41 地獄の大運動会、の巻
いざ合宿だ――! とはならなかった。
本格的に特訓がはじまり、何故か僕とイネスだけが運動場に残された。
理由はわかってるようなものだけど……拍子抜けした僕と対照的に、イネスはカガチを前にしてガッチガチに緊張してる。
「ムリだとわかってて言うよ。今のカガチ先生は肩にお人形さんを乗せたおじさんだと思って、少し落ち着いたらどうかな?」
「ムリです!」
「だよねえ」
無礼な口をきいても、カガチは悠然としてそこに立っている。
天藍や百合白さんが女王国のアイドルだとしたら、マスター・カガチは実際に竜との戦いの最前線に立っていた《英雄》だ。
「さて……お二人を残した理由は、他でもありません」
「実力に不安があるからだよね。僕でもわかるよ」
訓練とはいえ、野に放したのはホンモノの飛竜だ。ウファーリは……これまでカガチ相手に喧嘩を売っているだけあって実力は把握しているはずだが、僕とイネスは未知数、ぶつけるのに不安だと感じる気持ちがあっても当然だ。
カガチは苦笑を浮かべ、それから無防備な右手を差し出し、急に真面目な顔つきになった。
「僭越ながら……伝手を使ってイネス殿の経歴は調べさせて頂きました。あれだけの死線をくぐり抜けた者に、再びこのようなことを頼むのはおこがましいことこの上ないが、女王国の有事に際しどうか今一度、力を借り受けたい」
何かがおかしいぞ、という違和感があるが、光景自体は普通だ。
お互い軍人同士だし。
イネスは戸惑った表情のまま差し出された右手を掴もう……として、その前に身体と表情が強張る。
カガチの右足が、握手の距離にしては踏みこみ過ぎたからだ。
気づき、その後に起きることを回避しようとしたものの、それもまた遅すぎた。
イネスは右腕をがっしりと掴まれていた。流れるような動作で、あ、と思ったときには土埃が舞い、華麗な一本背負いが決まっていた。
「油断大敵ですな。次は殺す気でいきますよ」
「マスター・カガチ、無防備なところを狙うなんて……!」
どういうこと、と問おうとしたときには、彼はイネスの元を離れていた。
間近に、鷹揚で平凡で、日向みたいな笑顔がある。気がつくと地面の上にひっくり返っていた。全然抵抗できないし、何が起きたのか理解もできない。
かろうじて受け身がとれるくらいの強さなのは、手加減してくれているからだと思いたい。
「おや、無傷でしたか」
「一応聞くけどさ、ケガしたらどうするつもり?」
「はは、異なことを仰います。腕の一本や二本、折れたとしてもいくらでも治るでしょう」
カガチの背後で、リブラが苦い顔をしている。まさか宮仕えの医者が、そんな便利なコンビニ感覚で使われるとは思ってなかったのだろう。僕もだ。
「よろしいですか、お二人の相手はこの私です」
「待って。それはおかしい! なんで一番勝ち目が薄い僕らが!?」
「だからこそですとも。貴方がたは手の内のわからない強敵に挑もうとしているのです。私の相手もできないのであれば、キヤラ公姫に勝つなど夢のまた夢。逆にいえば――私に後れを取らないのであれば、貴方がたは大した切り札になるでしょうな」
要約すると、《足手まといはここでふるい落とす》ってことだ。
カガチの手が腰に伸びる。いやいやいやいや、それはまずい。
冗談になってない。
剣を抜いたときのカガチはぶっちゃけ鬼より強い。天藍も勝てないくらいに強い。
「ほ、ほんとに……訓練なんだよね!?」
本気の殺気を浴び、声が知らないうちに裏返っていた。
そのとき、カガチの剣は背後から突き出された槍の刺突を軽く避け、槍の柄を握る手元のあたりから支えて完全に封じていた。イネスの表情は青い。全力を出しても、騎士の膂力がそれ以上の踏み込みを許さないのだ。
