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旋律の吸血姫と眠れよ勇者 竜鱗騎士と読書する魔術師2  作者: 実里 晶
倒せ! 最強の敵、その名もマスター・カガチ!
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46 生贄、あるいは戦う理由


『バカだね~、あんなバカな人たち、ほっとけばいんだよ、ツバキ。バカは死ぬまで治らないんだから好きにさせてやればいいのさ』


 オルドルの鼻歌を聞きながら、天藍は僕を抱えて真っすぐに飛ぶ。

 怒号を上げる人々は、追いすがる市警職員たちを振り払い、手近なものを壊し、破壊の限りを尽くしながら翡翠宮に到着しようとしていた。

 僕たちは一足先に、人気のない翡翠宮の前庭に辿り着く。警備もいなければ、門は開いたまま。誰もが消え去った翡翠宮の入り口に紅い点を見つける。

 それは赤いドレスをまとった紅水紅華だった。

 彼女の傍らには毛布に包まれた少年が俯いている。眠ったままの古銅イオリだ。紅華は彼を支えるようにして、まるで母親のように寄り添っている。

「紅華っ!!」

 僕の声に気がついたのか、彼女は上空を見上げ、微笑んだ。

「何してるんだ! もうすぐここに――!

 もうすぐ、暴徒たちがここに来る。

 それは言葉にはならなかった。賢い紅華がわかってないはずがない。彼女は迎え入れるつもりだ。最初から。ここに、彼らを。

『八つ裂きにされたいのかな?』

 それは、あながちあり得ない未来じゃなかった。

 激昂して理性を失った人の群れと、たった十四歳のやせっぽちの少女。

 勝敗はみえている。

「紅華、逃げろ!!」

 紅華は微笑んだまま首を横に振り、正面を見据えた。

 武装した人々が翡翠宮に入ってくる。群衆はあっという間に彼女を取り囲んだ。

 紅華は隣の古銅が転ばぬよう、ゆっくりと立ち上がる。

 短い黒髪の毛先を風に遊ばせた彼女の、ドレスの袖から露出した肩や腕はあまりにも華奢にみえた。

 人々は紅華の存在に気がついた。

 りん、と手にした鈴の音が鳴らされると、彼らは目の前にいるのが誰だか理解したようだった。

 紅の瞳が危難を前に力強く輝くのが、この距離でも見える。

 彼女の強い意志が、暴徒を前にして折れない心が、痩せっぽちの少女を凛とした高貴の女性へと変身させる。僕と初めて会ったときの彼女だ。この国のあらゆる人々の頭上に君臨し支配することを許された、ただ一人の少女。それが王姫紅華だ。


「王姫殿下……!」

「そんな、まさか……どうしてここに?」


 極限の疑心暗鬼に陥った心から、戸惑いの声があがる。

 彼女はまるでマリー・アントワネットだ。でもここは宮殿のバルコニーではなく、彼らの持つ炎は彼女を焼くことができる距離だった。

「わたくしが王姫、紅水紅華である!」

 声が響き、良く通るのは魔術のせいかもしれなかった。

「あなた方がわたくしに訴えたいことがあるのなら、これ以上、誰かを傷つける必要はありません。天市の門はいつでもわが国民に開かれているのです!」

 感極まった者たちが、王姫殿下! と叫んで膝を突く。

 この感動は僕には理解し難いが、女王とその血が流れる娘を慕う者たちも中にはいるらしい。それでも全員の怒りが収まったわけではない。紅華に赤く血走った眼を向ける者たちもいる。

 一触即発の大海が彼女を飲み込む直前であることに代わりはないんだ。

「紹介しましょう、ここにいる彼が《古銅イオリ》……貴方がたが求める、異世界からの来訪者です」

 困惑が、戸惑う声の波となって、群衆を同心円状に広がっていく。

 救世主だと聞いてはいたが、情報が先走り過ぎてその実際の姿は誰も知らなかったのだろう。彼女の隣で瞼を閉じているのは、彼らが考えるよりはるかに若くて、竜と死闘を演じるには子供すぎる少年だったはずだ。

「救世主をこちらに渡せ!!」

 誰かが叫ぶと、戸惑いや疑念は簡単に拭い取られ、あちこちから次々に同じ声が上がった。

 救世主を引き渡せ――私たちに、藍銅に。

「それは――…………」

 紅華の返事は、要求から真向に対抗しようとしていた。

 彼女は意見を変えない。それは絶対だ。

 この国を、竜の炎に飲み込ませない、そのために。

 でもそれは、怒り狂った彼らには受け入れられない。僕にはわかる。彼らはここに来るまでにもう、戻れない道を来てしまった。自分では戦う力なんてないのに、他者を傷つけてしまった。もしかしたら殺してしまった人もいるかもしれない。

