44 二日目はままならない
カガチはめちゃくちゃ強い。天河たちだって強いけれど、このまま地獄の特訓なのだか大虐殺なのだかに突入したら、いずれは死人が出てしまう。
回避する方法は、ひとつだ。
連帯と、協力。
天河テリハの物まねじゃないが、カガチに対抗できる個人戦力が存在しない以上、それしかない。むしろ、カガチはそれを狙ってたんじゃないかって気さえする。
天藍は団体行動を嫌うし、テリハたちは僕らを敵視する。僕らも彼らを受け容れているとは言い難い。こんな状況で集団戦闘をしろというのが無理なのだ。
カガチは連帯が何なのかを身をもって思い知らせようとしているに違いない。
僕は早朝はやくにリブラの私室兼救護室に全員を集めた。
他より少し広いとはいえ、全員が入るとぎゅうぎゅう詰めだ。
僕は部屋の四隅に水の入ったグラスを置いた。
「オルドル、これでいい?」
『いいヨ~』
「よし……《偉大なるものよ。千変万化の力にて、安らかなる帳を開きたまえ》」
金杖を抜き、オルドルの魔術によって《結界》を張ってもらう。
現在、この部屋は僕が許可した人物しか入れず、出れもしない。魔術が使われたことに教師陣は気がつくはずだが、まあこれくらいなら見逃してくれるだろう。こっちの会話が漏れなければ何でもいいのだ。
「今日の作戦だけど……カガチに一服盛ろうと思う」
開口一番そう言うと、天藍がおもむろに拳を握った。
「マスター・カガチは植物毒の全てを瞬時に分解する。何か申し開きはあるか。無いなら歯を食いしばれ」
「――無い! 無いけど! 僕が言いたかったのは昨日の二の舞はごめんだから何か作戦立てませんかってこと!」
夜型なのか、魔力の使い過ぎのせいか、まだ眠そうな顔をしたリブラの背後に逃げ込む。
野蛮人どもも流石に貴重なヒーラーを撲殺するってことはないだろう。
「ばっかじゃねえの。巻き込まれた手前、試合にも協力するが、なんでお前みたいな間抜け野郎の言うこと聞かなけりゃいけないんだ。大体だな、お前はもともと藍銅の側のニンゲンだろ」
黄水ヒギリがこっちをにらみつける。その設定は僕が考えたわけじゃないんだけど、またこのパターンか……さすがに頭を抱えそうだ。
「おい! 黙ってきいてりゃ、バカにするのもほどほどにしろよ!」
黄水の暴言を受けていきり立ったのは、僕ではなく、ウファーリだった。
僕の友達、を自称している彼女にとって、黄水の発言は許せないものだったに違いない。むしろ黄水と似て熱しやすい性格の彼女が今まで黙っていてくれたことのほうが、考えてみれば不思議な出来事だった。
「ウファーリ、もういいよ。べつになんとも思ってなから」
「いいや、よくない! 先生がびっくりするほど弱っちくて間抜けだっていうのはともかく、竜を倒したことは間違いないんだぞ! 藍銅がどうのってのは今しなくちゃいけない話じゃないだろ!」
間抜けだっていうのは否定してくれないし何か余計なものまで加わってるが、ウファーリの気持ちはよぅくわかった。
信頼されてなさすぎだろ、僕。
「お前らが黙ってるなら俺が言うけどよ、こいつが藍銅公王の隠し子だって疑惑はどーなってるんだよ!」
「それは……それは、違う。僕は彼女たちの弟なんかじゃない」
ただ、問題はそれを証明することも不可能だってところだ。
僕は藍銅共和国の出身ですらないんだから公的機関の証明書だってもらえない。
日本にいた頃は、国籍はどこで、僕が何者なのかなんて、気にしたこともなかった……生きて、そこで暮らしてることは当然のことで、そのことで反感をもたれたり、意見も聞いてもらえないことがあるなんて思ってもみないことだった。
「邪魔が入らなけりゃ、俺たちは誰を取ったって十分強いんだ。どっちつかずの蝙蝠野郎についていく義理はないな」
黄水はクローゼットの扉に手をかけた。