僕を助けるためだ。
そうしなければ、僕は二つの旋風に両断されて死んでた。
カガチはイネスの突撃槍の攻撃を簡単にはねのけると容赦なく斬りこんでいく。
踏みこむ度に死の一閃が閃く。
槍の刃と柄、全身を使って受けるイネスの表情には苦痛が満ちていた。ひとつでも手を間違えれば手足を切り落とされてしまうだろう。
中段を横薙ぎにする回転切りが、突然逆向きに翻って肩口を切り裂きながら舞い上がる。すぐさま深く踏みこみ、と同時に放たれた超下段が地面ギリギリを薙ぎ払っていく。
イネスは咄嗟に地面を穂先で叩いて飛び上り、宙に舞ってやり過ごす。
でなければ、足首を両方とも切り落とされていた。
凄い反応だ。でもたぶん、あれが生身の人間の限界でもある。
カガチはいったん、右の剣を肩に置いて笑った。
「イネス殿、竜鱗適性は?」
「え、炎竜系一鱗……っ!」
イネスは既に肩で息をしていた。
「騎士でないことが惜しい。しかしまだ本気が出せるでしょう。まだまだ速くなりますぞ」
「待ってくださいよ、マスター・カガチ。私にも見せ場を下さい」
カガチの頭の上で、もぞもぞと動くものがあった。
人形形態のマスター・サカキだ。
サカキは手にキラキラしたものを握っている。真紅の石と透明な石のふたつを。
やばい。あれも本当にやばいモノだ。語彙を尽くしている暇はない。
「さあーて、逃げないと控え目に言って死にますよ。そおーれ!」
愛らしいぬいぐるみの付属パーツに過ぎない杖の先端が輝き、十二条の熱線が放たれた。
「《昔々、》以下略!! 《偉大なるものよ。千変万化の力にて、安らかなる帳を開きたまえ》!!」
呪文というよりは悲鳴だった。
慌てて目くらましの幻術を発動させる。
僕はイネスの襟首を掴み、必死に山の中へと飛び込んだ。
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二藍国立公園の木々を焼き、薙ぎ払い、更地にかえる容赦ない爆撃が降り注ぐ。
しかも爆撃は異常な機動力を有していた。
個人で長老竜並という異常な強さのカガチに、サカキという砲台が加わって最強にみえる。
サカキの魔術が発動する度に、地面は抉れ、大木が幹から弾け、弾丸となって吹き飛ぶ枝葉が全身を切り裂く。
あんなの人間じゃない。移動砲台だ。
「しかもサカキの魔術がっ! 自動追尾してくるだとぉ!!!?」
サカキは遠くからそおーれ、とかほいほい、みたいな適当な発言を繰り返しているだけなのに、撃ち込まれる魔術は正確かつ高威力だった。
呪文詠唱を短縮するだけでこっちは息切れし、オルドルの牙が内臓にかかるというのに、サカキは天才の二字を免罪符に好き放題だ。
『紅玉で出力を上げて人形の体になってしまったぶんを補い、金剛石でこっちを追尾してるみたいだね。それじゃ、完全にシャットアウトしてみル~?』
次の瞬間、宿舎の方角から放たれたサカキの魔術が広範囲に広がる。
絨毯爆撃の軌道だ。姿の見えない敵を確実に殺すか、燻り出すための……!
オルドルがケラケラ笑ってる。こうなると予測してたのに教えなかったな。
「オルドル、防御壁!!」
『あいヨ~っ』
地面から突き出た金属の盾が炎を遮断する。
あっという間に周辺が平らになり、地面が炎を抱いて燻りはじめる。
「な……なんだあれ……!」
「先生、来るぞ!!」
イネスの叱責で我に返った。
灰の荒野となった山肌を、熱で揺らめく大気の向こうを、カガチがゆっくりと降りてくるのを見えた。
闘志と熱気で、それは黒い影の塊に見えた。瞳だけが敵を見据え、爛と光る。
彼らに抱く恐怖心は、人間に対するモノじゃない。
「走れ!!」
無我夢中で駆ける僕の前方で、群れて舞う飛竜の姿が目に入った。




