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旋律の吸血姫と眠れよ勇者 竜鱗騎士と読書する魔術師2  作者: 実里 晶
倒せ! 最強の敵、その名もマスター・カガチ!
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45 破綻

 まず、最初にダウンしたのがリブラだった。

 とにかく治癒魔術が追いつかないのだ。そりゃそうだ。負傷者は山のように、ひっきりなしに誕生する。加えて乱戦で僕は魔術に集中できず、平気で手足を飛ばす。それを端から治していたら、魔力切れを起こすのは当然だった。

 あとはジリジリ削られて、結局、戦局を立て直すことができないまま、この日の特訓は終わった。

 カガチとの衝突に巻き込まれずに済み、比較的自由だったウファーリと天藍が飛び回って飛竜を倒していたが、それでも六十五が限度だ。

「やばい……まじでやばい……なにがやばいって、語彙力が激減してやばいという三語しか出て来ないところがやばい……」

『もしかしたら、銀華竜より手強いかもネ』

 強敵を倒すための特訓なのに、強敵より強いんじゃないかってマスター・カガチが立ちはだかっている。しかも傷ひとつつけられていない。

「キヤラだってここまでは強くないだろ……」

 弱音を上げたところで、コツン、と硬い感触が後頭部に触れる。

 顔を上げると、お玉を手にしたイブキが眉間に皺を寄せて立っていた。

「手を休めないでくださいよ、ヒナガ先生!」

「ちょっとくらい休ませてくれたっていいじゃんか……」

「だ・め・で・す!」

 リズミカルに僕の頭をぽこぽこ叩いて来る。

 僕はスポンジと洗剤を手に、大量の食器の前に立った。

 イブキは汚れた皿たちに挑みかかるような目つきで腕まくりをしている。

「元気だね、イブキは……」

「甘えたこと言わないでください。元気がなくても、不調でも、戦わなきゃいけないんでしょう、先生は。皿洗いくらいで音をあげないでくださいよ」

 なんだか答えに詰まってしまう。

 実のところ、カガチたちにとことん追い込まれて、訓練の後半にもなると僕は思考をやめていたのだ。

 苦しくて、辛くて、痛くて、戦いたくない、とすら思ってた。

 銀華竜のときと何が違うのだろう。

 あのときの《日長椿》は、絶対に諦めなかった。もしかしたらどうしようもなく怒っていて、混乱していて、狂気にのまれていて、あとのことを何一つ考えていなかっただけかもしれないけれど。


「ヒナガ先生!!」


 皿を洗い始めて間もなく、食堂の扉が勢いよく開く音がする。

 ばたばたと足音を響かせて、紅い髪をなびかせた少女が駆けこんでくる。

「どうしたの? ウファーリ……」

「その様子じゃ、まだ知らないんだな!?」

 続けて入って来たイネスが食堂に置かれたモニターのスイッチを点ける。

 そこに表示された情報を見て、僕は目を瞠った。

「……このこと、リブラは!?」

「リブラ医師はまだ眠っています」

「叩き起こしておいて!」

 僕はスポンジを乱暴に置くと、食堂を飛び出した。

 玄関を出て、まっすぐ運動場へ。

 そこに、純白の羽を広げた騎士がいた。


「天藍っ!!」


 必死に叫ぶ。冷たい美貌がこちらを振り向く。


「僕を連れて飛べ!!」


 天藍は伸ばした手を、迷って――それでも、掴み、引き寄せた。

 僕の体を掴み、結晶の翼を羽搏かせる。



               ~~~~~



 天市市境――海市市境でもあるそこは、炎と投光器の光によって燃え上がっていた。

 横倒しになった装甲車が燃えている。

 数千人規模のデモ隊がとうとう暴徒化して海市市警と衝突したのだ。

 中継映像で見たのより状況はずっともっと悪い。

 衝突は収まることなく、そこここで争いが起きている。市警たちは押され気味で、盾になるように市境を守っているが、興奮した人たちは押し留められそうにない。投げつけられるのが暴言だけならともかく、火炎瓶や手近な武器を持ちだす人たちまでいる。悲鳴と怒号、そして銃撃の音が聞こえる――真っ赤な血を流しながら仲間に支えられ、退避する職員の姿が空からでも確認できた。


「どうして……同じ海市市民じゃないか。止めないと……!」

「出ていってどうする。どちらを止めるつもりだ」


 どちらを。つまり、この期に及んでも秩序を必死に守ろうとしている市警か、それとも竜に全てを奪われて、ここで必死に声を上げている人たちか、どちらを攻撃しどちらを守るつもりなのかと訊かれたのだ。

 天藍は奥歯を食いしばり、激しい感情に耐えている。

 握りしめた拳の震えは、寒さのせいなんかじゃない。

 今、ここで声をあげ、暴力という最悪の手段を選んでしまった市民たちは、もとをただせば星条百合白の――彼女の判断のせいで生活を根こそぎ奪われてしまった人たちだ。だからこそ天藍は彼らを止めることができない。

 でもこうしている間にも、また……もうもうと立ち昇る催涙ガスの煙の間で、マズルフラッシュが光る。あそこで倒れて行く人たちは、紛れもなく海市に住んでいる人たちで、そして……想像力が僕にトドメを刺そうとしてくる。


「門を開けろッ!!」


 地獄の底のような場所から、誰かが叫ぶ。


「古銅イオリを引き渡せ!!」

「雄黄市を見捨てるのか!」

「俺たちの故郷を救ってくれ!」

「救世主様! 家族を殺した竜に天罰をッ!!」


 男が、女が叫び、慟哭する。逮捕され引きずられていく者が、身を庇い地面を這いつくばる市警職員を暴行する者が、喉を枯らして叫んでいる。

 ここは怒りと嘆き、怨嗟の坩堝だった。

 空気はたっぷりあるのに息をする度に憎しみが肺を満たすようで、息苦しい。

 どくん、と心臓が鳴り、怒りという感情を糧にするオルドルが高まるのを感じる。


『後先考えず欲望をぶつけあうニンゲンというものが、ボクは大好きだよ。愚か者たちめ、勝手に、存分に、身勝手に殺し合えばイイんだヨ』


 そのとき、聞き覚えのある音が響いた。


 りん。


 ――澄んだ鈴の音が、この修羅場を切り裂くように鳴る。

 そのとき、市境を封じる門が突然、消え去るように開いた。

「紅華……!?」

 さっきの音は、紅華の魔法である《天律》の音だ。彼女が天律魔法を使い、扉を開けたのだ。

 集まった人たちは歓声を上げて、扉の方向へと駆けだしていく。

 市警の制止など大した効果はない。

「なんで、扉を開けちゃったんだ!?」

 天藍も驚愕の表情を浮かべている。

 猛り、怒り狂った市民は、進むことしかしらない暴徒の波となって、真っすぐに翡翠宮へと向かっていく。

 天市の方角は不気味な闇と静寂によって支配されていて、翡翠宮までの道だけが照らしだされていた。


「とにかく、行ってみよう!」


 僕が声をかけるまでもなく、人々から気づかれないギリギリの高度で天藍は後を追いかけた。

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