そのまま、なんの疑問も抱かない様子で吸い込まれるように衣服の間に入って行って扉を閉めた。
それを見届けたあと、桃簾イチゲが発言する。
「でもさ。私は少しくらい先生の意見を聞いてもいいかなーって、思うかなぁ……」
「は? 本気で言ってるの。頭でも打った?」
ナツメの絶対零度の冷たい視線が刺さっても、イチゲは笑っている。
同時にクローゼットのほうからは、「あれ? ここどこだ!?」「ちくしょう、何をしやがった!」などと混乱しきった声やいろいろなものに頭をぶつけるかわいそうな音が聞こえてくる。
「同室のよしみっていうのが半分。あとの半分は、どのみち先生は試合に強制参加するわけで、手の内を知っといたほうが有利でしょ。というわけで、あたしはこっちに着く」
イチゲ、ナイスフォロー。
彼女はわざとらしく僕の隣に腰を下ろしウィンクを送ってくる。そして「先輩との仲を取り持ってくれるならね」と耳元で囁いた。
天河はというと、じっと黙って考え込み革靴の先を眺めていた。
それは不可解な反応だった。連帯とか、協力とかいう単語が好きなのは僕よりも彼のほうだ。どうして仲たがいしそうなこんな局面で黙り込んでいるんだろう。助け船を出してくれるなら彼だろうと考えていたのだが、思い違いか……。
まあ、黄水が嫌がってるのは僕との連帯だ。このまま状況を見守るつもりなのかもしれない。
ふいに隣でイチゲは困り顔を浮かべた。
「これで多数決では勝ったわけだけど、今回の特訓は二人一組なんだよね。ナツメが嫌なら、流石にどうにもできないけどさ」
「嫌に決まってるでしょ……今回のカガチ先生、妙に本気だし……無駄に消耗したくないよ……」
しん、と一瞬だけ鎮まり、一拍置いてクローゼットの扉が爆音と共に弾け飛んだ。
魔術に封じられてどこにも行き場のない行き止まりに頭から突っ込み、オルドルに思いっきりおちょくられて遊ばれたことに気がついた純粋な若者が真っ赤な達磨みたいな顔になって飛び出してきたのだ。
「ぶっ殺す!!!!」
それからはめちゃくちゃで、話し合いどころじゃなかった。
誰かが突進してくるヒギリの制服を掴み押し留めるまでに、僕は本気の拳を一発貰うハメになった。
幻術をかけたといったじゃないか、と事実を告げたら殴られたんだ。理不尽だ。
「今回は、私たちの力でなんとかしのぐしかないですね」
殴られ、腫れた顔の治療をしてもらいながら、リブラの厳しい表情を眺める。
各自、部屋に帰って行ってしまいここには僕らしかいない。
「……国家権力で強制的に協力させるってこと、できないの?」
「したいですか?」
そりゃ彼らは正式な竜鱗騎士ではないけど、その卵ではある。
紅華や黒曜の力を頼ったら、きっと言うことを聞いてくれるようにはなるに違いない。
でも、僕にはできない。
「……じゃ、さ。僕が異世界から来たってことを、みんなに打ち明けるっていうのは?」
リブラはそれを聞いてすぐに眉をしかめた。
「いけません。それだけは、許可できない」
「藍銅共和国出身、という設定はそっちが勝手につけたんだろ」
「それは、そうですが……」
煮え切らない若き青年医師の表情に浮かんでいる感情の色は、困惑や葛藤だ。
「これは女王国の問題だ。あなたは、そんなものを背負う必要はないのです」
リブラはそう言ったきり、黙った。
なんだよ、それ。
~~~~~
「誰だ!! またカガチをここまで連れて来ちまったバカはっ!!」
ヒギリの怒号。神速だったはずの蹴り技は、障害物の多い地形で否応なく減速させられてしまっている。
体重がやや軽いことも相まって、容易く弾かれて意味をなさない。
午前中は基礎的なトレーニング。午後に入った途端、これだ。結局、ペアも昨日と同じまま、同じ状況が再現されている。
カガチは余裕の笑みのまま、刃の二振りがヒギリを切り裂こうと迫る。
「五の竜鱗! 《黒鱗麒竜吐息》!!」
