竜の強大さが戦いに最適化された魂を選別する。お前は戦うと誓った。――ならばその誓いが、その履行のための戦いが、その結末こそが全てだ。そうではないのか」
だけど、たとえ視野が広くなって百合白さんへの想いから離れたとしても、天藍アオイを構成しているのは純粋な暴力の理論だ。騎士となるために生まれ、戦うために育てられた、竜鱗のもたらす運命の結晶みたいな存在が《彼》なんだ。
異世界の日長椿としての僕は、戦いなんて馬鹿げていると考えてる。
でもその戦いの理論を、否定できない自分もいる。
少なくとも、そこでなら生きていけるからだ。
0と1しかない、勝てなければ負けるだけの、暴力の理論の上ならば卑怯者でも、弱虫でも――その一瞬、勝者になれる夢をみられる。
そうではない者たちと同じ土俵に立てる。
「……もう一度聞くよ……古銅が異世界に帰ったら、どうする」
「奴は帰さない。それは絶対だ」
「キヤラに味方するのか?」
「誰の力も必要ない。何より女王国は藍銅の干渉を必要としていない」
「だけど、そのために君が犠牲になるのは、それだけは駄目だ」
天藍は強い。英雄になりたがらなくても、誰からも必要とされる、そうされて然るべき力の持ち主だ。
「僕は弱い。けど、そうじゃないものになりたい」
自分の弱さや醜さを誰かに知られてる、さらけ出されている状態は、恥ずかしくて死にそうだ。でも越えたい。昨夜の誓いはそのためのもので、でも、一夜明けて勇気は消え失せて、強敵だけが先に待ち構えていた。
キヤラと戦っても、その先には竜との戦いが待ち受けているのだ。
勝ち続けるしかない戦いだ。
そのことを考えると今更、息もできないくらい苦しい。
逃げたくなるだろう。何度も何度も、逃げようとするだろう。
でも何があっても逃げないでいるから、だから……。
「なってみせろ」
天藍はそれだけ言って、あとは黙っていた。
ずっとこうして問答を続けているわけにはいかない。
何しろ、試合当日まであと三日しかない。
休んでいる時間も、迷っている時間もない。
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地下のクヨウの部屋は、市警の職員たちみんなが避けて通る魔所と化していた。
室内には、徹夜が続いて、体力も気力も忍耐も肌の艶も消え失せた妙齢の女が二人もいるのだ。ふたりの周囲には持ち帰りの食事の容器とクヨウが吸った煙草の吸殻がうず高く積まれ、その高さが天井に近づくにつれ、剣呑な空気が濃くなっていた。
「ノーマン副団長、キヤラの居場所はつかめたか?」
心なしか据わった瞳で、クヨウはたずねる。いくら人形の体とはいえ、連日酷使されたそれは心なしか服装が乱れていた。
答えるノーマンは部屋の隅で座禅を組んだまま、胡乱な目でクヨウを見た。生身ゆえ、目の下には隈、手入れの行き届かない髪の毛が油っぽい。
ろくな休みもなく竜鱗魔術を限界まで使い続けているのだ。
魔術の素養がある者には、部屋中に紫の燐光とクヨウの術が放つ呪詛がまじりあい、瘴気をはなっている様が見てとれただろう。
「海市の近隣まで捜索範囲を広げてみたけど、ぜ~んぜん。これだけ探って何も出て来ない、というのはちょっとおかしいね」
ノーマンは首を横に振った。
血や涙、体液といったものが存在しないので、彼女はキヤラたち五人の姉妹の身体的な特徴から、どちらかというと物理よりな捜査を行っている。いわば警察が行う人海戦術の、その超短縮版だ。
「どれだけ変装をしていても、わかるものなんだけどね」
「地下にでも潜って、試合の当日まで出てこないつもりとかではないのか」
疲れからか、クヨウのイヤミも少し生ぬるいものになっている。
「地下三十階に存在する、出入り口も換気扇もない部屋があるならね。細かいことは省略するけれど、私のこの魔術は先代女王と一緒に組み上げたものなんだ」
先代女王――それは紅華の母親だ。
女王は代々、《天律》という魔法を使う。それはこの世の規律そのものであり、規律を書き換える力だ。
女王の能力は天海市全域に及ぶ。そして彼女は生前、ノーマン副団長に天市と海市の全域、表からは見えないような隠された場所にさえ入り込み、そこで起きた事象を感知できるよう、規律を書き換えたのだ。それは紅華に代がうつってもまだ有効で、これが彼女が《結界のノーマン》として力を振るうことができる根拠でもある。
「魔術を使えば、意志の力によって世界が書き換わる。つまり、天律に干渉する。この包囲網は完璧なんだ。そこを抜けるうまい術があるんだとしたら、流石大魔女、というべきか……いや」とノーマンは思考に耽りながら言う。「もしかすると、前提条件が違うのかもしれない。何か私たちは思い違いをしていて、全然見当違いのことをしてるんじゃないかって思うよ。で、そっちはどうなった? 少しでも情報がほしい」
「吸血鬼の足取りを調査中だ。ただな、国外の捜査資料を取り寄せてみて、面白いことがわかった」
「国外の?」
「キヤラたちがこちらに来る前、藍銅に滞在していた吸血鬼が殺されている」
漂って来るタバコの煙をふう、と吹く。それから、ノーマンは眉を顰めた。
「まさかそれもキヤラのせい、とか言わないよな?」
「捜査中だ」
「どうやってだい? 国境を越えて捜査するには、手続きに時間が――」
クヨウは指さしで、部屋の隅に置かれた等身大の人形たちを示した。
「なるほど、君は優秀なわけだ」
「お褒めに預かり光栄です、騎士殿。証拠はないものの、犯行は可能、といったところだ。仮に彼女らが吸血鬼を殺しまくってるとして、考えられる動機は?」
「……あの娘たちは、巻き添えを除けば意味のない殺しはしない。しているように見えて、その死によって利益を得ている」
「そう……それが問題だ。吸血鬼を襲い、殺すことで得られる利益。多大な、問題だ」
二人は見つめ合う。一拍置いて、それぞれが左右非対称な、皮肉げで、不快極まりない笑みを浮かべた。
それは絶体絶命に追い込まれた兵士が、ヤケクソで浮かべる表情に似ていた。