 ここでなにも手にせずに戻れば、彼らは敗残者にしかなれない。

 暴力には1か0しかない。

 手に入れるか、何も残らないかだ。

『見物といこうじゃないか。乙女の柔肌が引き裂かれるのをネ』

 歌うようなオルドルの囁きかけを無視して、すぐ隣にいる騎士の表情をうかがう。

 なにも語る必要のない、冴えた月光のようだった眼差しは困惑に揺れている。

 竜鱗騎士である彼は、紅華を守るべきだった。

 紅華が死ねば、この国は破綻する。もっとひどいことが起きる。

 それがわかっていて、何一つ手助けのできない自分を悔いているんだ。

 また自分は戦えないんだって。

『ツバキ、やめろ。余計なおせっかいだヨ』

 僕はポケットから、小さな薔薇のブローチを取り出した。

「天藍」

 アオイはゆっくりとこっちを振り返る。

 銀白色の瞳の向こうから青い空色の瞳がこっちを見ている気がした。

 竜鱗騎士団団長ではなく、百合白さんの騎士でもなく、竜鱗騎士ですらないただの……不思議だ、出会った頃はこんなふうに思うことは無かった。こいつは僕と《同じ》なんだ。何もかもままならなくて、戦う手段を何一つ持っていない、自分自身に怒っている、なんにもない少年が目の前にいるんだ。

 だから。

「僕が行く。戦うよ、君のために」

 呆然としたままの天藍の手を振りほどくのは、辛くなるくらい簡単だった。



              ~~~~~



「《昔々、ここは偉大な魔法の国》ッ!!!!!」


 魔法が、僕の姿を薄汚れたエプロンをつけた厨房担当から、夜会服をまとった赤薔薇の騎士に変えていく。

 汚れた運動靴は黒の革靴に、上半身を絹の長外套が覆う。長ったらしい前髪は後ろに撫でつけ、見た目だけは晩餐会で披露した派手な服装になって、ちょうど紅華の目の前に着地した。できるだけ、格好よく、強そうにみえてるといいんだけど。

 続いて、足元から銀の茨が地面を這って広がっていく。

 攻撃する意志はないけれど、人々は魔法の茨に触れることを恐れ、後退していく。

「ツバキ……どうして来たのだ!」

 驚いている紅華を背中に庇いながら、杖を群衆に向けた。それでもなお、じりじりと近寄ってきた人々は少しだけ動きを止める。

「この状況を何とかにし来たに決まってるだろ」

 僕は彼らをぐるりと見回した。これだけの数に囲まれるのは、思ったよりも怖い。

 紅華はよく立っていられたと思う。

 人垣の最前列で誰かがそっと「赤薔薇の……」と呟く声を拾う。たぶん、ゴシップ好きのやつだろうな。この国の人たちは王姫を支配者に戴き、騎士に守られる。だからそのどちらにも特別な感傷があるに違いない。

「そうだ。僕が赤薔薇の騎士、マスター・ヒナガだ! 紅華を守るためにここに来た!」

 引っ込め! という怒鳴り声とともに、何か硬いものが投げつけられる。

『まったくぅ……世話しきれナイよ、ツバキくん』

 茨がうねり、木切れを受け止めた。

 グローブの中で小指の爪が引きはがされて、いやな汗が流れるのがわかった。

「引っ込め、王家の犬め!!」

「そうよ! キヤラに負けた奴らに何ができるっていうの!!」

 労働者風の服を着た男や、やつれた顔をした女性が叫んだ。仕事場から来たのか、制服姿のままの人もいた。少年もいる。もっと汚い言葉で罵倒してくる人たちもいる。でも言っていることはみんなおなじだ。

 《我々には救いが必要だ。》

 《救世主が必要なんだ。》

 その気持ちは、痛いくらいにわかる。

 僕も助けてもらいたかった。この地獄から救いだしてくれる、無条件に僕を守ってくれる存在が現れることを心の底から願ってたことがあるから。

 だから、この人たちを愚かだとは思えない。

 僕は杖を下ろし、そのかわりに言葉で語りかけた。

「みんな……古銅イオリがほしいなら、そんなに彼を救世主にしたいなら、連れていけばいい。でも、彼を連れていくまえに、少しだけ話を聞いてほしいんだ!」

 できるだけ多くの人に聞こえるよう、声を張り上げる。

 紅華が鈴を持ち上げ、鳴らす。

 澄んだ音が広がり、雑音が消えて鎮まる。

「僕はこの国に来てまだほんの少ししか経っていないけれど、竜の恐ろしさを知ってる。彼らがどれだけ強くて、残酷かを。倒さなくちゃいけないものだってこともわかってるつもりだ」

 銀華竜を前にしたときの、あの威圧感。絶対に敵わない、という絶望感。なにもかもを奪い去られる恐怖は、何度肉体を替えても残ってる。

「だから、君たちが救世主を求める気持ちもわかるよ。古銅が竜鱗騎士になったら、きっと強い騎士になるだろう。雄黄市だって取り返せるかもしれない。みんな、故郷に戻れる……でも、わかってるはずだ。――今、雄黄市にもどっても、そこに故郷なんかない。あるのは瓦礫の街だ」