背後から、追いついた天河が二人の間に刃を突き入れる。
カガチの刃が軟化し、しなる。瞬間、カガチの手が柄から離れ、一秒以下の早業で逆手に持ち替える。無理な体勢から突きを入れたせいで引き手の遅れた天河の刃を掴み、ヒギリの胴に握りこんだままの柄を突き入れる。
「くはっ……!」
苦悶の声がここまで届く。
衝撃で、ヒギリの体が浮いた。浮くっていうか、もう、打ち上げるとか飛ぶ、とかいう次元だ。
「私もいますよ~!」
さらに出力を押さえた三条の光芒がヒギリに集中する。まずい。
「《昔々、ここは偉大な魔法の国》!!」
光芒と防御のできないヒギリの間に、銀の盾を形成する。
ヒギリは速さのために防御力を捨ててる。まともにぶつかったら負傷してしまう。
しかし、サカキが放った矢が盾の表面に刺さった瞬間、盾は砕け散った。残りの矢が難なく空間を通過し、ヒギリの全身を貫く。
「なんで!?」
カガチの肩の上でサカキがにやり、と笑った気がした。
『くそったれ、魔術を無効化された!!あの野郎~~~~ッ!』
そんなことが可能なのか、と問おうとしたまさしくその瞬間、光芒の一条が僕の体にも刺さり、戦闘服の表面で弾けて燐光を散らす。怪我は大したことないが、衝撃で後ろに吹き飛ばされた。
イネスが抱き止めてくれて、辛うじて止まる。
そうでなかったら木の幹にぶつかっていたかもしれない。
こんなの、初めてのことだ。
「無効化されずに魔術を使うことはできないのか!?」
『できるに決まってるでショ!? 内臓をちょうだい』
「それは無理だ!」
大ダメージを食らって地面に落ちたヒギリの周囲に白い魔法陣が浮かぶ。
天秤の印は、リブラの魔法陣だ。
彼は遠隔から治癒魔術を使ってる。竜鱗騎士は自己治癒力に優れるが、すぐに治療が必要な状態だと判断したってことだろう。
「いくらマスター・カガチでも容赦しないよぅっ! 先輩を離せっ!」
膠着状態に陥ったマスター・カガチと天河に向け、イチゲが至近距離から銃口を向ける。銃の形態は、近接戦闘に備えて銃身短めのショットガン。
引き金を引く直前、カガチがニヤリ、と笑う。
その瞬間、カガチが一歩引いた。天河の手から鞘が離れ、刃が宙を舞う。拮抗状態だというのは見せかけで、本当はこれを狙っていたんだ。
射線はカガチから外れてしまっている。テリハは地面を転がって、散弾を回避。
カガチは追撃を躱しながら、武器を離したテリハとの距離を詰めてくる。竜鱗魔術の起点になっている剣を離したことで、ブレスの効果も解除されてるはずだ。
カガチの剣が空中で止まった。
魔術を解いたナツメが一瞬だけ姿を現す。
そして文字通り霧散、死角に逃げて、再び攻撃に転じた彼女の刃を、カガチはやすやすと受け止める。
物理的に接触するためにはどうしても姿を現さなければいけないらしいが、いったん霧になった彼女を視認するのは至難の技のはずだ。
カガチと切り結ぶ度、激しい剣戟の音が響く。力任せに叩きつけるような斬撃を、小柄で華奢なナツメが受け続けるのはやっぱりちょっと厳しい。
「ご、五の竜鱗っ……《氷幻水竜吐息》!!」
離れていても肌を刺すような冷気が漂い、地面が一瞬で氷ついていく。
移動の自由を奪い、手数を減らす作戦だ。
「六の竜鱗、《百手魔性》」
カガチが初めて、魔術らしい魔術を発動させる。
地面を覆う氷が砕け、その下から巨大な植物がせりあがってくる。
前にも見たやつ……たぶん、そうだ。赤紫の醜悪な花が開き、蠢く蔓を持った……残念ながら、僕の知識には全く存在しない怪奇植物だった。植物が蔓を伸ばし、ナツメの体を捉え、絡め取る。
カガチは剣を収め、つまらなさそうに溜息を吐いた。
「う……うそだろ……」
天河たちでも、これなんだ。絶望的な気分が漂う。
僕はただ、目の前の光景を見つめることしかできないでいた。




