48 魂を取り戻して
翡翠宮、後庭。
女王不在の現在は王姫とおつきの女官、それからごくわずかな側近だけが入れる、王姫の私室で、黒曜ウヤクは最大限渋い顔をしてみせる。
顔に負った火傷は、医療魔術によって跡形もない。視力は既に無いに等しいため、生活に不便はなかった。
「…………理由を訊ねても?」
「なんの?」
すげなく答えたのは、あんな大騒ぎがあった直後にも関わらず、すでに寝間着に着替えてくつろいでいる王姫、紅水紅華だ。
少女はお気に入りの大きなクマのぬいぐるみの後ろに隠れて、黒曜の執拗な追及に対する盾にしている。もちろんぬいぐるみはリブラからの贈り物だ。
あの玻璃家の技の結晶のような青年医師は、医師としては超一流だがことこの少女のことになると盲目になるようだ。
ぬいぐるみの後ろからちらりと見える紅色の唇は、多量の毒を含んでいる。
「なぜ誰にも相談せずに古銅を連れ出し、その身を危険に晒したのかと聞いているのです」
怒り狂った群衆の前に紅華がひとりで姿を現したのは、黒曜にさえ予測できなかったことだったらしい。
もしも予測できていたとしても、彼女を監禁しておくこともできない。
彼女は王姫であり、魔女でもある。
「彼らが何を訴えようとも我が民であることに変わりないだろう。八つ裂きにされてもいいと思ったから行った、それまでのことだ」
「あなたが死ねば、女王国はどうなります」
「望まれぬ女王を戴かなくともよくなる」
半ば本気でそう言っているようだ。
怒ったところで効果はないと悟り、黒曜は方針を切り替える。
たった十四歳でありながら、紅華には咲き誇る紅薔薇のように激しいところがある。姉である星条百合白がどこまでも可憐で柔らかくあったのとは対照的に過ぎる。
黒曜の眉間に皺がひとつ増えた。
それを見て、紅華はますますおかしそうに笑う。
「心配するな、ツバキが助けてくれたのだから」
「……彼とは何か打ち合わせでも?」
「いいや。だが、来ると思っていた。……あれは、優しくて弱いから」
はじめて紅華の表情が曇る。
自分の身を危険に晒して黒曜を大いに慌てさせたことに罪悪感はなくとも、異世界の少年を巻き込んだことは別なのだ。
「黒曜、お前は故郷は懐かしいか? 戻れずにこの国に骨を埋めることを辛いと思うか」
黒曜は嘆息する。
「起きることが予見できたにも関わらず、なぜです」
「ツバキには申し訳ないと思っている。だが、雄黄市のことは、どうしても譲れないのだ。竜鱗騎士の派遣を巡って民たちが声を上げたとき、姉上は門を開かなかった。その声をひとつも聞こうとはなさらなかった。彼らはどれほど落胆しただろう」
紅華はそっと瞼を閉じ、彼らの苦悩に思いを馳せる。
それは真剣に民の気持ちを憂いているようにも、黒曜の痛いところを突いて話を切り上げようとしているだけにもみえる。
「しかし、今後はこのような振る舞いは控えて頂かなくては。日長椿は騎士としていささか心もとない。騎士団長がいつも味方してくれるならともかく」
「そうそう、奴が守ったのだったな」
不意に紅華の表情に好奇の色がちらつく。
「――あの堅物が、紅華様を自主的に守るなど本来ならばありえない」
「ちがう。奴が守ったのはわたくしではない。ツバキだ」
「は?」
「だから、ツバキがいたからだ」
「天藍が、椿を?」
「女の勘だ。理由なんか知らない」
紅華は不満そうで、それでいて愉快そうでもある。
二項対立で構成された幼い魔女を前に、黒曜は真顔のまま、黙りこんだ。
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崖の上で、天藍は人形みたいだった。
表情は変わらないし、身じろぎもしない。
「お前は生きようとしただけだ。誰だって同じことをする」
「同じじゃない」
風が硝子細工のように細くて繊細な髪を揺らす。
なんて白い、真珠色の肌なんだ。
朝日に照らされた瞳は、針入り水晶のように美しい。
ほらみろ、同じところなどひとつもない。
入れ物がこれだけ違えば、中身も違う。
全然同じなんかじゃない。
誰も僕と同じなんかじゃない。
「それでも、戦うと言ったな。古銅のかわりに。あれは嘘か」
「それは……嘘じゃない、けど」
矛盾するようだけど、僕がみんなのために戦いたいと思ったのは、本当の気持ちだ。でも、過去に《僕》がしたことも、本当のことなんだ。
「戦い続けなければ、誓いはいつでも嘘になる」
天藍は僕に右手を差し出した。
僕が黙っていると、その手は拳に握られ、僕の左胸を軽く叩いた。
「俺はお前と戦う。お前が女王国のために戦う限り、この誓いを履行するために戦うと、さらに誓おう。お前は……お前の元の魂は、竜のいない国から来た。そして女王国のために戦った。理由など関係ない」
天藍は続ける。
天藍の瞳は力強くこちらを見つめてくる。
うっすら空の色がうつりこんでいる。それは人形でも、少女のようでもない。
百合白さんをひたすらに守ろうとする盲目の騎士でもなかった。
テリハに僕は天藍はまわりに思われてるような人間じゃないと言った。
でもそれは、完璧すぎる天河に少し嫌味を言ってやりたくなっただけで、本当の意味を理解していなかった。
心臓の上に置かれた掌の感覚がいやにはっきりと感じられる。