 オルドルの耳と瞳が、人々の感情をとらえて送ってくる。

 悲嘆、怒り、絶望。かつて彼らの心を砕いた幾千の感情たち。

「古銅は、救世主だって言われてるけど……本当はそんなんじゃない。普通の、十代の、少年だよ。ただの人間だ」

 その続きを口にするのが、怖い。僕はこれから、たくさんの人たちの希望を打ち破ろうとしていた。

「扉の向こうには、竜はいない。戦いのない平和な世界がある。古銅は学校に通って、友達もいるだろう。恋人だっているかもしれない。放課後になったら、お母さんとお父さんが待ってる家に帰るんだよ」

 いまごろたくさんの人たちが必死に探してるはずだ。

 でもどこを探しても、どんなに祈っても、手がかりはみつからない。

 何故なら異世界にいるからだ。

 そう訴えかけると、群衆の中の幾人かがはっとした表情を浮かべたり、うなだれたりといった反応をみせた。

「想像してみてほしい。いつも決まった時間になったら聞こえるはずの、ただいまが聞こえない日のこと……家族みんなが揃ってるはずの夕飯の席にいつまでも埋まらない席があること……」

 かけてもかけても繋がらない電話。話し相手のいない学校、いつまでも手がかりがつかめない焦燥感。

「僕たちはその寂しさを、悲しみを誰よりも知っているはずだよ」

 魔法でなく本当の静寂が広場を包む。

 なぜなら、ここにいる人たちは竜の侵攻によって同じ思いをしてきたからだ。

 僕だけが異物だ。

 大した詐欺師だった。でも紅華のために、そして天藍のために嘘つきにならなければいけない。彼らの傷口を抉ってでも、この物語に《共感》させなければいけない。

「過去に起きてしまったことはもう変えられない。でも、これから起きることは変えられる。僕は――もう誰にもそんな寂しい想いをさせたくない。君たちはどう?」

 僕は群衆のひとりを見据えた。

 不精髭を生やした男の人だった。僕より年上で、たぶんイネスと同じくらいだろう。でも若者と思えないくらい、その表情には生気がなく、不健康な生活を送っていることが読み取れる。彼は視線を逸らした。

「もう、やめましょう……」

 女の人がすすり泣く声が聞こえた。四十代くらいの女性が、夫と思われる男性に肩を抱かれていた。

「何を言ってるんだ、ここまで来て!」

「だって、あなた。まだあんな……子供なのよ。私だったら耐えられない。自分の子が竜と戦うなんて」

 母親の言葉は、周囲の人たちに少なからず衝撃を与えたようだった。

「お前に、お前に俺たちの何がわかる!」

 太った男が何かを投げつけてくる。

 魔法は使わず、紅華を抱きしめる。

 硝子の割れる音がして、ぱっと周囲が明るくなり、炎の熱を間近に感じた。

 けれど、僕たちが火傷を負うことはなかった。

「天藍アオイ……」

 紅華が呆然と、その名を呼ぶ。僕たちを庇うように、羽を広げた美貌の竜鱗騎士が立っていた。

 瓶に入っていた燃料のようなものが地面に散らばり、天藍の服や羽、足下を焼く。

 僕たちめがけて、木切れや鉄パイプや石が投げつけられる。それでも彼は立っていた。鋭い刃物が左目の上を切り裂き、血が溢れる。でも怯まない。どんな憎悪を差し向けられても、それでも。

「私は……私は諦めないぞ、何があっても。息子の復讐を果たす。そうでなければ、あの子は安らかに眠れない」

 混乱のうちに、さっきの父親が包囲の中から進み出て、古銅のほうに向かってくる。僕は彼の前に立ちはだかる。

 間近にした優し気な緑の瞳は、絶望に濡れていた。

「何故です、騎士様。あなたは――あなたは、藍銅の御方でしょう! キヤラ公姫の弟君だという噂さえある。我々の味方ではないのですか!」

 誰もが固唾を飲んで、僕の返答を待っている。

「私には息子がいました。脱出の混乱ではぐれて、再会したときには死体になっていた。苦痛に満ちた死に様でした。竜を、竜を殺さなければ!」

 他人の苦しみを考え、身を引くことのできる人は少数だ。

 身内の受けた痛みのせいで、彼は他のことを考えられないでいる。

「――約束するよ、かわりに竜は僕が倒す。竜鱗騎士にはなれないけど、この《魔法》で」

 僕は金杖を掲げる。

 肉体と引き換えに、触れられない水が霧になって広がっていく。前庭を取り巻く、銀の月桂樹。空を舞う生命の無い鳥たち。足もとで咲き誇る花たち。

「だから、彼を故郷に帰してあげてほしい。僕は」

 なんとなく、蝙蝠野郎、と呼んだ黄水の表情を思い出した。

 もう、蝙蝠はやめだ。

「僕はマスター・ヒナガ。日長椿。藍銅共和国の王子でもなんでもない。古銅とおなじ異世界から来た!」

 あ~あ、とオルドルが言うのが聞こえた。

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